団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

「まあまあふうふう」。 肩に力を入れすぎず、ほどよく生きる。良い言葉ですね。

2019-10-29 01:59:52 | 日記
 


 昨日 私の大好きな八千草薫さんが亡くなりました。
いつまでもかわいくて、上品な女優さんでした。

 私はこんな女性をお嫁さんにしたかった。
無理と分かっていますが。(苦笑)

 八千草さんの本名は、瞳(ひとみ)というお名前だそうです。
ぴったりのお名前ですね。

下記は、「文藝春秋」2019年8月号に載った最後の手記ということです。


 馬馬虎虎。

 今は亡き主人がよく言っていた言葉です。
宝塚出身の私がだんだんと映画に出演するようになった頃、慣れない現場でガチガチに緊張することが多かった。
主人はそれに気づいていたのでしょう。私の緊張をほぐすように、この言葉を何度も言い聞かせてくれました。

 これは中国の言葉で、「まあまあふうふう」という読み方をするのだそうです。
本来は「いい加減な」とか「やっつけに」という意味があるようですが、私達夫婦は「良い加減」という解釈で使っていました。
肩に力を入れすぎず、ほどよく生きる、といったニュアンスになるのでしょうか。
主人にこの言葉を教えてもらってからの私は、良い加減に力を抜き、楽に生きることが出来るようになった気がします。

 歳をとるにしたがって、「まあまあふうふう」はいっそう、私の心の奥深くまで染み込んできています。

 昔は「歳をとる」という現象について、深く考えることはありませんでした。
気づいたら20代、30代、40代……あっという間に時を刻んでいました。

 年齢を少し意識するようになったのは、80歳を過ぎてからだと思います。
ペットボトルの蓋が開けられなくなる。
階段を昇るのがしんどくなる。今まで簡単に出来ていたことが難しくなりました。
舞台で勢いあまって転んでしまったこともあります。

 こうして振り返ると、自分の体がどんどん変わっていくのを感じます。
否応なく“体力の衰え”という現実を突きつけられると、やっぱりショックを受けますよね。あーあ、とため息もついてしまいます。

「歳をとる」というのは、皆、経験したことがないですから、いつでも初体験。未知のものは誰だって怖いでしょう。

 体力、筋力、思考力が低下していくなかで、不安になることもあります。
でも、どうにもならないことを、うだうだと考え続けるのはつまらない。
それで50歳まで若返るわけでもないですしね。
変わっていく自分をちょっとずつ受け入れていくしかありません。
だから悩みが出てきたときは、「えいっ!」と思い切って、考えること自体を諦めてしまいます。
そうやって楽しく、肩の力を抜いて、歳をとることができればいいなと思っていますね。


 以上です。


 八千草さんは年齢を意識されるようになったのは、80歳をすぎてからなんだ!
私は70歳で年齢を意識しましたね。
ペットボトルの蓋が開けにくくなっていますし、階段を昇るのがしんどくなっています。(苦笑)

「まあまあふうふう」。
肩に力を入れすぎず、ほどよく生きる。
良い言葉ですね。






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コメント (12)
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