団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

この子らに聞きたい!どうして先生に従わず裏山に逃げたのと!

2012-02-29 09:58:36 | 日記
今朝の中日新聞に東日本大震災で児童百八人のうち七十四人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校。
六年生だった長男大輔君=当時(十二)を亡くした今野ひとみさん(四十一)は息子の最後の言葉を知り、一年がたとうとしても悲しみと疑念が消えない。

台所に立つと腰に抱きつき、つまみ食いをする食いしん坊だった。「大ちゃん、ごはんいっぱい食べてる?何が食べたいの」。

今もつぶやきながら、仮設住宅で料理を作る。夫 浩行さん(五十)と二人分のはずが、つい作りすぎてしまう。

昨年三月十一日。地震が起きると、大川小の教師は校庭に児童を四十分間待たせ、避難先を相談した。
学校に近い橋の方へようやく移動を始めた直後、北上川を逆流する波にのまれた。
十一人の教師も助かったのは一人だけだった。

大輔君は六日後、裏山のふもとで他の男子と折り重なるように見つかった。眠っているように、きれいな顔。

今野さん宅も流され、家にいた高校三年の長女 麻里さん=当時(十八),二年の次女 理加さん=同(十七),義父母も亡くした。

「家族を失ったのはうちだけじゃない。あきらめるしかねえんだな」。そう言い聞かせようとした時、助かった同級生から大輔君の言葉を知った。
「山に逃げっぺ」。
いつまでも決断できない教師に、学校の裏山に登るように言った。
「先生も分からない」。
答えに「先生にも分かんねえのか」と食い下がったという。

大川小は津波の避難訓練をしたことがなく、避難場所も決めていなかった。
結局、山道のない裏山を登るのは危険と考え、津波が迫っていた川のそばへ向かう。
教師の誘導から離れ、裏山を登った数人の児童は助かった。大輔君も山へ向かったが、転んで波に流されたことも聞いた。
「もう少し、もう一歩早ければ、あの子は助かったんじゃ」
大川小の近くでは他の学校も被害を受けたが、三階まで津波が襲った相川小は児童を裏山へ避難させ、全員無事だった。
二階まで浸水した大川中も学校で犠牲者はいなかった。

時がたつにつれて分かる事実に、悲しみと疑念が膨らんでいく。
市教委と大川小は今年一月の説明会で「人災の面もあった」とようやく認めたが、なぜ避難が遅れたか不明な点は多い。今も情報を集めている。

仮設住宅の居間には亡くなった家族五人の遺影が並ぶ。三月に大川小で開く慰霊祭に間に合うよう、写真の大輔君に学生服を着せるよう地元の写真店に頼んだ。
「私の中では大ちゃんはずっと小学生のまま。でも、いつまでも小学生じゃかわいそうだなって。
成長した姿、見たかったなあ」



この記事を見て、先生の決断がもう少し早かったら助かったかも知れないと思うとやりきれない!
緊急時で40分も判断ができないのは.....。
分からないのなら携帯電話で消防署に聞くということはできなかっただろうか?
子供達も危険を感じて山に逃げることを進言したのに。

私は素直な子供でしたので、先生に従い行動したと思う。恐らく助からなかったでしょう。
先生に従わず裏山へ逃げた数人の子供達は助かったという。
この子らに聞きたい!どうして先生に従わず裏山に逃げたのと!
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母の命日に墓参りに行ってきました。

2012-02-27 08:42:16 | 日記
昨日の朝 墓参りに家内と行ってきました。
晴れていましたが寒かったので、墓参りされる方は少なかったです。

一月に行ったばかりでしたが、長野の妹から一昨日電話があり「明日はお母さんの命日だね!」と言われ、行くことに決めました。
私はイベント?と言っていいかどうか分からないですがそのような事に疎いですが、妹は良く気が付きます。
母親もそうでしたので、妹は母親の遺伝かなとも思ったりします。

母が亡くなったのは、私が定年前の有休を消化している時でした。
そのおかげでけっこう母親が入院している病院に見舞いに行くことができました。
母は寝ていることが多かったのですが、昔話も多少できたことがよかったと思います。
親孝行はできませんでしたが、なんとか会社員生活を定年までまっとう出来たことが親孝行ではなかったかなと思っています。

母は「兄妹仲良くやってくれ!」と言っていましたので、それは守りたいと思っています。
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できればやや肥満くらいになりたい。

2012-02-26 17:05:36 | 日記
スポーツ・ジムに行き出して5ヶ月くらい経ちます。
始めは週に一度くらいしか行けなかったのですが、最近は週に二度くらい行っています。
ジムには体重計や血圧計・体脂肪率を測定する器具があります。
2月からデータをパソコンに入れていますが、ほとんど数字は変っていません。
体脂肪はいつも肥満を指しています。
できればやや肥満くらいになりたいと思っていますが、思うように効果が出ていません。

先日 ある新聞を読んでいましたら、厚労省が肥満防止から痩せすぎ防止にシフトすると言い出しているとの記事が書かれていました。
記事を書かれた方が、厚労省はすべての人間を中肉中背にしたいのか!
人間はロボットではない、デブもいればヤセもいる。
と、怒ってみえました。
まぁ、厚労省が思うようにはならないでしょうね!
厚労省の役人自体、デブもいればヤセもいるでしょうから。
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伊勢神宮(内宮)参拝バスツァーに参加しました。

2012-02-23 09:00:48 | 日記
昨日は伊勢神宮(内宮)参拝バスツァーに参加しました。参加者は私達より少し年長の夫婦連れが多かったように思います。
伊勢神宮は一昨年の秋にも義兄夫婦と行っています。

今回の旅行は食べることが目的にあり、まずは四日市の農園でイチゴ狩りを行いました。以前静岡でのイチゴ狩りでは肝心のイチゴがほとんどなく5分程度食べて終わってしまったので、今回はイチゴを見つけ次第食べまくりました。30くらい食べたでしょうか、もう食べれないと思う程食べました。
実は家での朝食に大きなイチゴを3粒食べてきたので、もう当分は食べたくないです。
農園のイチゴのサイズは揃っていないので、市場に出せないイチゴを観光客に提供するのではと思いました。

次に向かったのは夫婦岩で有名な二見ケ浦でした。夫婦岩を観る前に昼食になり、伊勢名物の手ごね寿司と伊勢うどんを食べました。
手ごね寿司は、鉄火丼のような物です。伊勢うどんを食べるのは2度目ですが、つゆがたまり醤油で出来ているとのことで濃いですね!うどんはこしがないのが特長だそうですが、私には合いませんでした。
下記の写真は二見ケ浦の夫婦岩です。




下記は昼食をした玄関先の横に隣接されていた二見シー パラダイスふれあい水族館前にいたトドの写真です。3メートルもあるので、その大きさに驚きました。



その後、伊勢神宮の内宮に行きました。
平日の午後にもかかわらず混んでいました。
来年は「第62回式年遷宮」と云う20年に一度の大祭です。正殿(しょうでん)を始め 御垣内(みかきうち)のお建物全てを建て替えし、さらに殿内の 御装束(おんしょうぞく)や神宝を新調して、御神体を新宮へ遷(うつ)します。
来年は大変なにぎわいになるでしょうね!
正殿をお参りした後、工事中の建物を写しました。



帰る途中名前は忘れましたが、写真を撮りました



お参りのあと、おはらい横丁にある赤福本店で赤福餅を家内と3個づついただきました。
時間もありましたので、おかげ横丁もぶらぶらしました。
おかげ横丁の名前の由来は伊勢神宮のおかげで300年という長い間商いができていますということでつけられたそうです。
さんまの日干しを10本が一単位でしたが残り8本しかないということで、残りの8本を買いました。

伊勢神宮をあとにして、ローソクやシャープのパネル製造で有名な亀山で味噌焼きうどんを食べました。
これも名物と云う話でした。美味しいですが辛くてごはんが付いていないと食べれませんでした。

最後にバスツァーのおみやげとして、一人に赤福8個入り一箱と亀山名物の豚テキ肉2枚を頂きました。

家には7時頃着いたのですが、雨が降ってきました。観光中は雨に降られずよかったと思いました。
家に着く前に息子の家に立ち寄り、赤福とさんまの日干しを渡してきました。

家に帰って、私は夕食の代わりに赤福を8個食べました。
もう限界と思われる程、食べていたばかりの一日でした。

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「コロッケ・ものまねショー」を観てきました。

2012-02-21 06:45:01 | 日記
一昨日の午後「コロッケ・ものまねショー」を家内と二人で観に行きました。
会場は1時入場でしたが、観客でロビーは混み合っていました。
私達も中高年齢ですが、私達以上の年齢の方が多くみえました。

ものまねショーは大変おもしろかったです。
ただコロッケさんのものまねは2フレーズくらいで、一曲歌い切るものまねとは違いますね!
途中で舞台から降りられて、客席からアンケートを取りながらのものまねもされました。
一番盛り上がったのは五木ひろしさんのロボットで歌うものまねでした。
動き・表情とも本物のロボットのようでした。

私のひとつ後の席のおじさんが、テレビを視ながら相槌をうつ人のように、コロッケさんの話にいちいち相槌を打たれて声を発せられるのにはまいりました。

終わり頃コロッケさんが最近出されたCD、さだまさしさんの「いのちの理由」を歌われたのですが、その前に3.11以降被災地を訪れてボランティアをされたという話しを10分くらいされました。
この話しで被災地の方の悲しみを思ってしまい、テンションが下がってしまいました。
最後に北島三郎さんの「まつり」をものまねされたのですが、もういけませんちっとも楽しくありませんでした。
コロッケさんのお気持ちは分かりますが、いろいろな事を忘れてコロッケさんのものまねショーを楽しみたく観にきた私としては、被災地の方のお話しは別の形で行って欲しかったと思いました。


コメント (2)
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