中日新聞の「伝える工夫 手紙・メール」というコーナーで中川 越さんが「八一(やいち)に学ぶ筆無精解消法」というタイトルでエッセーを書かれていました。
歌人、美術史家、書家として知られる会津八一(1881~1956年)は、幼少期、自分の手跡(筆跡)を恥じていました。
「私は、小学校へはじめて行きました時から書き方の時間というもの程恐ろしいものはなかったのであります」
そして、青年期には叔父さんから、こうしかられました。
「お前の字はわけがわからぬ。もうちょっと字を勉強しなくちゃいかん、お前は俳句の一つもよむ男だが、
『悪筆は名歌を掻(か)き消す』というがお前の如(ごと)きものをいうのである」
そこで八一青年は悩んだ末、次の結論にたどり着きました。
「到底私は字を上手になるなどという考えをもってもなり得る柄ではない。
しかし字が上手だということはいいことだ。
けれども、字は上手下手ということよりももっと大切なことがあるのではないか。
・・・・お互いの意思を伝えるために最も適した形式をもったものこそ、
人生において一番大切な文字であろう。
・・・・人にわかるような字を書かなければならぬ」
かくして彼は、名筆の一人として、その名を歴史にとどめることになりました。
あまりにも単純化した紹介で恐縮ですが、以上から私たちが得られる勇気は絶大です。
筆無精になる大きな原因の一つは、字が下手だから。
そのハードルで意気地をなくしてしまいがちな方に、会津八一の言葉は、大きな励みになります。
<人にわかる字こそが、人生で一番大切な文字>。
かくいう私も、このシンプルで力強い言葉を頼りに手紙を書き続けています。
以上です。
会社に入社して、すぐに「〇〇君(私の名前)の字は、何が書いてあるか分からない」と言われました。
孫にも「おじいちゃんの字は、何が書いてあるのか分からない」と言われています。(苦笑)
この会津八一さんのように「人にわかるような字」を書くように心がけたいです。
5年日記をつけていますが、もう少し丁寧に書くように心がけなければ。
スマイル / ナット・キング・コール
歌人、美術史家、書家として知られる会津八一(1881~1956年)は、幼少期、自分の手跡(筆跡)を恥じていました。
「私は、小学校へはじめて行きました時から書き方の時間というもの程恐ろしいものはなかったのであります」
そして、青年期には叔父さんから、こうしかられました。
「お前の字はわけがわからぬ。もうちょっと字を勉強しなくちゃいかん、お前は俳句の一つもよむ男だが、
『悪筆は名歌を掻(か)き消す』というがお前の如(ごと)きものをいうのである」
そこで八一青年は悩んだ末、次の結論にたどり着きました。
「到底私は字を上手になるなどという考えをもってもなり得る柄ではない。
しかし字が上手だということはいいことだ。
けれども、字は上手下手ということよりももっと大切なことがあるのではないか。
・・・・お互いの意思を伝えるために最も適した形式をもったものこそ、
人生において一番大切な文字であろう。
・・・・人にわかるような字を書かなければならぬ」
かくして彼は、名筆の一人として、その名を歴史にとどめることになりました。
あまりにも単純化した紹介で恐縮ですが、以上から私たちが得られる勇気は絶大です。
筆無精になる大きな原因の一つは、字が下手だから。
そのハードルで意気地をなくしてしまいがちな方に、会津八一の言葉は、大きな励みになります。
<人にわかる字こそが、人生で一番大切な文字>。
かくいう私も、このシンプルで力強い言葉を頼りに手紙を書き続けています。
以上です。
会社に入社して、すぐに「〇〇君(私の名前)の字は、何が書いてあるか分からない」と言われました。
孫にも「おじいちゃんの字は、何が書いてあるのか分からない」と言われています。(苦笑)
この会津八一さんのように「人にわかるような字」を書くように心がけたいです。
5年日記をつけていますが、もう少し丁寧に書くように心がけなければ。
スマイル / ナット・キング・コール