団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

日本の近隣の国は恐すぎます。できれば引越ししたいがどうにもならない。

2022-02-28 03:02:17 | 日記
 最近 私がブログに2006-12-03に書いた「チェチェン共和国の人口20パーセントが殺害されている!!」という記事が少数の人に毎日読んでもらっています。

 私はどんな記事か覚えていませんでしたので、1昨日の夜中に読んで見ました。

 プーチンの野望の為に、チェチェン共和国の人口20パーセントが殺害されている!!というとんでもない事をした記事でした。

 今またプーチンの野望の為にウクライナの罪なき人々が殺害されています。
許されざる行為です。

 先日 高校3年の孫がやってきました。
ウクライナの件で孫が「日本も核を持たなければ」と言いました。

 どうも友達の受け売りのようです。

 戦争の悲惨を知らない子供たちが、このような意見を持ちつつあるようです。

 「アメリカは自国民が被害を受けない限り戦争には参加しないよ」と、私は言いました。

 「たとえ日本が核を持ったとしても安全とは言えない」。

 「ロシアに先制攻撃されれば、日本は吹っ飛んでしまう」と言いましたら、孫は黙っていました。

 考えてみれば、日本にはアメリカの軍事基地があります。

 ここの兵士を傷つけられれば、アメリカは戦争に突入するでしょう。

 そうなると第三次世界戦争の勃発です。

 人類の破滅を迎えるでしょう。

 核が安全を保障するなら、全世界の国が核を持つ言う事になるのでは。

 これも人類の破滅に繋がるでしょうね。

 別の銀河の人々から、昔地球という星に人類という動物がいたようだと言われるのかな。😅

 下記は「チェチェン共和国の人口20パーセントが殺害されている!!」という記事です。

 長いので時間が許せば読んでください。


 本日 テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」という番組を見て初めて知ったのだがロシア兵によってチェチェン共和国の人口20パーセントが殺害されているとの話である。

 恐ろしいことにその首謀者が大統領のプーチンらしい。

 最近のニュースで元スパイのロシア人が英国で放射能物質で殺されたということが話題になっているが、それもプーチン大統領が関与しているのではないかと疑われているらしい。

 チェチェンでの虐殺はあのヒットラーがユダヤ人を虐殺したより酷いものらしい?

 私も詳しく知らないので余り記載できないが、少しチェチェン共和国とロシアの対立に関して勉強する必要があるなと思いました。

 なお 11月に殺害されたロシアの女性ジャーナリストもチェチェンの内実を書いたため殺されたのではないかと言われている。

 話は変るが私の死んだ親父は、ロシアを信用できないといつも言っていました。

 日本が第2次世界大戦で負けるとわかってから日露協定を一方的に破棄して日本を攻撃してきたということでそのような国は信用できないと思っていたようです。

 今日のテレビ番組を見ていてロシアは北朝鮮より始末が悪いと思いました。

 以前は経済に弱点がありましたが今や豊富な石油を持ち世界5番目の金持ちになっています。

 日本の近隣の国は恐すぎます。できれば引越ししたいがどうにもならない。


 下記にTNN 田中さんの記事を無断で転用しました。
 TNN(田中宇の国際ニュース解説) 他の記事を読む


 チェチェン戦争が育んだプーチンの権力
 2000年1月21日  田中 宇

 1999年9月22日夜9時すぎ、ロシアの首都モスクワから200キロほど離れたリャザンという町で、バスの運転手をしているアレクセイさんが帰宅時、自分のマンション(公共住宅)の前に、自家用車が停まっているのに気づいた。

 ありふれた国産車「ジグリ」だったが、運転手という職業柄、ナンバープレートがおかしいのが気になった。

 プレートには、ナンバーの最後の2桁の部分に紙が貼ってあり、「62」と書かれていた。

 それはリャザンの地域番号だったが、紙の下にある、もともとの番号も透けて見えた。「77」。

 それは、そこから走って何時間もかかる、モスクワの番号だった。

 変だと思ったアレクセイさんは、警察に通報した。

 当時ロシアでは、モスクワなどで公共住宅の連続爆破事件が起きており、300人以上が犠牲になっていた。

 マスコミは無差別爆破の危険を大々的に報じ、「不審な人物や荷物を見たら、すぐに警察へ」といった広報を頻繁に流していたため、通報した方が良いと思ったのだった。

 しばらくして警察がやってきたが、もうその時には、不審な車は立ち去った後だった。

 警察がマンション(13階建て)を捜索すると、地下室に、白い粉を入れたいくつかの大きな袋が置いてあるのが見つかった。

 調べてみると、それは爆薬で、袋の近くには時限発火装置がセットされていた。

 その直後から、大変な騒動となった。

 時限発火装置はすぐに取り外されたが、ほかにも爆弾が仕掛けてあるかもしれないということで、マンション住民250人は、すぐに避難するように言われ、避難勧告が解除されたのは、翌朝7時だった。

 取り外された時限発火装置は、翌朝5時半にセットされており、大事を取って、それが過ぎるまで、警戒が続いたのだった。

 午前5時半という時刻は、何日か前にモスクワの公共住宅が爆破されたのと、同じ時刻だった。

 不審な車には男2人と女1人の計3人が乗っており、別の住民がこの3人を目撃していた。

 ロシアで続いていた連続爆破事件は、分離独立を狙うチェチェン人組織の仕業である可能性が高いと、マスコミでは報じられていた。

 リャザンのマンションに爆弾を仕掛けたのもチェチェン人ではないか、とも思われたが、不審な3人はチェチェン人ではなく、ロシア人のように見えた。

 ▼「防犯訓練」と言わざるを得なかった連邦保安局

 翌日の夜、テレビを見ていたリャザンの人々は驚いた。

 連邦保安局の長官が登場し、「爆弾は防犯訓練のために当局が仕掛けた。火薬のように見えた袋詰めの白い粉は砂糖だった」と発表したからだった。

 訓練にしては、おかしな点がいくつもあった。

 爆弾が見つかってから訓練だと発表するまでに、丸一日以上過ぎていたし、訓練なら多くの地点で実施すべきなのに、なぜリャザンだけで実施したのかも不明だった。

 だがその翌日、人々は合点がいった。

 ロシア軍が、チェチェンに対する空爆を開始したのである。

 爆弾騒ぎは、ロシア当局のチェチェン攻撃と関係がある、もっと言えば、マンションの連続爆破事件は、ソ連時代にはKGBと呼ばれていた連邦保安局が、ロシア人の反チェチェン感情を煽る目的で実行した可能性がある、と人々は考えた。

 当時、首相だったプーチンは、その1ヶ月前まで、連邦保安局の長官だった。

 彼が首相になった直後に始めたチェチェン攻撃は、ロシア人の愛国心を揺さぶった。

 プーチンへの支持率は急上昇し、1999年大晦日にエリツィン大統領が辞任し、プーチンはピンチヒッターながら、大統領にまで登りつめた。

 2000年3月の大統領選挙では、プーチンが当選すると予測されている。

 つまり、99年9月の連続爆破事件は、プーチンを権力の座に押し上げるためにあったようなもので、事件の背後には、プーチンの出身母体である連邦保安局の影が見え隠れしている。

 チェチェン人が爆弾を仕掛けたのなら、一般市民が住む公共住宅ではなく、軍や警察の施設を狙いそうなものだ。

 一般市民に被害を及ぼし、チェチェン人がやったことにして、もともと「チェチェン人はマフィア」というイメージを持っていたロシア人の反チェチェン感情を煽る目的があったとも勘ぐれる。

 爆破事件に対しては、どこからも犯行声明は出ておらず、チェチェン共和国政府は事件への関与を全否定している。

 そして、犯人に関する手がかりも、見つからないままである。

 ▼イスラムテロリストの爆弾工場は幻か?

 その後、プーチンの大統領就任を機に、再び連続爆破事件に対する疑念が、内外のマスコミから湧き出してきた。

 そのためロシア当局は1月中旬、チェチェン共和国内にある爆弾工場の映像をテレビで放映し、連続爆破の犯人はチェチェン人であることが判明した、と報じた。

 アメリカを狙うアラブ人オサマ・ビンラディン氏が率いるイスラム原理主義テロリスト組織が時限発火装置に使うことが多いカシオの腕時計が、そこでも使われていることを映し出すなど、含蓄に富んだ映像展開になっていた。(カシオの時計については「ミレニアムテロ:アメリカが育てたイスラム過激派」を参照)

 とはいえ、この工場が実在するのかどうか、確かめることはできない。

 ロシア政府は、チェチェン攻撃が始まって以来、内外マスコミがチェチェン周辺の現場で取材することを厳しく規制しているからだ。

 外国メディアのチェチェン訪問は全く許可されない。

 こっそり行ったとしても、たとえばアメリカの大手新聞「クリスチャンサイエンス・モニター」の記事によると、同紙の記者は、チェチェンの隣にある北オセチア共和国に入って30分後に、連邦保安局によって身柄を拘束されてしまった。

 このようにロシア政府が、必死で報道管制しているのは、前回1994-96年にロシア軍がチェチェンを攻めた際、マスコミが反戦報道を展開した結果、撤退せざるを得なくなり、チェチェンに自治を許してしまったという、苦い経験があるからだ。

 その後ロシアは、アメリカ政府の、湾岸戦争以降の戦争での報道管制の巧妙さ(狡猾さ)に学び、今回は攻撃開始前から、マスコミの手綱を引き締めた。

 その結果、ロシアのメディアは、9月のチェチェンへ攻撃開始から一貫して、当局寄りの姿勢をとっている。(ロシアのマスコミの多くは、大物政治家・財界人が支配している)

 ▼「敵に塩を送る」ロシア軍

 ロシアのチェチェン攻撃をめぐっては、もう一つ疑惑が湧き出している。

 ロシア軍が、チェチェン周辺のイスラム原理主義軍に武器を渡しているという疑惑である。

 1月上旬、チェチェンの南にあるグルジア共和国の当局は、首都トビリシの郊外にあるロシア軍の基地から、チェチェンの南隣にある南オセチア自治州に向かおうとする民間のトラックを検問し、機関銃の弾5万発や、迫撃砲などの武器を押収した。(位置関係が分かる地図はこちら)

 トラックの運転手はグルジア人で、その前日にも雇われて、ロシア軍基地から南オセチアまで荷物を運んだが、積荷が武器であることを知り、当局に通報したのだった。

 武器押収の様子は、グルジアとロシアのテレビで放映された。ロシアを非難するグルジア政府に対して、ロシア政府は「映像は、グルジア内部の権力闘争を背景とした政治的な目的で、でっち上げられたものだ」と反発した。

 南オセチアは、グルジア共和国内にあるが、イスラム原理主義勢力が支配しており、グルジアからの分離独立を求め、武装している。ロシア軍は、南オセチアの独立派を支援することで、ロシア離れを強めるグルジア国内を混乱させようとしている可能性が強い。

 だが、南オセチアとチェチェンのイスラム原理主義勢力はつながっている。ロシア軍が流した武器は早晩、チェチェン人の手に渡ることは見えている。それを考えると、9月の公共住宅の連続爆破事件の延長として、チェチェンでの戦闘が長引き、チェチェン人に対するロシア人の憎しみが強まるほど、プーチンの人気が高まる、という目論見から、武器を流出させた可能性もある。

 ▼プーチンは強い改革者?、それとも・・・

 このように、戦争を起こすことで自らの権力を広げてきたと考えられるプーチン大統領だが、アメリカをはじめとする欧米諸国の、彼に対する評価は高い。というのは、彼は今のところ、エリツィン前大統領と同様、欧米と協調する政策を貫きそうであるからだ。

 エリツィン前大統領の歴史上の役目と功績は、共産党勢力など、ロシアに残る冷戦時代の遺構を破壊することに尽力したことだった。エリツィンは古い社会主義の代わりに欧米型の経済システムを導入し、それを起動させるため、欧米からの資金援助が流れ込んだ。

 だが、古い社会主義システムを壊すことは大変で、共産党の復権を防ぎたいあまり、国営企業の民営化などを性急に進めた結果、現在のロシアはあちこちにひずみが生じる状態になっている。

 民営化を急いだため、一部の大物財界人だけが、エネルギーや鉱山などの基幹産業を牛耳るようになり、彼らはその資金力を使って、エリツィン自身をも操るようになった。

 石油会社やマスコミを支配している財界人ベレゾフスキー氏らが、ロシア政府の黒幕として存在し、エリツィンからプーチンへの大統領交代も、彼らの差し金によるものだという指摘もある。

 彼らが国を牛耳るようになった結果、彼らの傘下にある大企業は税金を払わず、税収が少なくて国庫は財政難が続いている。汚職も多い。

 プーチンが担おうとしている役割は、こうしたエリツィン時代のひずみを修正し、経済を立て直し、ロシアを再び強大な中央集権国家にすることであるようだ。

 プーチンは、汚職を強く取り締まることを公言しており、それも欧米諸国にとって好感材料となっている。

 ロシアが強大な国になるために、チェチェン人がたくさん殺されるとしても、再びロシアが欧米と敵対する国に戻ってしまうよりは良いし、ロシアが弱くて混乱している状態が続くよりは良い、と欧米諸国は考えているように見える。

 プーチンは、若いときに10数年間、KGBに勤務し、旧東ドイツなどで諜報活動に携わっていた。そのため大統領就任直後、アメリカの新聞などは、彼がKGB出身であることを批判的に強調する記事を出していた。

 だがその後1週間もしないうちに、「KGB時代、東ドイツに滞在して西側経済をウォッチしていた経験が、彼の自由主義経済に対する理解力の源泉になっている」といったような分析記事が出回るようになり、親プーチンの流れができてしまった。

 おそらく、アメリカ当局のマスコミに対する隠然たる指導によるものだろうが、そういった偏りのベールを取った下に、どんなプーチン像があるのかは、まだ見えてこないのが現状だ。




桑田佳祐 – 明日晴れるかな(Full ver.)
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コロナ禍が終わったら、やりたいことはいっぱいありますね。😁

2022-02-27 01:37:19 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「豊かな人生」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。


 かって「大きいことはいいことだ!」というCMが日夜放映されていた時代があった。

 チョコレートのCMだったが、大企業志向への讃歌とも捉えられるCMソングだ。

 地方自治体も合理化と効率化を名目に次々と合併し、行政単位を大きくしていった。

 ほんの少し前まで「大きいことはいいことだ」だったのだ。

 しかし今や「多様化」が主流となり、大きいことが必ずしもいいことではなくなってきた。

 半世紀前は否定されがちだった「小さな幸せ」が、人々に見直されるようになった。

 ”大きな夢”からワシらは覚醒したのかもしれない。

 昨秋放映されたNHKテレビのドキュメンタリー「72時間 夏の終わりに 駅駐車場」で、六十一歳のリタイアした男性がインタビューされた。

 彼は輸出入の仕事で海外を三十以上飛び回っていたという。

 「日の丸担いで誇りを持って仕事をしたが、ずっと働きづめでやりたい趣味も何もせず、決して豊かだとは思わないね」

 さらに、日本人はかわいそう、自分もかわいそうと付け加えた。

 コロナ後のワシらの暮らしは「豊かな人生とは何」を問うことから始まるのかもしれないね。

 以上です。


 
>昨秋放映されたNHKテレビのドキュメンタリー「72時間 夏の終わりに 駅駐車場」で、六十一歳のリタイアした男性がインタビューされた。

 残念ながら見逃しました。
 考えさせられるドキュメンタリーだったようですね。

>「日の丸担いで誇りを持って仕事をしたが、ずっと働きづめでやりたい趣味も何もせず、決して豊かだとは思わないね」
 さらに、日本人はかわいそう、自分もかわいそうと付け加えた。
 
 私は大した仕事をしていませんが、仕事中心で趣味もなかったです。
 でも自分をかわいそうとは思いませんでした。
 食べるために働いていたのですから、その点は割り切って働いていました。

>コロナ後のワシらの暮らしは「豊かな人生とは何」を問うことから始まるのかもしれないね。

 コロナ禍が終わったら、やりたいことはいっぱいありますね。😁

 まずは旅行に行きたいです、北海道や横浜もいいかな。

 それから小田和正さんのコンサートを観に行きたい。

 今年は小田さんのコンサートが名古屋であるようですので、是非とも行きたいです。

 「豊かな人生」と大上段にはかまえていませんが、やりたいことはいっぱいあります。😁



仲間たち ☆ 舟木一夫
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コロナショックは、人生の生き方や価値観まで変えてしまったようです。

2022-02-26 02:25:38 | 日記
中日新聞の朝刊に「進路選択のニューノーマル 新常識」という欄に「米国の若者 離職ブーム」というタイトルで、古屋星斗さん(リクルートワークス研究所研究員)が投稿されていました。


 今日は海の向こうの話をしましょう。

 米国の若者の間で今、大変なことが起こっているのを知っていますか。

 新型コロナウィルスの影響で必ずしも景気が良くないのにもかかわらず、自ら希望して会社を辞める人の数が過去最高を更新し続けているのです。

 予兆は昨年の初めごろからあり、6月には390万人と過去最多の人々が自主退職して大騒ぎになりました。

 そしてその後も毎月400万人を超えています。

 米国では通常、会社が従業員を”首にする”ことが多く、自主退職がこれだけ出ることは前例がありません。

 この大きな原因になっているのが、20代や30代の若者です。

 現地の調査会社によれば、米国人全体の66%が今すぐにでも転職したいと考えており、特に20代以下のZ世代ではなんと92%、30代のミレニアル世代でも78%が今すぐに転職したいと答えていました。

  一方で40代以上では40%程度にすぎませんでした。

 若い世代になるほど、今すぐに転職したいと考えており、彼らが実際に自ら会社を辞めていることが米国における歴史的な離職ブームを起こしているのです。

 これをテキサスA&M大学のクロッツ准教授が「大量退職時代」と名付けました。

 実は若者の同じような動きはほかの国でも見られており、例えば中国では「タンピン(寝そべり)」と呼ばれて社会問題化しています。

 こうした若者の変化の背景にあるものとして指摘されているのは、コロナショックによって人生との向き合い方が変わったこと、仕事の価値観の変化、お金もうけへの共感の低下です。

 また、「You Only Live Once.(自分の人生一度きり)」という言葉が少し前から英語圏で流行しているとおり、自分の人生なんだから自分で決めよう・選ぼう、という気持ちがその根底にあるようにも感じます。

 コロナショックが起こりいろんなことが変わってしまいましたが、社会が変わったことをきっかけに、新たな気持ちで人生を歩み始める。

 そんな若者たちが現れているのです。


 以上です。


>こうした若者の変化の背景にあるものとして指摘されているのは、コロナショックによって人生との向き合い方が変わったこと、仕事の価値観の変化、お金もうけへの共感の低下です。
 また、「You Only Live Once.(自分の人生一度きり)」という言葉が少し前から英語圏で流行しているとおり、自分の人生なんだから自分で決めよう・選ぼう、という気持ちがその根底にあるようにも感じます。

 コロナショックは、人生の生き方や価値観まで変えてしまったようです。

 これが一時的なブームで終わればいいですが。

 まさか独裁国家の中国でも、このようなブームが現れているとは思いませんでした。

 日本もアメリカの流行に影響を受けやすいので、日本の若者たちの間でも大量退職が起こるかも知れません。

 そうなると、若者の価値観と両親の価値観がまるっきり違うことになるので、大変な事になるのでは。

 また日本の社会で若者の大量退職時代が起これば、社会が混乱してしまうのでは。

 日本の成長率はさらに悪化するのでは。

 
 私が若い頃、昭和42年(1967)夏ごろ、夕方になると東京新宿駅東口前の芝生に集まり、何をするでもなくぼんやりとしていた、長髪にジーパン姿の若者達を「フーテン」と言っていました。

 私も見かけた事があります。

 これは一時的なブームで終わりました。

 これもアメリカの若者たちの影響で起こりました。

 まあ、どちらにせよコロナショックは、人生の生き方や価値観まで変えてしまったようです。

 私のような老人でも、少なからずコロナ禍が2年以上続いた影響で、何も出来ないという虚無感というか、人生の生き方を考え込んでしまいます。




ああ青春の胸の血は 舟木一夫
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女性って、服装でこんなに悩むんだ。

2022-02-25 01:09:57 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「自分の正直に服選ぼう」というタイトルで、60歳の女性が投稿されていました。


 数年前までは朝起きると外出先や会う人、流行によってその日の服を選んできましたが、「若作りに見られないだろうか」「デザインが古すぎないかしら」とネガティブなことばかり頭に浮かび、つい無難なものに袖を通してきました。

 それでも内心は昔と同じくグレー系の服や、かわいいポケットの付いたものが気に入っていて、こんな日々の服選びは年を重ねるうちに面倒になってきたので、一目を気にすることはやめました。

 私が着たい色やデザインのものをまとうことにしました。

 すると肩の力が一気に抜けて、すごく楽になってきました。

 心なしか笑顔も増えてきた気がします。

 自分の心に正直になれると、日々の生活はこんなに楽しくなるんですね。

 以上です。

>数年前までは朝起きると外出先や会う人、流行によってその日の服を選んできましたが、「若作りに見られないだろうか」「デザインが古すぎないかしら」とネガティブなことばかり頭に浮かび、つい無難なものに袖を通してきました。

 女性って、服装でこんなに悩むんだ。

 私なんて何枚も服を持ってないので、悩むことはありません。

 
>こんな日々の服選びは年を重ねるうちに面倒になってきたので、一目を気にすることはやめました。
 私が着たい色やデザインのものをまとうことにしました。
 すると肩の力が一気に抜けて、すごく楽になってきました。

 良かったですね、ご自分の着たいものを着ればいいと思います。

 失礼ですが「グレー系の服」がお気に入りとの事ですが、これはちょっとね。

 1枚ぐらいはいいですが、まだまだ60歳お若いです。

 もっとカラフルな色の服を着られた方が良いと思いますが。

 服装で気分が変わりますから、カラフルな服を着られれば明るい気分になられるのでは? 






夕暮れ時はさびしそう  N・S・P
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「見栄えが良くない」って、誰がそう思っているんでしょうね。校則を見直すことが面倒だけだったのでは?

2022-02-24 01:26:45 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「柔軟性ない校則に疑問」と云う事で、47歳の女性が投稿されていました。


 雪が多く例年にも増して寒く感じられる今年の受験シーズンです。

 ちょうど一年前、長女が高校受験に挑んだとき気になったことがよぎりました。

 娘の中学校には通学時、制服の上にコートを着てはならないとの校則がありました。

 制服の上に羽織ることが許されたのは通気性の良い指定のジャージと薄手のウィンドブレーカーだけです。

 受験日は非常に寒い朝でした。

 娘に「体調を崩すといけないから途中まででもコートを着たら?」と提案しても「校則違反になるから」と首を振り、私が付き添った名古屋までの道程の一時間半、ずっと震えていました。

 他校の生徒の大半は防寒具に身を包んで試験会場に来ていました。

 以前、中学校の保護者アンケートで「上着の着用を認めてほしい」と要望しましたが、学校側からの書面での解答には「見栄えが良くない」とありました。

 体調管理よりも見てくれが大事なのでしょうか。

 今もそんな疑問を抱き続けています。

 学校の授業にも情報端末が導入され、制服のジェンダーレス化も広がりつつある昨今だけに、旧態依然のスタイルが際立って感じられます。

 もっと柔軟に校則のあり方を再考されることを願ってやみません。

 以上です。

>以前、中学校の保護者アンケートで「上着の着用を認めてほしい」と要望しましたが、学校側からの書面での解答には「見栄えが良くない」とありました。 

 「見栄えが良くない」って、誰がそう思っているんでしょうね。
 コートの着用で見栄えが悪いなんて私は思ったことがないです。
 校則を見直すことが面倒だけだったのでは?

 このお母さんの言われるように、生徒の体調を重視するのが学校の在り方のように思います。

 校則といえば娘が高校に入学した時、先生から「髪が茶色い、黒髪にして来い」と言われたそうです。

 かみさんが「この子は生まれつき髪が茶色い」と言ったところ許されたようです。

 今時は日本人ばかりではなく、外人の子も日本の学校に通っています。

 日本人は髪が黒いなんていう固定観念の校則は廃止した方が良いように思います。





別涙【わかれ、因幡晃】歌詞あり1976年、白石麻衣さん
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