滋賀県東近江市百済寺町の山麓にある釈迦山百済寺は、重厚な石垣に覆われた緑豊かな天台宗の寺院です。
この釈迦山百済寺(しゃかざんひゃくさいじ)は、東湖三山と呼ばれている古刹の一つです。境内には、カエデ(モミジ)の木々が多く、紅葉シーズンには紅葉狩りの方で賑わうそうです。
約1400年前の推古14年(606年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(標高772メートル)の中腹につくらせたお寺といわれています。朝鮮半島に当時あった百済国の「龍雲寺」を模して建てられました。
鎌倉時代には「天台別院」と呼ばれ、中枢部にある300坊に加えて合計1000坊の建屋があり、約1300人が修行をする“大寺院”だったそうです。
このお寺の表門から入ると、すぐに本坊・喜見院(きけんいん)という書院の建屋があり、この建屋に沿って池泉回遊式庭園があります。
本坊・喜見院の横に、ボダイジュ(菩提樹)の木が一本植えられており、ちょうど花を咲かせていました、
本坊・喜見院の池の中や池の周囲に配置された、大きな長方形の平らな石の「拝み石」などを伝わって、池の周りを巡ります。
この庭の奧には、200坊の跡地があるそうです。
ここから上側は、うっそうとしたスギ林とカエデ(モミジ)の木々が多い境内の参道などを上がります。
この合計1000坊の建屋があった釈迦山百済寺は、戦後期時代に数回、失火によって焼けたり、織田信長の軍勢による比叡山焼き討ちの際に、この古刹も焼かれています。
その後に、徳川時代初期に彦根藩の井伊家などが、この荒れた古刹を再建し、現在の本堂や仁王門、山門などを再建し、整備しました。
スギ木立に囲まれた石段の上に、仁王門が立っています。
仁王門には、大きな草鞋(わらじ)が飾られています。
この仁王門の奧には、うっそうとした木立がならび、その中に本堂などが立っています。
この本堂の中には、本尊の十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜのんぼさつ)などが並んでいます。
この十一面観世音菩薩は、“秘仏”なので、半世紀に一度、公開されるもようです。
この釈迦山百済寺は、西国四十九薬師霊場第十六番札所です。
なお、東湖三山と呼ばれている三つの古刹の西明寺と金剛輪寺をそれぞれ訪れた話は、西明寺は弊ブログの2019年6月16日編を、金剛輪寺は弊ブログの2019年6月15日編をそれぞれご覧ください。
この釈迦山百済寺(しゃかざんひゃくさいじ)は、東湖三山と呼ばれている古刹の一つです。境内には、カエデ(モミジ)の木々が多く、紅葉シーズンには紅葉狩りの方で賑わうそうです。
約1400年前の推古14年(606年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(標高772メートル)の中腹につくらせたお寺といわれています。朝鮮半島に当時あった百済国の「龍雲寺」を模して建てられました。
鎌倉時代には「天台別院」と呼ばれ、中枢部にある300坊に加えて合計1000坊の建屋があり、約1300人が修行をする“大寺院”だったそうです。
このお寺の表門から入ると、すぐに本坊・喜見院(きけんいん)という書院の建屋があり、この建屋に沿って池泉回遊式庭園があります。
本坊・喜見院の横に、ボダイジュ(菩提樹)の木が一本植えられており、ちょうど花を咲かせていました、
本坊・喜見院の池の中や池の周囲に配置された、大きな長方形の平らな石の「拝み石」などを伝わって、池の周りを巡ります。
この庭の奧には、200坊の跡地があるそうです。
ここから上側は、うっそうとしたスギ林とカエデ(モミジ)の木々が多い境内の参道などを上がります。
この合計1000坊の建屋があった釈迦山百済寺は、戦後期時代に数回、失火によって焼けたり、織田信長の軍勢による比叡山焼き討ちの際に、この古刹も焼かれています。
その後に、徳川時代初期に彦根藩の井伊家などが、この荒れた古刹を再建し、現在の本堂や仁王門、山門などを再建し、整備しました。
スギ木立に囲まれた石段の上に、仁王門が立っています。
仁王門には、大きな草鞋(わらじ)が飾られています。
この仁王門の奧には、うっそうとした木立がならび、その中に本堂などが立っています。
この本堂の中には、本尊の十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜのんぼさつ)などが並んでいます。
この十一面観世音菩薩は、“秘仏”なので、半世紀に一度、公開されるもようです。
この釈迦山百済寺は、西国四十九薬師霊場第十六番札所です。
なお、東湖三山と呼ばれている三つの古刹の西明寺と金剛輪寺をそれぞれ訪れた話は、西明寺は弊ブログの2019年6月16日編を、金剛輪寺は弊ブログの2019年6月15日編をそれぞれご覧ください。
近くの東湖三山のお寺は、やはり紅葉の時期に訪れると、その紅葉の見事さが分かる山の中です。
うっそうした杉木立がすごい山の中です。
百済寺は信長の焼き討ちに会い、この寺の石垣や石仏が安土城の築城に利用されたと言われます。
百済寺が山城の最後の形、安土城が平城の最初の形とも言われます。歴史の変遷を見るようですね。
湖東三山の一つ百済寺は紅葉の美しいところですが、この季節の緑も美しいですね。
菩提樹の花もたくさん咲く良い季節に訪れになりました。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
今回、訪問した滋賀県東近江市百済寺町の山麓にある釈迦山百済寺は、カエデなどの緑豊かな古刹でした。
紅葉の時期は、見事な風景になりそうな山寺でした。既に、秋の紅葉狩りの時期に、この湖東三山を訪ねるパンフレットがありました。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
今回、訪問した滋賀県東近江市百済寺町の山麓にある釈迦山百済寺は、石垣がまだ多い感じでしたが、実際には織田信長の焼き討ちの際に、石垣がかなり持ち去らせているのですか・・勉強になります。
安土城があった場所も比較的近いですね。当時は大変な事態だったのですね。
ここは今はやや山奥の古刹ですが、当時は山城だったと、説明文に書かれていました。
巨大な草鞋です。石畳の風情も良くて、お参りの方をいやし続けてきたのでしょう。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
今回、訪問した滋賀県東近江市百済寺町の山麓にある釈迦山百済寺は、スギ木立やカエデの木々が多い山寺でした。
偶然、ボダイジュの木が花を咲かせていました。この石段は、本当の山門からはかなりかかるようです。現在は、車で半分以上上がった部分に、実際の入り口の門があります。
おはようございます。
この大きな草鞋、覚えています。
初めて見たときは驚きました。
湖東三山はどのお寺も個性的で少しずつ趣も違うようです。春の桜、秋の紅葉と季節ごとに訪れたいお寺です。
百済寺端、いままで三回行っていますが、何時も紅葉の時期です👩今は、青紅葉がきれいです👩
あの階段が、印象的です🎶
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
今回、訪問した滋賀県東近江市百済寺町の山麓にある釈迦山百済寺は、西国四十九薬師霊場第十六番札所なので、ここを訪ねられているのですね。
その際に、この大きな草鞋をご覧になっているのですね。西国四十九薬師霊場巡礼もなかなか大変そうです。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
今回、訪問した滋賀県東近江市百済寺町の山麓にある釈迦山百済寺には、花ぐるまさんは3回も訪問なさっているのですか。
それも、混み合う紅葉の時期なのですね。日本全国のさまざまな名所に、お行きになっていて感心します。