まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ブランド (=世界観) の破壊

2009-12-22 16:35:40 | お仕事のオキテ
トム・クルーズは背が低いのにがんばっているので、
真田広之とともにお気に入りの俳優のひとりです。
しかし、トム・クルーズの所業でひとつどうしても許せないことが。
映画 『ミッション・インポッシブル』 です。
これは、テレビドラマ 『スパイ大作戦』(原題は 『ミッション・インポッシブル』) の映画化権を、
トム・クルーズが買って、プロデューサーとして製作し、主演も務めた映画です。

テレビドラマの 『スパイ大作戦』 は子どもの頃から大好きでよく見ていましたが、
大人になってスカパー!に加入したら、ちょうどやっていて、
たぶんほとんど全話、ビデオに録画してあると思います。
それくらい好きだったので 『スパイ大作戦』 にはものすごく思い入れがあるのですが、
映画 『ミッション・インポッシブル』 はそれをものの見事に打ち砕いてしまったのです。
『スパイ大作戦』 の映画化にも、トム・クルーズにも大いに期待していただけに、
ショックは大きかったと言えるでしょう。

『スパイ大作戦』 というドラマは、次のような決まり事によって構築されていました。
①不可能と思われるような難しい使命を、
②ハイテク機器を駆使して、
③直接的暴力を用いることなく (メンバーが敵を直接殺したりすることはない)、
④緻密な計画で相手を騙すことによって、
⑤みごとなチームワークで成し遂げる。
このうちのどれかひとつが欠けても、
『スパイ大作戦』(『ミッション・インポッシブル』) というブランドは崩壊してしまいます。
ところが、映画 『ミッション・インポッシブル』 は、
このうちの①と②だけしか引き継がなかったのです。
これは 『スパイ大作戦』 に対する冒涜といっても過言ではないでしょう。

映画自体の出来はとても素晴らしかったと思います。
シリーズのいずれも、ストーリーもよく出来ていましたし、
アクション・シーンも見事でした。
ただしかし、これはどう転んでも 『ミッション・インポッシブル』 ではないのです。
別のタイトルで、役名とかも引き継がずにまったく新しい映画として製作すれば、
それでよかったじゃないですか。
なぜわざわざ 『ミッション・インポッシブル』 を騙る必要があったのでしょうか。
特に⑤に手を加えて、チームのなかに裏切り者を置いてしまったなんていうのは、
『スパイ大作戦』 の世界観そのものを根こそぎ覆してしまったとしか言いようがありません。
原作に対してそんな暴力を加えてしまっていいのでしょうか。
いい例が思いつきませんが、
ハリー・ポッター・シリーズで、最後の最後、実はロンがヴォルデモートの手先だったとか、
釣りバカ日誌シリーズで、実はハマちゃんはもともとあの会社のオーナーだった、
みたいなどんでん返しです。
それは確かにみんな驚くかもしれませんが、別にそうまでして驚かせてほしくはありません。
設定の根幹を揺るがしてしまったら、物語全体が崩壊してしまうのです。

似たような危うさは007シリーズの最近の2作にも感じられます。
ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じた
『カジノ・ロワイヤル』 と 『慰めの報酬』 はやはり映画の出来は素晴らしいと思いますが、
しかし、これは007じゃないだろうという気がしてなりません。
それはダニエル・クレイグ演ずるジェームズ・ボンドがあまりにがむしゃらすぎて、
ユーモアのひとかけらも感じられないからです。
ジェームズ・ボンドというのは常に余裕をもっていて、
ユーモアを絶やさず、窮地に追い込まれても敵に向かって軽口を叩いている、
というのでなければなりません。
そこの設定を変えてしまうと、ボンドはボンドでなくなってしまうと思うのです。
スーツを着てアタッシュケースを提げて出社し、パソコンでバリバリ仕事をこなす寅さんは、
はたして寅さんと言えるでしょうか。

ブランドは大事にしなければいけないと繰り返し言ってきました。
ブランドの崩壊を招くような設定変更はできるだけ行うべきではないし、
どうしてもしたいなら、別の新しいブランドを立ち上げるほうが得策でしょう。