団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

私もそんなにお金に恵まれてはいなかったですが、中流意識はありましたね。😊

2021-05-02 03:14:12 | 日記
 中日新聞の日曜版 「おじさん図鑑」に「勝ち負け」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。


 勝ち組・負け組というイヤな言葉が一時流行した。

 何をもって勝ち負けを断じるのかと思ったら、基準は「金銭」であった。

 加えて、有名・無名という評価も加えられた。

 有名でお金持ちだと「勝ち組」で、反対に無名で貧乏だと「負け組」だという。

 世界全体に拡大した新自由主義経済の格差は、いや応もなく日本のワシらの社会にも入り込んだ。

 ほんの一握りの「超大金持ち」と、大多数の「貧しい民」とに色分けされた。

 「貧しい民」のうちにも格差があり、勝ち組・負け組の呼称は、そんな層の中での格付けに他ならなかった。

 人生は勝ち負けを競うものではない。

 お金があろうとなかろうと、有名だろうが無名だろうが、まったく関係ない。

 どれだけまじめに誠実に己の命を燃やしてきたかに尽きる。

 人と比べてどうのこうの評価することなど、どだいあり得ない話なのだ。

 お金があれば楽だろう。

 精神的にも余裕が持てる。

 が、お金はあくまで人生の手段であり、目的ではない。

 この世には無名で貧乏でも、本当に心から尊敬できる清廉な人はあまた存在する。

 勝ち組があるとすれば、そんな人々のことだとおじさんは思う。


 以上です。


 
>ほんの一握りの「超大金持ち」と、大多数の「貧しい民」とに色分けされた。

 今の世の中は、そのようですね。😅
厳しい現実ですね。

 バブル経済1995年の頃は、大多数の日本人は中流と思っていたように思います。
私もそんなにお金に恵まれてはいなかったですが、中流意識はありましたね。😊

>お金があれば楽だろう。
 精神的にも余裕が持てる。
 が、お金はあくまで人生の手段であり、目的ではない。

 たしかにそうですが、お金は欲しいです。😅

 お金がなければ病院にもかかれません。

 以前 長男の孫が中学生になり、病院代が有料になった時、長男の孫が「病気になっても病院にいけない!お金がかかるから」と言いました。

 私が「誰がそんなことを言うんだ」と言ったら「お母さん」。

 おいおい、そこまで困っていないだろう、お金のことで子供を萎縮させるなと思いました。

 60歳以降は病院通いが増えました。

 私が入社したての頃は、保険で病院代は無料でしたが、今は3割。

 一時2割でしたが、ちょっと副収入がありましたので今現在は3割。

 年間40万近く夫婦で医療費がかかっていますので、きついのなんの。

 あとお金があれば、有料の居心地の良さそうな老人ホームに入れますが、安い特養を希望すればなかなか入居できないし、居心地もそんなに良くないように思います。

 お金があれば、孫たちにプレゼントも出来るし、教育費用も援助できる。

 やはりお金は欲しいです。😊


 
>この世には無名で貧乏でも、本当に心から尊敬できる清廉な人はあまた存在する。
 勝ち組があるとすれば、そんな人々のことだとおじさんは思う。

 たしかにそんな人々はいらっしゃるでしょうが、あまり知りません。

 政治家や経済人で強欲な方は、存じ上げていますが。😅
 




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コメント (6)
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