気ままに

大船での気ままな生活日誌

安国論寺のつつじと子規の歌碑

2020-04-30 20:56:36 | Weblog

こんばんわ。

鎌倉大町には日蓮宗のお寺が多く、安国論寺もそうである。日蓮がここで庵を結び、立正安国論を著し、北条時頼に建白した。寺名もこれに由来する。今、つつじが見頃になっている。

山門周辺

山門をくぐるとすぐ、子規の歌碑がある。まだ、新しく、数年前に建てられた。子規の文学碑は鎌倉では初めてらしい。鎌倉では子規の一番弟子で鎌倉に住んだ虚子の句碑(浪音の由比ガ浜より初電車)、虚子の次女、立子の句碑(美しき苔石段に春惜しむ)などが知られている。

鎌倉の松葉が谷の道の辺に法を説きたる日蓮大菩薩(子規)

子規は、1888年(明治21年)と1893年(明治26年)に鎌倉を訪れ、安国論寺にも足を運び、この歌を詠んだ。歌集”竹之里歌”に鎌倉懐古の題で詠んだ中の一首。

日蓮がむすんだ庵、御小庵。今にも、日蓮さんが戸を開けて出てきそうな雰囲気。

この庵の右側に、日蓮の地面についた桜の杖が根付いたという伝説の妙法桜がある。そういえば、鎌足桜伝説も桜の杖だった(笑)。残念ながら、花は散っていた。まだ、一度も見ていない。来年は是非!

残り花かと写真に撮ったら、光の加減で葉が白く輝き、花に見えただけだった。

祖師堂(本堂)

本堂と庫裏の間のつつじの古木

この燈籠は芝の増上寺からのもの。

あちこちに躑躅。燃ゆる如きつゝじが中の白つゝじ (子規)

苔もきれい。エビネ蘭が見頃に。

青紅葉のトンネルを抜けて、山門へ。

帰り道、妙法寺の苔石段を見たかったが、閉めてあった。門前の躑躅だけ撮って帰る。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


妙法寺の苔石段(2015年5月24日)美しき苔石段に春惜しむ (立子)

。。。。。

午後11時、追加 明日、上弦の月

いい夢を、もう一度。

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鎌足稲荷

2020-04-30 08:24:47 | Weblog

先日、浄妙寺で鎌足桜が咲いているのを見て、もう一度、見てこようと出掛けたが、今度はお寺さんが閉まっていて見られなかった。その代わりといってはなんだが、そこから近い、この桜の名前のゆかりとなった鎌足稲荷を訪ねて見た。

浄妙寺を横に見て青紅葉のきれいな道を昇る。

突き当りのつつじを右に上がる。

するとすぐに、神社への石段が見えてくる。

稲荷といってもお狐さんはいない、小さな小さな祠である。後述の物語に白狐が出てくるのでお稲荷さんになったのかも。

説明板があるが、汚れていて読めない。ぼくの愛読書(笑)、かまくら子供風土記にはこう書いてある。

648年(大化2年)、藤原鎌足が願い事があって,常陸の国の鹿島神宮に参拝することになった。その途中、相模の国の由比の里に泊まったところ、夢にひとりの白髪のお爺さんが現れた。わしはおまえに影のようにつき添って守ってやる。今、わしは不思議な力のある剣を授ける。これをこの地に埋めたならば、天下がよく治まるであろう、と言った。夢からさめると枕元に鎌槍が置いてあった。そこで鎌足は身を清め、東に行ってその鎌槍を埋めようとすると、一匹の白狐が現れ、浄妙寺の裏山に案内した。そこに鎌槍を埋め、お堂を建て、七日間こもり、御神楽をあげた。すると、御神楽を舞った男に”今、この地に不思議な剣が埋められた。これからこの地は五穀が実り、人民がが安楽になり、天下がよく治まるだろう、と神のお告げがあった。都に帰り、そのことを天皇に申し上げると、この神社の領地を下され、以後、鎌倉の郡を唱えよ、と申された。鎌倉の名はここからきたと言い伝えられている。

一方、鎌足桜の由来は、鎌足が木更津市の高蔵寺(高倉観音)を参拝した際に、持っていた桜の木の杖を地面にさしたところ、それが根づいて桜の木となったという伝説から来ている。それが、前述の縁で浄妙寺に苗が寄贈されたのだ。きっと、鎌足は鎌倉のあと、由比ガ浜から舟で房総に渡り、木更津市の高倉観音に参ったのであろう。

鎌足といえば大化の改新(645年)の中心人物。中大兄皇子の側近として、蘇我入鹿を破り、新しい世をつくった。のちに天智天皇の内大臣まで登りつめた。栄華を極める藤原氏の始祖である。

そんな大人物の小さな祠の近くの浄妙寺で、今、鎌足桜がひっそりと咲いている。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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安養院のつつじ

2020-04-29 08:51:55 | Weblog

鎌倉・大町の上行寺でコロナ封じを祈願したあと、名越通りをはさんで向かい側にある安養院を訪ねた。安養院は政子の法名で、本堂の裏手に政子の供養塔もある。大紫つつじが有名で、毎年のように訪ねている。

名越通り沿いのつつじが見頃を迎えていた。

通り沿いの出入り口付近。

山門前の大躑躅はまだ五分咲き程度でちょっと残念。

ここが満開になると、山門を入れた風景がすばらしいのだが。

向かい側の大紫つつじは満開。ここはツワブキも有名で、つつじの下でよく育っている。

残念ながら、コロナ対策で山門は閉めていた。鎌倉にはここ数週間、観光客はほとんど来ていないが、GWに向けて門を閉めるところも出てきた。でも、多くは地元の人の参拝や散歩のために開けている。

山門から覗く境内の風景。本堂裏手の政子の供養塔のうしろのつつじもりっぱだが、残念ながら今年は見られない。

安養院の手前の別願寺の藤は昨年の台風のせいだろうか、わずかに房を垂らしている程度だった。

このあと、安国論寺に向かった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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コロナ封じの上行寺

2020-04-28 21:25:48 | Weblog

こんばんわ。コロナ封じをアマビエちゃんばかりに任せておけないと、鎌倉大町の上行寺にお参りに行った。ここは癌封じの寺で知られるが、できものや諸病一切を直すという、瘡守(かさもり)稲荷をまつる稲荷堂と大小の鬼子母神を祀る薬師堂もある。加えて、左甚五郎作の除災の龍もおり、これだけ揃えば、さすがの鬼コロナも退散せざるを得ないだろう

上行寺山門

本堂

本堂の厄除け祖師の表札。認知症、成人病、眼病、良縁、なんでもござれ。コロナもOK!

軒の表欄干の透かし彫りの龍。熊本の細川家がつくったという。

稲荷堂と薬師堂

癌封じだけではなくあまねく悪病を退治。

瘡守稲荷

堂内もお参りできる。鬼子母神さま。

山門には左甚五郎作の除災の龍。

どうだ、参ったか!鬼コロナ!

久し振りのお月さま。

では、おやすみなさい。


上行寺向かいの安養院の大紫躑躅

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アマビエ観音

2020-04-28 09:16:57 | Weblog

おはようございます。

前日の、日曜美術館”疫病を越えて人は何を描いてきたか”の記事で少しふれたが、今、話題のアマビエについてもう少し付け加えてみたい。

疫病退散の妖怪アマビエが有名になったのは、漫画家トキワセイイチのツイッターが発信されてからのようだ。その漫画の一部。

なんと、リツイートが19332、いいねが40628もついたという。

その後、続々と漫画家を始めとするアーティストらが描き始めた。

さかざきちはる

井上涼

中村祐介

ヤマザキマリ

今、これらがコロナ封じのお守りとなっている。

江戸時代でも疱瘡封じなどのお守りがあったようだ。現在の日本人も変わらない。

先日もレポしたが、アマビエは江戸時代の瓦版に登場した。江戸時代、今の熊本に現れた妖怪アマビエは、もし疫病が流行したら、私の姿を絵に描いて皆に早々に見せよ!と告げて海に帰って行ったといい伝えられている。

こういう古書もあり、ここには尼彦(アマヒコ)と書かれている。かわら版はここから引用し、アマビエはアマヒコの誤記ではないかという専門家の話もあった。

三本足のお猿さんのようですね。アマビエの方がスターになりそう。

アマビエお守り。アマビエマスクもほしい(笑)。

厚労省もアイコンに採用。

水木しげるのアマビエ。

大船にはアマビエ観音さまいるので安心!

観音様の被り物をアマビエの長い髪に見立て、木々の影を魚の鱗に見立てれば、見事なアマビエ観音さまです。

わらってゆるして。わっははと笑うのも、身体にコロナ免疫力をつけるようですよ。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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疫病を越えて人は何を描いてきたか 日曜美術館

2020-04-27 11:25:48 | Weblog

おはようございます。

録画しておいたNHKの日曜美術館を昨日、見た。テーマが、疫病を越えて人は何を描いてきたか。コロナに苦しむ現代に格好な話題。それぞれ疫病に苦しんだ時代の日本美術、西洋美術をとりあげ、人はどのように疫病とと向かい合い、乗り越えてきたのかを探る。

日本美術史の山本聡美さんは、国宝・ 辟邪絵(へきじゃえ)を例に、疫病を鬼の姿で表し、可視化することによって、病気と折り合おうとしたのでは、と語る。病という現実を受け止め、それでも生き続けていこう、と。ここでは、鬼を食いちぎり、酢につけて食べる善神が描かれている。

融通念仏縁起絵巻(清涼寺本)

道場の前に集まっている疫病(鬼)たちに、これだけの人が念仏していて署名しているのだから、帰れと談判する。

一方、厳島神社に納められた国宝・平家納経。疫病で悩まされた時代、不安や怖れが、豪華で、美麗なものを求めた。

さて、西洋美術ではどうか。小池寿子さんは中世ペスト期のイタリア壁画を読み解き、疫病の流行を経て、ルネサンスが準備されたと語る。

ピサの斜塔のある聖堂カンポサントのフレスコ画。死の凱旋。蝙蝠のような悪魔が死体から魂を抜き去る。コロナも蝙蝠由来。

この絵のメッセージは、疫病のまん延で神への不信に傾きがちな人々に、悪いのは罪深き人間だ、ひたすら神に祈る生活をと。

こんな恐い絵も。死の舞踏。

苦難の時代のあと、ルネサンスの時代へ。

フィリッポ・リッピ聖母子と天使

ボッティチェリの柘榴の聖母

そして、最後に疫病を追い払う妖怪アマビエの新作も紹介されました。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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ぶらタモリ 火の国、熊本は水の国

2020-04-26 10:43:10 | Weblog

おはようございます。

ぶら美のあとはぶらタモリ(笑)。外出自粛でぶらぶら歩きが少なくなったので、しかたなくテレビでぶらり。

コロナ自粛で困っているのは番組制作者も同じ。大勢の人が関わる撮影が出来なくなり、この日は、アンコールぶらタモリ。テーマは家内の故郷、熊本の、”火の国は水の国”。2016年4月2日放映。ということは、熊本大地震(4月16日)の起こるわずか2週間前。そして、当時のアシスタントは今をときめく桑子真帆アナ。

完璧な熊本城を背景にタモリと桑子アナ。まさかこの2週間後に・・・

ここに現れたゆるきゃら界のカリスマ、くまもん登場。熊本県営業部長として大活躍。6600憶円を稼ぎ出したとか。

さて、熊本のどこが水の国?

街中を流れる川が清く、澄んでいる。実はこれはこんこんと湧き出る湧水だったのだ。水前寺公園の池も湧き水から出来ている。ぼくも実際、見ているが、池の底から湧水が。

どこから湧き出るのか。阿蘇カルデラが出来る前に太古4回の大噴火があった。27万年前から9万年前まで。それらの噴火による火砕流の堆積物が4層に重なっている。その堆積物の亀裂部に大量の地下水が溜まっている。街中の川や水前寺公園の池は9万年前の第一帯水層(Aso4)からのものだという。

さて、もっとびっくりするのが、熊本市民の100%の飲料水を提供する井戸のこと。タモリさんも大興奮。自噴井戸と呼ばれるもので、そのひとつ、市内の健軍水源地を見学。下の写真は自噴する井戸。すごい量の水がこんこんと噴き出ている。

1日に1万5千立方米!ここの水源地だけで、一日、6万立米。熊本市水道の1/4をまかなっているそうだ。

この井戸は第二帯水層からの地下水を取っている。尽きることはない。家内が熊本の水はおいしいと良く自慢していた。ナットク!”火の国・熊本は水の国”にもナットク!

ほかに加藤清正の治水、灌漑工事なども興味深かった。父母が亡くなってから、熊本に行くことが少なくなったが、今度行くときはぜひ、ブラタモリ探検で!

それでは、みなさん、今日も自粛で、お元気で!

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ヒスイカズラの開花が進んだようですよ

2020-04-25 21:30:05 | Weblog

こんばんわ。

大船フラワーセンターのヒスイカズラの開花が進んだようですよ。数日間だけ”臨時開園”した4月9日にフラセンのグリーンハウスを訪ねたとき、数輪だけ開花したヒスイカズラを見て大喜びした。でも、翌日からまた臨時休園になってしまった。せっかく3年振りに、それも温室ではなく、温度がかけられないグリーンハウスで咲いたのに。それも、4、50ものまだ蕾の房をつけていたのに。これが咲きそろえば、あの2016年3月の”伝説の”咲きっぷりに匹敵するのではと期待していたのだ。

その後、ときどき、フラセン公式ツイッターの花便りをチェックしていたのだが、昨日、”ヒスイカズラ開花が進みました”との報告。そして動画も添えてくれていた。たくさんの花房が開花し、見事なものだった。なんとか、その写真を撮ってみた。動いていることもあり、よく撮れなかったが、雰囲気だけは十分、伝えられると思う。

公式ツイッター画像から。たくさんの花房が開花しているのがわかる。

見事な翡翠色。詳しくは公式ツイッターでご覧下さい。

お見事!伝説の2016年に近い!まだ、色づいていないのもあるので、満開のときに、また、お願いします。以下は4月9日のぼくの写真から。

4月9日 まだ三房ほどしか開花していなかった。

伝説の2016年3月の満開のヒスイカズラ!このときはすごかった。

それにしても、直接、見られないのは残念無念。なんとか、再開園のときまで残ってほしい。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

今朝の富士。空には大きな鳥が三羽。なんじゃもんじゃ。

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ロンドンナショナルギャラリー展をぶら美で見る(3)

2020-04-25 11:02:09 | Weblog

おはようございます。

ぶら美で見るロンドンナショナルギャラリー展の第3弾となりまする。今回の要約は以下のブラ美ホームページの漫画でご覧ください。

5章 スペイン絵画の発見 

当初、英国はピレネー山脈の向こうはアフリカだと軽視していたが、スペイン独立戦争で援軍を送り、ナポレオン軍を破って以来、スペイン絵画を再評価するようになった。当時、スペインの人気画家だったムリーリョの子供の絵が英国で大人気を博した。

ムリーリョの”窓枠に身を乗り出した農民の少年”

ムリーリョはマリアさまら天使の絵をたくさん描いたが、子供を可愛く描くのも上手だった。

ベラスケスが宮廷画家になる前、20歳のときの作品。マルタとマリアの家のキリスト。二重構図の絵で、手前に台所の二人の女性、窓枠の向こうに聖書の一場面。お祈りと労働のどちらが大事かとキリストに問う場面。

ニンニクをすっている。おばあさんが絵を指し、何かお小言を。お祈りもしなさいよと言っているのか。

ゴヤの描いたウエリントン侯爵。ナポレオン軍を破った英雄。勲章をいっぱいつけたが、疲れたような表情に描いた。気に食わなかったようで、手元には置かなかったらしい(笑)。一方、スペイン絵画を先駆けて英国に紹介した功績がある。

6章 風景画とピクチャレスク 18世紀後半から、英国では古典的な調和ではなく、不規則な荒々しい絵のような(ピクチャレスク)美意識が流行し、風景画も隆盛した。そこに突如現れたのが、英国美術界のビートルズ、ターナーなんですよ、彼の出現で遅れていた英国絵画はいきなり最先端になったと山田吾郎さん。

ターナーのポリィフェモスを嘲るオデユッセウス

朝日の昇る幻想的な港の風景。ここにギリシャ神話の英雄の物語の一場面が描かれている。巨人ポリィフェモスは雲の中にシルエットで描かれる。当時、英国に居たモネはこの絵に衝撃を受けた。そういえばモネの日の出に雰囲気が似ているわと、高橋マリ子さん。

7章 イギリスにおけるフランス近代美術受容

フランスで印象派そして後期印象派が次々と重要な作品を生産しているとき、この美術館は見向きもしなかった。これに危機感をもって、自分で資金を提供し、これら作品を買い、美術館に寄贈したのがコートールド。えらい!自分でもコートールド美術館をもっている。

以下の作品もコートールドの資金で購入したもの。

モネの睡蓮の池

59歳の作。その後、最晩年まで睡蓮を描き続ける。

ルノワールの”劇場にて”

そして、最後を飾るのがゴッホのひまわり。同美術館のカタログの表紙を飾る一番人気の作品。本展の看板にもなっている。

ゴッホはアルルで7枚のヒマワリを描いた。これは4枚目の作品。それまで青バックだったが、初めて黄色の背景にした。ゴーギャンも気に入って、そのため、その模写的な作品を2枚作製した。5と7で、5が新宿のSOMPO美術館のひまわり。

果たして、世紀の展覧会、東京で開催されるかどうか、微妙。がんばれ、ひまわり、くたばれ、コロナ!

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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宝石のような小さな花園

2020-04-24 11:02:09 | Weblog

おはようございます。

いたち川散歩で、めったに見られない、青い宝石のようなカワセミを見たあと、川の近くのお宅で宝石のような花園を見た。こちらもめったに見られない山野草の可愛らしい花が多く、いたち川散策の折りは必ず立ち寄る。道路沿いに岩山が盛られ、そこに植物が植えられているので、通りすがりの人もお花見が出来るのだ。今が一番の見頃かも。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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