数年前まで、福島大学の共通教育 (いわゆる一般教育) の 「倫理学」 の講義では、
「人殺しの倫理学」 というタイトルで授業をしていました。
まあ、いまどきの学生さんの興味関心をひくために、
わざとそういう物騒なタイトルをつけているわけですが、
中絶や安楽死や脳死臓器移植などのテーマを扱うのに、
それらを個々別々のものとしてではなく相互に関連する問題として捉えてもらうためにも、
「人殺し」 という大きな枠組みで一度見てもらいたかったわけです。
この講義ではまず最初に学生たちに、
「人殺しはよいことですか悪いことですか?」 という問いを投げかけて、
自分の価値判断を下してもらいます。
みんなこの問いには、それぞれの根拠をもって答えていくのですが、
その次に、「ところで、そもそも人殺しって何ですか?」 と定義について聞いてみると、
各自がイメージしている 「人殺し」 はてんでバラバラであり、
しかも、ひとりひとりに、「じゃあ中絶は人殺しですか?」、
「脳死臓器移植は人殺しですか?」、「死刑はどうですか?」 と聞いていくと、
自分なりの定義もどんどん揺らいでいくのです。
そこで、「人殺しとは何か」 についてきちんと答えられないのに、
「人殺しがよいか悪いか」 について正しく答えることはできないはずなのに、
多くの人は定義をすっ飛ばして、価値判断を下しがちである、と説明していくと、
素直な学生たちは、なるほどと思ってくれるのです。
人殺しについて考えていくとき、人殺しにもいろいろあって、
それをもっと細かく分類していくという作業が必要です。
それとは別に、人殺しには含まれないけれども、
人殺しと関連しているような問題を整理しておくことも必要になります。
私はそれを 「人殺しの外部関連問題」 と呼んでいましたが、
これを列挙していくのって楽しい仕事でした。
話がどんどん脱線していき、どんどんSFじみていくのですが、
みんながだんだんキョトンとしていくのを見ているのが好きというか…。
「自殺」 なんかは境界線上の問題であり、
人殺しの中に含まれると考えるか、外部関連問題と位置づけるか、
これはそもそも人殺しをどう定義するかによって変わってくるでしょう。
「中絶」 もそれに類した問題ですね。
それに対して 「動物殺し」 は完全に外部関連問題であると言っていいでしょう。
これは人殺しとは完全に区別して論じられるべき問題ですが、
「人殺しは悪い」 という価値判断を下す際に、
「命はかけがえのないものだから」 ということを根拠に立論してしまうと、
じゃあ動物も殺してはいけないのかという話になってしまいます。
逆に言うと、人殺しは×で動物殺しは○という場合には、
命が大事だからというだけではすまない、区別の論理が必要になってきます。
また、最近の環境倫理学者の中には動物の中にも区別を持ち込もうとする人たちがいます。
牛や豚はいいけど、クジラやチンパンジーはいけないなどです。
区別するには区別するなりのロジックが必要になってきます。
「植物殺し」 はどうでしょうか。
「命はかけがえのないものだから」 ということを根拠に、
だから人間同様、動物も殺してはいけないと主張する人たちはいて、
そういう人はたいていベジタリアンだったりするのですが、
しかし、植物も生物であり生命をもっているということを忘れてはいけないでしょう。
なぜ動物の命は奪ってはいけなくて、植物の命は奪ってもいいのか、
区別の理由を考えておく必要が出てきます。
生命の中にはさらに細菌やウィルスなども含まれます。
「細菌殺し」、「ウィルス殺し」 についてもその是非を問うことは可能でしょう。
それもいけないと言ってしまうと、病気に対抗することができなくなってしまいますが、
「殺菌」 という言葉は、細菌を死滅させることも
「殺し」 の一種であることを端的に表明していると言えるでしょう。
以上、地球上の生命について考えてきました。
ここから先はSFまがいになっていくのですが、
なんかまだまだ終わりそうにないので、今日はひとまずここまでにしておきましょう。
続きはまた近いうちに。
「人殺しの倫理学」 というタイトルで授業をしていました。
まあ、いまどきの学生さんの興味関心をひくために、
わざとそういう物騒なタイトルをつけているわけですが、
中絶や安楽死や脳死臓器移植などのテーマを扱うのに、
それらを個々別々のものとしてではなく相互に関連する問題として捉えてもらうためにも、
「人殺し」 という大きな枠組みで一度見てもらいたかったわけです。
この講義ではまず最初に学生たちに、
「人殺しはよいことですか悪いことですか?」 という問いを投げかけて、
自分の価値判断を下してもらいます。
みんなこの問いには、それぞれの根拠をもって答えていくのですが、
その次に、「ところで、そもそも人殺しって何ですか?」 と定義について聞いてみると、
各自がイメージしている 「人殺し」 はてんでバラバラであり、
しかも、ひとりひとりに、「じゃあ中絶は人殺しですか?」、
「脳死臓器移植は人殺しですか?」、「死刑はどうですか?」 と聞いていくと、
自分なりの定義もどんどん揺らいでいくのです。
そこで、「人殺しとは何か」 についてきちんと答えられないのに、
「人殺しがよいか悪いか」 について正しく答えることはできないはずなのに、
多くの人は定義をすっ飛ばして、価値判断を下しがちである、と説明していくと、
素直な学生たちは、なるほどと思ってくれるのです。
人殺しについて考えていくとき、人殺しにもいろいろあって、
それをもっと細かく分類していくという作業が必要です。
それとは別に、人殺しには含まれないけれども、
人殺しと関連しているような問題を整理しておくことも必要になります。
私はそれを 「人殺しの外部関連問題」 と呼んでいましたが、
これを列挙していくのって楽しい仕事でした。
話がどんどん脱線していき、どんどんSFじみていくのですが、
みんながだんだんキョトンとしていくのを見ているのが好きというか…。
「自殺」 なんかは境界線上の問題であり、
人殺しの中に含まれると考えるか、外部関連問題と位置づけるか、
これはそもそも人殺しをどう定義するかによって変わってくるでしょう。
「中絶」 もそれに類した問題ですね。
それに対して 「動物殺し」 は完全に外部関連問題であると言っていいでしょう。
これは人殺しとは完全に区別して論じられるべき問題ですが、
「人殺しは悪い」 という価値判断を下す際に、
「命はかけがえのないものだから」 ということを根拠に立論してしまうと、
じゃあ動物も殺してはいけないのかという話になってしまいます。
逆に言うと、人殺しは×で動物殺しは○という場合には、
命が大事だからというだけではすまない、区別の論理が必要になってきます。
また、最近の環境倫理学者の中には動物の中にも区別を持ち込もうとする人たちがいます。
牛や豚はいいけど、クジラやチンパンジーはいけないなどです。
区別するには区別するなりのロジックが必要になってきます。
「植物殺し」 はどうでしょうか。
「命はかけがえのないものだから」 ということを根拠に、
だから人間同様、動物も殺してはいけないと主張する人たちはいて、
そういう人はたいていベジタリアンだったりするのですが、
しかし、植物も生物であり生命をもっているということを忘れてはいけないでしょう。
なぜ動物の命は奪ってはいけなくて、植物の命は奪ってもいいのか、
区別の理由を考えておく必要が出てきます。
生命の中にはさらに細菌やウィルスなども含まれます。
「細菌殺し」、「ウィルス殺し」 についてもその是非を問うことは可能でしょう。
それもいけないと言ってしまうと、病気に対抗することができなくなってしまいますが、
「殺菌」 という言葉は、細菌を死滅させることも
「殺し」 の一種であることを端的に表明していると言えるでしょう。
以上、地球上の生命について考えてきました。
ここから先はSFまがいになっていくのですが、
なんかまだまだ終わりそうにないので、今日はひとまずここまでにしておきましょう。
続きはまた近いうちに。