気ままに

大船での気ままな生活日誌

海蔵寺の初秋

2024-09-02 22:00:45 | Weblog

こんばんわ。

迷走台風がようやく消え、空も晴れ上がったので、久しぶりに海蔵寺に出掛けた。9月初めというと”初秋”だが、まだ残暑がきびしい晩夏と言った方が似合いそう。さて、どんな花が咲いているか。

山門前の萩。まだひとつも咲いていない。猛暑のせいか。

山門をくぐると鐘楼前に2メートルほどに伸びた紫苑が今にも咲こうかという風情。ようやく、開花したばかりの花を見つけた。

紫苑の初花。

芙蓉は今が盛り。

本堂 開山の心昭空外坐像が安置されている。

本堂の右隣リの庫裏にからみつく凌霄花

本堂脇のやぐら前に咲くタマアジサイ

本堂裏の庭園と書院

赤とんぼ

仏殿(薬師堂)

仏殿内には、本尊の薬師如来坐像が安置され、その両脇に日光菩薩像と月光菩薩像、さらにその脇には十二神将像が控える。

ムラサキシキブが色づいてきた。

十六井に向かう道には秋海棠。

十六井。洞窟内に掘られた井戸。地面には16個の穴あり、それぞれから水が湧き出ている。

初秋の花々を楽しみ、まだまだ暑い中、鎌倉駅まで歩く。途中、寿福寺の木陰で休んだ。

ふと目をやると、盗人萩がもう満開だった。

実が盗人の足跡みたいに見えるのでこの名がついた。皇居の東御苑にもたくさん忍び込んでいる。

次回は、萩も紫苑も咲き揃う頃に。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

盗人萩の実。大谷選手、今日は盗塁もなし。明日は2盗塁1本塁打で45-45を決めよう!

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新札の北里柴三郎さんにご挨拶 大谷44号

2024-09-01 21:58:25 | Weblog

こんばんわ。

先日、新千円札の北里柴三郎に初対面した。ぼくは現金を使うことが少なくて、たまたま現金しかだめという都内の美術館の入場券のおつりの中に混じっていたのだ。はじめまして、ご挨拶申し上げます。

ぼくは北里柴三郎には馴染みがある。ぼくが時々訪ねる鎌倉の富士見の名所、稲村ケ崎の丘の上にコッホ博士に碑があり、そこにコッホ博士と並んだ北里柴三郎の写真があるのだ。

石碑の右下の説明板の中にこの写真がある。新札のお顔と同じです(笑)

説明板にはこう書かれている。コッホ博士は結核菌やコレラ菌を発見し、1905年にノーベル賞を受賞し、1908年(明治41年)、彼が65歳になったとき、二度目の妻を伴い、世界漫遊の旅に出た。そのとき、弟子の北里柴三郎が招待し、日本に2ヶ月ほど滞在した。鎌倉が気に入り、ひと月ほど海浜ホテルで過ごし、ここの景観を好まれた。富士山と江の島が並ぶ景観。

北里柴三郎はどんな人?子供の頃、伝記を読んだはずだが、すっかり忘れている。そこで図書館で手にした本が、山崎光男著”ドンネルの男/北里柴三郎”だった。これがとても面白く、北里ファンになった。

北里は明治政府の要請で、ドイツのコッホ博士の元に留学し、破傷風菌、ペスト菌を発見、さらに、ベーリングと共に破傷風(ジフテリアも)の血清療法も確立する。この研究が、第一回ノーベル生理医学賞候補になったのだが、本来ならば、共同受賞のはずだが、ベーリングの単独受賞となった。

2016年の円覚寺夏季講習で白駒妃登美さんが、”志高き日本人の物語”というテーマで講演されたが、それは北里のことだった。”志高き日本人”としての北里は、その後の行動に面目躍如たるものがある。いよいよ帰国となるのだが、これだけの業績をあげた学者だから、ドイツのみならず欧州の大学、研究所が放っておくはずがない。何とケンブリッジ大学が研究所長のポストと多額な研究費を用意して招いたという。しかし、北里は見向きもしなかった。自分が多額な国費を使って海外留学したのは、帰国してから、黎明期の日本の医学に役に立つためだ、食い逃げするわけにはいかない、と。

そして、帰国するのだが、日本で研究を進めるのには困難を極めた。母校の東大医学部と対立し、途方にくれていたとき、手を差し伸べてくれたのが福沢諭吉だった。多額の費用を援助し、私立伝染病研究所をつくってくれた。その後、国立に移管され、志賀潔ら優秀な研究者が育った。さらに、これが東大付設にされるとき、ここを飛び出し北里研究所を創設した。その後、福沢諭吉の恩義を一生忘れず、彼が創設した慶応大学に医学部ができたときに、無給で医学部長を務めたという。

北里ゆかりの地をいくつか訪ねている。

北里柴三郎が留学していたコッホ研究室のあったベルリン大学(現フンボルト大学)。2013年東ドイツ旅行にて。

この近くにあるアルテ・ナショナルギャラリー(旧国立美術館という意味)1876年設立なので、当時からあった。北里は研究熱心で美術館には行かなかっただろう。同時期、森鴎外もベルリンに留学していて北里とも会っている。彼は絶対に美術館に行っているはず(笑)。

北里が所長を務めた旧伝染病研究所。現在東大医科学研究所であるが、伝研以来のレトロな建物。1937年(昭和12年)、内田祥三設計とのこと。外壁はスクラッチタイルを用い、車寄せのポーチには連続アーチが。

”近代医科学記念館”もある。

北里柴三郎と業績集

現千円札の野口英世のコーナーもある。

なんと、稲村ケ崎のコッホの碑の写真の元もここにあった。

北里柴三郎の生家は阿蘇の小国町。ここにも記念館があり、何十年も前に一度、訪ねたことがある。小さな古びた記念館だったように記憶しているが、現在はこんなふうになっているようだ。機会があれば、もう一度。

国立印刷局の特設サイトより。

お札の表面には、破傷風血清療法の確立、ペスト菌の発見のほか、伝染病研究所、北里研究所を創立し後進の育成にも尽力した北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)。裏面には、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の代表作で知名度も高く、世界の芸術家に影響を与えた「富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)」を描いています。

大谷44号、打点もトップに

大谷、二試合連続の44号ホームラン。これに続いて、ベッツ、フリーマンのMVPトリオが3連続ホームラン!ドジャーズ史上初の快挙。

大谷は、8月、12本目のハイペース、昨シーズン、ア・リーグでホームラン王を獲得したときの44本と並ぶ。ナ・リーグでのホームラン王も見えてきた。2位のオズナに7本差に。打点も首位タイとなり、現在、二冠。さあ、終盤が楽しみだ。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


ベルリン絵画館にて。

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