団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

思えば職場を去るときは大抵体を壊していた。

2019-10-27 02:28:27 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「無理せず ひと息が大切」というタイトルで60歳の無職の女性が投稿されていました。



 思えば、生きるために私は必死で働いてきた。
2歳のとき、養蚕農家だった祖母の手伝いで蚕に餌のクワを与えるのが最初の仕事だったと記憶している。

 短大を中退して百貨店の万年筆売り場で販売員となり社会人生活を始めた。

 次にまんじゅう工場で製造のアルバイトをした。
タイピスト養成の専門学校で一年間学んでから印刷会社で正社員のタイピストとして三年間働き、
その稼ぎを基にして写真の専門学校で一年間学んだ。

 印刷会社や食品会社、家具会社などでのパートを転々とした。

 50歳になって自分が無理しすぎていたことに気付いた。
思えば職場を去るときは大抵体を壊していた。

 今は好きなクラッシック音楽を聴き、ひと息つく時間を大切にしている。


 以上です。


 投稿者さんは、大変な人生を生きていらっしゃったんですね。
それでもタイピストの養成学校へ行かれたり、写真の専門学校で学び、
技術を身に付ける努力もされたようです。

 職場を辞められるのは、大抵体を壊されていたことが理由のようです。
無理をされていて、体を壊されたんですね。

 50歳になって無理されていたことに気付かれてよかったと思います。
これから仕事をされるときは、少し余裕が持てる仕事に携わっていただきたいです。

 体を壊しては、何にもなりませんから。







イマジン【訳詞付】- ジョン・レノン
コメント (10)
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