気ままに

大船での気ままな生活日誌

愛車を手放す

2006-09-29 21:42:42 | Weblog
愛車を手放してから、そろそろ2ヶ月になります。手放す直接のきっかけになったのは、続けて2回、バッテリーが上がってしまったことです。それだけ、乗らなかったということです。

大船に来る前は、地方都市に住んでいましたから、車は必需品でした。職場まで、毎日往復20キロ乗っていましたし、休みの日には、買い物に行くにも、図書館に行くにも、外で食事するにも、郵便局に行くにも、公園に遊びに行くのにも、そして成田空港に行くにも、車を使っていました。

大船に来てからは、まず、職場に通勤する必要がありません。毎日、休みの日ですが、買い物は、歩いて数分のところに大きなスーパーが、10分も歩けばアメ横のような駅前商店街があります、図書館へも歩きで行けますし、電車に乗れば、いい図書館がたくさんあります、外食は、中華、和食、洋食、居酒屋、何でもござれ、歩ける距離に、数え切れないほどあります。郵便局は本局がすぐ近くにありますし、鎌倉の公園は駐車場がありませんから、車は使えません、たまに行く成田だって、大船発ナリタエクスプレスがあります、という具合で、車を使う機会が、極端に減ってしまいました。

箱根とか伊豆とか、遠出のドライブをすれば、という人もいるでしょうが、私は運転そのものが、あまり好きではありません。ランチビールも飲めないですし、ゆっくり外の景色も眺められません。加えて、ワイフもドライブが嫌いです。免許証は学生時代にとっていますが、これまでも、運転は私にまかせっきりです。ほとんどペーパードライバー状態でした。二人とも歩くのが好きなのです。

車にとっても、あまりご主人さま(私のことです、ワイフが言ってくれないので、車に言わせているのです)に使われないのも、ほされているようで寂しかったと思います。その上、マンションの駐車場が、地上部のが、くじではずれて、地下部のになってしまいましたので、毎日、暗いところで暮らすようになりました。これでは、ほとんどノイローゼ状態になっていたと思います。一軒家のときは、毎日、ご主人さまのお供をし、やさしいご主人さまが好きな散歩から帰ってきたときでも、ぽんとボンネットを軽くたたいてくれたのに(事実です)、大船に来てからは、それもありません。

こんな使用状態でしたので、まずワイフから、文句が出ました。今日、卵が1箱97円で、安いからといって、ヨーカードーの10時開店に合わせて、行くくらいですから、経済的な問題からです。・・・でも不思議なのは、高いグルメなんかには平気でお金を出すんですよね、女性の心理は分かりません・・・近くに、トヨタのレンタカーのお店が出来たのも、後押しになりました。使いたい時には、レンタカーでいいのではないか、車の維持費とか保険金も要らないし、マンションの駐車料金だって要らない、いいことづくめではないかと、言うわけです。

2ヶ月たちました。結局、車がなくても、なんの不便も感じませんでした。むしろ、気楽になりました。こういう人は車をもつ必要はないと思いました。都会に住む人は、よほどドライブが好きな人を除いて、みな車を手放した方が良いと思いました、都市部の道路の混雑ぶりは異常です、それに、これからは、エコの時代です、少し昔に戻った方がいいと思います・・・・な~んて、エラそうなことを言えるのが、いいですね。車を手放したおかげです。

写真は紫苑です。花言葉は「君を忘れず」だそうです、愛車に贈りたいと思います。

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鈴虫が鳴いてる

2006-09-28 21:24:12 | Weblog
夕方、大船駅の笠間口近くの中華料理屋さん「千馬」で、食事を済ませての帰り道です。洋食レストラン「みかさ」の近くにきたとき、突然、鈴虫の鳴き声に気づきました。あれ、鈴虫だ、今年初めて聴く、と言いましたら、ワイフは、何、言っているのよ、もう1週間前から聴いているわよ、と冷たく突き放されました。

ちょっと前までは、セミの鳴き声でいっぱいだったのに、もう鈴虫なんですね。秋は、初秋から中秋に移っていたんですね。家の近くの砂押川の近くに来ましたら、一層、その鈴の音は大きくなってきました。時々、違う虫の音色も混じり、自然の奏でる音楽のようです。

遠回りして、川沿いをゆっくり歩きました。最近、部屋で、BGM風に聴いている、カーペンターズのカレンの哀調を帯びた歌声のようにも聴こえました。思いがけず、中秋の風情を満喫しました。

ふと、最近読んだ、藤原正彦さんの「国家の品格」の中にあった、文章を思い出しました。藤原さんの自宅に招いた、米国の大学教授が庭の虫の鳴き声を聞いて、何んだ、あのノイズは、と言ったそうです。日本人と欧米人の感性が違う例として示したのです。もののあわれという情緒は、日本人特有のようですね。

良かった、日本人に生まれて。

(写真は今日、訪れた瑞泉寺の境内に咲いていた秋明菊です)


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常楽寺と悲話

2006-09-28 11:52:13 | Weblog
昨日のことです。午前中の雨天が、うそのように、午後3時頃に晴れてきましたので、ついつい外に出てしまいました。私は行き先不明の散歩が大好きです。マンションを出て、女子大の横の提供公園をまっすぐ進み、大船中央病院のところに出ます。立ち止まり、そうだ、久しぶりに常楽寺に行こう、と決めました。ところが、しばらく歩いているうちに、うっかり、曲がらなければならない道を通りすぎてしまいました。じゃあ、多聞院方面に変更だと、そのまま、住宅街の坂道を上がって行くと、見覚えのある公園が見えてきました。ここからも常楽寺に入れることを思い出し、「変更取り消し」にしました。

大船むくどり公園という名の小さな公園に入ると、犬が飛びついてきました。犬好きの私は、屈んで、指をなめさせていました。すると、すみません、よごれたでしょうと、75~78才ぐらいでしょうか、男の人が近寄ってきました。木曾義高のお墓は、ここでしたよね、と尋ねますと、はい、そこですと指をさします。この公園は、常楽寺の裏山の粟船山のてっぺんにあたり、ここに、木曾義仲の長男、義高のお墓があるのです。

お墓の前で、この下にある常楽寺のご近所に昔からお住いの、その方としばらく話をしました。去年は、とくに土日などは、このお墓を見学に来る人で、いっぱいでしたよ、NHKの大河ドラマの義経の関係です、番組の中で、このお墓も紹介されたんですよ、皆さん、言うんですよ、こんな、小さなお墓だとは思わなかった、と。

私は、大船に来てすぐの頃、散歩中、このお墓を偶然見つけ、大変びっくりしましたことを覚えています。義高と大姫の悲しい物語は、ある程度知っていましたから、その義高のお墓が、こんな身近にあることに驚くと共に、見学に来られた皆さんと同じような感想をもちました。

木曾清水冠者義高公の墓と彫られてありました。手を合わせてから、午前中の雨でぬかるんだ小径を、下の常楽寺に向かって、そろりそろりと、下っていきます。途中に、また小さなお墓があります。姫宮の墓とかかれています。このお寺の開基、北条泰時(貞永式目で有名ですね)の娘さんのお墓ですが、大姫の墓と言われていたこともあるようです。まだ、幼い大姫は、「おむこさん」で一緒に仲良く暮らしていた、義高が頼朝の命で殺されてから、ノイローゼになり、その後も、ずっと病気がちでした、頼朝や政子の薦める縁談に目もくれず、20才の若さでこの世を去りました。この悲しい二人の運命に同情し、せめて死後は近くにおいてやりたいという、土地の人のやさしい気持ちが、そうさせたのでしょうね。

茅葺きの山門の額に「粟船山」の大きな字がみえます。あわふね、と読み、大船の地名の由来にもなっています。中に入ると、石畳が続く先に、仏殿が見えます。比較的最近、修復工事をしています。プロジェクトチームによる、その修復過程の報告書を鎌倉図書館で読んだことがあります。仏殿には、阿弥陀如来像などが安置されています。現在、国宝館に保管されている、国指定重要文化財の銅鐘は、仏殿の右側にあったそうです。左側には、落ち着いた感じで、茅葺きの文殊堂があります。明治のはじめに、英勝寺から移したものだそうです。裏に回ると、北条泰時のお墓があります。お参りして、池のある庭園の方に回ります。

私の愛読書のひとつに「かまくら子ども風土記」があります。子ども用だなんて、馬鹿にしてはいけません。とても分かりやすく書かれ、それでいて、内容は落としていません。ただ、この本は、普通の本屋さんには売っていません。鎌倉市役所でしか買えません。その本に、この池の伝説がでていますので、紹介しますね。

この池は「色天無熱池」と仏教的な名前がついていますが、「おたたきの池」という別名があります。その名前の由来の伝説です。常楽寺の、後に建長寺を開かれる、蘭渓道隆のもとに多くの僧が勉強に来ていました、この中に江ノ島の弁天さまがいました、弁天さまは、道隆の給仕として宋から来ていた、乙護童子(おとごどうじ)にいたずらをして、童子を美しい女性に変えてしまいます、童子はそれに気づかず、いつもどおり、道隆のお世話を一生懸命します。そのうち、土地の人が、道隆が美女を寵愛していると、うわさするようになります、童子は、師のため、そして自分の潔白のため、白い大蛇となって大銀杏の木に七回り半、巻き付き、その尾で池の底をたたいたというのです。それで、今でも、この池を「おたたきの池」というのです。

家を出るとき、ワイフから、大船ルミネで日影茶屋のあぶずり餅を買ってきてね、と言われていたので、駅に向かいました。そのお菓子は、自分が大好きな、京都の阿闇梨(あじゃり)餅にそっくりなんだそうです。













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キセノサト・コード

2006-09-27 11:04:35 | Weblog
ダビンチ・コードの本も売れ、映画もヒットしたようですね。私も、流行におくれないようにと、大分前に、映画をみて、本も文庫本の1巻だけ読みましたが、評判ほどには、面白いとは思いませんでした。

昨日、稀勢の里関の記事を書いているときに、四股名に何か意味が隠されているのではないかと思うようになりました。キセノサト・コードがあるのではという疑問が湧いてきたのです。

というのは、鳴戸部屋の力士の四股名は、稀勢関以外は、みな単純なのです。若の里、隆乃若、隆小山、隆の山と言った具合です。鳴戸親方の現役時代の四股名である「隆の里」の2文字と、親方の師匠の「若乃花」の若を、適当に組み合わせて、何の考えもなく、命名しているのです。隆小山だけちょっと違っていますが、これは姓の小山さんに隆をつけただけなのです。子供の名前を考えるのが、めんどくさくなって、一郎、次郎、三郎、末夫、思いがけず、出来てしまったので、しめ男とか、そういう感じでなのです。

ところが、稀勢関だけは、違うのです。熟慮して名前を考えているのです。それも、普通の、常識的な頭では考えつかない名前です。稀勢なんていう熟語は、どんな大きな辞書を探しても出てきません。「きせ(被)」というという言葉がようやく、ひとつだけ出てきますが、和裁縫の関係の言葉です。

でも意味だけから、考えればおかしくないでは、という人もいるでしょう、確かに、稀な勢いのある力士で、十分ではないかと。・・・でもそれならば、わざわざ稀勢なんていう言葉を使う必要がありません、一字で、そういう意味をもつ言葉は、いくらでもあります。それに、キセノサトの語呂が悪いですし、略名もキセしかありません。国技館で応援するにも、”キセー”では奇声をあげているようです。

それで私はこう考えたのです。これは、親方が、将来、おしん横綱二世となる力士の四股名には、自分だけが分かるコードを、組み込んでいるに違いないと。だから、こんな一見変な名前になったのではと思うのです。

たとえて言うなら、自分の子供や孫の名前に、初恋の人の名前の一字を(あるいは、そのまま)そっと忍び込ませている、どこかのご主人(あるいは奥さん)のように、です。

親方は、何のコードを忍び込ませているのでしょうか。やはり、思い出の女性名としか、考えられません。「稀勢」は女性名とはあんまり縁がなさそうです。稀勢子、稀勢江なんて聞いたことがありません。二人いたと仮定します。稀子、勢子も聞いたことありません、きこさま、せいこちゃんならありますけど、漢字が違います。

やはり、だめかと思って、しばらく考えていました。でも、親方がもし名前を忍び込ませるにしても、やはり、もう少しひねっているに違いありません。逆転の発想で、キセノサトをひっくり返してみました。トサノセキ、出てきました。土佐の関です。

ほんとうに、土佐の関というのがあるのか、調べてみたらありました。四国のお遍路さんの27番札所、神峯寺は標高632mの山上にあり、そこに行くには、土佐の関と呼ばれる高知で一番の難所を通らなければならないそうです。なるほど、親方はおしん横綱と呼ばれているほどですから、お遍路を回ったかもしれない、そのときこの難所を越えるのに、太った身体で、相当難儀したので、その苦労を忘れないために四股名に仕込ませた、・・・でしょうか。それとも、それは、土佐のお酒の名前で、鰹のたたきをサシミに飲んだ、その幻の名酒の味が忘れられない・・・、あるいは、それは「土佐の咳」で、当地でひどい風邪にかかり、苦しい思いをした・・・でしょうか。でも、その程度のことで、将来の横綱の四股名に無理して忍び込ませるでしょうか。

やっぱり、思い出の女性でしょう。土佐の関さんでしょう、と私は考えるのです。名前もどこかに潜んでいるはずです。トサノセキ の中に・・・。

とうとう見つけました。もう、ひとひねりするのです。仮名文字がすべて含まれる歌があります。いろはの歌が有名ですが、もうひとつの方です、「ひふみの歌」です。この歌の中にトサノセキの最初のトサを入れるとあぶり出されくるのです。

ひふみよいむなやこともち ろらねしきる ゆゐつわぬ
そをたはくめかうおえに さりへて のます
あせゑほれけ ん

一行目と二行目の真ん中あたりに、ト、サがあります。それぞれ二つ戻ってください。なぜ二つ戻るのかと言いますと、親方とって、2は、極めて誇り高い数字なのです。親方の愛した数式、・・・数字なのです。初優勝が全勝優勝、新横綱での優勝も全勝です。2回の全勝優勝。それもどちらも初がつく、輝かしい記録なのです。親方にとっては、2は、江夏の背番号28と同じ、完全数なのです。

ヤとエです。そうです。名前は八重さん(弥栄さんかも知れません)です。とうとう解読しました。土佐高知にお住まいの、関八重さんが、その人です。

その人が、津軽の初恋の人で、嫁いで、現在,人妻として、土佐におられるのか、高知巡業中に知り合った未婚の女性なのか、までは解読できませんでした。

・・・・・・
あまりに些細な問題の解決に、全精力をつぎ込み、疲れてしまいした。天気も悪いので、今日は家でのんびりしようと思っています。









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稀勢の里、殊勲賞

2006-09-26 09:25:38 | Weblog
大相撲九月場所が終わりました。結局、横綱を目指した白鵬が、期待はずれの成績で、朝青龍が18回目の優勝を早々決めるという、盛り上がりに欠けた場所になってしまいました。でも私にとっては、小結・稀勢の里が千秋楽に、不戦勝ではありましたけれど、見事に勝ち越しをして、初の殊勲賞をとったことが、なによりも嬉しく思いました。

初日に白鵬を接戦の末、突き落としで破ります。この一番で白鵬はおかしくなり、横綱の夢が露と消えます。6日目には、これまで全勝の朝青龍を堂々と寄り倒します。この日は、5大関が立て続けに敗れるという異様な雰囲気の中での結びの一番でした。まだ一度も勝ったことがない、神様みたいな横綱に思い切りぶつかります、得意の右上手でがっちり引きます、寄っていくと小手投げを打たれますが、ぐっと残し、右の上手投げを打ちながら寄り倒しました。稀勢の里、快心の一番です。座布団が舞います。稀勢の里が生涯一番嬉しかった日に違いありません。この2番が評価され、殊勲賞の栄誉に輝きました。

私は、しこ名が萩原と言う時代から稀勢の里のフアンです。十両に上がる前から、将来を嘱望されており、同期の琴欧州、豊の島と、張り合い、切磋琢磨していました。とくに琴欧州に対しては、先に大関になられた悔しさから、ライバル心は煮えたぎっています。

私が稀勢関を応援する理由のひとつに、彼の相撲に対する、一途な思いが伝わってくるからです。いつも真っ向勝負です。今場所は、一度だけ、ちょっと、立ち会いに変化する相撲をしてしまいました。ばちがあったって(笑)、数日後、これも正攻法で有名な安馬に変わられて負けました。安馬も取り組み後、反省していましたが、咄嗟に出てしまうことがあるのでしょう。また、勝っても、有頂天にならず、平常心でいるところも見上げたものです。これは、師匠の鳴戸親方の教育のたまものです。

師匠の元横綱、隆の里関は、糖尿病を患うなど、苦労しながら横綱の職責を全うし、おしん横綱ともいわれていました。そういう師匠ですから、常々「勝っても有頂天になるな、惻隠(そくいん)の情を覚えないといけない」と教えているそうです。苦労人だから、いえる言葉です。

実は、私は稀勢の里関の出身地、茨城県牛久市に、一年半前まで、勤めの関係で、20数年間住んでいました。それも、彼を応援している、大きな理由のひとつです。おしん横綱二世の誕生のために今後も応援したいと思います。

写真は、今場所13日目の国技館に入場してくる稀勢の里関の写真です。この日は残念ながら、岩木山に寄り切られ、勝ち越しはなりませんでした。私もしょんぼりと、両国をあとにしました。

来場所は10勝以上して、是非、関脇昇進を果たしてください。

・・・・・・・・・
余話

そう言えば、神奈川県出身のお相撲さんは、今幕内にいませんね。昔、若羽黒とか隆三杉がいましたが。そのうち、鎌倉出身で四股名が、鎌倉山、大船出身で粟船山(あわふねやま;大船の地名の由来になった、常楽寺の山です)なんていうお相撲さんが出てきてくれれば、いいですね。すぐフアンになります。懸賞もすごいでしょうね、鎌倉山ローストビーフが先頭で、鎌倉ハム、鎌倉ビール、大船軒、大船ルミネとか続き、鳩さぶれは、毎回、黄色の旗を10本たてて回る・・・

そんな日は、どう贔屓めにみても、来そうもないですね。





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秋日和、彼岸花を

2006-09-25 10:58:45 | Weblog
秋日和の日でした。つい陽気に誘われて、ふらふらと、彼岸花見物に出かけました。突然、お彼岸の頃に現れ、アッというまに消えていく潔さは、春の桜にも似て、私は大好きです。

行き先は、浄光明寺と八幡宮東側の土手沿いです。どちらも、先週見に行ったときは、まだアスパラガス状態で、花茎が20cmくらい伸びている程度でした。でも、これらが咲きそろうと、見事だろうなという期待は抱かしてくれていました。

どちらも、期待した通り、見事なものでした。浄光明寺の境内の一画に円形に囲った、彼岸花園があります。そこの彼岸花が、一斉に真っ赤に、燃えるように咲き誇っていて、あまりのあでやかさに、しばし、見とれていました。まさに旬の彼岸花です。それに、これだけ、まとまった数の彼岸花を限られた広さの中で、見られるところは、めったにありません。大変満足しました。

八幡宮の東側の赤い鳥居を出てすぐ、右に連なる柴垣沿いの彼岸花も見事でした。こちらは直線上にずらりと赤い花が並び、後ろに咲きそろう萩の花の影を薄くしてしまうほど、炎の色を強く印象づけます。片道切符ではもったいなく、ついつい往復切符で見学してしまいます。

浄光明寺の円形彼岸花園と八幡宮の直線彼岸花園、対照的なので、ちょっと考察してみました。円は、まるく納める、ゼロにも通じ、無の境地です。仏教のお寺にぴったりです。一方、八幡宮は頼朝が源氏再興の旗上げをするための守り神でした。直線は、どこまでも突き進む力を表します、直線は数字の一、に通じます、ものごとの始めで、幕府の開始です。こういう意味が隠されているのではないでしょうか。・・・・こういうのを屁理屈といいます。

タイトルの秋日和と彼岸花。どこかで聞いたようですね。そうです、松竹大船の小津安二郎監督の映画の題名です。これらの作品はどちらも、小津監督がお好きな、里見(とん)さんの原作なのです。小津さんは北鎌倉の浄智寺の裏にお住まいでしたし、里見さんは、まさに、浄光明寺のすぐ近くに居を構えていました。きっと、お二人とも、今日のような秋日和の日に見た、お寺の彼岸花が強く印象に残っていて、自然と題名が頭に浮かんだのではないかと思います。

「彼岸花」は、1958年の作で、小津さんの最初のカラー映画作品だそうです。彼岸花の燃えるような赤い花が、映画の重要場面で、クローズアップされているに違いありません。ぜひ一度、みてみたいと思っています。





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お彼岸

2006-09-24 08:41:25 | Weblog
前日、両国の国技館で大相撲をみて、大船には帰らず、川崎の実家に泊まりました。81才になる、母がひとり住まいをしているのです。足腰が少し弱ってきていますが、まだまだ元気です。今朝も早く起きて、庭の100鉢以上もある、お花が中心の植物の水やりを済ませました。ご近所の道路の掃除も日課です。昨日は、隣家との境界に植えてある、椿の剪定をひとりでやったと得意気です。

今日は、お彼岸の中日ということで、一緒に、父のお墓参りに行きます。父のねむるお寺は、同じ川崎市といっても、タクシーで2000円くらいの距離にあります。お寺に到着しました。やっぱりお彼岸です、いつもと違います。人も多いですが、境内のあちこちに赤い彼岸花が目立ちます。本当に彼岸の頃に咲きそろうのですね。いい名前をつけてもらいました。

しばらく客殿の休憩室でご住職の奥様とお話をしました。昨年が父の13回忌でしたので、お寺さんとのおつきあいもながくなり、親しくさせていただいています。私が言うのもなんですが、母は結構、社交性があり、お寺の檀家の懇親会などでも会を楽しくさせているようです。そんなおつきあいの中で、奥様は、うちの母のことについて良く知っていらしゃるようです。

母は、毎晩、お酒を1合飲み、たまには数人の仲間と近所の行きつけ居酒屋でいっぱいやり、そのあとで、カラオケ・スナックで、おはこの、藤あや子の歌を数曲唄います。朝は、植物の世話をし、午前中のテレビのワイドショーをみて(小泉首相の大ファンで、彼がでてきてから、政治のことに急に詳しくなりました、なんだか、解説者の鳥越俊太郎さんもタイプのようです)、午後は友達と川崎駅に出て、お店を回ったり、お遊びをしたりして楽しんでいます。

奥様は、私の母が今日もこうして元気でいることを誉めてくださり、ご自分の関係の方も、すぐ100才になるのですが、毎晩お酒をいただき、頭もはっきりしているし、テレビや音楽を楽しんでいますよ、とおっしゃいました。上には上が、いるもんですね。母もいい目標ができました、と喜んでいました。

お墓にお参りしていると、お墓の向こうの空の雲が急に切れ、後光のように日が射してきました。父が喜んでいるようでした。しばらく、お供え物の缶ビールを飲みながら、父と話しました。私は心の中で話しますが、母はいつも、(たとえ近くにほかの人がいても)・・元気でやっているから安心してね ・・家族の、だれそれがどうした・・とか、声を出して近況報告します。

このお寺は、由緒のある古刹として知られています。お彼岸のときにしか拝観できない、国指定重要文化財の木造薬師如来両脇侍像や十二神将立像も拝ませていただきました。母は大銀杏の近くの六地蔵の前で何かをお願いしていました。

これから何年も、できれば母が100才くらいまで、こういうお彼岸を迎えられればと願っています。



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酔芙蓉(すいふよう)

2006-09-22 11:56:58 | Weblog
大船フラワーセンターは何時行っても、期待を裏切りません。今日も、面白い花を見つけました。酔芙蓉(すいふよう)です。ふつうの芙蓉より、1週間ほど遅れて咲くそうです。

この花は朝の咲き始めは、白いのですが、そのうち、赤みがさしはじめ、だんだんと赤みを増し、夕方には、すっかり赤くなるそうです。その様が、まるでお酒によっぱらっているようなので、酔芙蓉と名付けられたそうです。私がみているときは、美しいピンク色でしたから、ほろ酔い加減と言ったところでしょうか。風にふかれて、そよいでいましたので、まさに、酔っている風情でしたよ。曇りの日は、翌日まで、赤い顔をしているらしいです。これでは、二日酔いと言われても仕方ないですね。

粋な名前をつけてもらって良かったですね。「すい」という語感も上品ですし、花自身も、品のある美しさです。鏑木清方さんの画に出てくるような、浴衣姿のお色気美人が、ほんのり酔って、ひざをくずしている様子をイメージできます。

もしこれが、「酔いどれ芙蓉」とか、椿のわびすけに対抗して、「のみすけ」なんてつけられていたら、ずいぶん違ったイメージになってしまいますね。奥さんへのおみやげを手にもって、千鳥足でフラフラしている、どこかの、だめ親父を想像してしまいますね。

さるすべり、むくげ、こすもす、紅白の彼岸花、おとこえし(男郎花)、パンパスグラス等が見頃ですよ。押し花展もやっていますよ。そして、なによりも、酔った私をみにきてくださいね。 フラフラセンター すいふよう より。

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横浜散歩は面白い

2006-09-21 19:35:53 | Weblog
暑いくらいの日でした。昼前、ワイフと横浜散歩に出かけました。大船から磯子線で関内へ出ます。まず、腹ごしらえです。馬車道近くの、「わかな」という老舗の鰻屋さんに行く予定でしたが、定休日でした。そこで、馬車道の一本向こうの道を歩いていくと「勝烈庵」の看板がみえてきました。20日は、10%引きという張り紙も出ていました。ワイフは、こういうのに敏感です。予想したとおり、ここにしよう、という一声で決まりました。鎌倉にもありますが、ここが本店です。創業79周年の老舗だそうです。

私はロースかつ定食、ワイフは勝烈定食(ひれかつのようです)を頼みました。どちらも1370円です。二階席だったのですが、驚きました。回りの壁いっぱいに、棟方志功さんの版画が、飾ってあるのです。調理室の前の壁には、3枚組の額がふたつ、かけてありました。近くに寄ってみると、マリンタワーや三渓園など、横浜の景色を版画にしたものでした。これは、ここの主人が志功さんに直接、制作依頼したに違いないと思いました。かなり親しい関係なのではと思いました。

その通りでした。部屋の片隅に、その関係の文章をつづった貼り紙がありました。昭和22年に、ご主人が益子の浜田庄司さんを尋ねてたきの旅館の部屋の床の間に志功さんの赤不動の掛け軸が飾ってあり、それに感動し、それ以来、志功さんの作品の蒐集をはじめた、という趣旨のものでした。

きょろきょろしながら、食事をしていました。まるで棟方志功美術館の中で食事をしているようでした。こんな贅沢な部屋で、食事をするのははじめてです。とんかつもおいしくいただきました。追加にお願いした、キャベツもたっぷりでしたし、大満足です。ワイフは、とんかつといえば、目黒のとんきです。ほかの、どのトンカツ屋さんに入ってもほめたことはありません。ここはどうかと聞いてみました。総合的に判断すると、とんきと互角と、政治家みたいな論評がかえってきました。値段とか家からの便とかを加えると、ここもいいということのようです。これは、ワイフとしては、かなり高い評価です。私は、この雰囲気だけで、合格点をあげます。

馬車道を海辺に向かって歩き、赤煉瓦倉庫前に着きました。大分暑くなったてきましたので、倉庫の日陰で、しばらく休みました。もう秋ですね、日陰に入るとぐーんと涼しくなり、海風も心地よく、うとうと、としてしまいます。熟年夫婦や若いカップルも近くで、ぼんやりと腰掛け、ベイブリッジを眺めています。静かな時が流れます。

赤煉瓦倉庫内の横浜スカーフのお店をみてから、海辺のプロムナードを歩き、山下公園に向かいます。氷川丸が見えてきました。ワイフは一度も入ってことがないと言うので、覗いてみることにしました。エンジン室、船長室、客室、食堂など船内施設が、ほぼそのままの状態で見学できます。また、氷川丸の歴史や、豪華客船の現状などの展示室もあります。この船は、昭和5年に竣工し、戦時中は病院船として徴用され、戦後、28年に客船として、復帰し、昭和35年まで、横浜・シアトル便として活躍しました。

フルブライト留学生や宝塚歌劇団(寿美花代さんや天津乙女さんの時代)が米加公演のために利用し、話題になったそうです。私の以前の職場の先輩W氏も米国留学の帰りに、この船を利用したそうです。彼から、船上で知り合った女子大生との楽しい(悲しい?)話しをときどき聞かされました。誰にでもある青春時代のお話です。

客室見学もできます。チャップリンも利用したという特別室は、ツインの寝室の他、専用バスと立派な応接室までついています。それに引き替え、3等室は、3段ベットで、1部屋6人という狭さです。えらい違いです。W氏は、ここで何週間か、過ごしたんですね。W氏が、これをみたら、きっと、キャンデーズの「微笑み返し」じゃないけれど、・・おかしくって 涙が出そう・・ になると思うのです。

日本大通りの手前の道を駅に向かって歩いていくと、鎌倉山ローストビーフのお店を見つけました。本店は、鎌倉山にあり、この春に桜見物のときに傍を通り、一度は是非行きたいと、ワイフが言っていたお店です。ここにも支店があるんだと、ワイフは、入り口に出ているメニューを子細に検討していました。割引の日はあるんでしょうかね、と言ったので、私は、・・おかしくって 涙が出そう・・、になりました。

横浜散歩は面白いです。






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日曜美術館30年展(完)

2006-09-20 10:31:16 | Weblog
第1章の「夢の美術案内」ビデオコーナーで早速、釘付けになりました。あの作家が、この画家をこういう理由で好きだったのか、なるほど、わかる、えっ そうなのと、一回り10分間ほどのビデオを、食い入るように、繰り返し見てしまいました。昭和50年代の放送ですから、当然ですが、皆さんみな、お若いです。亡くなられ方も多くいらっしゃいます。5人分をまとめて10分の、さわりだけですが、本当に貴重な映像です。

司馬遼太郎さんは、前衛彫刻家の八木一夫さんがお好きで、作品としては「ザムザ氏の散歩」が一番だといいます。前田青とんさんの「洞窟の頼朝」とか片岡球子さんの武将の顔シリーズなら、なるほどと思うのですが、意外でした。司馬さんは、言います。八木さんは、一見悪意の固まりのような人、あるいは、非常に透明度の高い精神をもつと言い換えてもいいかもしれない、全く飾りのない人だ。こういう人の作品をみていると、私のような、借り物で仕事をしている者には、いつも、お前裸になれと、言われているような気がするんですよ。

野坂昭如さんは、鏑木清方さんです。清方さんは、美人画家だけど、その範囲にとどまらない昭和を代表する文化人だ、昭和の時代の変わり目を生き、その時代をありのままに描いた、これほどの人はいない、心寂しいときは、この人の絵をみると元気になれる、と激賞していました。小町通りの鏑木清方美術館には時々散歩の途中、寄りますが、また近い内に覗いてみたくなりました。

白州正子さんは黒田清輝さんでした。自宅の食堂の鎧戸の前に清輝さんの作品「読書」が飾ってあって、鎧戸からの光の加減がちょうどよく絵に合っていて、それを食事のたびに見ていたそうです。さすが名家ですね、こんな名画がいつも見られるのですから。うちなんか、せいぜいカレンダーの名画です。子供のときから、こういう、いいものを見ているから、後年、美的感覚がとぎすまされるのでしょうね。

手塚治虫さんは鳥獣戯画でした。これは、やっぱり、納得と言ったところですね。漫画の原点だそうです。現代でも通用する、とてつもない作品だそうです。天才は天才を知るですね。

池波正太郎さんはルノワールです。ルノワールといえば、若い女のヌードだが、ヌードがいいというわけではなく、その裸体の表現している生命力というか、活力ですね、あれは、ルノワールが絵を描いていた時代でないと、出てこない、と語っていました。また、家族と一緒に、わいわい騒ぎながら、仕事を進めているところが自分と似ていて好きだ、とも言います。最近、池波さんの「食卓の情景」を再読していますが、池波さんの家庭の様子が描かれていて面白いです。わいわい、とは言っても、はじめのころは、嫁と舅の関係で苦労され、そのうち、楽しい関係になったようです。確かに、家庭が面白くなければ、能率よく、いい仕事はできませんね。

ビデオ放送には入っていませんでしたが、展示の方で拝見した、住井すえさんの小川芋銭さんの推薦文に興味を覚えました。どちらの方も、牛久にお住まいだった方です。私も、そこで20数年間住んでいましたので、お二人の方は存じておりました。住井さんは、牛久沼のほとりに住んでおられ、晩年はときどき講演もされ、お聴きしたこともあります。芋銭さんは、墨絵のようなカッパの絵をよくお描きになり、かっぱの芋銭として名が通っています。住井さんが激賞した絵は、カッパの絵ではなく、トウモロコシの色づけの絵で、葉が風にそよぎ、穂から花粉が飛んでいるような、風情を描いた「夕風」という作品でした。命を宿そうとする、とうもろこしの、葉のそよぎが、何ともいえず、いい、言われたそうです。ちなみにトウモロコシの花粉はどの植物より遠くに飛ぶそうです。命を真正面から見続けてこられた、住井さんらしい感想です。

アトリエ訪問のビデオも楽しいものが多くありました。浜田庄司さんが陶器の模様をつくるときに、流しかけという、肝心要な作業を行います。15秒ほどで終わってしまいます。そのときの浜田さんの言葉が面白かったです。よく、聞かれるんですよ、15秒で、なんで、そんなに高価なんですかって。そのときは、こう答えるんです。皿をつくるのに、60年と15秒かかってんです、と。

とても楽しい美術散歩でした。1500回、続くはずです。

(完)


















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