中日新聞に「だだくさをひとさじ」というタイトルで、定期的に吉川トリコ(作家)さんが投稿されています。
今回のタイトルは「価値観なんて時代で変わる」です。
つい先日、新作小説についてのインタビューを受けている際に、小柳ルミ子と大澄賢也の結婚について熱っぽく語ってしまった。
新作「あわのまにまに」は時代がさかのぼる形で世相や恋愛観、結婚観の移り変わりを書いているのだが、その流れでかってスキャンダルとして騒がれた両人の結婚を持ち出した、というわけだ。
当時三十六歳だったルミ子に対し、賢也は二十三歳。
現代ならちょっと年が離れているけれど、ふつうに受け入れられるだろう(二〇一五年に菊地凛子が三十三歳、染谷将太が二十二歳で結婚したときは、そこまでの騒ぎにはならなかったと記憶している)。
しかし、ルミ子と賢也が結婚した一九八九年には女性が年長の年の差カップルを受け入れる土壌がまだ日本にはなかった。
「姉さん女房」とわざわざ名づけられ、有微化されてきたことからもあきらかだ。
「女は三歩下がって歩くべし」という価値観がまだ幅を利かせていた時代である。
三十六歳という年齢だっていまの感覚からすると適齢期といっても差し支えないぐらいだが、当時の基準でいくと行き遅れ扱い(!)。
まだ小学生だった私は、連日のようにワイドショーで繰り広げられるルミ子パッシングを見続けていたせいで、この人は若い男に熱をあげた哀れなおばさんだと思い込まされてしまった。
メディアは社会の鏡というが、まだしっかりした自分の物差しを持たない子どもには毒か薬かの判断もつけようがなく、与えられるままにごくごく吸収してしまうといういい例である。
現在の私から見ると、「ルミ子やるじゃんイエーイ!」でしかないのだが(たとえ周囲になんと言われたとしても、誰にも結婚する権利と自由がある。
小室圭さんと眞子さんだって、りゅうちぇるとぺこだってそうだ)。
いま良しとされている価値観だって、もしかしたら十年後、二十年後の未来人から見たら古臭いものに映るのかもしれない。
新しいものが必ずしもいいものだとはかぎらないが、それでも少しずつ、社会はいいほうに向かっていると信じたい。
以上です。
ルミ子さんと賢也さんの事は覚えています。
私は賢也さんはルミ子さんを利用して有名になろうと思っているように見えました。
またルミ子さんのバックダンサーをしていたので、ルミ子さんの申し出を断ったら仕事が無くなってしまうという恐れを抱いたのかも知れないと思いました。
そんな訳でお二人が相思相愛だとは、まるっきり思いませんでした。
話は変わって、最近の結婚は、出会い系アプリが多いと聞きます。
出合い系アプリは、本人が素性を誤魔化そうとすれば、いくらでも誤魔化せます。
無職なのに、結婚しているのに、本人がそれらを言わずに付き合うことも出来ます。
何か危険ではないかと思うのですが。
昔の社内結婚や見合い結婚の方が、安心出来ます。(歳を取った証拠かな。苦笑)
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