彼が最晩年に達した境地が、「私は私でない私」と言うものでした。
22歳まで日本人として生きて、日本人精神・哲学を学び、終戦後は台湾に戻って共産主義の唯物論を学び、二度の米国への留学でキリスト教に触れ、以後はクリスチャンとしての信仰に生きた人です。
元々は農学博士と言う学者であり、49歳で政界に入り、全く異質な世界で時を過ごしながら達した境地です。
夏目漱石は「側天去私」と言い、西郷南州翁は「敬天愛人」を座右の銘としました。
如何に私心を離れるか、私利私欲を離れて公に尽くすことが出来るのかが、人の生き方として問われてくるのだ、と言う事を言葉ではなく、実地に生きて生き様として見せてくれたのが李登輝と言う哲人政治家で有りました。
日本国民は五公五民で、収入の半分を税金で取られ、苦しい生活を強いられながらも暴動を起こすわけでもなく公に尽くしています。
一方、国の権力者である政治家は、高い歳費をもらいながら、それでは足りないと裏金で私服を肥やす私利私欲に捕らわれた人たちばかりです。天下りと渡りを繰り返し省庁の利益を第一に優先する官僚・役人も、金銭欲の権化です。
こんな有り様で何故日本の国は滅びないのだろうか?明治維新と言う英国の占領支配に負けて開国し、帝国主義と言う戦争に巻き込まれて、戦後は米国DSの支配を受け、半島人に寄生され、支那の謀略を受け続け、普通ならとっくに滅亡してもおかしくはないのです。
色々と問題を抱えながらも、それでも何とか国としての体勢を保って居られる一番の要素は、やはり日本には天皇が居て、陛下を国の中心としている日本の国体そのものに有るでしょう。
天皇とは祈りの人です。私利私欲・私心無く国民と世界の平和を祈るのが天皇陛下のお仕事です。
台湾の李登輝氏は一代で終りましたが、この「私は私でない私」を126代連綿と紡いで来たのが日本と言う国です。国民も又、それを理解する民度の高さが有りました。君民共治により、より良い国、より良い世界を作っていくと言うのが、世界に貢献出来る日本のお役目なのかもしれません。