昨日 私の大好きな八千草薫さんが亡くなりました。
いつまでもかわいくて、上品な女優さんでした。
私はこんな女性をお嫁さんにしたかった。
無理と分かっていますが。(苦笑)
八千草さんの本名は、瞳(ひとみ)というお名前だそうです。
ぴったりのお名前ですね。
下記は、「文藝春秋」2019年8月号に載った最後の手記ということです。
馬馬虎虎。
今は亡き主人がよく言っていた言葉です。
宝塚出身の私がだんだんと映画に出演するようになった頃、慣れない現場でガチガチに緊張することが多かった。
主人はそれに気づいていたのでしょう。私の緊張をほぐすように、この言葉を何度も言い聞かせてくれました。
これは中国の言葉で、「まあまあふうふう」という読み方をするのだそうです。
本来は「いい加減な」とか「やっつけに」という意味があるようですが、私達夫婦は「良い加減」という解釈で使っていました。
肩に力を入れすぎず、ほどよく生きる、といったニュアンスになるのでしょうか。
主人にこの言葉を教えてもらってからの私は、良い加減に力を抜き、楽に生きることが出来るようになった気がします。
歳をとるにしたがって、「まあまあふうふう」はいっそう、私の心の奥深くまで染み込んできています。
昔は「歳をとる」という現象について、深く考えることはありませんでした。
気づいたら20代、30代、40代……あっという間に時を刻んでいました。
年齢を少し意識するようになったのは、80歳を過ぎてからだと思います。
ペットボトルの蓋が開けられなくなる。
階段を昇るのがしんどくなる。今まで簡単に出来ていたことが難しくなりました。
舞台で勢いあまって転んでしまったこともあります。
こうして振り返ると、自分の体がどんどん変わっていくのを感じます。
否応なく“体力の衰え”という現実を突きつけられると、やっぱりショックを受けますよね。あーあ、とため息もついてしまいます。
「歳をとる」というのは、皆、経験したことがないですから、いつでも初体験。未知のものは誰だって怖いでしょう。
体力、筋力、思考力が低下していくなかで、不安になることもあります。
でも、どうにもならないことを、うだうだと考え続けるのはつまらない。
それで50歳まで若返るわけでもないですしね。
変わっていく自分をちょっとずつ受け入れていくしかありません。
だから悩みが出てきたときは、「えいっ!」と思い切って、考えること自体を諦めてしまいます。
そうやって楽しく、肩の力を抜いて、歳をとることができればいいなと思っていますね。
以上です。
八千草さんは年齢を意識されるようになったのは、80歳をすぎてからなんだ!
私は70歳で年齢を意識しましたね。
ペットボトルの蓋が開けにくくなっていますし、階段を昇るのがしんどくなっています。(苦笑)
「まあまあふうふう」。
肩に力を入れすぎず、ほどよく生きる。
良い言葉ですね。
初恋の人に似ている