気ままに

大船での気ままな生活日誌

札幌へ

2012-06-29 08:19:44 | Weblog
これから札幌へ行ってきます。4泊5日です。

初日狙いにしていましたが、かなわなくなりました。明日から登場、真珠の耳飾りの少女。帰ってから、すぐ会いに行くつもり。


円覚寺の山百合にPCのお留守番を頼みました。
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銀座 de シャンソン

2012-06-29 08:15:34 | Weblog
この日曜日、銀座でシャンソンを聞いてきた。第三回中央区ジャズフェスティバル。高校時代の同期生が出演するというので、クラスメートたちと出掛けたのだ。彼女はエディットピアフの名曲、Padam Padamを歌いこなし、大ホール超満員の聴衆から喝采を浴びた。越路吹雪のようだった(ちょっとほめすぎ)。そして10人を超える歌手のみなさんから、愛の讃歌、私の回転木馬、すみれの花咲く頃などぼくでも知っている名曲の数々を聞けて、とても楽しめた。

この2月にお亡くなりになった芦野宏さんをメーンゲストにお迎えする予定だったという。ぼくらの(若い)時代、シャンソンは町に溢れていた。芦野宏さんをはじめ、高英夫 アダモ 越路吹雪 石井好子 岸洋子と次々と名前をあげることができる。

シャンソンだけではない。先日、亡くなられたザ・ピーナツのほくろのある姉の伊藤エミさんたちの数えられないほどのヒット曲など、ポピュラーソングも町に溢れていた。坂本九、飯田久彦、弘田三枝子、中尾ミエらそして、そのあとのタイガースをはじめとするグループ・サウンズ。もちろん、昭和の歌謡曲はまるで空気のようにみんなの心に浸透していた。そのうち、何故か、歌はみんなのものでなくなってしまった。

さて、話を”銀座 de シャンソン”に戻そう。

テレビでお馴染みの田嶋陽子さんも出演。トークではなく歌で(笑)。シャンソンは、65歳から始め、6年目を迎えるという。真っ赤なドレスに身をつつみ、ういういしい仕草。歌声も若々しく、”美しい音”とシルビー・バルタンの"初恋のニコラ"の二曲を披露。92歳まで生きるつもりなので、それまで、もっとうまく歌えるようになりたいわ、と。

そして、ラストステージを飾ったのが、しますえ・よしお。銀巴里に18才のときから出演したというベテラン。ほっそりした身体から、芦野宏風の軽やかな歌声。コマンサヴァ、百万本のバラなどを歌い、ラスト2曲は、生きる、歌に生きる、心に沁みる歌声だった。すっかりフアンになってしまった。

最後は、歌手のみなさんとぼくらも声をそろえて合唱、♪オー・シャンゼリゼ  

そのあと、銀座 de 飲み会になったのは言うまでもない。 

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祭MATSURI展 出光美術館

2012-06-28 18:17:14 | Weblog
出光美術館でお祭りが始まった。ほんとは初日に行く予定だったが、かなわず、祭も佳境に達する10日目にみてきた。もう少し、お客で溢れているかと思ったが、そうでもなく、うれしい誤算だった。だから、ゆっくりと、しげしげと観ることができ、タイムスリップして江戸時代の、祇園祭と浅草三社祭を見学しているような気持ちになった(汗)。

京都の祇園祭と浅草の三社祭は、最近、ほぼ、毎年欠かしたことがない(汗)。今年の祇園祭は、ほかのお祭りに行くので、3年振りくらいにパスするが、来年は行く予定。昨年は山鉾だけでなく神幸祭の神輿渡御も観た。三社祭は、この5月、三基の本社神輿の早朝宮出しも観たし、3月には700周年記念として行われた、54年ぶりの舟渡御も見学した。えへん、えへん。

まず、祇園祭。メーンステージに飾られた”祇園祭札図屏風”(桃山時代)。右隻に山鉾巡行、左隻には神幸祭の神輿が。天上の雲間から祭りの様子を描く構図。狩野派の作だといわれている。家屋には人がいないし、路上にも見物人があまりいない。山鉾を引っ張る人、神輿を担ぐ人を中心に描いている。見物人はぼくらでいいのだ。

さて、長刀鉾はどこか、函谷鉾は、山伏山は、と探してみる。左の壁に、山鉾の位置を示しているパネルがあることに気付いた。屏風の縦の3本の通りは、三条、四条、五条、奥の横道が寺町通り。その図をノートに写し取り、屏風絵と比較してみる。それがまた楽しい。矛先は桃山でも江戸時代でも変わってないだろうからと、長刀の矛先をもつ鉾はすぐみつかる。月をもつ鉾は函谷鉾か月鉾だ。正面にいるのは、舟形をした船鉾と山伏山と菊水鉾。左隻には、おなじみの三基の神輿が渡御している。それぞれ、中御座(六角形/スサノヲノミコト)、東御座(四角形/クシイナダヒメノミコト;スサノヲの奥さん)、西御座(八角形/ヤハシラノミコガミ;夫妻の子供)である。ついでながら三社の神輿も江戸時代は祇園のまねをした多角形の神輿だったとのことだ。

洛中洛外図屏風(江戸、元和期、紙本金地着色)は、祇園祭以外の風俗も描いてある。右隻には長刀、山伏、函谷の三つの山鉾の巡行。辻回しをしているような鉾もある。半裸の男が引っ張っている。祇園社(八坂神社)や清水寺もみえる。鴨川では水浴びをしている裸の女や子供たち。歌舞伎小屋も楽しそうだ。左隻には祇園社の三基の神輿巡行、賀茂のくらべ馬も。北野天満宮もある。

祇園祭札図屏風(江戸、元禄期)は、22基の山鉾勢ぞろい。先頭の長刀鉾から始まって、5番目くらいに函谷鉾、そして鶏鉾、月鉾も見つけて、あっ、あれはなんだ、なんだかカマキリのような飾りが。ひょっとして、ぼくの一番、愛する蟷螂山ではないか。ついでながら、蟷螂山は、14世紀後半の南北朝時代に、薬や菓子で有名な”ういろう”を始めた外郎(ういろう)氏がつくったのだ。外郎家はその後、小田原に移り、現在も家が存続している。小田原訪問記はずっと前、記事にしている。念にため前述のパネルに戻り、確認してみる。間違いなかった。タイムスリップして江戸の蟷螂山と会えるとは、感無量でごわす。今期は左隻のみの展示で、みられなかった可能性もあったのだ、よかったどす。

次は三社祭。”江戸名所図屏風”(江戸、寛永期)上野から品川までの江戸名所の賑わい。楽しんでいる人々がいっぱいで、こっちまで楽しくなってしまう。三社祭は、ななななんと、舟渡御の場面。隅田川から神輿を引き上げている。先のふたつの神輿は陸上ですでに渡御をはじめている。神田明神の神事能の舞台のほか、人形浄瑠璃の操り小屋、木挽町周辺の歓楽街、湯女風呂とか、江戸の庶民が楽しんだ”悪所”も描かれている。江戸風俗図屏風は右隻のみ前期展示。

展示構成は、第一章”祭の前夜/神が舞い降りる各所、第二章”祭が都市をつくる/京都江戸、第三章”祭の名残/遊楽の庭園、第4章”遊楽/閉ざされた遊び”となっている。前述の祇園祭、三社祭関係は、1,2章で扱われている。3章には”邸内遊楽図屏風”など、どこを描いたものかが分からない遊里の絵、それと岩佐又兵衛の”職人尽図鑑”の展示もうれしかった。4章では歌舞伎や浄瑠璃関係。それぞれ、楽しめた。そうそう、草間弥生風の(笑)色絵狛犬の二匹、可愛かったことも付け加えておこう。柿右衛門作だそうだ。

おわりに、現代の祭りの様子も入れて、画面上で、お祭り騒ぎをもう一度。絵ハガキとぼくの写真から。

”祇園祭札図屏風”(桃山時代)山伏山と菊水鉾か。


神幸祭、神輿巡行2011年7月祇園祭


菊水鉾 2011年7月祇園祭


蟷螂山 2011年7月祇園祭


”江戸名所図屏風”(江戸、寛永期)三社祭、舟渡御


700周年記念三社祭舟渡御 2012年3月


三社祭 2012年5月


”江戸名所図屏風”(江戸、寛永期) 木挽町周辺の歓楽街




ああ、楽しかった。後期、もう一度、行きたい。












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ダル10勝でぶらり東京

2012-06-27 22:18:28 | Weblog
ダル10勝目の日は、ぶらり東京。

ダルが10勝を決めた。オールスター前での二桁勝利達成は、日本人選手としては、松坂以来だという。たいしたものだ。20勝で最多勝、サイヤング賞だ。同じ日、松坂、6回途中まで1失点の好投ながら、勝ち星がつかず、今季初勝利、メジャー通算50勝は、またお預けとなった。しかし、復活のきざしは十分、みせてくれた。後半戦で一気に10勝だ。



そしてぼくは機嫌よく、外出。向かった先は、東京。まず出光美術館。初日狙いにしていたが、急用が入り実現しなかった展覧会。祭りMATSURI展だ。 祇園祭りに三社祭、たっぷり楽しんで(感想文は明日)、東御苑に。

三丸尚蔵館では”内国勧業博覧会展”(国内のタイプミスではない)。そして苑内の花の数々。


タイサンボク(泰山木)の花をあちこちで。


ザクロの花も見頃


オカトラノオ


ノリウツギ ウツギというより岩がらみかツルアジサイ系。ユキノシタ科だった。


花菖蒲も



秋の七草がもう。

キキョウ(朝顔)


なでしこ


おみなえし ちょっぴり色づく。


雑木林の緑もステキな金縛り



お濠には白鳥。よろこぶ女性も面白い、ファッションが。 上野のパンダは赤ちゃんができたらしい

おめでとう。


逆光で撮ると、油まみれの黒鳥になった。


楽しい東京散歩だった。









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半夏生の季節

2012-06-27 08:34:14 | Weblog
鎌倉中央公園の半夏生(半化粧、片白草)が見頃になったというニュースをみて、早速、出掛けた。モノレールの湘南町屋で降りて、15分も歩けば、その森林公園に着く。広大な敷地だが、その半夏生の生息地は寺分口からはそう遠くないところにある。休憩所の前の湿地帯に半夏生は白くなった葉を得意げにひらめかしていた。見事なものだ。おしろいをつけるとこんなにきれいになるものか。半化粧の別名もなるほどと思う。

半夏生の群生は、鎌倉では、大船フラワーセンターでもみられるが、やはりここが一番。テレビ画面では、もっと広い群生地という印象を受ける。初めて来られたという方も、同様な感想を述べていた。テレビカメラは随分、ごまかしがきくもんだ。ぼくも、なるべく、ごまかしをきかせて写真を撮ってみた(笑)。









沼もある。


沼の回りにはタンポポ系の黄色い花がいっぱい。


幼稚園児もいっぱい


紫陽花も。


もっと森林の奥深く回りたかったが、午後から大学の公開講座を受講することになっていたので、引き上げた。

今年の(雑節の)半夏生は7月1日だそうだ。その日も目前。平塚の八幡宮ではもう、夏越えのお祓い、茅の輪くぐりが始まったらしい。
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中世人の花会と茶会

2012-06-26 10:01:04 | Weblog
ちらしの、長次郎の赤楽茶碗”無一物”に誘われて根津美術館に出掛けた。名前は知っていたが、観るのははじめてかもしれない。西宮にある頴川美術館からの特別出展とのこと。

解説によると、赤楽茶碗「無一物」は、黒楽茶碗「大黒」とともに、陶工・長次郎が千利休の意を受けて作り上げた茶碗の代表作。端正な半筒形で赤い土は、手に柔らかさを感じさせる、最高の茶碗といわれているそうだ。たしかに端正な佇まいで、風格がある。でも、写真でみるのと、実物では、色や質感(ざらざらした感じ)など、受ける印象に多少の違いがあった。それにしても、銘の名前が”無一物”。最高の名前をもらった。

ほかに、何度かここでみている茶碗たち。曜変天目(建窯)、油滴天目(建窯)、青井戸茶碗 銘・柴田(高麗)、雨漏茶碗(高麗)など。いいものばかりだ。

青磁筍花生、青磁筒花生も落ち着いた、上品な雰囲気が好き。

牧谿は、長谷川等伯らに私淑された宋末、元初の時代の水墨画の絵師。牧谿筆、”漁村夕照図” と展示室5には”牧谿、瀟湘八景図巻を写す”、というタイトルで三つの摸本が展示され、比較をしながら楽しめる。

庭に出て、前回、咲き始めを観たカキツバタの池を廻った。もうすっかり、花を落とし、無一物になっていた(笑)。







青井戸茶碗 銘・柴田


青磁筍花生


こんにちわ、また来ました。双羊尊ちゃん。


カキツバタの池 花もなく無一物に。


明治神宮御苑で狸を観た日に行ったのでした。狸も本来無一物ですね。


そうそう、花菖蒲はこんなに咲いていたっけ。









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稀勢の里 東の正大関に

2012-06-25 21:39:34 | Weblog
名古屋場所の新番付発表で、稀勢の里 東の正大関に!
とうとう、名実ともに、ナンバー2の地位に。

先場所の悔しさを忘れない。
先場所は応援してくれる人の期待を裏切った。
今場所こそはという気持ちはある。
と、コメント。

名古屋の熱帯場所で初優勝。国技館の秋場所で連続優勝。そして横綱昇進。
それが、フアンの気持ち。不安の気持ちもあるけど。
今場所は応援してくれる人の期待を裏切らないでください。



名古屋場所のいつか、応援に行くつもり

できれば、全勝優勝 フアンの気持ち


ひょっとして黒星先行か 不安の気持ち
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ねじばな見頃 浄妙寺

2012-06-25 19:15:20 | Weblog
二週間ほど前、浄妙寺を訪れたとき、方丈前の芝生のネジバナはまだまだだった。そろそろよかろう、と午後、出掛けた。

予想通り、浄妙寺のネジバナが見頃になりました 方丈前の3メートル四方の芝生の一画が、ネジバナの生息地。普通のお寺さんなら、雑草として抜かれてしまっているかもしれない。ネジバナフアンとしてはありがたいことだ。では早速、ちょっとひねくれた、ネジバナ嬢のお写真を。

ネジバナ嬢のお住まい


ほら、たくさんのネジバナ嬢が見頃宣言


近寄ってみましょう、びっくりするほどの美人


あまりに美しいので、蝶々も近寄ってくる


なかには、心のまっすぐなネジバナ翁も。ちょっとボケているけど(汗)。


・・・・・
あのときは、てんでダメだった、白い紫陽花、アナベルも見頃になっていた ほらね




普通の紫陽花も


モモコは、こないだは門番をしていたけれど、今回は眠り猫になっていた (ねずみも安心)




ここへ来る前に、ふたりで、フレンチ de ランチ。キキの故郷、ブルゴーニュ産の赤ワインを頂いた。昨日、銀座で聞いたシャンソンの歌声が頭の中を流れていった。




もう一度、ネジバナ嬢
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モンパルナスの女王キキ

2012-06-24 11:04:24 | Weblog
先日観た映画、”ミッドナイトパリ”は1920年代のパリが主たる舞台だった。そこでの主人公は、ピカソの愛人で、モディリアーニも愛した(マリオン・コティヤール演ずる)アドリアナだった。アドリアナは実在の人物だったのか、気になって調べてみた。ピカソは何人も愛人がいたが、アドリアナの名はどこを探しても出てこない。一方、ピカソがパリに出て最初に付き合ったのはフェルナンド・オリヴィエであることが知られている。また、彼女がイケメンのモディリアーニに魅かれていたことも事実のようだ。このことから、彼女が”アドリアナ”のモデルであった可能性が高いのではないか、と考えた。

さて、1920年代のパリのモンパルナスには、映画のアドリアナ以上に、芸術家たちに囲まれ、”モンパルナスの女王”と呼ばれた女性がいる。先月の”美の饗宴”で紹介されていた、藤田嗣治の”寝室の裸婦キキ”のモデルになったキキである。

最近キキの伝記(キキ/モンパルナスの恋人 ルー・モルガール著、北代美知子訳)を読んでみた。1901年にブルゴーニュの私生児として生まれ、12歳でパリに出る。画家のモデルなどをして暮らしていたが、彼女を有名にしたのが、藤田嗣治だった。ふたりの出会いが面白いので紹介する。

その日本人の画家はドランブル街5番地で昔の厩舎を改造したガレージをアトリエに使っていた。ワタシ、ツグハル、フジタ、帝国陸軍ノ将軍ノムスコ、と自己紹介した。でもみんなはフー・フー(お調子もの、浮かれもの)と呼ぶ。前髪はおでこに下がり、耳には金の輪をつけ、平たい鼻に丸い眼鏡をのせている。

その日はキキはいたずらっぽく振る舞い、モデルでありながら自分がフジタの肖像を描いてしまう。それをカフェ”ル・ドーム”で金持ちのアメリカ人に売ってしまう。翌日、フジタは復讐のため、こんどはキキをおとなしくさせ、寝室のキキを描いた。極細の筆で黒地のクレトン更紗の上に、陰影をつけずに描いた。この裸婦像が出展したサロン・ドートンヌで大評判となり、その日のうちに8千フランで売れた。それ以来、ふたりはモンパルナスの有名人となったのだ。フジタ、36歳のときである。

その後、有名人キキは、ポーランド人の画家、キスリングをはじめとする、”エコール・ド・パリ”とよばれる時代の外国から集まってきた画家たちのモデルとなった。さらに、米国人マン・レイとの出会い。写真のモデルに来た、裸のキキをみて、まるでアングルの”泉”(ルーブルにある)のようだとつぶやき、ぼーとしたマン・レイ。写真の出来栄えも、アングルの”トルコの浴場”のような雰囲気が出ていた。キキもこんな美しい自分をみたことはないとつぶやく。そしてフォールインラブ。愛人関係は8、9年つづいた。マン・レイの映画に出演したり、シャンソンを歌ったり、正真正銘のモンパルナスの女王になったのであった。

しかし、晩年はさびしい生活を送ることになり、52歳で亡くなる。病院を出発した葬列は、墓地への道を通らず、モンパルナスへ向かい。キキが愛した場所、それぞれの前でちょっとづつ立ち止まった。それぞれがキキの人生のひとつのエピソードだった。ル・ドーム、ラ・クーポール、ル・セレクト・・・モンパルナス中の人々が葬列を送った。葬儀を終え、帰り道、仲間がラ・クーポールに集まった。フジタがつぶやいた。”もう二度と再びモンパルナスに戻ってくることはないだろう”。で、この伝記は終わる。

アーネスト・ヘミングウエイの言葉 ”決してレディだったことのない女王”


藤田嗣治の”寝室の裸婦キキ” フジタもキキも有名にした名画。パリ近代美術館にある。


マン・レイの”黒と白” キキがモデル


マン・レイの”アングルのバイオリン”キキがモデル


以下、ぼくの巴里旅行の写真から。

ヴァヴァン交差点前の地下鉄の駅


ラ・ロトンド ヴァヴァン交差点にあるカフェ、キキが良く出入りしたカフェ


ラ・クーポール


ル・ドーム




猫のいる自画像 (藤田嗣治)猫の顔もなかなか面白いです。


参考(笑) アングルの”泉”

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八景島の紫陽花 ピンクのアナベルも

2012-06-23 19:03:11 | Weblog
ここ二、三日、腰がちょっと変だったから、大事をとって、腰に負担のかからない映画鑑賞を楽しんだ。おかげさまで、今日はとても調子がいいので、また歩き始めた(汗)。一度も行っていない、八景島の紫陽花を観にいってきた。根岸線の新杉田駅で乗り換え、シーサイドラインで金沢八景方面に15分も乗れば、八景島駅に着く。橋を渡ると、そこはもう、八景島シーパラダイスである。水族館で有名だが、最近、紫陽花の時期になるとテレビや新聞に取り上げられるようなった。何で知ったか、忘れてしまったが、ここに、アナベル(白い紫陽花)のピンク系が咲いているらしい。これもちょっと見てみたかった。

八景島駅を出ると、砂浜がみえる。たくさんの家族連れが潮干狩りを楽しんでいた。ここは海の公園ができたときつくった人工砂浜で、貝も居ついたようだ。


そして、目の前にメリーゴーラウンドが見えてきて、そこから、紫陽花街道がはじまり、丘に登っていく。見頃のものもあれば、もう終わりかというものもあるが、まだまだ遠目には十分みられるアラフォーだった(爆)。とりわけ額紫陽花の色づきがとてもよかった。西洋紫陽花ではピンク色になっているのが多く、あでやかであった。

さて、アナベルは最後の方に現れ、ちょうど見頃ではあった。しかし、お目当てのピンクのアナベルが見当たらない。きょろきょろしながら、歩いていると、向こうで作業着をきた女性二人が立ち止まって、何か話をしている。近づくと、どうも、それらしい。”ピンクのアナベルですか”と尋ねると、これだけが、何とか咲いているんです、との答えだった。運が良かった。巡り合うことができた。まだ若い株で花も小さく、ピンク色も、ほんのりだった。デビューしたばかりだからしょうがないだろう。

こうして、ぼくは、結構、長い紫陽花街道を完歩し(笑)、あとは、いろんなアトラクションを楽しむ子供たちをみて帰った。水族館は、またゆっくり観にこよう。















アナベル


ピンクのアナベル


その他のあたらしい品種






楽しむ子供たち


楽しむタコ








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