気ままに

大船での気ままな生活日誌

マリアカラス 最後の恋

2008-05-31 10:11:33 | Weblog
一昨日、近くの鎌倉芸術館で上映された”マリアカラス 最後の恋”をふたりで観てきました。オペラ界の女神(ディーバ)、マリアカラスと世界の海運王アリストテレス・オナシスの結びつきを描いた伝記映画です。なかなか面白かったです。監督はジョルジョ・カピターニ、主演女優はマライカラス似のルイーザ・ラニエリです。

去年、紫陽花の時期に箱根に行ったとき、ガラスの森美術館で、マリアカラスのステージ・ジュエル展が開かれていて、観てきました。50点ものスワロフスキー製のジュエルが光輝いていましたが、彼女の”波乱の”人生のことも紹介されていました。また、ついこないだ、大船フラワーセンターのバラ園でマリアカラス(品種名)をみてきました。濃いピンク色の花ですが、早咲きのグループらしく、もう盛りはすぎていて2輪ほどしか咲いていませんでした。以上が、映画をみる前の、ボクのマリアカラスについての予備知識です(笑)。

はじめのシーンが痛快でした。デブの(当時は100キロあったそうです、のちに30キロ減量しました)マリアカラスがオーディションを受けたときのことです。歌う前に審査員たちが、ステージ映えがしないなと言っているのを聞いて激怒したマリアカラスは会場を出てしまいます。推薦者がやっと連れ戻し、歌い始めた”椿姫”のろうろうとしたすばらしい歌声に、呆然とする審査員たち、立ち上がって拍手までしてしまいます。ボクら観客も、遠山の金さんが”この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ”とたんかをきったときに感じるような爽快感で映画がスタートする。

中程のシーン。マリアカラスの前で自分の少年時代の悲惨な思い出を語るオナシス。もう誰にも文句を言わせないエライ人になろうと決心したと。こんなことは誰にも話したことはないんだよ、と殺し文句。同じようにつらい過去を背負い、オペラ界のトップに登り詰めたマリアカラス、この気持ちがよくわかる、一気にオナシスに心が傾く。次々と事業を拡大していったように、女性関係の拡大(事業発展に絡めてだが)にもきりがない(ケネディ夫人にまで手にいれる)オナシスだが、マリアカラスだけは心から愛していたのではないかと思う、と思わせるラストシーンが待っている。

ここで話はちょっと変わりますが、天才論で有名な新藤隆夫さんが著書の中で述べていることなのですが、天才の多くは幼少年期に親を失うとか極度の貧困を経験している、そうゆう精神的危機を乗り越えようとする、心の底からわき上がる大きなエネルギーが天才をつくるのだそうです。マリアカラスもオナシスもそうですから、”英雄、英雄を知る”的な恋だったのでしょう。

結婚し、楽しい時期もありましたが、生まれてくる子は死産、そのあと事業拡大のため政治的な力が必要とケネディ大統領の義妹に近づくオナシス。そんなこんなで、マリアカラスの心は次第に離れてゆく。

ラストシーン。オナシスは大病にかかる、奨められたニューヨークの病院には行かず、マリアのいるパリの病院に向かう。そして、その途中、彼女のマンションに立ち寄る、居留守をつかっているのが、玄関の鏡にうつる彼女の姿でわかるオナシス。しぼりだすような声で”許してくれ、私が悪かった”と言って立ち去る。車に乗り込むオナシスを窓からみているマリアカラス。許すわ、とそっとつぶやく。聞こえたかのようにオナシスがちらりと窓を見上げる。

・・・・・
劇場でのマリアカラスの、カルメンなどの歌声もすばらしかったです。生前の録音のものかと思いましたが、現役のオペラ歌手のものでした。舞台衣装のジュエルは、多分、ボクらが箱根でみたと同じスワロフスキー製のものだったと思います。

関連写真は、バラのマリアカラスが”適任”ですが、撮っていませんでしたので、そのとき開催されていた山紫陽花展の花をいくつか載せることにしました。まるでマリアカラスのジュエルのように、きらきら輝いていました。




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ぶらりアフリカ

2008-05-30 17:16:30 | Weblog
”ぶらりアフリカ”といっても、昨日みた映画”マリアカラス 最後の恋”のギリシャの海運王オナシスのように専用自家用ジェット機に乗って行ったわけではありません。JRのスイカで、ヨコハマまで行って、パシフィコ横浜で開催されているアフリカン・フェア2008を観てきただけです。でも、アフリカの雰囲気はアジアえました。

40ヶ国にのぼるアフリカ各国がそれぞれのブースで自国の特産物や手工芸品、楽器などの展示をしていました。コーヒーの試飲をしたり(ワインの試飲はなかったですが)、飴をもらってなめたり、めずらしい楽器をならしてみたり、民族衣装をなでてみたり(係の女性はなでませんでしたが)、結構遊んでしまいました。平日なので、アフリカ音楽の演奏会や踊りはありませでした(土日に計画されているようです)、それがちょっと残念でした。ボクの知人で仕事でアフリカに行って、すっかりアフリカ音楽にはまってしまった人がいます。ダーウィンじゃないけれど、ホモサピエンスの故郷はアフリカです、何か心の奥底で共鳴するものがあるのでしょう。

ボクはまだ人類の故郷、アフリカには一度も足を踏み入れたことがありませんので、ちょっとあこがれているところもあるのです。エジプトのピラミッドさえみていません。で、観光面からの展示もあればいいなと思っていましたが、ほとんどなかったです。もともと、隣りのアフリカ会議に合わせて開催していて、”アフリカ大商談会”と銘うっているように、ビジネス的な色彩の強い展覧会でした。そういえば、ジェトロアフリカビジネス創出支援コーナーもありましたし、日立製作所とか三菱とかの日本企業コーナーもあったです。ボクは、そんなことには無関係に、アフリカの匂いのする展示物ばかりみていました。

以下に、いくつかの展示物を。”ぶらりアフリカ”の雰囲気をどうぞ。

置物のたぐい。人類誕生の雰囲気が(笑)



楽器類。原始音楽の力強さがひびいてくるような。



手工芸品いろいろ。素朴なカンドー。



石、ガラス、陶磁器。




衣類。藍染めもあった。



南アのワイン。のみたかった。


6月1日(日)まで開催しているとのことです。アフリカ好きの人はどうぞおはこびください。6月1日ですと、横浜開港祭も同時に見学できます。ヨコハマ好きな人もどうぞおいでください。どちらの事務局からも1円ももらっていませんが、ボランティアで宣伝いたしました。


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田村隆一展 in 鎌倉文学館

2008-05-30 06:28:16 | Weblog
鎌倉文学館で”田村隆一、詩人の航海日誌”展が開催されていましたので、行ってきました。文学館前のバラ園も見頃になっていて、平日でしたが多くの人で賑わっていました。

ボクがこの詩人を知ったのは、こちらに引っ越してきてからです。図書館の地元作家コーナーでユーモア溢れる田村さんのエッセイをみつけ、ボクと同じ、飲んだくれの(笑)、面白い方だとゆうことを知りました。ただ、そこには彼の詩集はありませんでしたので、どんな詩をかかれたのか、一度読んでみたいなとづっと思っていました。それが、突然、去年の暮れだったと思いますが、田村さんの詩に遭遇したのです。それは、大船の本屋さんで立ち読みをしているときに偶然、手にした斉藤孝さんの”心の琴線にふれる言葉”とゆう本の中で紹介されていた、”木”とゆう詩でした。ボクと同じような気持ちの人がいる、とボクは最近、ほとんど本を買わないのですが、その詩を忘れないためにと、思わず買ってしまったのです。

田村さんは巣鴨で生まれ、小林秀雄、萩原朔太郎が講師でこられていた頃の明治大学で学ばれ、西脇順三郎やエリオットの影響を受け、平成10年に75才で亡くなるまで、700編を超える詩を発表されたとのことです。詩だけではなく、江戸、イギリス流のユーモア溢れるエッセイを書かれたり、アガサクリスティーの翻訳もあるそうです。鎌倉には47才のときから住み、現在は、小林秀雄と中原中也ゆかりの海棠のある、妙本寺にねむられています。今年で没後10年を迎えました。

展示場では、田村さんの、自筆原稿、著書、愛用品の数々、そして子供時代から晩年までの多くの写真の合間を縫って、いくつもの詩が紹介されていました。その中に、”木”もみつけ、うれしくなりました。何度も読み返し、改めていい詩だと思いました。そして、そのほかの詩も、ときどき立ち止まり読みました。”木”とは違う雰囲気の詩が多く、意外に思いましたが、こんな詩もちょっと心に残りました。

帰途 (田村隆一)

言葉なんかおぼえるんじゃなかった。
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつとも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌から落ちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんの少しの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
。。。。。

木 (田村隆一)

木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか

見る人が見たら
木はささやいているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空にむかって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸い上げて
空にかえすはずがない

若木
老樹

ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光りのなかで
目ざめている木はない


ぼくはきみのことが大好きだ

・・・・・

ちょうど白雲木の花が盛りでした。


老木の根も盛りでした(汗)。


田村さんもまだ盛りでした。あばよ、カバよ、アリゲーター と。


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祇園精舎の鐘の声 花とお相撲さん

2008-05-29 06:40:27 | Weblog
平家物語の書き出し”祇園精舎”の文章はあまりにも有名です。”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕はす。奢れる者久しからず、ただ春の世の夢の如し。猛き人も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ”

大船フラワーセンターの花の盛りの移り変わりをみていると、いつもこの文章を思い出します。一昨日、10日振りに訪れ、あまりの変容ぶりに、たしかに”奢れる者久しからず”と思ったのでした。芍薬ちゃん、別に奢っていたわけではないですが、ついには滅びぬ、ですね。ふと、五月場所を終えたばかりの、お相撲さんたちの姿に重ねあわせてしまいました(笑)。

。。。

役目を終えた芍薬苑

今回


前回はこんなに華やかでした。景気のいいときは黙ってても人が寄ってきます(笑)。

。。。

今盛りのバラ園

3年つづけて来ていますが、今年のが一番華やかに感じました。





。。。

そして、次代を担う花菖蒲園

咲き始めです。




・・・・・
お相撲さん編

芍薬組

これまでなら”大関4人組”とばっさりやるとこでしたが(笑)、今場所、琴欧州優勝で、ひとりだけはずします。琴光喜は稽古場で無敵だそうですが、本番に弱いと、この世界では残っていけませんね。魁皇、千代大海は、豪快な相撲でフアンを楽しませ、十分役目を果たしたと思います。そろそろ幕引きも考えていることでしょう。

バラ組

優勝を狙える、今が全盛のお相撲さんがバラ組です。千秋楽ににらめっこして楽しませてくれた両横綱、青白時代はまだまだ続くでしょう。今場所、うっとりさせてくれた、琴の音はまたしばらくきけないでしょう。ただ朝青龍の力は落ちてきていますし、白鵬もあまり稽古をしなくなったらしいですから、”奢れる者久しからず”の可能性もありますね。

花菖蒲組

この組頭は、なんといっても稀勢の里です。来場所11勝、次ぎの場所に12勝して、3場所33勝をクリアして大関昇進。そして来年はバラ組に昇進、毎場所優勝にからみ、青バラ、白バラ、黄(稀)バラとバラバラ戦争になります。にらめっこも負けません。立ち会いでにらめっこ、勝負のあとでもにらめっこして、たまにはベロを出して、フアンは大喝采です。青鬼、白鬼も常総の赤鬼の前では伏し目がちになることでしょう。

稀勢の里以外の力士はどうでもいいです。ただ豊真将と豪栄道豪太郎だけには、頑張って欲しいです。稀勢には必ず負け、同じ菖蒲組の、琴欧州、安馬、琴将菊、豊ノ島を破ってもらい援護射撃をしてもらいます。



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むざんやな甲の下のきりぎりす

2008-05-28 10:07:58 | Weblog
むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす (芭蕉)

横溝正史の金田一耕助シリーズを思い出す方が多いのではないでしょうか。ボクもそうです(汗)。この芭蕉の名句は、実は”おくのほそ道”の、北陸路、金沢の次ぎの”小松と云う所にて”で出てきます。

この甲は小松の太田神社に木曾義仲が奉納したもので、甲の持ち主は義仲との戦いに敗れた平家の武将、実盛(さねもり)です。実盛はもともとは源氏の出で、親を亡くした2才の義仲を引き取り、木曾山中で育てました。そしてこの甲も源義朝から賜ったものでした。実盛は白髪頭を染め変装し(敵にあなどられないため若くみせたということになっています)、悲しい運命の戦いに挑みますが、討ち死にします。髪を洗った首実検で、実盛であることを確認した義仲の心中はいかがばかりだったでしょうか。

むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす 

謡曲実盛に”ああ無惨やな、斉藤別当(実盛のこと)にて候ひけるぞや”という文句があり、それで、”むざんやな”がはじめにきています。きりぎりすは現在のコオロギのことです。・・ああなんと痛ましいことよ、自分が育てた義仲と白髪を染めて戦った実盛の心が偲ばれる、兜の下のコオロギもむせび泣いているようだ・・

芭蕉は義仲が好きだったようですね。お墓まで義仲寺で、義仲のお墓と隣り会わせです。義仲は田舎もので、京に入ってからお公家さん達に不作法な男と馬鹿にされましたが、芭蕉も伊賀の出身で田舎ものです、共感するところがあったのだと思います、と市民講座の先生が説明してくださいました。それで、芭蕉はこの神社を訪ねているのですね。

ボクは3年ほど前、義仲寺を訪ねています。日記帳をひっくりかえしてみました。(当時はブログをしていませんのでノートの日記帳です)。

2005年11月12日(土):大津、膳所にある義仲寺に行く。ちょうど芭蕉の312年忌(時雨忌)が行われていた。法事の一部始終をついでにみせていただいた。神主さんの一連の儀式が終わると、今度はお坊さんが出てきて、芭蕉翁と弟子たちの像が祀られている翁堂での儀式が始まった。・・・この寺には木曾義仲の墓の近くに芭蕉翁の墓もある。生前、自分の墓はここにするよう遺言したということだ。義仲が好きだったらしい。弟子又玄の”木曾どのと背中合わせの寒さかな”はどうゆう状況でつくったのだろうか。そのあと、石山寺に向かう。紫式部ゆかりの寺だが、ここにも芭蕉庵があった。・・・

もうひとつボクが聴講している”平家物語”とつながった、今日の”おくのほそ道”でした。

・・・・・
以下3年前の写真を。

義仲寺


時雨忌


翁堂


芭蕉翁のお墓


木曾どののお墓


巴御前の供養塔


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夏はきぬ

2008-05-27 09:17:49 | Weblog
今朝も4時前に目が醒める。ガラス戸を開け、ベランダに出ると南の空に、下弦の月のちょっと手前のメタボのお月さまが。木星ちゃんがその西に。5日前は満月のお月さまをストーカーしてたのに、今日は逆、西の空の方に逃げていた。追えば逃げる、逃げれば追う、人間と同じですね(笑)

移り気なもんやな、うふふふと笑って、部屋に戻ろうとすると、♪とっきょきょきゃく 特許許可局 トッキョトキャキョク♪の小鳥の鳴き声。ほ、ほ、ほほとぎすではありませんか。まだ夜明け前、まだどの小鳥も目を醒ましていないこの時間に。間違いなくホトトギスの鳴き声です。ホトトギスの初音(忍び音)を夜明け前に聴きました。早起きなのか、それとも夜更かしなのか、ホトトギスくん。

また一寝入りして、6時前に散歩に出掛ける。いつものお寺の裏山に登る。うぐいすはじめたくさんの小鳥の声に混じって夜明け前に聴いたホトトギスの鳴き声も。散歩の途中でみた卯の花は、散り始めだが、まだまだ雪のような白い花をたわわにつけていた。

♪卯の花の匂う垣根に 時鳥(ホトトギス)早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす夏は来ぬ♪

なんで、ホトトギスはこんなに日本人に好かれるなのだろう、万葉集に詠われる鳥としては、雁の65首を上回り、ホトトギスは156首であるという。そういえば、道元禅師の歌 ”春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり”で、ホトトギスは夏の美の代表にあげられている。そして、良寛さんの辞世の歌。”形見とて何か残さん春は花 山ほととぎす秋はもみじ葉”とここでもホトトギスが。

それにしても、とボクは思う。鳴き声がいい?いや、むしろけたたましい、ウグイスならわかるけど。姿がいい?いや、ほとんど人前に姿をみせない、カワセミならわかるけど。性格がいい?いや、自分の卵をウグイスの巣において育てさせるくらいだから、子育て放棄のぐーたらママだ。本当にどこがいいんだろうとボクは迷ってしまう。

ただ、今頃、東南の国から渡ってきて、日本の夏の訪れを知らせにくるだけだ。これだけがトリえだ。でもこれがいいのかもしれないと思う。四季のうつろいに敏感な日本人が、ホトトギスの忍び音によって、花の季節が終わり”夏はきぬ”をしみじみと感じる。秋の訪れを感じさせる秋蝉の声のような感傷かもしれない。

そうだ、万葉の歌をみてみれば、何かをつかめるかもしれない。いくつか拾ってみた。
古に恋ふらむ鳥は霍公けだしや鳴きし吾が思へる如 額田王
我が宿の花橘に霍公鳥今こそ鳴かめ友に逢へる時 大伴家持
いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡りゆく 弓削皇子

そして古今和歌集
夏山に恋しき人や入りにけむ声ふりたてて鳴く郭公
郭公鳴く声聞けば別れにしふるさとさへぞ恋しかりける
昔べや今も恋しき郭公ふるさとにしも鳴きてきつらむ

そして近世
卯の花をめがけてきたか時鳥 (子規)
目には青葉山郭公初松魚  (山口素堂)

等々。伝統でごわす。そうだ、伝統どす。わてのような無教養な者にホトトギスの良さが和歌らんでごわした。トホホぎすでありんす。特許許可局とかてっぺんかけたかと鳴き声をバカにしている現代人にはわからんたい。

そんな自分がちょっぴり寂しくなった朝でした。でも夏は確実に来ていました。散歩道でみかけた、紫陽花の花、若竹、そして金糸梅、ジャガイモの花、里芋の葉っぱの朝露。









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山あじさいの龍馬 

2008-05-27 08:43:34 | Weblog
ミニコミ誌の記事、”鎌倉宮境内に山紫陽花の散歩道が”に誘われていそいそと二人で出掛けてきました。鳥居の前には”護良親王生誕700年記念、神苑山あじさい、花の散歩道”という立て看板があって、鳥居をくぐると、たくさんの山あじさいの鉢植えがテント内に展示されていました。


とてもうつくしい山あじさいの数々でした。どうも市内の山あじさい愛好家たちが出品しているようでした。いろいろ優雅な品種名がついていました。




そこだけでも十分楽しめましたが、神苑内にも、たぶん鉢ごと地面に植えた”地植え”の山あじさいが、たくさん咲き始めていました。


神苑内の、護良親王が幽閉されたという土牢の前にもいくつかの山あじさいが植えられていて、その凛とした山あじさいのひとつに目がとまりました。品種名をみておどろきました。”龍馬”とありました。今までみてきた、うつくしい紫陽花にはそれなりに、優美な名前がついていましたので、この”優美”とは正反対の、幕末の志士の名前には度肝を抜かれました。

きっと、この山あじさいは土佐の山奥に自生していたものに違いない、それにしても、”龍馬”と命名しなくても、せめて、奥さんの”おりょうさん”なら話はわかる、と思いました。まじまじとその山あじさいを眺め、命名者の心に迫ろうと思いました。上から、そして横からと。



たしかに、ボクが第一印象で感じたように”凛とした”立ち姿であり、顔も、自分の信じた道をひとすじに、とゆう風情でした。ふむふむ、これは男の顔だ、土佐の男といえば、吉田茂、岩崎弥太郎、牧野富太郎、横山隆一と各界のチャンピオンがいるが、しげる、やたちゃん、とみたろう、ふくちゃん、ではなく、やっぱり龍馬だと、ボクもナットクしたのでした。

そして、その横のが、”おりょうさん”だとボクはかってに命名しました。少し前の新聞だったか雑誌だったかに、”おりょうさん”の写真がみつかったという記事が出ていて、写真も載っていましたが、とても美人で雰囲気がこのあじさいによく似ていたからです。


・・・
鎌倉宮の近くでランチをいただき、ワイフは女子大の市民講座を聴くために二階堂校舎へ、ボクは鎌倉駅へ戻りました。暑かったので、逗子の図書館でもと、電車に乗ってすぐに、ふと、おりょうさんのことを思い出し、おりょうさんが晩年すごした横須賀方面に向かってしまいました。でも、去年、訪ねた横須賀のお寺にあるお墓までは行かず、横須賀駅前の、港を望むヴェルニー公園のバラを観てきました。横須賀は軍港でしたが、龍馬は海軍の祖ともいうべき海援隊をつくっています。司馬遼太郎によると、横須賀で亡くなられたおりょうさんの野辺の送りに、ここの海軍の士官が参列したそうです。



バラの龍馬かおりょうさんもいるかもしれないと、95種類2,000株もあるとゆうバラ園の中を探して歩きましたが、見つかりませんでした。その代わり、龍馬やおりょうさんと同じ時代を生きた二人の男の像と、そのそばの彼らに相応しいバラの花をみつけました。幕末に日本初の横須賀製鉄所の開設に貢献した小栗上野介忠順と、この公園名の由来になっているフランソワ・レオンス・ヴェルニーの像です。小栗上野介像のうしろには”桜霞”、ヴェルニー像のそばには”ラ・フランス”とゆう名のバラが優美な花を咲かせていました。

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五月場所予想星取表の結果は?

2008-05-26 09:16:53 | Weblog
大相撲五月場所も、まったく予想外であった、大関琴欧州の優勝で幕を閉じました。ボクの初日段階での今場所星取り表予想でも、琴欧州は7勝8敗で負け越し、大関陥落という厳しい判定でした。それが、あれよあれよという間に、白星を重ね、両横綱まで破り、賜杯を獲得してしまいました。7日目の稀勢の里戦勝利で勢いがつき、12日目の白鵬戦勝利で優勝に一気に近づきました(両方とも変化したのが残念でしたが)。それでも、青白のモンゴル勢ばかり優勝が続き、相撲フアンも、少々、青白い顔をしていましたが、久し振りに琴の音(和風ならもっと良かったのですが;笑)の響きにうっとりしました。

さて、ボクの今場所の予想星取り表の結果を報告したいと思います。前述のように、琴欧州の成績はおおはずれでしたが、その他は結構あてているんですよ。ボクが応援している三羽がらすのうち、稀勢の里(10勝)、豊真将(9勝)もぴたり賞ですし、安馬(9勝)等4力士も的中です。1勝ちがいの、両横綱等の”ほぼぴたり賞”を含めると、20力士中10力士をあてており、的中率は5割です。えへん、松井やイチローの打率より上です。

でも、はずれも結構でました。期待はずれ組です。把瑠都がその筆頭です。あれだけの素材が、少し前の琴欧州のように萎縮しています。わずか5勝です。それに若手のホープ、栃煌山 も期待を大きく裏切りました。あの位置で負け越しとは体調がよほど悪かったのでしょうか。豪栄道豪太郎も、あの位置では二桁勝ち星をあげなければいけません。予想外に頑張ったのは若の鵬でした。上位と当る位置での勝ち越しはりっぱです。稀勢の里に勝って、勢いづいたようですね。それにまだ19才、今後が楽しみです。変化しなくなったのもいいですね。安馬に荒技をかけられて荒れていたようですが、怪我しなくて良かったです。怒るのも当然でしょう。

・・・・・
ボクの初日段階での予想と実際の成績一覧です。ぴたり賞には、ほぼぴたり賞にはの印しをつけています。ひとつにつき、千円の賞金をワイフからもらえることになっています。合計1万6千円になります。当面、毎日使う、スイカのチャージに使いたいと思っています(汗)。

。。。。。

五月場所・予想星取り表           

朝青龍    12勝3敗 (ほぼぴたり11勝)
白鵬     12勝3敗  (ほぼぴたり11勝)
琴光喜    10勝5敗  (ほぼはずれ8勝)
魁皇      8勝7敗  (ぴたり賞) 
千代大海   8勝7敗   (はずれ5勝)
琴欧州   7勝8敗  (大はずれ14勝)
安馬     9勝6敗  (ぴたり賞) 
琴奨菊    7勝8敗 (ほぼぴたり8勝)
稀勢の里   10勝5敗 (ぴたり賞)
朝赤龍    6勝9敗  (ぴたり賞)

黒海    6勝 9敗   (はずれ3勝)
把瑠都     9勝6敗  (大はずれ5勝)
旭天鵬   4勝11敗  (ぴたり賞)
若ノ鵬    5勝10敗  (はずれ8勝)
雅山    5勝10敗  (ほぼぴたり6勝)
鶴龍    8勝7敗  (はずれ5勝)

栃煌山    8勝7敗 (はずれ5勝)
豊ノ島    9勝6敗 (はずれ11勝)
豪栄道   10勝5敗 (ややはずれ8勝)
豊真将    9勝 6敗 (ぴたり賞)



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稀勢の里 二桁勝利そして敢闘賞

2008-05-25 19:00:11 | Weblog
大相撲5月場所千秋楽。稀勢の里がやってくれました。雅山を危なげなく破り、念願の(稀勢関もボクも)三役二桁勝ち星を勝ち取りました。おめでとう、稀勢関。殊勲賞かと思いましたが、琴欧州優勝で、欧州を破った安美錦に殊勲賞がいきました。でも、十両時代からのライバル豊ノ島と同時に敢闘賞(ともに2回目)を受賞しました。同じくライバルだった琴欧州が優勝を飾った場所での両力士の共同受賞は、とても意味のある、エポックメイキングな場所だったと後に評価されると思います。

できれば、今日、琴将菊が普天王に破れ、負け越して関脇転落で、稀勢の新関脇昇進を確実にしたかったのですが(琴将菊フアンの方にはぺこり)、大熱戦の末、琴将菊が勝ちを拾いました。これで稀勢の新関脇昇進は微妙になりましたが、ボクが相撲協会の審判部であったなら、張出関脇に稀勢を昇進させ、小結には、安美錦と豊ノ島を昇進させます。さすれば、稀勢と豊ノ島が意気を感じ、来場所は琴欧州と両横綱を含めた優勝争いに食い込むような力を発揮することでしょう。是非、北の湖理事長の英断で、新関脇稀勢の里の誕生を実現させて欲しいと思います。

稀勢の里、雅山を押し出す。


勝ち名乗りを受ける稀勢の里、敢闘賞受賞も決まる。


琴欧州、14勝1敗の堂々たる優勝。


両横綱、にらみあい。明朝のマスコミ世論はうるさいでしょうが、この程度は問題なし。もっとやれやれ。






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両国界隈

2008-05-25 10:21:40 | Weblog
両国に相撲見物に出掛けても、たいてい国技館に直行してしまうか、お隣りの江戸東京博物館に寄り道をするかのどちらかで、両国の町を歩くことはめったにありませんでした。久し振りに午前中の2時間ほど歩いてみました。

両国駅西口の国技館通りを、回向院方面に向かって歩いていきますと、こんなお相撲さんの像が。近づいてみると歴代横綱の押し手形が刻印されていました。たまたま近づいた像には、稀勢の里の親方、おしん横綱・隆の里の手形をみつけました。これは縁起がいいぞ、今日こそ稀勢勝つぞというしらせだぞと思いました。同時代の横綱の北の湖、若乃花(二代目)の手形もありました。いくつもの手形像を横目でちらりと見ながら通り過ぎ、また近づいた像には、東富士、千代の山、鏡里、吉葉山、栃錦、若の花の手形が。な、なななつかしい、わが少年時代の大スターたち。ボクは千代の山のフアンでした。千代の山の大きな大きな手を写真に撮りました。紅顔の美少年時代を思い出しました。



やっぱり両国は相撲の町です。歩いているお相撲さんを何度もみかけました。相撲部屋もたくさん。栃錦のいた春日野部屋、千代の山がいた出羽の海部屋、そして鏡里がいた時津風部屋。最近の事件に名門”双葉山相撲道場”のむかしの看板が泣いていました。



そして回向院。ここの境内から大相撲が始まりました。両国と大相撲の関わりは深いのです。一次、蔵前に移りましたが、両国に新国技館ができて現在に至っています。力塚の前の案内板にそう書かれていました。



ここには、安政の大地震、振り袖火事、関東大震災等で亡くなられた方の霊もねむっています。また、ネコに小判の民話の発祥地で、猫塚もあります。そのせいか、ペットの供養塔も目立ちました。悪徳商人から大金を盗みとり、貧乏人にお金を配った、鼠小僧次郎吉のお墓も。今は大金持ちにはへいこらし、貧乏人から金を巻き上げる盗人ばかりですね



両国は、こんな有名人の生まれた所だったのです。ひとりは勝海舟。赤坂か洗足池あたりかなと思っていたのですが、ここだったのですね。司馬遼太郎作品の影響からか、勝と西郷、それに龍馬、この三人が好きです。
そして、もう一人は北斎。清澄通りを上がると、”葛飾北斎生誕の地”の碑をみつけました。ここで生まれましたが、たしか希代の引っ越し魔で、あちこち転居しています。それに名前まで変えたそうです。借金取りに追われていたのでしょうか。それとも、きれいな喋になるまではと、意識的に幼虫時代(修行時代)は脱皮を繰り返していたのでしょうか



そして、ボクは、北斎通り(通りの名前もあるのですよ)を戻り、清澄通りを横切り、この遊歩道を通って、国技館に向かったのでした。



。。。

昼食は清澄通りから両国駅方面に少し入ったラーメン屋さんに入りました。冷やし中華がおいしかったです。なかなか、ボクの気に入る冷やし中華はないんですよ。合格です、当面、冷やし横綱に認定したいと思います。それに量がすごいです。通常の2倍はあります。さすがお相撲さんの町ですね(笑)。人気のお店らしく、賑わっていました。それに有名人のサイン入色紙がいっぱい飾ってありました。味噌ラーメンの注文が多かったので、次回はこれにしたいと思います。ボクは味噌ラーメンも好きで、湘南地区では茅ヶ崎の加山雄三通りをだいぶ先に行ったお店のが気に入っています。どちらが、味噌ラーメン横綱か、今度行ったときに、決めたいと思っています。

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