看護学校で臨死体験の話をしたところ、いくつか質問をいただきました。
臨死体験とは、心停止や呼吸停止など死にかかったことのある人が、
その最中に経験してきたことで、
本人たちは死後の世界を垣間見てきたと思う場合が多いようです。
立花隆氏によるNHKスペシャルの番組や
『臨死体験』 という本によって日本でも広く知られるようになりました。
私も、立花氏の本が出版された翌年に、
『ホスピスの理想』 という本の第8章 「臨死体験」 を執筆することになり、
いろいろ本を読みあさって調べた覚えがあります。
体外離脱や光のトンネル、死者との出会い、人生走馬灯など、
臨死体験では多くの人が共通した経験をしていることがわかってきています。
統計では、死にかかったことのある人が全人口の約15%、
そのうちの約3分の1、つまり全人口の約5%くらいの人が臨死体験をしているそうです。
まずはこんな質問をいただきました。
Q-1.小野原先生は臨死体験をしたことがありますか?
A-1.まだ体験したことはありません。
いろいろ調べてみてとても興味をもったので、
ぜひ体験してみたいと思っているのですが、
まず死にかかったことがないことには臨死体験はできないので、
いまのところは未経験です。
臨死体験はしてみたいですが、じゃあそのために死にかけてみるかと問われると、
そこまでの勇気はないですね。
死んでしまっては元も子もないわけですし…。
次の質問です。
Q-2.臨死体験は現実体験 or 脳内現象のどちらだと思いますか?
ちょっと説明を付け加えると、臨死体験をしてきた人の多くは、
自分は現実に死後の世界を体験してきたのだと主張するのだそうです。
夢や幻覚ならば見ているときは現実と思っていても、
目覚めてしまえばあれは夢だったとか幻覚だったと自分でも自覚できるものです。
ところが、夢や幻覚とは異なり、臨死体験の場合はものすごい現実感が伴っていて、
目覚めた後もあれは実際の経験であったとしか思えないのだそうです。
そこから、臨死体験は現実に死後の世界を体験してきたのだする、
現実体験説が生まれてきます。
一方で、現実感というものも脳が感じているものにすぎず、
脳のある部分に刺激を与えれば、現実に経験していなくとも、
強烈な現実感を感じることがあるということがわかってきていますので、
臨死体験というのは重篤な状態に陥った人が脳に障害を受けて感じる、
脳内現象にすぎないのだとする説も根強くあります。
授業ではその2説を紹介してみんなはどっちだと思うかと問いかけましたが、
同じ質問が私にも返されてきたというわけです。
この問いにはこうお答えしておきましょう。
A-2.臨死体験は脳内現象だと思います。
現実体験ではないと証明することはできませんが、
私としては脳内現象にすぎないんだろうなと思っています。
「人は死んだらどこへ行くのだと思いますか?」 という質問に、
「どこへも行きません。骨や灰などの物質だけが残り、
意識も心も消滅してしまうだろう、と私は考えています」 と答え、
「心ってどこにあると思いますか?」 という質問に、
心はどこかにあるというようなものではなく、
たんなる脳の働き (機能) にすぎないと思います、と答えた近代合理主義者の私ですから、
この問題に関して脳内現象説派であることは予想がついただろうと思います。
重篤な状態に陥った人は脳の同じような箇所に障害を受け、
その刺激によって同じような映像や感覚が脳内で生じているのだと考えるのが、
科学的には一番合理的な解釈ではないでしょうか。
つまらないっちゃあつまらない解釈ですが…。
ただ私としてはたんなる脳内現象であったとしても、
臨死体験には重要な意味があり、その価値は奪われるものではないと思っています。
それは、臨死体験というのは死後の世界の体験ではなく、
死のプロセスの体験なのではないかということです。
死んだ後のことはわかりませんが、死ぬプロセスにおいては、
多くの人がああいうものを見たり聞いたり感じたりするのではないか。
死ぬ人というのは皆ああいうものを体験しながら死んで行くのではないか。
もちろんこれも死んだ人に聞いて確かめることはできないので、
あくまでも仮説にすぎないのですが、
死の際に脳内で生じていることを推測してみると、
けっこう当たっているような気がするのです。
私は立花氏のあの本を読んで、それまでずっと持っていた死への恐怖が軽減されました。
私が持っていた恐怖というのは死んだ後のことではなく、
死ぬ途中でどんな苦しい思いをするんだろうかという恐怖でした。
その恐怖は、近代合理主義者の私であっても確実に軽減されたのです。
ですから脳内現象であったとしても臨死体験には重要な意味があると思うのです。
詳しくはぜひ立花氏の本を読んでみてください。
けっこうハマりますよ。
もうひとつ質問をいただいていましたが、それは稿を改めて書くことにしましょう。
臨死体験とは、心停止や呼吸停止など死にかかったことのある人が、
その最中に経験してきたことで、
本人たちは死後の世界を垣間見てきたと思う場合が多いようです。
立花隆氏によるNHKスペシャルの番組や
『臨死体験』 という本によって日本でも広く知られるようになりました。
私も、立花氏の本が出版された翌年に、
『ホスピスの理想』 という本の第8章 「臨死体験」 を執筆することになり、
いろいろ本を読みあさって調べた覚えがあります。
体外離脱や光のトンネル、死者との出会い、人生走馬灯など、
臨死体験では多くの人が共通した経験をしていることがわかってきています。
統計では、死にかかったことのある人が全人口の約15%、
そのうちの約3分の1、つまり全人口の約5%くらいの人が臨死体験をしているそうです。
まずはこんな質問をいただきました。
Q-1.小野原先生は臨死体験をしたことがありますか?
A-1.まだ体験したことはありません。
いろいろ調べてみてとても興味をもったので、
ぜひ体験してみたいと思っているのですが、
まず死にかかったことがないことには臨死体験はできないので、
いまのところは未経験です。
臨死体験はしてみたいですが、じゃあそのために死にかけてみるかと問われると、
そこまでの勇気はないですね。
死んでしまっては元も子もないわけですし…。
次の質問です。
Q-2.臨死体験は現実体験 or 脳内現象のどちらだと思いますか?
ちょっと説明を付け加えると、臨死体験をしてきた人の多くは、
自分は現実に死後の世界を体験してきたのだと主張するのだそうです。
夢や幻覚ならば見ているときは現実と思っていても、
目覚めてしまえばあれは夢だったとか幻覚だったと自分でも自覚できるものです。
ところが、夢や幻覚とは異なり、臨死体験の場合はものすごい現実感が伴っていて、
目覚めた後もあれは実際の経験であったとしか思えないのだそうです。
そこから、臨死体験は現実に死後の世界を体験してきたのだする、
現実体験説が生まれてきます。
一方で、現実感というものも脳が感じているものにすぎず、
脳のある部分に刺激を与えれば、現実に経験していなくとも、
強烈な現実感を感じることがあるということがわかってきていますので、
臨死体験というのは重篤な状態に陥った人が脳に障害を受けて感じる、
脳内現象にすぎないのだとする説も根強くあります。
授業ではその2説を紹介してみんなはどっちだと思うかと問いかけましたが、
同じ質問が私にも返されてきたというわけです。
この問いにはこうお答えしておきましょう。
A-2.臨死体験は脳内現象だと思います。
現実体験ではないと証明することはできませんが、
私としては脳内現象にすぎないんだろうなと思っています。
「人は死んだらどこへ行くのだと思いますか?」 という質問に、
「どこへも行きません。骨や灰などの物質だけが残り、
意識も心も消滅してしまうだろう、と私は考えています」 と答え、
「心ってどこにあると思いますか?」 という質問に、
心はどこかにあるというようなものではなく、
たんなる脳の働き (機能) にすぎないと思います、と答えた近代合理主義者の私ですから、
この問題に関して脳内現象説派であることは予想がついただろうと思います。
重篤な状態に陥った人は脳の同じような箇所に障害を受け、
その刺激によって同じような映像や感覚が脳内で生じているのだと考えるのが、
科学的には一番合理的な解釈ではないでしょうか。
つまらないっちゃあつまらない解釈ですが…。
ただ私としてはたんなる脳内現象であったとしても、
臨死体験には重要な意味があり、その価値は奪われるものではないと思っています。
それは、臨死体験というのは死後の世界の体験ではなく、
死のプロセスの体験なのではないかということです。
死んだ後のことはわかりませんが、死ぬプロセスにおいては、
多くの人がああいうものを見たり聞いたり感じたりするのではないか。
死ぬ人というのは皆ああいうものを体験しながら死んで行くのではないか。
もちろんこれも死んだ人に聞いて確かめることはできないので、
あくまでも仮説にすぎないのですが、
死の際に脳内で生じていることを推測してみると、
けっこう当たっているような気がするのです。
私は立花氏のあの本を読んで、それまでずっと持っていた死への恐怖が軽減されました。
私が持っていた恐怖というのは死んだ後のことではなく、
死ぬ途中でどんな苦しい思いをするんだろうかという恐怖でした。
その恐怖は、近代合理主義者の私であっても確実に軽減されたのです。
ですから脳内現象であったとしても臨死体験には重要な意味があると思うのです。
詳しくはぜひ立花氏の本を読んでみてください。
けっこうハマりますよ。
もうひとつ質問をいただいていましたが、それは稿を改めて書くことにしましょう。
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