中日新聞に「大人になる準備」「『できる』より『やる気』というタイトルで、吉川徹さんという児童精神科医さんの文が掲載されていました。
子どもができることが増えていくのは、周囲の大人にとってとてもうれしいことです。
「這(は)えば立て、立てば歩めの親心」という古川柳はその気持ちをよく表しています。
けれども、子どもが「できるようになること」を目指しすぎると、子育てはだんだん苦しくなってきます。
早くできるようになることを目指すと、子どもはまだ十分に力が伸びていないときに課題に取り組むことになります。
難しすぎる課題、失敗が多すぎる課題は、子どもがそれを嫌いになってしまうことがあるのです。
診察室で、小学校に入学するまでに文字を読むことや書くことが嫌いになってしまっているお子さんに出会うと、とてももったいないと思うのです。
前回、子どもを動かす「燃料」のことを書きました。
子どもの「やる気」が不足している状態で、命令や強制、時には罰を用いて子どもに何か取り組んでもらうと、もしもできるようになったとしても、子どもはしばしばそれを嫌いになります。
嫌いな課題に取り組むにはより多くの「燃料」が必要になるのです。
子どもと関わるときには、「やりたくなること」を目標にするのが、より無難で手堅いのです。
字が読める子どもではなく字を読みたい子ども、鉄棒の逆上がりができる子どもではなく逆上がりをしたい子ども、宿題を提出できる子どもではなく宿題を提出したい子ども、を目標にしていくことになります。
そして就労できる大人ではなく就労したい大人、を目指します。
そのためには子どものやる気が十分かどうか、やっている間にだんだん課題が好きになっているのか、せめて嫌いになっていないか、を確かめながら進むことが大切になるでしょう。
こどもの日は、これを考えるためのよい機会になるかもしれませんね。
以上です。
私が切り抜いたこの記事、どうも「こどもの日」に掲載されたようです。
>字が読める子どもではなく字を読みたい子ども、鉄棒の逆上がりができる子どもではなく逆上がりをしたい子ども、宿題を提出できる子どもではなく宿題を提出したい子ども、を目標にしていくことになります。
そして就労できる大人ではなく就労したい大人、を目指します。
なるほど、それが理想ですね。
うちの場合、かみさんが専業主婦でしたので、長男も長女も近くの幼稚園に入りました。
この幼稚園は、文字を読むことや書くこと、九九などを教えたようです。
私は小学校一年の長男を英会話教室、五歳になった長女をピアノ教室に通わせました。
男の子は英会話は必要だと思い習わせ、女の子はピアノが弾けるのが私の夢でした。
長男は小学校三年まで。
長女は中学校三年まで習いました。
長女はどのくらいピアノが弾けたのかよく分かりません。
少しは役にたったのかな?
長男が中学生の時、「自分はピアノを習いたかった」と言いました。
もっと早く知っていればと後悔しました。
息子は、こどもたちを保育園に通わせました。
どうも幼稚園で、文字や九九を教えられた事が苦痛だったようです。
でも私から見ると、孫たちは幼稚園出身者より出遅れたと思いました。
長男の孫が宿題で九九を覚えなければいけないのに、なかなか覚えないです。
1から9の段を順番に言わせても、必ず間違えてしまいます。😅
学校で最終的には覚えたと思いますが、私が見てた時は完全にはマスターできなかったです。
英語も小さい時から習わせませんでした。
息子は中学校で「発音がおかしい」と先生に指摘され、嫌になったようです。
私から言わせれば、先生の発音の方がおかしかったのではと思っていますが。
でも息子は、英語の成績は良かったです。
英語にすんなり溶け込めたからでは?
息子の末っ子は友達が小学校六年生の時英会話教室に行くということで、小学六年生から行き始めました。
上の兄貴たちより英語の成績は良いようです。
出来ればこども達がやる気になってから習うのが一番ですが、なかなか難しい問題だと思います。
学生時代 ☆ ペギー葉山