“逃げ馬の名手”と呼ばれたベテランジョッキーが、ステッキの代わりにペンを握った足掛け2年の受験生活。記者会見に臨んだ中舘は「調教師試験が何度も夢にまで出てきた。自信は全然なかったけど、合格発表の午前10時に着信がいっぱい入ってきて…。受かって良かった」と満面の笑みを浮かべた。
希代の逃げ馬ツインターボ、女傑ヒシアマゾンなど、個性派ホースとコンビを組んだ49歳のベテランに転機が訪れたのは12年2月。京都競馬場で落馬し、背骨骨折の重傷を負った。「もう乗り役はきついかな」。2カ月後に復帰したが、当時47歳の肉体は悲鳴を上げていた。そして10年前から意識し始めたという調教師への転身に本腰を入れた。
だが、初受験した昨年は不合格。競馬関係法規から労働関係法規、衛生学まで多岐にわたる試験の競争率はおよそ20倍の難関。「勉強から離れて何十年もたっているし、年を取ると記憶力も鈍ってくるので苦労した。せっかく覚えてもレースに騎乗した途端に記憶が飛んでしまう」
今年5月中旬からはレースを離れて受験勉強に没頭した。自宅では集中できないため、平日は静かな調整ルームに通って朝から晩まで参考書にかじりつく日々。「机に向かった瞬間から、出ムチの入れっぱなしだった」。逃げ馬に入れたカツを自らに叩き込み、9月の1次試験(筆記=出願117人中24人合格)、今月2~4日の2次試験(口頭)を突破した。
「(騎手としての晩年は)ローカルに回って、ぎりぎりのところで勝たなきゃいけない馬に乗ってきた。調教師になってもそういう馬をしっかり勝たせたい」。騎手生活30年でJRA通算1万7695戦1823勝。「随分乗せてもらったから騎手に未練はない」とクールに語るが、思い出の馬を問われた途端に感極まった表情を浮かべた。「アサヒエンペラーです」。デビュー3年目の86年に皐月賞、ダービー連続3着。騎手としての原点になった“無冠の大器”を胸に第2の競馬人生を踏み出す。
私は中舘厩舎を応援します。
iPhoneから送信