団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

我が人生に一片の悔いなし

2019-10-15 01:34:31 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「悔いなし」というタイトルで飛島圭介さんが、エッセーを書かれていました。




 知り合いのお墓参りを済ませ、その墓地をぶらぶら歩いていたら「我が人生に一片の悔いなし」と
墓石の正面に大きく刻まれたお墓に行き当たった。

 先祖代々の墓ではなく、墓石の横面に名前が刻まれた、個人のお墓らしい。
女性と思われるお名前だった。

 この方が生前にご自分でこの墓を建てられたのか、死後遺言によって建てられたのかは知らず、
いずれにしても故人の強い思いがあっての文言であろう。

 誇り高く、他人の容喙(ようかい:横から口を出すこと)など許さぬ、断固とした自己表明である。

 おじさんは墓の前で腕組みし、しばらく動けなかった。
こんなふうに「悔いなし」と言い切れる人生をあれこれ想像した。

 よほど、充実した人生だったのか、それとも「諦観」ゆえの言葉なのか。
とにかく一般の凡人がなかなか言える文言ではない。

 わしら一般人は「悔いだらけ」の人生で、己の墓に「一片の悔いなし」と刻めるほどの
無邪気な明るさはなかろう。

 どんな「死」も(百歳を過ぎても)、「生の途上死」だ。
みんな途上でやむなくあの世に行く。

 「悔いなし」どころか「無念」ではないか。
でもお墓に「無念」と刻む人はいないけど・・・・ね。


 以上です。


 私もお墓参りの際、いろんなお墓を見かけます。
あるお墓に「来てくれてありがとう」と刻んだお墓がありました。
分かるなぁ、その気持ち。
どんなに立派なお墓も、誰も来てくれないなら寂しいものですよね。

 またあるお墓には、車の絵が刻まれていました。
故人は、車大好き人間だったらろうなぁと推測できます。
でも故人は良いでしょうが、後のご家族はこのお墓に入るのかな?という疑問は持ちました。

 最近は先祖代々のお墓ばかりではなく、いろんなお墓がありますね。










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コメント (10)
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