まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

サイダーハウス・ルール

2009-12-12 23:52:41 | 性愛の倫理学
録画してあった映画をまた見てしまいました。
10年前の映画 『サイダーハウス・ルール』 です。
スパイダーマンのトビー・マグワイアが主演、
イーオン・フラックスのシャーリーズ・セロンも美しい裸体を披露してくれる、
私のお気に入りの映画です。
お気に入りというのはヌードのことではなく、
この映画が倫理学的問題の宝庫だからです。

基本のテーマは中絶 (=堕胎) の是非です。
舞台は戦時中で、望まれない赤ちゃんの分娩や中絶を行っている孤児院です。
そこの院長は、望まぬ妊娠をしてしまった女性のために中絶や出産をしてあげています。
中絶した場合は焼却処分、
出産した場合は孤児院で引き取り、里親を探してあげ、
引き取り手のいない子どもはずっと育てていきます。
主人公はそこで育てられた孤児で、院長を手伝って出産や中絶の技術を身につけています。
しかし、彼自身は中絶には反対です。
自らの経験に照らして、焼却されてしまうよりも、
孤児としてでも育ててもらってよかったと考えているからです。
日本では現在再び 「赤ちゃんポスト」 が問題となっていますが、
そうした問題を考えるのにも参考になるでしょう。

中絶問題に関しては、この映画を見てよく考えてみてください。
この映画が扱っているのは、他にも近親相姦の問題、不倫の問題、
人種問題、教育問題、福祉問題など様々です。
それらすべての問題を貫いてつけられたタイトルが 「サイダーハウス・ルール」 なわけですが、
このタイトルには深い意味がこめられています。
主人公は物語の中盤、孤児院を飛び出して、友人のリンゴ園でリンゴ摘みの仕事をします。
それは普通、アフリカ系アメリカ人たちが季節労働で各地をめぐりながら行う仕事です。
摘んだリンゴはそのまま出荷したり、リンゴジュース (=シードル、=サイダー) にします。
彼らはリンゴ摘みを行う間、サイダーハウスという倉庫のような建物に寝泊まりします。
そこには、そこを利用する者のために利用規則が貼り出されていて、
それが 「サイダーハウス・ルール」 なのですが、
アフリカ系アメリカ人たちは字が読めないので、そこに何が書いてあるかわかりません。

ここには、ルールや倫理というものに対する根源的な皮肉がこめられています。
ルールや倫理を考え出すのは、実際の当事者ではない。
つまり、サイダーハウスを実際に利用するわけではない人間がルールを作り、
実際の利用者はそのルールを理解することはおろか、読むことすらできない。
映画の中ではこれ以上明言されるわけではありませんが、
おそらくタイトルにこめられた意味は、
中絶に関するルール (当時の堕胎法) などもけっきょく同じことで、
ルールというものは、当事者 (=女性) のことをまったく無視して勝手に作られており、
弱者の幸福や救済には役に立たない、ということだったのではないかと思います。
この映画のメッセージは 「どんな人生でも人の役に立て」 です。
ところがその裏には、ルールや倫理や法に対する深い懐疑が存していて、
そのあたりは倫理学者にとってはとても耳の痛いところです。
「サイダーハウス・ルールにすぎないじゃないか」
なんて言われないですむような倫理を構築していけるのか、
本当に人を助けてあげられる倫理とはどのようなものなのか、
倫理学者が試されているといっても過言ではないでしょう。