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ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

仙台市青葉区大倉の定義如来 西方寺では、有名な五重塔を拝見しました

2017年12月02日 | 旅行
 仙台市青葉区大倉の定義如来 西方寺は、仙台市郊外の山奧にある古刹でした。

 この“定義如来 西方寺”と呼ばれる西方寺(さいほうじ)は、浄土宗の寺院で山号は極楽山です。一般には「定義如来」(じょうぎにょらい)という略称で呼ばれています。

 今は仙台市と市町村合併して「青葉区大倉」という住所ですが、仙台市の最も西側の山形県との県境にそびえてる舟形山連山が背後に見える山麓にある古刹の寺院です。

 この西方寺が建っている地域は、“平氏の落人の里”として有名です。今回、実際に行ってみて、山奥の安全な隠れ里だったことが納得ができました。

 西方寺の本堂です。





 本尊は阿弥陀如来画像軸だそうです。

 西方寺の建物として有名な五重塔です。これを見に多くの観光客がやって来ます。







 本堂の前の駐車場からは、五重塔は、五重塔を囲む林越しに見えます。晩秋で木々が葉を落としているので透けて見えています。



 予想した以上に遠かったので、ここに到着したのは午後4時過ぎでした。このために、だんだん日が暮れていきます。

 五重塔の背後に見える山です。夕日が当たっています



 本堂の背後には、舟形山連山が見えました。



 西方寺の開祖に当たる肥後守平貞能公は、平重盛公(内大臣 小松殿)の重臣だったそうです。

 貞能公は、平家が壇ノ浦の戦いに敗れた後も、平重盛公より託された阿弥陀如来の御霊像を守りながら、源氏の追討をのがれて、この地にまで逃げて来て隠れたそうです。

 当時は、かなりの山奥で、ここで生活するための村づくりの開墾も大変だったことと思います。

 そして貞能公は、なおも世をはばかって、名前を「定義」と改めたそうです。この結果。この地の名前も「定義」、阿弥陀如来を「定義如来」と呼ぶようになったそうです。

 この西方寺に向かう途中には大倉ダムがあり、山奥感が高まります。この大倉ダムの奧には、大倉ダムに流れ込む川沿いに里山が続きます。点々と農家が続きます。たぶん、昭和前半までは自給自足の集落だったと推定されます。

 日が暮れ始めたので、西方寺から大倉ダムに向かって帰路についた時に、道路脇のイネ刈りが終わった田んぼに、ニホンザルの群れがいました。10頭ほどいます。





 日暮れによって薄暗くなっています。何とか撮影できた画像です。

 サルの群れがいる山奥の山里でした。