杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福島いわき再訪(2)~ダークツーリズム

2013-08-21 14:54:09 | 東日本大震災

 8月17日午後は、2011年4月に視察したいわき市の沿岸部を再訪問しました。

 

 最初に向かったのは、やはり2011年4月に最初に訪ねたいわき市久ノ浜(こちらの記事を参照してください)。

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 左写真が2011年4月の様子。

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 現在はこのとおり橋が復活していました。

 

 

 

 

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 左写真は2011年4月当時の、津波と火災で焼失した集落。

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 現在は瓦礫が撤去され、家の土台だけが残っていました。

 

 

 

 

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 左は2011年4月の久ノ浜稲荷神社のほこら。右は現在の様子。赤鳥居の脇の旗には、「ここに故郷あり 稲Dsc03119_2荷神社」と記されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 次に訪ねたのは薄磯地区。2011年4月、今でも忘れられないのが、横倒しになった冷蔵庫の中に生タマゴのパックが残っていたこと。

 

 

 

 

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 そして今回もこの地区で強烈な風景を目の当たりにしました。右写真の富士山のような形の足場は、防潮堤の建設予定地。こんな、こんもりとした丘みたいな堤防が、岸辺を延々と覆ってしまうというのです。

 

 大津波から命を守るには、こういう対策を選択するしかなかったんだろうと思いますが、もはや、ほとんどの住民が高台へ移転し、住む人がいなくなった地域に、これが本当に必要なんだろうか、他に予算を投じるところはないんだろうか、せめてコンクリートの壁ではなく、昔みたいな松の防潮林に出来ないのだろうかとふと思ってしまいました。

 

 

 

 津波のリスクは、ここはもちろん、日本国中の沿岸地域にあるものの、ふだんは本当におだやかで美しい白浜のビーチ。

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 この日も岩場で水遊びする親子連れの姿を見かけました。

 

 

 

 

 

 南に続く豊間地区、江名地区でも、防潮堤が造られる予定。海水浴場や磯民宿を営む住民の皆さんにとって、お客さんに、ふるさと自慢の美しいビーチを見てもらえなくなるということが、どれだけ辛いことでしょうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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 小名浜港にあるいわき市観光物産センター『いわき・ら・ら・ミュウ』からは、復興過程の小名浜港の様子を観ることができました。

 

 

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 館内ではちょうど、『3・11 いわきの東日本大震災展』をやっていました。

 

 津波被害の写真や映像や復元資料などが並び、被災当事者にとっては辛い記憶を呼び戻すものだったと思われますが、警察や自衛隊でしか撮れなかった救出作業のリアルな現場写真は、今観ても、心打つものがありました。

 

 

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 静岡市消防局の救援活動写真が大きくパネルになっていたのが、ちょっぴり誇らしかった。

 

 

 

 

 

 今回の視察。自分自身は、純粋に取材者として、リニューアルした道の駅の施設を早く観たい、震災1ヵ月後に視察した被災地がどうなっているのか観てみたい、という気持ちで訪ねたつもりでしたが、帰宅後、あれこれ調べてみたら、最近では、死や苦しみの舞台となった地を訪ねる“ダークツーリズム”が、観光ツアー商品になっているんですね。自分にはその自覚がなかったので、ダークツーリズムという言葉を知ったときはちょっとビックリしてしまいました。

 

 

 

 ネットニュースで調べたところ、ダークツーリズムは、とくに目新しいものではないようで、AFP通信のBBNewsが、今年4月、世界のダークツーリズムのベスト8選として、ポーランドのアウシュビッツ(ユダヤ人強制収容所跡)、カンボジア・プノンペン近郊の虐殺記念館(ポル・ポト派による大量虐殺の記録)、広島平和記念資料館などを紹介しているそうです。

 

 東日本大震災の被災地でも、被害を受けた建物を残すモニュメント構想が進んでいます。

 

 注目は、批評家の東浩紀さんが、チェルノブイリ原発が事故から25年の2011年から観光ツアーが解禁されているのを参考に提唱する「福島第1原発観光地化計画」。跡地を更地にせず、周辺の放射能が一定レベル以下に下がった段階で、原発から20キロ程度のところに宿泊施設を備えた「フクシマゲートヴィレッジ」を開設し、原発事故の記憶を伝える博物館や自然エネルギーの研究施設なども併設する。観光客は、ここを拠点に、バスで「サイトゼロ」の廃炉現場に行き、作業を見学する――といった案が練られているそうです。

チェルノブイリが25年かかった観光ツアーの解禁。いまだに放射性物質の汚染水がダダ漏れし、効果的な対策が打てない状況下で、一体いつ実現する話なんだろう、たぶん宇宙旅行なんかのほうが先に実現するんだろうな・・・。

 

 

 とにもかくにも、翌18日は、過去2回の訪問で行けなかった20キロ圏の一般車輌通行止めギリギリのところまで行ってみました。

 

 

 

 静岡ナンバーの車でノコノコ物見遊山するのはどうかとも思いましたが、四倉ふれあい市民会議の皆さんから、「いわきの観光といえばスパリゾートハワイアンズや美空ひばりの“みだれ髪”の歌碑がある塩屋崎灯台が代表格だが、今、観て欲しいのは、そこだ。今の現実をしっかり認識してほしい」と背を押していただいたのです。

 


 

 

 

 

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 沿岸を通る国道6号線・通称「陸前浜街道」沿いには、途中、こういう道路標識が設置されています。

 いわき市を抜け、広野町、楢葉町、富岡町と北上する途中、幹線道路沿いでよく見かける郊外型ショッピングセンター、コンビニ、ガソリンスタンド、カーディーラーが、まったくの無人で、まるで映画村のセットのようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 楢葉町の『道の駅ならは』、建物はものすごく立派だし、高台にあって津波の被害は受けなかっただろうと思われますが、クローズしたまま、警察の詰め所になっていました。

 

 

 津波被害を受けながら、市民の力で甦った『道の駅よつくら港』とは、車でほんの15分ぐらいの距離なのに、このギャップはきついな・・・。

 

 

 

 

 

 

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 そして、許可車輌以外進入不可の避難指定区域ゲート。他に進入しようとする車両はなく、警察官の眼がいっせいにこちらに注がれ、ビビッてしまいました。

 

 東さんが提唱する「フクシマゲートヴィレッジ」なるものが本当に実現するならば、この一帯の、映画のセットのような、ゴーストタウンのような乾いた空間に、少しは温もりが甦ってくるのでしょうか・・・。

 

 

 

 

 ふと、中山間地で見かける、雑草が生え放題となり、野生動物が往来する耕作放棄地のことを思い起こしました。少しでも人の手が入らなければ、土地というのは荒廃の一途を進むしかない。再生するには途方もない労力と時間が要ります。

 そんな、“放棄地”が、ここでは自治体サイズで広がっているんだとジワジワ実感しました。

 

 

 国土が狭く、7割近くが森林・山岳地帯で、限られた平野部に人口が密集する日本。7割も森林があっても、日本の木材自給率は3割程度。使用する木材の約7割を輸入に頼っているのです。

 

 

 石油や天然ガスが導入される以前、日本のエネルギー資源は木材でした。戦後、膨大な予算を投じて拡大造林政策がとられ、高度経済成長期は建築用材ニーズによって木材自給率は9割を誇っていました。

 

 自給率が悪化したのは、木材輸入の自由化です。後に残された膨大な人工林は放置され、林業は衰退し、森林は手入れがされなくなり、台風や豪雨で山崩れが頻繁に起き、二酸化炭素の吸収力も低下していった・・・。中学生でも理解できる“負の連鎖”です。

 今、問題になっているTPPも、流されるままに自由化という選択を安易に選んでいいのだろうかと考えさせられます。

 

 

 森林を見放し、効率重視で原子力エネルギーに傾注した日本は、津波によって強烈なしっぺ返しを受けたんだろうと思えます。当面、火力発電に頼らざるを得ない状況下で、日本人がすべきことは、森林資源の価値をもう一度見直すことではないでしょうか。

 

 

 なんだか取りとめのない長文になってしまいました。続きはまた。

 

 

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