団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

私も子どもの頃、母方のおばあちゃんに醤油を飲んで兵役を逃れようとした人がいたことを聞いた事があります。

2022-09-30 01:42:02 | 日記
 中日新聞の「中日春秋」に下記のような事が書かれていました。

 
『眠狂四郎無頼控』などの作家、柴田錬三郎さんは戦争中、召集されたものの、心臓の病を理由に「召集解除」となっている

兵隊の生活に耐えきれず、ある方法で心臓の不調を装った。

「ごくごくと、飲んだ。コップに半分ぐらいは、飲んだであろう」(『わが青春無頼帖(ちょう)』)。

 まねしてはいけない。飲んだのは醤油(しょうゆ)である。

 飲んだ上で全力で走ると心臓が早鐘を打つ。これで医師の目を欺いた。

 醤油ではなく、ウクライナ侵攻に疲弊するロシアでは招集を逃れるため、自分の腕を折ることまで考えるらしい。

 プーチン大統領が二十一日、軍務経験のある予備役を対象に三十万人規模の部分動員を発令。

 その演説の最中から、検索サイトで「自宅で腕を折る方法」を調べる人が急増したそうだ。

 本当に腕を折る人がどれほどいるかは知らないが、それほどまでに招集を回避したいのだろう。

 無理もない。ウクライナの猛反撃に旗色は良くない。危険な上に、最初から大義の怪しい侵攻でもある

 ロシア各地で部分動員への抗議活動が相次ぐ。

 ビザなしで渡航できるアルメニアやトルコ行きの航空券は完売状態。国外に脱出しようというのだろう。厭戦(えんせん)ムードが広がる。

 シバレン(柴田錬三郎)さんを診察した医師は醤油を飲んだことを見抜いていたそうだ。

 それでも「召集解除」の判を押してくれた。

 ロシアにそういうお医者がいてくれるかどうか。

 以上です。


 私も子どもの頃、母方のおばあちゃんに醤油を飲んで兵役を逃れようとした人がいたことを聞いた事があります。

 私も召集令状がきたら柴田錬三郎さんのように、醤油を飲んで兵役を逃れようとするでしょうね。

 「飲んだ上で全力で走ると心臓が早鐘を打つ」、下手したら死ぬかも知れませんが、戦場で死ぬよりマシのような気がします。

 ロシアのように自分の腕を折るなんて事はできそうもないです。





いのちの歌 - 竹内まりや
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甲子園の夏の決勝で、左肩を脱臼し、左肩を三角巾で釣って投げていた池永投手の姿が目に焼き付いています。

2022-09-29 02:04:10 | 日記
元西鉄投手の池永正明さん死去 76歳 黒い霧事件で永久追放、解除
毎日新聞9/26(月)21:03

永久失格処分が解除され、会見で笑顔を見せる元西鉄ライオンズ投手の池永正明さん=金澤稔写す





 プロ野球西鉄ライオンズ(現西武)のエース右腕として活躍しながら八百長問題「黒い霧事件」で35年にわたり永久失格処分(2005年に処分解除)を受けた池永正明(いけなが・まさあき)さんが25日、がんのため死去した。関係者が明らかにした。76歳。

 山口県豊北町(現下関市)出身。下関商高では2年生エースとして1963年春の選抜大会で優勝、同年夏の全国選手権準優勝に貢献。

 同高から65年に西鉄に入団して20勝を挙げ新人王を獲得すると、67年には23勝で最多勝に輝いた。

 5年目の69年10月に「黒い霧事件」が発覚。野球賭博に絡んだ八百長疑惑が浮上し、70年5月、「八百長の誘いを拒否する明確な意思表示を認めがたい」として永久失格処分を受け、球界から永久追放された。

  池永さんは一貫して「八百長は誓ってしていない」と訴えていた。

 通算成績は238試合に出場し、103勝65敗、防御率2・36だった。

 処分から35年後の05年、支援者らの嘆願書提出などもあって、野球協約にそれまでなかった処分解除規定が設けられ、復権が認められた。

  池永さんは当時、「私には野球しかありません」と語っていた。
 池永さんは球界追放後、福岡市の繁華街・中洲で07年までスナックを経営。

 処分解除後は、プロ野球公式戦の始球式やテレビ中継の解説、社会人野球チームの監督などを務めた。

 ◇同級生ら、野球賭博「信じていない」
 元西鉄ライオンズのエース、池永正明さん(76)の突然の訃報に、同級生やチームメートからは在りし日をしのぶ声が上がった。

 池永さんは下関商高2年の1963年、エースとしてチームをセンバツ優勝に導いた。

 同級生で三塁手だった岡田希代達(きよたつ)さん(76)はその夏の甲子園、右投げの池永さんが試合中に左肩を脱臼しながらも完投した姿が忘れられない。

 毎年のように顔を合わせる仲だった。

 プロ野球八百長疑惑の「黒い霧事件」で永久失格の処分を受ける前に山口県下関市内の焼き肉店で会った時、池永さんは「やってない」と悔しそうに話していたという。

 岡田さんは「最期までその悔しさは消えることはなかったのでは」と思いやる。

 岡田さんは大学生や社会人になっても野球を続け、会社を定年退職した後も地元の同県宇部市で野球教室を開いて後進を育てるなど野球人生を歩んだ。

 「池永がいなければ自分の人生はなかった。『池永ありがとう』と何度でも大声で言いたい」と声を詰まらせた。

 下関商高の野球部で1年先輩だった下関市の清田幸男さん(76)は「1年生の時からすごい選手。点をとられなければ負けないと皆が考えて、守備練習を徹底した」と振り返る。

 新型コロナウイルスの感染が拡大する前に居酒屋で昔話や家族の話に花を咲かせたのが最後となった。

 黒い霧事件については「池永は野球のセンスがあり、野球と向き合う姿勢はまじめ。今も信じていない」と話した。

 西鉄ライオンズ時代のチームメート、安部和春さん(82)は、入団1年目の65年に20勝を挙げた池永さんを「足腰のバネがよくて、いい度胸で投げていた。スライダーが良かった記憶がある」と懐かしむ。

 黒い霧事件を巡り、池永さんの名誉回復と球界復帰の署名活動をしたNPO法人西鉄ライオンズ研究会で理事を務める田北昌史さん(65)は「(プロ野球選手で)一番最初にファンになった大好きな選手だった」と話し、伝説のエースの死を悼んだ。【平川昌範、反田昌平、藤田健志】

 池永投手が西鉄ではなく巨人の投手だったら、黒い霧事件で追放にならなかったのに。

 巨人の藤田投手も八百長を疑われたが、巨人、読売新聞のお陰で無罪放免になったと言われていました。

 甲子園での池永投手は、凄かった記憶があります。



 高校二年の春の甲子園では優勝し、夏の甲子園では決勝で惜しくも負けました。

 と云うのは、左肩を脱臼し、左肩を三角巾で釣って投げていました。





 ↑のような状態で、決勝戦を投げるなんて・・・・。

 負けるのは当然ですが、その姿に涙しました。

 そんな投手は、池永さん以外いないでしょうね。

 甲子園では1回戦完封の後、アクシデントが待っていた。

 松商学園(長野)戦。三塁へのヘッドスライディングの際、左肩を脱臼。大したことがないと思っていたが、1球投げて驚いた。 

「痛みが襲ってきた。タイムを取って痛み止めの注射を打ったがまったく効かない」(池永) 

 左腕を固定したまま続投。なんとか勝利を飾ったが、3回戦の首里(沖縄)戦は投げていない。

 それでも準々決勝の桐生(群馬)戦、準決勝の今治西(愛媛)戦には勝利し、決勝で明星に敗れている。 



舟木一夫★涙の敗戦投手★

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このようなお身体で、一人息子さんを無事育て上げられたんだ。

2022-09-28 02:02:46 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「人生 何とかなるんだよ」というタイトルで、66歳の男性が投稿されていました。


 働き盛りだった四十歳のとき、プールの飛び込み事故で首の骨を折って手脚が動かない四肢まひとなりました。

 わが人生は一瞬で暗転しました。

 介護なくしては暮らせない障害者となりました。

 家庭や仕事はもちろん、家族の将来にまで影響を及ぼして愛猫や家族との死別も重ねました。

 それでもリハビリで鍛えた腕の残存機能を最大限活用し装具を着けてパソコンによる在宅勤務を始めました。

 寝返りすら自力でできないベッドの上で天井を見つめる日々から、愛猫を眺めるうちに生きる力をもらえて五十代後半まで会社員として働き、一人息子を無事育て上げました。

 この間、「自分だけが、どうしてこんなつらさを味わわなければならないのか」と何度となく自問してきた不条理さが、やがて「誰にでも起きうるものなのだ」と思えるようになりました。

 今は、朝起きてから就寝するまで介護ヘルパーに頼りっきりの生活を第二の人生として捉えています。

 禍福は紙一重、捉え方次第。

 この境地にようやく至った四半世紀のわが歩みを、七月中旬、本にしました。

 人生に行き詰まりを感じる人に「何とかなるんだよ」とのメッセージが伝えられたらと思っています。

 以上です。

 私にはとても無理です。

 この状態で「人生 何とかなるんだよ」という気持ちになれません。

>それでもリハビリで鍛えた腕の残存機能を最大限活用し装具を着けてパソコンによる在宅勤務を始めました。
 寝返りすら自力でできないベッドの上で天井を見つめる日々から、愛猫を眺めるうちに生きる力をもらえて五十代後半まで会社員として働き、一人息子を無事育て上げました。

 このようなお身体で、一人息子さんを無事育て上げられたんだ。

 その精神力に感嘆します。

 愛猫から生きる気力が与えられるんですね。

>この間、「自分だけが、どうしてこんなつらさを味わわなければならないのか」と何度となく自問してきた不条理さが、やがて「誰にでも起きうるものなのだ」と思えるようになりました。

 きっと神様を恨まれたのでは。

 それでも「誰にでも起きうるものなのだ」との心境に変られたんだ。

 立派な人ですね。




駅 - 竹内まりや
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私なら自分の小遣いにするのに、馬鹿正直だなぁと思いました。

2022-09-27 02:16:03 | 日記






先週の日曜日の午後 久しぶりに息子がやって来ました。

ケーキを持って来たので「あれ、誕生日でもないのに」と言いましたら「別に理由はない」と言いました。

 うちは甘いもの好きと知っているので、ケーキを買って来たようです。

写真からは美味しそうに見えませんが、最近良く買う美味しいケーキ屋さんのケーキでした。

 向かって左が、りんごのシブースト。

 右が巨峰のケーキでした。

 昨日の朝 かみさんとそれぞれ半分づつ食べました。

 どちらかと言うと、巨峰のケーキの方が美味しかったです。

 息子がスマホで県大会予選3回戦の野球、次男がサヨナラヒットを打った学校の写真を見せてくれました。

 私たちは応援に行きませんでした。

 次男がサヨナラヒットを打ったにも関わらず、写真の真ん中には写っていなくて隅の方に写っていました。

 これじゃ、ヒーローが誰だか分かりません。😅

 ただサヨナラヒットを打った選手がフルネームで書かれていたので、学生たちは分かるかな。

 4回戦はコールド負けでした。

 ところがその学校が、準々決勝の相手 強豪中京大中京にはコールド負けでした。

 上には上がいますね。

 でも甲子園へ行くと中京大中京も強豪とは言えません。

 大阪桐蔭などもっと強いチームがめじろ押しですから。😅

 話は変わって、息子の話では銀行員の友人に頼まれて二十年前に20万円預金したそうです。

 すっかり忘れていて通帳に気付いたので、まだこの預金残っているのか銀行に問い合わせたら、まだおろしていなかったそうです。

 息子はおろして、嫁さんに渡したそうです。

 私なら自分の小遣いにするのに、馬鹿正直だなぁと思いました。




元気を出して - 竹内まりや
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歳を取ると夫婦の会話は少なくなりますが、投稿者さん宅は辞書を介してご夫婦の会話が広がっているようですね。😁

2022-09-26 00:52:05 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「食卓に辞書」というタイトルで、71歳の女性が投稿されていました。


 「これ、何と読むのかな」

 「この言葉の意味は何だ」。

 これは、毎朝の食事後の私たち夫婦の会話である。

 新聞を読み始めると、いつもどちらかともなく口を突いて出る言葉。

 問いを投げかけられても、答えに自信がない時は困ってしまう。

 「ああではないか」

 「こうではないか」と言い合うのだが、埒が明かない。

 そのうちに辞書を調べようと、二階に駆け上がり、事を解決していた。

 でも、いちいち二階に行くのは面倒くさい。

 それならいっそ、食卓に辞書をと思いついた。

 そして、国語辞典二冊と漢和辞典一冊を食卓に常備した。

 それに加えてルーペも。

 夫婦ともに高齢者。

 辞書の字は細かくて肉眼ではわからないから。

 国語辞典二冊というのは理由がある。

 同じ言葉でも説明が異なったり、載っていなかったりすることもあるからである。

 先日も「よまいごと」を調べて苦労した。

 今ならスマホで調べられるし、新しい現代用語はスマホにはかなわない。

 でも、私は辞書が好き。

 辞書だと調べた語の周りの言葉をついでに読むことができる。

 副産物を得られて心が豊かになった気がするからだ。

 食卓に辞書を置き、疑問を解決。

 そして、夫婦の会話も広がった。


 以上です。

 仲睦まじいご夫婦ですね。
 
>「これ、何と読むのかな」
 「この言葉の意味は何だ」。
 これは、毎朝の食事後の私たち夫婦の会話である。

 これが投稿者さんご夫婦の朝の会話なんだ。😁

 うちの朝の会話は、新聞を読みながら「昨日の何々(私たちが住んでいる市)は、コロナにかかった人が何百人もいる、どうしてこんなにいるんだ!」というのが、朝の会話です。

>そして、国語辞典二冊と漢和辞典一冊を食卓に常備した。

 いちいち辞書を二階まで取りに行かれるのは面倒なのは分かりますが、食卓に三冊も辞書があるのも邪魔になるような気がするんですが。

 うちの食卓は小さいので、食卓に三冊も辞書を置くのは無理です。

 よほど大きな食卓ですね。

>辞書だと調べた語の周りの言葉をついでに読むことができる。
 副産物を得られて心が豊かになった気がするからだ。

 なるほど、そのような副産物もあるんですね。

>食卓に辞書を置き、疑問を解決。
 そして、夫婦の会話も広がった。

 歳を取ると夫婦の会話は少なくなりますが、投稿者さん宅は辞書を介してご夫婦の会話が広がっているようですね。😁




ふたつの手の思い出 森山良子 1967
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