気ままに

大船での気ままな生活日誌

柳宗悦展 そごう美術館

2011-10-31 11:22:34 | Weblog

柳宗悦についての、ぼくの関心度は高く、このブログでも何度も記事にしている。宗悦が新婚時代、5、6年ほど住居をかまえていた安孫子(手賀沼)の旧宅の見学に行っているし(嘉納次五郎旧宅跡のとなり)、駒場の日本民芸館にも何度か足を運んだ。そごう美術館でも、これまで、”観じる民藝展(尾久彰三(おぎゅうしんぞう)コレクション)”や、宗悦が再評価した木喰の”生誕290年・木喰展/庶民の信仰・微笑仏”展など観ている。だから、ある程度の知識はある。一方、忘却の彼方のも多い(汗)。今回、そごう美術館の、”没後50年、日本民芸館開館75周年記念/柳宗悦展”で、忘却の彼方の知識を呼び戻しに行った。

宗悦が一目ぼれした朝鮮の染付秋草文面取壷が置いてある。1914年、浅川氏が手みやげに持参したものだそうだ。白地に淡い染付、そのやわらかな表情にぐっときた。まさに、知識より直感でみよ、だ。それがきっかけで、宗悦といえば朝鮮陶磁器の蒐集が始まった。ぼくもこの”歴史的な”染付に目をこらした。もうひとつ、”歴史的な”彫刻に目をこらしたものがある。木喰仏”地蔵菩薩像”だ。1924年、甲府市郊外の小宮山宅で出会った。これにもびびっときた。美美っ(微笑)ときて、略奪婚(笑)(贈呈されたというが)。それ以来、350体の木喰仏を発見。隣りにあった、お酒のいっぱい入った(たぶん)大きな瓢箪をもつ木喰仏もそのひとつ。こちらもとてもいい(汗)。

先住民族へのやさしい眼差し。琉球には何度も訪ねているが、方言を使わないように指導する県学務課に抗議し論陣をはる。方言もうつくしいと感じたのだろう。ぼくも方言が大好きどす。アイヌ民族に、そして当時、統治下にあった朝鮮民族に対して向けていた眼差しと同じであった。展示物もすばらしい。琉球の紅型ははじめとする様々な衣装や陶器類。アイヌの衣装、刀下げ帯、首飾り、木彫品、小刀など。

もちろん、我が国の民芸品も。江戸期以降の、絵馬や大津絵など、丹波布(京阪で丁稚の布団生地につかわれていた)、金具屋の看板まで。美はどこにでも転がっているのだ。みていて、みていない。美醜の”基準”をとりはらって、ものをみなければならない、みたいなことも宗悦は言っている。旧来の茶道にも疑問の目を向けた。茶事に心を入れる人は、とかく茶事にとらわれの身になる、そんな不自由さは茶にはないはずである、と家元制度や鑑賞眼の固定化に首をかしげた。で、民芸品などをつかった茶会を自ら、何度か開いている。

多くの著書も展示されている。若いときの”科学と人生”、”ウイリアム・ブレイク”、晩年の”美の法門”など。宗教哲学者としての柳宗悦の足跡も忘れてはならない。

12月4日までです。お近くの方はどうぞ。



 

 

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フラワーフェスティバル

2011-10-30 09:38:54 | Weblog

この土日、大船フラワーセンターはフラワーフェスティバルで沸き立っている。日本人なのに何故”花祭り”と言わないか。おしゃかさまの花祭りと混同して、お年寄りが大挙してお参りに来られては困るからです。

これに合わせて、神奈川県菊花大会も始まりました。こちらの方はしばらく続きますので、あわてないでごゆっくり。子供さんに植物探検ラリー、竹のおもちゃで遊ぶコーナー、植物クラフト作りコーナーで遊ばせたいお母さんは、土日のフラワーフェスティバルしかありませんので、あわてて、急いで、転ばないでください。トン汁や焼きそばの好きなおじさん、おばさんも今日しかチャンスはありません。缶ビールは売っていませんので、外で買って、こっそり木陰で飲んでください(汗)。秋の寄せ植えコンテスト、ハンギングバスケットコンテストもありますので、いつもやってる方は点数をつけてやってください。

数日前、フラワーセンターに行ったばかりですが、秋薔薇が一気に咲いてきました。最高の見頃になっています。ダリアもコスモスも見頃。つわぶきも咲きはじめました。

では、フラワーフェスティバルで沸き立つ植物園をご紹介します。

 

ダリア

ひばりさんが愛した薔薇

つわぶき

開花前

 

 

 

 

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夜明けのうた

2011-10-30 08:25:49 | Weblog

昨日は夕焼け空に、阿久悠作詞の”また逢う日まで”を貼り付けた。今朝は朝焼け空がとってもきれいだったので、また、阿久悠の歌詞を貼り付けようと思った。できれば、阿久悠自身が自信作といっていた、高橋真理子の歌った、”五番街のマリー”がいいと、貼り付けてみた。でも、歌詞と朝焼け空がどうもしっくりいかなかった。

五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
どんな暮らししているのか 見て来てほしい
五番街は古い街で 昔からの人が
きっと住んでいると思う たずねて欲しい

マリーという娘と 遠い昔に暮らし
悲しい思いをさせた それだけが気がかり
五番街でうわさを聞いて もしも嫁に行って
今がとても幸せなら 寄らずにほしい

この詞だと、たとえば、川瀬巴水の夕暮れどきのブルーの街並の版画絵をバックにするといいかもしれない。やっぱり朝焼け空には、朝のつく題名の歌謡曲がいいかなと思った。美川憲一の”女の朝”にしようか、♪朝がきたのねさよならね 街へ出たならべつべつね♪ それともペドロ&カプリシャスの”別れの朝”♪別れの朝 ふたりは さめた紅茶 のみほし さようならの くちづけ わらいながら 交わした♪ 

でもどちらも別れの歌。朝からこんな歌詞を目にしたら、わたしはもうがまんできない、娘をつれて別れよう、なんて決意される女性が出てくるかもしれないし、責任問題にもなる。やはり、苦しくってもがんばってみよう、というような歌詞がいい。というわけで、岩谷時子さん作詞の”夜明けのうた”にしました。がんばってくださいね。

目が覚めると窓ガラスが赤い

窓を開けると、夜明けのうたが流れて来た


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神田古本まつり

2011-10-29 16:42:40 | Weblog

お祭り好きのぼくですが、お神輿や山車のお祭りだけでなく、古本まつりも大好きです。文武両道(爆)。神田神保町といえば世界一の古本屋街。163店もの古本屋さんが集まっている。そのお祭りというのだから、世界一の古本まつりといって過言ではない。それにしても、日本人って、なんでこんなに古本が好きなのだろうか。江戸時代の本までちゃんと残っていて、商売になるというのだからすごい。和本は長持ちするということもあるかもしれない。そんな古い本でなくても、大正時代や昭和の雑誌なんかでも、買ってみようかという人がいるのだから、本好きな国民性といってよいだろう。ぼくも若いときは古本をよく買ったが、もう年で、本はどんどん整理している方だから、めったな本が現れない限り、買わない。でも、こういう雰囲気は大好きだ。だから、こうして神田古本まつりに現れるのだ。

はじめに、東京古書会館でやっている”特選古書即売展”を覗いてみる。江戸時代の和本が中心だが、端っこに、”ひまわり”とか”それいゆ”などの少女雑誌があったり、浮世絵が架かっていたりする。そこにはなかったけど、カタログをみると、買いたくなるような本もある。

そして、外に出て、駿河台下から靖国通りを地下鉄神保町駅方面に向って歩く。古本屋さんはみな北を向いている。日が当たらないようにしているためだ。そして、お祭りだから、向いに露店も出している。そこに人が群がっている。ぼくも一緒になって立ち読みしたりした。もちろん、お店にも入る。去年も入ったいくつかの、はずせないお店ではゆっくり、古書や美術品を眺める。豆本ばかり扱っているお店なんかもある。北杜夫さんの絵もあった。いい値がついていたが、すぐ値上りするだろう。たまに理系の古本屋さんもあるが、あまり需要が多くないらしく、値段もそう上がってはいなかった。温故知新ということもあるが、科学者は最新の知識を求めるからしょうがないとも、思った。

あっという間に時間がたって、帰ろうしたら、まだ、靖国通りの半分もみていなかった。それに白山通りや脇道にもまだまだ沢山あるのだから、全体の1/4しか歩いていないことになる。11月11,12日に古典籍展観入札会というのがあるので、また出掛けてみたいと思っている。

一冊だけ、古書を買いましたが、はずかしいので、何を買ったか公表しません(汗)。


特選古書即売展のカタログから

古本屋街

これも面白いですよ



 

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阿久悠記念館オープン

2011-10-29 08:40:05 | Weblog

神田の古本まつりから帰ってきたら、大船の夕焼け空がとてもきれいだった。そうだ、今日は特別な日なのだから、夕焼け空の写真を撮って、その上に、阿久悠さんのヒット曲”また逢う日まで”の詞を貼り付けて記念に残そうと思った。

特別な日ってなあに?
ぼくが、明大通りを歩いているとき、大学のビルのひとつに”阿久悠記念館”の大きな看板が目に入った。えっ?そんなのなかったはず、それに、あれば是非みてみたい、とビルに入った。すると、ななななんと、今日、オープンするというのだ。オープニングセレモニーが二時からある予定で、まだ開いていないが、阿久悠記念館の外観とガラス越しに中の様子は分かる。

もちろん、入場者はまだゼロ。セレモニーに参加する関係者さえ来ていない。係りの人がいるだけ。ということは、実質、阿久悠記念館に、たぶん一般人としては世界最初に足を踏み入れた人(正確には覗いた人)になったのだ。今後、どれほどたくさんの人が訪れるかもしれない、日本一の作詞家の記念館に一番で覗いた。これは記念すべきこと以外のなにものでもないのだ(汗)。えへん。

外壁には阿久悠作詞のレコードジャケットが山のように貼られていた。たいていぼくの知っている歌謡曲。ピンクレディーのや、五番街のマリー、勝手にしやがれ、時代おくれ、津軽海峡冬景色等など、あの頃のヒット曲はみんな誰もが知っていた。そして、室内にはこれまでの受賞トロフィーらしきものがたくさん飾られている。彼の詩や文章の映像も流れていた。そんなに広くはないから、一望できるのだ。

何故、明治大学に阿久悠記念館か。隣りの大学博物館を覗いて知った。古賀正男、植村直己、そして人間国宝の人たちなど、著名な卒業生5名の中に彼の名前をみつけた。

その日、大学創立130周年記念として、創設者、3名の胸像の除幕式も行われていた。これも、一般人としては、たった一人の見学だったのではないだろうか。何とも幸運な一日だった。帰って、暦をみたら、大安だった。なるほどと思った。八幡さまでも結婚式が多かったと、野点の手伝いに行っていたワイフが話していた。



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フラワーセンターの秋薔薇 見頃に

2011-10-28 09:40:52 | Weblog

大船フラワーセンターの秋薔薇が見頃になりましたのでご紹介します。近くの方はどうぞお寄りください(センターの回し者ではありませんが)。薔薇以外にも、コスモス満開、葉鶏頭も見頃、上を向いて歩くのが好きな人には、飯桐(いいぎり)の赤い実が。天高く、青空に映えてうつくしく輝いています。ただしトイレの横ですので風情はなにもありません。用をたし、すっきりした気持ちで見上げると、いいかもしれません。そうそう、そろそろ神奈川県菊花大会が始まりますので、その楽屋裏がみられます。うつくしい踊り子たちの素顔をみることができます。深水の日劇ミュージックホールの楽屋風景画を思い出します。




ラブミーテンダーと黒薔薇 

葉鶏頭



いいぎり

出番を待つ踊り子たち

 花だけでは物足らない人のために、ごちそうの写真も。フラワーセンターへ行く道、老舗、大船軒社屋(築80年のレトロな建物)内に最近できた喫茶レストラン。1000円のおまかせランチほか。建物もアールデコ風(?)の意匠があちこちに。近代建築好きにもおすすめ。

演劇好きにはこのポスターを。フラワーセンターの途中の、故北条秀司宅の門に貼ってありました。大戯曲家で代表作は新国劇の”王将”。そのポスターだ。小春役にぼくの好きな神野美伽。歌ももちろん歌うでしょうね。できれば無法松も歌ってもらえればいいのですが、無理かな。その週は予定がいっぱいだけど、行くかもしれない(汗)。

 

 

 

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虚子を学ぶ

2011-10-28 08:02:05 | Weblog

虚子に学ぶ、でなくて虚子を学ぶです。秋の女子大市民講座が始まったのです。そして、ぼくが参加している俳句コースは、大輪先生の”虚子とその門流”。その第1回目のレポートです。

まず、虚子は大悪人でした。ええっ。何故かというと、自分でこういう句をつくっています。・・・”初空や大悪人虚子の頭上に”・・・・虚子は結構、周囲からの反発が多かったとのこと。で、自分のことを大悪人と。でも、先生が言うには、子規の”ホトトギス”を乗っ取った、と思われてるのが悪口の最大の原因だけど、実はそうではなく、”ホトトギス”はもともと虚子のもので(買い取った)、子規が口出しばかりして、目立っていたにすぎないらしい(笑)。

ホトトギスに漱石の”猫”が連載され、売れ行きが急増。当時は俳諧の地位も低く、虚子も小説家になろうと俳句から4年ほど離れた。しかし、ものにならず、復帰。39歳で”春風や闘志いだきて丘にたつ” 子規門下で、速水御舟のように(笑)、同じ所に留まらず、自由律の句へと進化を続ける河東碧梧桐に対抗する気持ちが句に現れた。

31歳で”行水の女にほれる烏かな”など面白い句もつくった。漱石の”猫”にも出てくる句らしい。子規の”写生”に対し、”写生というものは何でも目で見たものをスケッチすればよいと考えている人がいますが、そんな軽はずみなものではありません”と虚子の言葉。さらに”しかし平凡な人はどこまでも客観写生に終始してそれで終わるがよろしい。客観写生という事は、やがてその人の安心立命の助けともなる”と、平凡な人にも優しい(爆)。”主感客観自由自在”が最高の境地だとのこと。”気まま”ということかな(爆)。

去年の暮、京都の落柿舎で虚子の句碑をみた。生前最後の自筆句碑だ。 これも今回のテキストに出ていた句。先生が、虚子には珍しく、字余りの句、それも相当な字余りでめずらしい、でもそれが、この句には絶妙に合うと言う。なるほど、そういえば。自由自在の句かな。でも、34歳の作で、小説家になろうかどうかと迷っていた時期だから、俳句を逸脱したい気持ちが自然と出て、字余りになったのではないだろうか(珍説)。

凡そ天下に去来ほどの小さき墓に参りけり

今年は、新潟は信濃川の萬代橋脇のホテル前で、虚子の句碑をみた。
千二百七十歩なり露の橋” 大正13年9月、ここのホテルで句会が開かれたとき詠まれたそうである。この句は今回のテキストに入っていなかった。これがうまい句なのか、素人にはわからないが、50歳の円熟期の句だから、へたなはずはない。まさに自由自在の句といえるだろう。

テキストでは、その時期の(51歳)の作、ぼくでも知っている名句が載っていた。これはさすがだ、といふといへどもはなかなか出てくるものではない、と先生も褒めていた。ぼくも好きな句だ。

白牡丹といふといへども紅ほのか

こんな牡丹の写真があったはずと探したら、今年、5月2日、母さんの祥月命日にお寺で撮った牡丹が出てきた。母さんもこんな牡丹が好きだったけ。

 

 

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北杜夫さん さようなら 

2011-10-27 07:20:46 | Weblog

今日はなかなかいい日だったと、夕方、家に帰ったら、北杜夫さん死去の報に接し、さびしい思いをした。早速、本箱から”まんぼう遺言状”を取り出して、読み始めたら、もっと寂しくなってしまった。通夜やお葬式はやらないと言ったら、娘(斎藤由香さんだろうか)が通夜くらいすると言いだした。ところが、この前またやってきて”もうパパを偲ぶ人なんて誰もいないから、通夜も偲ぶ会もやめたわ”と言ってくれたので、本当にホッとした。と、思ったら、しばらくして偲ぶ会はやらないが香典だけは頂くわ、故人を偲びたい人は何かをあげると心がさっぱりするのよ、というから、ぼくは香典返しが大変だよ、と答えた。そしたら、香典返しなしの香典か貢物を受け取ることに落ち着いた、なんて、面白いことが書いてある。

ぼくは、北杜夫さんの名作の誉れの高い、まじめな本はひとつも読まないで、ふさけたような、ユーモアいっぱいの、どくとるマンボー航海記などドクトルシリーズや、さびしい王様、姫君、乞食などのさびしい・・シリーズとか狐狸庵さんとの対談集ばかり読んできた。まじめな本を読まなくても、ところどころに真実が書いてあるので、北杜夫さんのいいたいことが分かるのだ。

続・まんぼう遺言状、続々・まんぼう遺言状、なかなか死なないまんぼう遺言状、とかまだまだまんぼう遺言状シリーズが続くと思っていたのに、本当にさみしい。ご冥福をお祈りします。最後に、”まんぼう遺言状”の末尾の文章をのせます。

あの頃(遠藤さんや阿川さんとつきあっている頃)は本当に楽しかったから、それを思い出すと、かえって悲しい思いをします。もうこれくらいでいいでしょう。では、みなさん、さようなら。ごきげんよう。みなさんはどうぞお元気で。
。。。。。

この夏訪ねた、北杜夫さんが学んだ旧制松本高校

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”アール・デコの館” 庭園美術館

2011-10-26 09:18:42 | Weblog

アール・デコというのは、1925年にパリで開かれた”現代装飾美術・産業美術国産博覧会”の略称だという。もし、略称がアール・オデコだったら、あるいはアール・オデンだったら、日本に導入されたかどうか、さらにアール・オデキだったら、もうほとんど無視されたに違いない。それほど言葉のイメージというのは重要なものである。でも、アール・ヌーボーだって、考えてみれば”ぬーぼー”は日本語ではいい意味では使われていないから、やっぱり関係ないか。

目黒の東京都庭園美術館(元・朝香宮邸)がしばらく改修工事に入るというので、今、この”アール・デコの館”を公開している。今月末で公開終了というので、昨日、いそいで訪ねた。平日だというのに、大変な人出で、二人づつでしかみられない書斎では行列ができるほどだった。朝香宮ご夫妻は実際、パリのアール・デコ博覧会をみており、感激して、フランス人の花形デザイナー(アンリーラパン等)と宮内省内匠寮の技官に託して、朝香宮邸をつくったのだ。だから、ここは日本有数のアール・デコ建造物ということになる。

玄関を入ると、いきなりガラスレリーフが。ルネ・ラリック製だという。彼もこのプロジェクトに入っているのだ。すごい。そして小客間にいた3匹のペンギン。

大客室と次室の香水塔

 そして様々なる意匠

庭園もしばらく観られなくなる。茶室横の、仲良しさん巨木(笑)にあいさつをしてきた。

 

 

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松岡映丘展 練馬区立美術館

2011-10-25 10:49:59 | Weblog

伊藤深水同様、松岡映丘も回顧展がみたいと思っていた画家のひとりである。日曜日に出かけてきた。川越まつりでも乗った西武池袋線の中村橋駅を降りて、すぐのところにその美術館はあった。初めての訪問である。

ぼくが映丘フアンになった”一品”は、芸大美術館でみた”伊香保の宿”である。妖しい雰囲気をもつ美女が榛名湖の前に腰かけている。”木部姫伝説”、入水した姫が大蛇になったという伝説。ここにも、もちろん展示されていた。これだけで遠路はるばる来たかいがあった。

でも、この展覧会の目玉は、これでなく、ちらしに採用された”千草の丘”。これもすっかり気に入りました(汗)。こちらは妖しい美女ではなく、上品な美女。それもそのはず、モデルは、当時大人気だった、21歳の初代水谷八重子。画家仲間で、あまりに似すぎるという”批判”まで出たそうだ。こういうのをやっかみという(笑)。朝日新聞も”咲き乱れた秋草の中に浮き出た八重ちゃん”の見出しで大きく報じたという。たしかに秋草もたくさん描かれている。桔梗、女郎花、藤袴など。上の”伊香保の宿”もそうだけど、背景の景色もしっかり描くのが映丘流なのかもしれない。

さて、映丘といえば、武者絵、歴史画。展示品もこのジャンルの作品が多い。代表作、わが鎌倉の”右大臣実朝”。大銀杏の下の惨事を目前に控えた実朝の姿。心なしかさみしげな顔。
もうあの大銀杏も世を去りましたよ、右大臣どの。

そして、源氏物語、平家物語などの名場面がつづく。映丘16歳の作が、”鵯越(ひよどりごえ)。栴檀は双葉より芳し。

矢表

道成寺

湯煙 (漱石の草枕の一場面)

”古典の教養に立脚して時代に生きよ”弟子たちへの言葉だそうです。なんだか、現代の日本人にむかって言われているようですね。・・・勉強しなきゃ、すぐ忘れてしまうけど(汗)。

。。。。。

練馬区立美術館

とても楽しい展覧会だった。さて、今日はどこに行こうか(汗)。

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