インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

予知夢

2014-05-05 06:54:42 | 身の回り
   雅太はパセリをウサギのように咀嚼しながら、ブログを書き始めた。毎日鮮明な夢を見るのだが、書き留めておかないとシャボン玉のごとく弾けてしまう。今朝は正に記憶すべきことが弾けてしまった感があり、マジカルパスをせずに寝たのが悪かったのかと思ったりする.そんな夢まみれの雅太であったが、一昨日、夢日記に書き留めておいたことが、三分の一、いやほんのさわりだけ、なぞった。職場の応援に来たのが夢の通りの青年で、雅太が夢の通りに皆に紹介したという内容である.応援は別の青年が来ると思っていたのだが、まさか夢の通りになるとは、雅太は驚かされた。

 「予知夢」だったのかと雅太は首を傾げる。これまで雅太の見た夢の中では、かなりストレートで、実用的な部類に入るであろう.そもそも、夢は間接的な暗示で、空を飛んだり、ゴキブリがでてきたり、何かの象徴を「ひょっとしてあれでは…」と勘ぐるわけである。それが直接そのままであるならば、ノストラダムスの予言のごとき、無理矢理解釈したりする必要もなくなり、便利きわまりないであろう.

 しかしそんな予知夢など早々起こらない。何故かと雅太は棚から本を漁って見ると、「なぜ未来は人間から隠されるのですか」という問いに偶然出くわした。『霊の書』(アラン・カーデック)である。

  もし未来が人間に分かれば、人間は現在をおろそかにして、自由意志で行動しなくなる。本人はこう思う、これこれのことが起こるのなら、自我がかかり合う余地はないと。さもなくば、それの起こるのを回避しようとする。神はそうなることをお望みではない…

  …ただ人間を自由にしておいて、人間が自己の行為に責任を持つようにさせておく、ここに目的がおありだ…

  …ということであるらしい。雅太は手を叩いた.確かに、夢予知ばかり見てそれに従って動いていたら、もはや自分は自由な意識を持った人間ではなく、操り人形ではないか。たとえそれが望ましかったとしても、自分の意志で、自然な状態で導かれなければ、意味がないのかもしれぬ.

 生まれたことの意味が、意識のレベルを上げることにあるとすれば、それもうなずける。資本主義社会の中で、現代人は利益を、金を増やすことを目的としているのだが、本当の黄金は自分自身の意識であり、光り輝く卵であるとしたら。

 そこまで書いたところで、雅太はいくら言葉で良いことを書いても仕方が無い、本当に重要なのは実際の行為であり、修行である、今から出勤せねばならない、と思うのであった。