気ままに

大船での気ままな生活日誌

神護寺展(2)国宝・仏像、国宝・頼朝像など 大谷30-30達成 

2024-08-04 21:39:32 | Weblog

こんばんわ。

創建1200年記念でかつ、空海生誕1250年記念の、”神護寺展/空海と真言密教のはじまり”のレポの続きとなりまする。

今回の展覧会の大きな楽しみのひとつは神護寺の本尊、薬師如来立像はじめ主要な仏像さんがそろっておいでになられること。そして、教科書にも出てくる国宝・源頼朝像を含む神護寺三像とよばれる国宝肖像画、平重盛像、藤原光能像もそろって展示される。これらについて、ここに記録しておきたい。前回記したように、古寺巡礼・京都/神護寺(谷内弘照・川上弘美著)も参考資料としている。

前回、紹介した創世記の神護寺から時代は移り、院政期、荒れ果てた神護寺を再興した文覚上人、そして後白河法皇、源頼朝の時代。神護寺を支援した大切な人物ということで、文覚上人、頼朝、後白河法皇とその関係者の等身大の肖像画が描かれ、仙洞院に掛けられていた。肖像画の最高傑作と云われ、国宝指定されている。

国宝・伝源頼朝像 鎌倉時代・13世紀 ハンサムな頼朝像としてよく知られている。ほぼ等身大に描かれた、束帯姿の頼朝像。

国宝・伝平重盛像 鎌倉時代 13世紀 平重盛は後白河法皇に近い立場にあった。

国宝・伝藤原光能像 鎌倉時代 13世紀 後白河法皇の近親として活躍。

しかし、近年、容姿の比較検討から定説を否定し、これらは南北朝時代に描かれ、それぞれ、足利忠義、足利尊氏、足利義詮であるという説が流布している。この新説に対し、前述の書籍の中で、宮島新一は彼らの論処をことごとく否定し、”頼朝像のモデルは、やっぱり源頼朝”としている。ぼくも”やっぱり派”だね(笑)。

文覚上人像 鎌倉時代 13世紀 現物も色が褪せてきているので、このような不明瞭な写真になる。

後白河法皇像(室町時代15世紀)も展示されているが、画像はない。

・・・・・

それでは、神護寺の仏像にお出ましいただきましょう。一部、写真撮影が可能だった。

普段のお住まいはここ、神護寺金堂。

国宝・薬師如来立像 神護寺の前身寺院にまつられていた本尊「薬師如来立像」。量感あふれる造形、威厳あふれる表情は、独特の迫力を生み出し、平安初期彫刻の最高傑作だそうだ。寺外初公開!

重文・日光菩薩立像 ・月光菩薩立像 本尊の両脇に控える。

国宝・五大虚空蔵菩薩坐像 平安時代 9世紀 空海の弟子である真済が多宝塔の安置仏としてつくった像。大部分をひとつの材から彫り出し、その上に木屎漆(こくそううるし)という漆と木の粉を合わせた素材で塑形する。その技法や目鼻立ちの整ったふっくらした顔立ちから、当時最もすぐれた仏像をつくった官営の工房の手によることがわかる、とのこと。

重文・愛染明王坐像 (康円作)鎌倉時代13世紀

四天王立像 江戸時代 17世紀 画像なし

十二神将立像 多くは江戸時代 17世紀 頭に十二支の動物をのせ、薬師如来をサポートする十二神将。

二天王立像 (増長天と持国天)平安時代 12世紀 神護寺の楼門に安置される。ここだけ写真撮影許可。

増長天

持国天

参考にさせてもらった書物。

後期展にもう一度、覗きたい。神護寺展(完)

大谷、ニ安打三盗塁、30-30達成

今日の大谷、34号はなかったが、二安打と三盗塁。33本塁打31盗塁になり、30-30を達成した。ドジャーズ球団では史上4人目の快挙。40-40も間違いないでしょうと解説者。これはたしかメジャー史上5人くらいしかいない。50-40となると史上初。これもいくのでは、と。

パリ五輪、日本選手の活躍つづく。ゴルフで松山選手、最終ラウンドで現在、トップと一打差の3位に。金メタルいくか!サニブラウンの100メートル準決勝3:05〜 決勝 4:50〜こちらもメタルいくか。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

秋明菊開花。立秋はあと三日。

コメント (6)
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