杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福島いわき再訪(3)~会津坂下の立木観音

2013-08-22 14:43:04 | 東日本大震災

 今回、いわき市には被災地のその後を視察する目的で行ったのですが、過去2回とも、いわき沿岸の被災地しか行っておらず、福島に来た!いわきを楽しんだ!という経験がないまま、またトンボ帰りするのももったいないなぁと思い、ちょっぴり観光も楽しみました。

 

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 四倉ふれあい市民会議のみなさんには、美空ひばりの「みだれ髪」の舞台になり、歌碑が建つ塩屋崎灯台、三崎公園マリンタワー、復興飲食店街「夜明け市場」を案内していただきました。

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 いわき駅に近い中心街にある『復興飲食店街・夜明け市場』は、3・11の後、事業継続が出来なくなった飲食店が再起を期して、昭和の横丁「白銀小路」の空き店舗に2011年11月にオープン。レトロな横丁にイマドキのイタリアンバルや和風ダイニングの店など11店舗が並んでいます。

 

 小さな店ばかりで、四倉ふれあい市民会議の皆さんと私たち全員が入れる店がなかったため、外観だけ楽しみました。今度来るときはハシゴするぞ!

 

 

 

 

 

 

 観光といっても、当初は漠然と、いわきといったらフラガールで有名なスパリゾートハワイアンズあたりかなあと思っていたんですが、18日朝、ホテルでモーニングを取っているとき、偶然、現地の新聞記事で見かけたのが、「恵隆寺の立木観音、17~18日にご開帳」という記事。恵隆寺をスマホで検索してみたら、高さ8.5メートルもある一木彫の千手観音で、年に1度、8月17~18日の例大祭で開帳法要が行われ、一般の人が自由に拝観できると知り、がぜん興味が湧きました。

 

 道の駅よつくら港へお礼に寄ったところ、「立木観音は“コロリ観音”で有名ですよ」とのこと。ご利益がコロリと授かる、あるいは長患いすることなくコロリと死ねる、というわけです。

 ただし恵隆寺がある会津坂下町は、喜多方市と会津若松市の中間に位置し、いわき市四倉からは常越道で2時間弱の、新潟県に近い内陸部。初めて行く土地で、ご開帳の時間に間に合うかどうかわからない不安のまま、とにかく高速を飛ばして一路会津へ向かいました。

 

 金塔山恵隆寺(えりゅうじ)。会津には名刹が多いと聞いていましたが、これほど堂々とした御堂とは、思わず平野さんと「じぇじぇじぇ~」。

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 参拝客の行列が伸びる観音堂(国重文)は、茅葺屋根の伝統的な寄棟造り。鎌倉初期、1190年に創建され、江戸初期の1611年に慶長の大地震で大破、6年後に再建されたものです。

 

 

 本尊の十一面千手観音菩薩(国重文)は、808年に弘法大師が立ち木(根っこがついた状態の木)の状態から彫刻した、身丈8.5メートルの一木彫。根付きの立木仏像では日本最大級の大きさだそうです。お顔は平安期らしい目鼻立ちがくっきりとしたふくよかな表情で、拝顔すれば“コロリ”安らかに逝ける、という言い伝えを素直に信じたくなりました。堂内は撮影厳禁だったため、写真で紹介できないのが残念です。

 

 

 

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 観音さまの両脇には、二十八部集プラス雷神・風神の計30体の仏さまがひな壇のように並んでいました。これがまた圧巻。密教様式を忠実に再現しており、これほどパーフェクトなのは、京都の三十三間堂とここだけ、なんだそうです。いずれも2メートル弱の大きさで、衣の極彩色がところどころに残っています。こういう圧倒的パワーの仏像群を、目と鼻の先、本当に擦り寄れるような近さで観ることができたのです。

 

 国の重要文化財を、ガラスやフェンス越しでなく、直に至近距離で参拝できる寺って、珍しいんじゃないでしょうか。・・・高校生のころから35年余親しんできた仏像鑑賞キャリアの中でも屈指の体験でした。

 

 

 

 

 立木観音恵隆寺がある会津坂下町、来てから気づいたのですが、赤穂浪士の堀部安兵衛、『八重の桜』で黒木メイサが演じた中野竹子、演歌歌手の春日八郎、昭和の作曲家猪俣公章の出身地で、町のメインストリート=旧越後街道のライヴァン通りには、『飛露喜』の廣木酒造、『天明』の曙酒造、豊国酒造が立ち並ぶ蔵の町でした。

 

 

 

 時間がなかったため、蔵見学や街の散策はできませんでしたが、会津屈指の米どころと聞いて、COOPで坂下産コシヒカリと、ちょうど切らしていた味噌をライヴァン通りの老舗・八二醸造で購入し、帰路に付きました。

 

 

 海の町いわきと、山の町会津・・・二つの文化と風土を抱く福島には、静岡人がシンパシーを感じる魅力が秘められていると思いました。

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 いわきの海沿い、漁業やマリン観光で活気のあった町々の今現在、置かれている状況を知ると辛くなりますが、いわきの海の幸と、会津の地酒、2つの食文化を大切に思う気持ちだけはしっかり受け止め、出来る限りの支えを続けていければ、と思いました。

 

  
 この夏、いわき市沿岸では、勿来と四倉、2つの海水浴場が復活しました(勿来は昨年再開)。18日は四倉海水浴場がクローズする日でもありました。美しい砂浜海岸に、真に明るい太陽が恵みを降り注ぐ日が来ることを祈っています。またその日が来るまで、いわきとの絆を大切にしていきたいと思っています。

 四倉の皆さま、本当にありがとうございました。

 

 

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