まさるの一口馬主日記

「一口馬主」の視点から毎週の競馬を長年楽しんでいます。
*画像等はクラブより使用許可を得て使わせて頂いています。

日本的経営と厩舎運営

2006年11月30日 20時53分58秒 | 今日の日記
昔は餅つき競馬などと言われた師走の競馬が始まります。

みんなでなかよくおててつないで新年を迎えましょうと勝ち星の足りないところにも回してあげようという気持ちが調教師を始め競馬サークル間に働いたとか働かなかったりとか…。実際は多少なりともあった(今も?)と考えます。
もちろんそれだけの理由で行われていたら八百長な訳で、他にも調整の難しい時期だったり除外で思うような状態で競馬に使えないなどの要素はあります。
3連単導入で多少の配当では驚かなくなってしまいましたが、確かに昔の師走競馬は高配当が多かったです。

日本的な経営は死んだと言われて久しい昨今ですが、競馬サークル内はライバルでもあり仲間でもあるわけで、まさに古き良き日本の社会の縮図がいまだにそこにはあるような気がします。
ちなみに私は日本的経営について概ね容認派です。甘ちゃんです(笑)

「理事長、武に謝れ!」

2006年11月29日 20時22分23秒 | 今日の日記
今日はスポニチの記事(牧太郎さんのコラム)を見てどうしても改めて書きたくなってしまいました。

「武は凱旋門よりも緊張しているよ」とパドックを見た人の声が聞かれたくらい武豊騎手も背負うものが大きかったのでしょう。
背負うもの、それは『競馬の公正』というあまりにも大きなものでした。
その日、東京競馬場自体が大きな緊張に包まれていたそうです。
「汚点」と評されたディープインパクトは「競馬の公正=ギャンブル全体の公正」の為にも勝たなくてはならなかったのです

JRAは独自の調査もしないで「汚点」と言い放ちました。凱旋門賞の歴史に敬意を払い表現したものなのでしょうが、許される事ではありません。
実際に表彰式では「理事長、武に謝れ!」とヤジが飛んでいたそうです。

府中の直線をディープインパクトと共に豪脚で切り開いた武騎手は珍しく何度も何度も手を挙げていたそうです。ディープインパクトは自らの力でとてつもない大きなモノをぶち破った勝利でもあったのです。

がんばれハーツクライ!

2006年11月28日 20時37分20秒 | 今日の日記
ジャパンカップでよもやの失速をしてしまったハーツクライがピンチです。引退かもしれません。
昨年のJCでのあの耳を絞って矢のように猛然と内に突っ込んできた姿やキングジョージでのエレクトロキューショニストとの激しい叩き合いが忘れられません。
ハーツクライは本質的には追い込み馬だと思うのですが、脚質に幅が出てからさらに強くなりました。

なかなか立て直すのは難しいでしょうが、有馬での一騎打ちが見たいと思うのは私だけではないでしょう。

神馬ディープインパクト

2006年11月27日 22時31分46秒 | 今日の日記
ディープインパクトの勝利で日本競馬は救われたと言ったら大袈裟でしょうか?

人間の巷説や喧騒などお構い無しにディープインパクトは彼自身の競馬をしてくれました。本当に素晴らしい胸のすくようなレースでした。レース自体のあがりが早い中で、最後方からの豪快な大外からの捲くりの競馬。直線は飛んでいましたね!
私は電気屋で失神しそうになりました。

サッカーのワールドカップで3敗して日本サッカーは「10年後退してしまった」などとマスコミで叩かれていましたが、同じような事が競馬でも言われたかもしれません。
そう、今回の勝利はまさに日本競馬の威信を示すものだったと考えます。

武豊騎手は将来のこのようなシナリオをイメージして「英雄」と名付けたわけではないでしょうが、実際日本競馬の「英雄」になったレースでもありました。
やはりユタカ騎手は展開が読める天才だったのです(笑)

今日のディープ

2006年11月27日 21時49分15秒 | まさるの「この一頭」
池江泰郎師「勇気もらった」/ジャパンC(11月27日)

検量室前でディープインパクトを迎える池江泰郎師の表情は、終始硬かった。ノーザンファームの吉田勝己代表から握手を求められた時にわずかに笑みをこぼしただけで、再び口元をギュッと結んだ。喜びだけではない、特別な感情に支配されていた。「胸がじーんとなった。熱くなって、体内の流れは涙でいっぱいだった。ディープにありがとう。もうそれだけだったですね。感謝、感謝です」。
声を絞り出し、ゴールの瞬間を振り返った。

 凱旋門賞3着の敗戦ショックが冷めやらぬ10月19日、禁止薬物検出の知らせがもたらされた。失格処分が確定した16日、そしてこの日の帰国第1戦を終えるまで、気の休まる日は1日もなかった。薬の不正使用はしていない。その点に関して、揺るぎない自信を持っていた。しかし主催者間の申し合わせで沈黙を守ったことと、結局は不注意が原因とされたことで、非難を浴びせる世間の声とのギャップに戸惑った。

 「この2カ月近い期間は、自分にとって1年を思うような過ごし方だった。1日が苦しく長かった」。65年間の人生でも最大の試練を課され、1人で悩みを抱える調教師を救ったのは、無垢な馬の走りにほかならなかった。「ディープは何も知らない雰囲気で、ディープらしい姿を見ていると、このままじゃダメだと思った。ディープに勇気をもらう毎日でありました」と頭を下げた。調教に際しては普段と変わらず職人として目を配った。そして無駄な脂肪をそいだ究極の馬体に仕上げ、インパクトを送り出した。

 「人生、山あり谷あり。つらい時があれば倍になって返ってくる。そんな思いです」。馬に対して責任を果たしたトレーナーは、残る有馬記念に全力で臨む。

今日のディープ

2006年11月27日 21時42分25秒 | まさるの「この一頭」
武「本当の走りができた」/ジャパンC(11月27日)

凱旋門賞(3着後失格)の雪辱を期したディープインパクト(牡4、栗東・池江泰郎)が、直線で外から豪快に伸びて圧勝。ダービーを勝った思い出の地で、その実力をあらためて見せつけ名誉挽回を果たした。2着はドリームパスポート、3着はウィジャボード。2番人気のハーツクライは直線で失速し、10着に大敗した。インパクトはこの後、引退レースの有馬記念(G1、芝2500メートル、12月24日=中山)で有終の美を目指す。

 拍手と歓声の風の中、ディープインパクトは重心を沈ませ一気に突き進んだ。過去最大のプレッシャーから解き放たれた武豊騎手はゴールの瞬間、右手を握り締める。ウイニングランでは、12万人が埋め尽くしたスタンドに向けてこぶしを突き上げた。そして、何度も何度もインパクトの首筋をたたき、激走をねぎらった。期せずして沸き起こるユタカコール。これにこたえて、万歳を繰り返した。「フランスでは残念な結果だったし、負けられないと思っていた。この馬の本当の走りができて良かった。気分よく走ってくれたし、いい形で運べた。直線は楽しそうに走っていた」。

 武からのゴーサインは残り700メートルで送られた。最後方に位置していたインパクトが、ジリジリとポジションを上げる。世界一のデットーリ騎手が乗るウィジャボードを視界にとらえ、離陸の機会をうかがった。最終コーナーを回る時には「何よりもうれしかった」(武)声援が、ゴールデンコンビをバックアップ。直線の広大なスペースで、インパクトは小柄な体を思い切り伸ばした。首を投げ出して一刻も早くゴールへ、1センチでも前へと四肢を伸ばす。坂の下で飛び始めた時に、天才は「『よし!』というより『大丈夫!』という感じ」と勝利を確信していた。デットーリは「ウィジャボードは世界一の牝馬だけど、世界一の牡馬に負けたんだから仕方ない」と武を祝福した。

 凱旋門賞からの帰国後、年内での引退発表、禁止薬物の検出と、インパクトを取り巻く環境は一変した。レース前、武は「この一戦に臨むスタッフの気持ちは皆さんにも理解してもらえるはず」と話した。すべてを払しょくするためには、勝つしかなかった。インパクトの力を誇示するしかなかった。「彼らしい走りができるように、乗ることだけを心掛けた」。無心で乗った。ゲート内ではインパクトの首を横に向け、あえて気をそらせた。「じっとしているのが嫌いな馬なので」。細心の注意を払ったスタートで、勝負の大半は決した。苦楽を共にしたパートナーの能力を信じ、あとは楽しむだけだった。

 この後に待つレースは有馬記念ただ1つ。「もう1回だけじゃなく、もっと乗りたい。でも、もう決まっていること。すべてをかけたい」。90年の有馬記念、オグリキャップがラストランを勝利で飾った。その時も、あん上は武。16年の時を経て、再びスーパーホースを栄光へ導く。


バンザーイ!バンザーイ!!

2006年11月26日 17時14分56秒 | 今日の日記
本当に胸がスカッとするディープインパクトの圧勝劇でした。

『走りたくて仕方ない』
今日のディープインパクトは私にはそう映りました。
デビュー以来一番軽い馬体重に、私はこの一戦にかける池江先生の気合を感じました。有馬記念の事を考えてのおつりのある仕上げでは決してなかったでしょう。

陣営の復権に対する強い思いと武豊騎手の凄まじいまでの執念がテレビを見る私に伝わってきました。
レース後の豊騎手は顔面真っ青のように感じましたが、相当のプレッシャーがあったのでしょう。レースから戻ってきたディープの顔を優しく撫でていた池江先生を私は見逃しませんでした。熱い…。
そして勝利ジョッキーインタビューに私はびっくりしました。こんなに嬉しそうな豊騎手を見るのは初めてです。こんなに感情剥き出しの彼を見たのは15年の私の競馬生活の中で初めてかもしれません。その位凱旋門は悔しかったし、騒動も残念だったのでしょう。

何とかならないものでしょうか?

2006年11月25日 06時42分46秒 | 今日の日記
ばんえい廃止へ 「あきらめきれぬ」 生産者ら無念   記事より


 北海道開拓時の馬文化を伝える「ばんえい」の灯が消える-。ばんえい競馬廃止の方向が固まった二十四日、ばん馬とともに人生を歩んできた調教師や生産者など関係者は、「なぜだ」と怒りに声を荒らげた。先が見えない将来への不安、愛する馬たちへの思い…。「あきらめきれない」。無念の思いが渦巻いた。

 現在、レース開催中の北見競馬場。小雪が舞う中、五十五歳のある調教師は「騎手時代も含め、ばんえい競馬で三十年以上も仕事をやってきた。ばんえいが消えるなんて考えたくもない」とうめいた。十人いる厩務(きゅうむ)員の今後を考えると「不安で夜も眠れない」ともらす。

 ある男性厩務員(34)も「不安で逃げ出したい気持ち。でも、馬の面倒を最後まで見てやらないと」と言いながら、馬にやさしくブラシをかけた。

 調教師、騎手、厩務員を合わせると約二百五十人、馬主約三百七十人、生産農家約二百七十戸。ばんえい競馬廃止で少なくともこれだけの人が直接的な影響をこうむる。

 網走管内で唯一、ばん馬生産だけで生計を立てる芝桜高橋牧場(網走管内滝上町)の高橋敏さん(43)は「(運営主体の北海道市営競馬組合は)廃止に追い込まれる前にするべきことがあったはず」と怒りを隠さない。廃止後は肉用馬生産に転換するしかない。しかし価格はばん馬の半分程度。「今の収入を確保するには二倍の馬を育てなければ」と不安が膨らむ。

 「何百人もの競馬関係者が路頭に迷うことになる。せめてあと一、二年続けられないものか」。二十四日、岩見沢市議会の議員協議会を傍聴していた帯広市の調教師大友栄人さん(43)は、そう言って顔を引きつらせた。

 傍聴席にはみけんにしわを寄せた競馬関係者やファンら十数人が陣取った。ばんえい競馬馬主協会の大野清二会長(77)=美唄市=は「馬主への報奨金をさらに減らすなど、こちらも努力をする。岩見沢ができないとなったら一市でも開催できないか帯広にお願いしたい」と悲痛な声を上げた。

 一方、帯広、岩見沢両市より先に運営継続は困難と判断した旭川市の西川将人市長と北見市の神田孝次市長は「廃止という結論に至る場合には、いつまで開催を続けるのか、関係者への補償をどのように行っていくのかなど、四市で速やかに協議・決定し、ファンや関係者の皆さんに説明していくことが必要と考える」と、ほぼ同じ内容のコメントを発表した。



この一戦

2006年11月24日 19時20分58秒 | 今日の日記
ついに日曜日、ディープインパクトが再び府中に姿を現します。この日を楽しみにしていました。
陣営のこの一戦にかける気合いは凄まじいものがあり、武豊騎手も自ら志願して2週にわたり調教に携わる熱の入れ様。

凱旋門以来の鬱憤をスカッとさせてくれるようなディープらしい圧勝を期待します。
負けるなディープインパクト!!