【マルブン四代目創業物語2】
29歳で生れ故郷の小松に帰ってきたが、18歳からいなかったのでマーケットがさっぱりわからない。
そこで、一年間は父の食堂を手伝うことにした。
中華そば、うどん、焼きそば、親子丼、焼き飯、おでん、オムライス、焼肉定食、しょうが焼き定食などの大衆食堂メニューを父から習って作っていった。
たまに、常連のお客さまにスパゲッティを出したりしたが、「麺が固い」何て言われた。
私が身につけてきた料理と来店してくれているお客さまが完全にミスマッチしていた。
私の料理を食べてくれるお客さまが居なかった。
嫌になった私は気分転換も兼ねて、夏にヨーロッパに勉強に行くことにした。
1ヶ月ほどの滞在だったけど、フランス、イギリス、イタリアと周りながら色々考えた。
答えは、今までやってきた料理をすべて捨てて、小松のお客さまのために一から商品を考え直すことでした。
広島のデザイナーに依頼してお店を改造して、メニューも一新した。
食堂メニューを六割残してメニューが完成した。
食堂メニューを残したのは、今までマルブンをご利用していただいたお客さまを切ることができなかったからだ。
何故なら、今までマルブンを支えてくれた大切なお客さまだったからだ。
オープン準備が整い、細やかながら開店パーティーを開いた。
私がお世話になった、広島のサンマリオの池田社長も来てくれた。
池田社長に、「この場所で流行りますかね」と聞いたら、「まーさん、それは無理だよ」との返答でした。
そりゃそうだ、と私も思った。
オープン数日後、一緒に働いていた仲間が来てくれた。
みんなお店がある環境を見て、「まーさんも終わったなぁ。あのまま広島にいたら成功したのに…」と言われた。
何度もダメだと言われるうちに、負けん気がムニュムニュと沸いてきた。
「創業1923年、いつまでも美味しいが響きあうマルブンでありたいと願います」という言葉が沸いてきて、デザイナーさんに書いてもらい、お客さまが一人になるトイレに掛けた。
これが数年後、マルブンの経営理念になった。
29歳で生れ故郷の小松に帰ってきたが、18歳からいなかったのでマーケットがさっぱりわからない。
そこで、一年間は父の食堂を手伝うことにした。
中華そば、うどん、焼きそば、親子丼、焼き飯、おでん、オムライス、焼肉定食、しょうが焼き定食などの大衆食堂メニューを父から習って作っていった。
たまに、常連のお客さまにスパゲッティを出したりしたが、「麺が固い」何て言われた。
私が身につけてきた料理と来店してくれているお客さまが完全にミスマッチしていた。
私の料理を食べてくれるお客さまが居なかった。
嫌になった私は気分転換も兼ねて、夏にヨーロッパに勉強に行くことにした。
1ヶ月ほどの滞在だったけど、フランス、イギリス、イタリアと周りながら色々考えた。
答えは、今までやってきた料理をすべて捨てて、小松のお客さまのために一から商品を考え直すことでした。
広島のデザイナーに依頼してお店を改造して、メニューも一新した。
食堂メニューを六割残してメニューが完成した。
食堂メニューを残したのは、今までマルブンをご利用していただいたお客さまを切ることができなかったからだ。
何故なら、今までマルブンを支えてくれた大切なお客さまだったからだ。
オープン準備が整い、細やかながら開店パーティーを開いた。
私がお世話になった、広島のサンマリオの池田社長も来てくれた。
池田社長に、「この場所で流行りますかね」と聞いたら、「まーさん、それは無理だよ」との返答でした。
そりゃそうだ、と私も思った。
オープン数日後、一緒に働いていた仲間が来てくれた。
みんなお店がある環境を見て、「まーさんも終わったなぁ。あのまま広島にいたら成功したのに…」と言われた。
何度もダメだと言われるうちに、負けん気がムニュムニュと沸いてきた。
「創業1923年、いつまでも美味しいが響きあうマルブンでありたいと願います」という言葉が沸いてきて、デザイナーさんに書いてもらい、お客さまが一人になるトイレに掛けた。
これが数年後、マルブンの経営理念になった。