人気小説家の原田マハさんの最新の単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えた話の続きの続きです。
この題名にある「タブロー」とは、絵画のことです(浮世絵も含まれています)。
この単行本「美しく愚かものたちのタブロー」は、2019年5月30日に文藝春秋から発行されました。価格は1650円+消費税です。

この小説は、大正時代から昭和半ばまで(主に第一次世界大戦前後)に、欧州(主にフランスと英国)で名画を買い集めた松方幸次郎(まつかたこうじろう)による“松方コレクション”づくりの話です。
小説の最終章は、1953年6月のパリ市での話に飛びます。当時の吉田茂内閣総理大臣から幻になりつつある「松方コレクション」返還の交渉担当者としてパリ市に赴いた田代雄一(たしろゆういち、美術史研究者)は日本大使館に帰ると、日置紅三郎(ひおきこうさぶろう)という日本人が訪ねてきたことを知ります。
日本大使館のメンバーは、日置紅三郎を得体の知れない日本人として、大使館内に入れません。そこで、「近くのホテルで待っている」との伝言を田代に残します。
田代は、以前に松方とクロード・モネの家を一緒に訪ねた日置という男性を思い出し、そのホテルに向かいます。
日置は、元々は日本海軍の仕官技術士兼飛行士でした。そしてフランスの日本の大使館付き武官でした。軍艦から飛行機開発に乗り出したいと考えた川崎造船所の松下社長に見込まれた日置はスカウトされ、嘱託技師になります。そして、飛行機開発を学ぶためにフランスの飛行機開発会社に出向します。
その後、飛行機の開発が棚上げになり、パリ市に住んで、“松方コレクション”の管理担当者になります。
“松方コレクション”の多くはフランスのロダン美術館に手数料を払って保管していました。1939年に第二次大戦が始まり、“松方コレクション”を日本に送り出そうと計画しますが、日本に持ち込むと“100パーセント”の関税がかかると分かり、そんな大金が払えないために断念します。
1940年5月に、ロダン美術館に保管されていた“松方コレクション”を3台のトラックに積んで、アポンダンという寂しい村に運びます。
このアポンダンという寂しい村にある農家を購入し、この農家に何とか運び込みます。日置はフランス人女性のジェルメンヌと住む住居として選んだ鄙びた農家でした。
1939年にドイツはフランスと英国に宣戦布告し、第二次大戦が始まります。1940年5月にドイツ軍がベルギー、オランダ、フランスに越境し、進軍します。約1カ月後の6月にドイツ軍はパリ市を占拠します。
1941年に入ると、田舎のアポンダン村までドイツ軍がやって来ます。ドイツ軍兵が、日置が住む農家にまで調べにきます。日本人がどうしてこんな田舎に住んでるのかを怪しみますが、農家の中を調べることもなく、ドイツ軍は帰って行きます。
ドイツ軍がフランスを占拠している中で、田代の妻のジェルメンヌは病死します。
さらに、米国などの連合軍がフランスのノリマンディー海岸に上陸し、パリ市解放へと進んで行きます。
こした戦局の変化に従って、田代はアポンダンの農家に保管していた“松方コレクション”をパリ市に戻すなどの措置を採ります。その運び出すトラックなどの輸送費を捻出する算段を考えます。
この際に、松方から指示されていた“松方コレクション”を守る経費を捻出するために、数点を売却します。この辺が、実際の苦労だったようです。
人気小説家の原田マハさんの最新の単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えた話の続きについては、弊ブログの2019年10月2日編をご覧ください。
この題名にある「タブロー」とは、絵画のことです(浮世絵も含まれています)。
この単行本「美しく愚かものたちのタブロー」は、2019年5月30日に文藝春秋から発行されました。価格は1650円+消費税です。

この小説は、大正時代から昭和半ばまで(主に第一次世界大戦前後)に、欧州(主にフランスと英国)で名画を買い集めた松方幸次郎(まつかたこうじろう)による“松方コレクション”づくりの話です。
小説の最終章は、1953年6月のパリ市での話に飛びます。当時の吉田茂内閣総理大臣から幻になりつつある「松方コレクション」返還の交渉担当者としてパリ市に赴いた田代雄一(たしろゆういち、美術史研究者)は日本大使館に帰ると、日置紅三郎(ひおきこうさぶろう)という日本人が訪ねてきたことを知ります。
日本大使館のメンバーは、日置紅三郎を得体の知れない日本人として、大使館内に入れません。そこで、「近くのホテルで待っている」との伝言を田代に残します。
田代は、以前に松方とクロード・モネの家を一緒に訪ねた日置という男性を思い出し、そのホテルに向かいます。
日置は、元々は日本海軍の仕官技術士兼飛行士でした。そしてフランスの日本の大使館付き武官でした。軍艦から飛行機開発に乗り出したいと考えた川崎造船所の松下社長に見込まれた日置はスカウトされ、嘱託技師になります。そして、飛行機開発を学ぶためにフランスの飛行機開発会社に出向します。
その後、飛行機の開発が棚上げになり、パリ市に住んで、“松方コレクション”の管理担当者になります。
“松方コレクション”の多くはフランスのロダン美術館に手数料を払って保管していました。1939年に第二次大戦が始まり、“松方コレクション”を日本に送り出そうと計画しますが、日本に持ち込むと“100パーセント”の関税がかかると分かり、そんな大金が払えないために断念します。
1940年5月に、ロダン美術館に保管されていた“松方コレクション”を3台のトラックに積んで、アポンダンという寂しい村に運びます。
このアポンダンという寂しい村にある農家を購入し、この農家に何とか運び込みます。日置はフランス人女性のジェルメンヌと住む住居として選んだ鄙びた農家でした。
1939年にドイツはフランスと英国に宣戦布告し、第二次大戦が始まります。1940年5月にドイツ軍がベルギー、オランダ、フランスに越境し、進軍します。約1カ月後の6月にドイツ軍はパリ市を占拠します。
1941年に入ると、田舎のアポンダン村までドイツ軍がやって来ます。ドイツ軍兵が、日置が住む農家にまで調べにきます。日本人がどうしてこんな田舎に住んでるのかを怪しみますが、農家の中を調べることもなく、ドイツ軍は帰って行きます。
ドイツ軍がフランスを占拠している中で、田代の妻のジェルメンヌは病死します。
さらに、米国などの連合軍がフランスのノリマンディー海岸に上陸し、パリ市解放へと進んで行きます。
こした戦局の変化に従って、田代はアポンダンの農家に保管していた“松方コレクション”をパリ市に戻すなどの措置を採ります。その運び出すトラックなどの輸送費を捻出する算段を考えます。
この際に、松方から指示されていた“松方コレクション”を守る経費を捻出するために、数点を売却します。この辺が、実際の苦労だったようです。
人気小説家の原田マハさんの最新の単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えた話の続きについては、弊ブログの2019年10月2日編をご覧ください。
フランスに一人残った日置さんは苦労したことで、“松方コレクション”は、守られたということですね。
第二次大戦中にフランスに残って、戦火のフランスを過ごした不安の毎日が感じ取れます。
裏方として実務を支えた方々がいたから、松下コレクションが保たれました。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
大正時代から昭和時代半ばまで(主に第一次世界大戦前後)に、欧州で名画を買い集めた松方幸次郎による“松方コレクション”づくりの裏方として、フランスに残って苦労した日置紅三さんの、第二次大戦中の苦労は大変なものだったと思います。ここにもドラマがありますね。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
欧州で印象派などの名画を買い集めた松方幸次郎による“松方コレクション”づくりの裏方として、この小説では日置紅三さんの苦労談を描いています。
第二次世界大戦中にパリ市などの戦場の中で、集めた「松方コレクション」をどう守ったのかなどは、大切な裏話です。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
欧州で、フランスの印象派などの名画を購入した川崎造船所社長の松方幸次郎さんの名前は有名です。しかし、その裏方として支えた社員の日置紅三郎さんの苦労などは知られていません。
ご指摘の通りに、その仕事は大変だったことでしょう・・
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
有名な「松方コレクション」収集を実務者として支えた日置紅三郎さんの苦労はあまり知られていませんね。
日置紅三郎さんが苦労したお陰で、「松方コレクション」の大部分は守られたようです。
この小説に描かれている日置紅三郎さんという方が戦時下のフランスに残り、苦労なさったのですね。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
有名な「松方コレクション」収集が、川崎造船所社長の松方幸次郎さんなどによって、どのように収集・購入されたのか・・。
そして、第二次大戦中は日置紅三郎さんという方が戦時下のフランスに残り、どう守ったのかなどが、この小説「美しく愚かものたちのタブロー」に描かれています。