気ままに

大船での気ままな生活日誌

思い出旅行(1)

2006-08-31 18:56:13 | Weblog
満員でキャンセル待ちになっていたA旅行社のツアーが、急遽OKとなり、出かけることになりました。黒部アルペンルートと上高地を訪ねる旅です。このコースは、私達の新婚旅行コースの一部にもなっていましたので、久しぶりに行ってみようかと応募しておいたのです。ミスターが、巨人軍は永遠に不滅です、と涙ながらに叫び、後楽園球場を去った年ですから、もう30年以上も昔になります。

東京駅八重洲口に集まった、参加者のほとんどが熟年夫婦でした。総勢20数名が上越新幹線のマックスとき315号に乗り込みます。あっという間に高崎、そして、清水トンネルに入りました。長いトンネルです。すぐ川端康成さんの名文を思い出しました。ーーー「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった 夜の底が白くなった」いいですね、小説の書き出しではピカイチですね、和歌では西行の「心なき身にもあはれはしられけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」ですね、俳句では芭蕉の 「よくみれば なずな花咲く 垣根かな」でしょうか、川柳ではと、頭を巡らします、「本降りに なって出て行く 雨宿り」 これですね、映画のラストシーンは、ーーと連想ゲームの輪を広げます。すると突然、「長いトンネルを抜けると、目の底が白くなった」で目が醒めます。越後湯沢に着きました。

ここから先は、私には初めて乗る路線です。はくたか6号で、富山まで行くのですが、帰ってから時刻表で調べてみましたら、北越急行という路線を使っていました。米どころだけあって、豊かな水田地帯が続きます。魚沼の地名も看板で見えましたので、きっと、あの有名銘柄もこの辺りなのでしょうか。初めてのところは、何気ない、どんな景色でも全く飽きません。しばらく走り、直江津に着きました。搭乗員さんが駅弁を配ってくれます。謙信公お立ち弁当とあります。この近くに謙信さんの難攻不落といわれた山城、春日山がありますので、そこに因んだ名前でした。普段は倹約家の謙信さんは、合戦の前には、大盤振る舞いの食事を用意したそうです。それで、お立ち弁当という名前なのです。陣中食のしそにぎりと栗おこわをメインにした、おいしいお弁当でした。

直江津からは海辺を走る、北陸本線に入ります。糸魚川、親不知、魚津など知ってる名前の駅を過ぎ、富山に近づく頃、車内アナウンスがありました。おわらの風の盆は9月1日と2日に行われまーす、どうぞ、おいでください、との短い案内でしたが、お祭り好きの私としては、聞き逃せません、とくに風の盆は「一度は行きたい老舗盆踊り」です。これはワイフも同様で、すでに、ツアー仲間から、かなりの情報を集めています。富山の近くの八尾という小さな町に、大勢の人が詰めかけるため、交通手段と宿泊場所が問題になります。雑魚寝して泊まる旅館が八尾にあるので、そこを利用するツアーがいいのではないかと、ワイフは言います。いびきや寝相も気になるし、よその奥さんが隣に寝ているのも、落ち着かないしね、というと、いいのよ、風の盆は夜中じゅうやっているから、寝ないでいいのよ。明け方帰ってきて、ちょっと休めばいいのよ、と言うのです。なるほど、これにしよう、来年は、と二人で合意しました。でも、すぐ、定員が埋まっちゃうらしいのよ、だそうです。また、来年もキャンセル待ちになりそうです。

そうこうしている内に富山駅に着きました。駅の売店で名物の鱒寿司を売っていました。赤い鱒と白い鱒の絵の、2種類の弁当がありました。グルメに詳しいワイフが、赤の方が上等で、高いけどすぐ売り切れるのよ、と言っていました。私が大船の鰺の押し寿司は、安い方がおいしいよ、と言うと、そんなことはないと一蹴されました。新婚旅行のときは、今回と逆コースで、アルペンルートを終え、富山駅に着きました。そのとき、ここで、鱒寿司を買い、飛騨高山に向かう列車に乗り換えました。それが、赤だったか、白だったか、(ワインみたいですね)憶えていません。 

(つづく)






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お祭り三昧(2)

2006-08-28 05:40:14 | Weblog
原宿駅に着きますと、小雨がぱらついています。たいした雨でないので、すぐ止むだろうと思ったら、その通りでした。10分ほどで傘をしまいました。スーパーよさこい2006、の5つの会場のひとつ、代々木公園の入口広場で、まず楽しみました。最初のチームは、なんと、地元の「原宿よさこい連」です。何を隠そう、私は今年の本場高知のよさこい祭りをみてきているのです、えへん。嘘ではありません、なんと、と言ったのは、この連は高知のよさこい祭りに招待され、私もそこでみたのです、また、そのとき、演舞前のチーム紹介で、8月末に原宿でこのスーパーよさこい祭りが開催されることを初めて知ったのです。是非行かねばと思ったわけです。私が、同じ年の高知よさこいとスーパーよさこいの両方をみるきっかけをつくってくれたのが、この原宿よさこい連なのです、仲人みたいなものなのです。縁ですね、何十もある連の中で私の前に最初に現れてくれました。江戸前のよさこいが売りの小気味の良い踊りと音楽でした。高知のときはあまり、気づきませんでしたが、鳴子のリズミカルなカタカタもよく聞こえました。衣装も格好良かったです。ここで、いくつかのグループの演技を楽しみました。

公園内を楽しげに歩いていく、破れたジーンズのカップルや、出店のお好み焼きを忙しそうにつくっているおじさんの働く姿にときどき目を向けながら、NHKストリート会場の方に移りました。

見覚えのある、衣装をつけた娘さんがひとり、目の前を歩いていました。ピンク色の模様の浴衣に、頭には阿波踊りのような、編み笠をしています、あっと思いました、よさこい通(すみません、もう通のつもりです)なら、知らぬ人はいない、有名連です。背中の文字で確認しました。十人十彩(じゅうにんといろ)です。今年の高知のよさこい大賞をとったチームです。高校野球でいえば、早実です。青いハンカチです。もちろん高知でも踊りは、私もみました。素人目にもすばらしく、斉藤投手のように、力強く、また優雅でした。

思い切って声をかけました。(私)あのー、十人十彩の方ですか、(怪訝な顔で)そうですが、何か、(私)高知でみました、大賞おめでとうございました、(にっこり笑って)どーもありがとうございまーす、(私)原宿には、そのときのメンバーが来てるのですか、それともこちらに来るのは二軍ですか、(おかしそうに)ほとんど、同じメンバーですよ、一軍です。そして、このストリートでは、あと、20分くらい後に演舞する予定であると教えてくれました。

何んて、ついているのだろう、と思いました。この時点まで、私はプログラムを持っておらず(帰る頃、ようやく売っているところをみつけました)、どこのチームが、どこの会場で、何時に演舞するか、全く知らなかったのです。一番のお目当ての、十人十彩が、ここで、すぐみられる偶然におどろきました。

十人十彩の先導車が動き始めました。テレビカメラが踊りの列に入ります。観客のカメラマンも急に増えたようです。ほかのチームの人もみにきています。斉藤君の9回表の投球のような、緊張がはしります。編み笠のピンクの衣装の女踊りと、青い衣装の男踊りが、始まります。ときに激しく、ときに優雅に、見事な調和をとりながら、踊り進みます。ときどき大きな拍手と歓声が起こります。観客の中の、ほかの連の人が、あの動きは、なかなか出来ないと感心しています。高知では、桟敷席だったので、動けませんでしたが、今回はフリーですので、ゴール地点まで、一緒に歩いて、前から後ろからと、十分鑑賞しました。さっきの娘さんを探したのですが、見つかりませんでした。

いくつかのチームのあと、大阪の女子中学生を中心としたピンクチャイルドチームが入ってきました。チーム名通り、ピンクと白を組み合わせた衣装で、飛んだりはねたり、走ったり、若者らしい、活気にあふれた踊りでした。全体として、よくまとまり、美しい動きで、観客を魅了させます。私は、全体だけではなく、踊っている一人ひとりの顔もじっくり、観察していました。みんな、なんと、生き生きした顔だろうと思いました。こんな美しい顔は、私が、普段みる中学生の中には見つけることができません。

はじめの予定では、もうひとつ、高円寺の阿波踊りにも行く予定でした。三つの夏祭りをみて、文字通り、お祭り三昧にしようかと思っていたのです。しかし、もう十分と思いました。浅草のカーニバルとここのスーパーよさこいに参加されておられた方々から、十分すぎるくらいのエネルギーをもらいました。お祭り三昧の1日でした。







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お祭り三昧(1)

2006-08-27 08:33:36 | Weblog
お祭り三昧の1日でした。お昼前に浅草に着きました。まず腹ごしらえです。ひとりのときは、たいてい地下鉄浅草駅前の神谷バーに入ります。いつもは、居酒屋風の1階の方に行きますが、さすが今日は、開いてる席がありません。しかたなくレストラン風の2階に上がります。席が空いてそうに、見えたので、しめしめと思ったのが間違い、そこは予約席でした。満席とのこと。でも待ち人は2人しかいませんでしたので、待ちました。タッチの差でした。私のあと、次々とお客がきました。15分で窓側の落ち着ける席に案内されました。

ビールの中生をまず頼みます、ここのは、中と言っても、ほかの店の大にあたります。ここの大はすごい大きさです、隣の人はこれの2杯目を頼んでいました、すごい。つまみは、必ず、好物のジャーマンポテトを頼みます、加えて、今日は、カニコロッケとエビフライがひとつずつ入っている皿も注文しました。ここのは、どれもこれもおいしいです。飲みながら、食べながら、さきほど駅で100円で買った、第26回浅草サンバカーニバルの案内を検討します。1時半頃に、この辺りを行進するようです。

店を出ましたら、びっくりしました。目の前の雷門通りは人人人で一杯です。なかなか前に進めません。「そんな人混みの中、私はいやよ、家にいた方がよっぽどいい」という、出かける前のワイフの声が、勝ち誇ったように、私の頭の中で響きます。これは、困った、この近くでみる予定にしていましたが、作戦変更です。仲見世通りの手前の裏通りを観音さまの方向に歩き、馬道通りのスタート地点に出ました。すでに、パレード直前のグループが、身体を軽く動かしながら、待機しています。観客は、雷門の近くよりは、すいてましたが、人垣は、幾重にもなっていて、なんとか、パレードをみれそうですが、とてもカメラ撮影ができる状況ではありません。

それではと、さらに先に進んでみました。馬道通りを少し先に行き、右に曲がりました。ここまで来ると、観客は急に少なくなります。あたりまえのことです。でも、ここでは、大勢の、行進前のグループが、赤や青の華麗な衣装をつけてウオーミングアップをしています。サンバの踊りはみられませんが、踊り子さんは間近で、みられますし、カメラ撮影も容易です。これは、いい、と思って観てましたら、地元の人が寄ってきて、ここが一番いいよ、外の人は何時間も前から、席とりしているけど、俺はいつもここだ、と言っていました。周りをよくみるとカメラマンがずいぶんいることに気づきました。背中に羽根をつけ、派手な色の衣装をまとった宝塚スターのような、踊り子さんや、逆になにもつけていないような、露出度の高い、スタイル抜群の踊り子さん達にカメラマンが、大勢たかっています。カメラを下に向けないでくださーい、という声も聞かれました。どういう意味なのか、今でも分かりません。

さらに、踊り子さんの姿を指標に、「踊り子川」の上流に向けてを歩いていきますと、浅草小学校の前の公園に出ます。どうも、ここが水源地のようでした。ここでは、いくつものグループがいて、リハーサルをしていました、コーチの方は、本場のリオから来たような顔でした。激しいリズムに会わせて身体をくねらせ、情熱的に踊っていました。しめしめ、これで、踊りまでみることができました。やはり、ここにも、地元の、通の人が、ゆっくりとベンチに座ってみていました。ここにしばらくいて、3つくらいのチームの踊りをみさせてもらいました。

地下鉄の駅に戻るときに、馬道通りを歓声の中、華やかにパレードするチームを、ときどき、人垣のうしろから、背伸びしながらみていきました。すでに楽屋裏でみた踊り子さん達ばかりでした。

今日のような、こういう祭りの見方もいいな、「ひとの行く 裏にみちあり、花のやま」かな、ちょっと意味が違うかな、「小さな旅、サンバ踊り子川の源流を訪ねて」、かな、これも、ただの自己正当化かな、等つまらないことを考えながら、次の目的地、スーパーよさこい祭りの原宿に向かいました。

(つづく) 
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青いハンカチ

2006-08-26 06:49:12 | Weblog
早稲田実業の斉藤佑樹投手の力投には感動しました。前日の決勝延長戦を完投し、なお、次の再試合まで完投し、驚いたことに、9回表の投球でも、140キロ以上の球速を維持していたのです。4日連投なのにです。こんな、投手みたことがありません。先輩の元ヤクルトの荒木さんが、僕よりずっと上、というコメントを残していましたが、あながち、外交辞令とばかりとはいえないでしょう。怪物といわれた江川さん、松坂投手に負けないかもしれません。

斉藤投手の青いハンカチも大きな話題になっています。端正な顔立ちの斉藤投手が、投球の合間にそっとポケットから取り出し、静かに、顔の汗をぬぐう姿は、なんともいえず、優雅で、絵になっていました。若い女性ばかりではなく、中高年のおばさん達の胸がきゅんとなったというのも、うなずけます。ハンカチ王子とは、よく言ったものです。


でも本来、ハンカチは、汗よりも涙が似合うものです。斉藤君の青いハンカチも控え室では、こみあげてくる涙の目頭を、そっと押さえたはずです。

ハンカチと涙。詩が生まれ、歌が、物語ができます。

赤いハンカチ。斉藤君と同じ「ゆうちゃんの」歌です。私が、カラオケで必ず歌う歌です。アカシアの 花の下で あのこがそっと まぶたを拭いた 赤いハンカチよ うらみにぬれた目頭に それでも涙は こぼれて落ちた。

木綿のハンカチーフ。これもいい歌ですね、妹が必ずカラオケで歌います。太田裕美さん(裕はゆうと読みますね、無理にこじつけることはないのですが)の哀調をおびた歌唱力が心に響きます。恋人よ 君を忘れて 変わってく ぼくを許して
毎日 愉快に過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない あなた 最後のわがまま
贈りものを ねだるわ ねえ 涙拭く 木綿のハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい。

幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ。いい映画でした。私が海外勤務から帰るJALの中でみた、思い出の映画です。高倉健演ずる勇作(これも、ゆうですね)は刑を終え、車で妻のいる夕張に向かっています。「もし、まだ、待っててくれるなら、黄色いハンカチをぶらさげておいてくれ、それが目印だ、もしそれが下がってなかったら俺はそのまま引返す」という手紙を出しています。クライマックスです、同乗の桃井かおりが叫びます。「ほらー、あれ!」。指の先には、何十枚もの黄色いハンカチが大きな竿に、はたはたと、おかえりなさいと、風にたなびいています。じっと待っていた妻(倍賞智恵子)のうれし涙の顔が心に浮かぶ、感動的シーンです。

斉藤君の人生はこれからです。彼の青いハンカチは、これから、嬉し涙、悔し涙、悲しい涙、いろいろの涙をぬぐうのでしょう。







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博士の愛した数式

2006-08-25 17:56:42 | Weblog
歩いて5分くらいの所にある、鎌倉芸術館で上映された「博士の愛した数式」を妻とふたりでみにいきました。先月、円覚寺の夏季講座に参加したときに、管長さんがこの映画をみて、感動したというお話を聞いていたからです。小川洋子さん原作で、本屋さんが投票で決める、本屋大賞をもらっていることは知っていましたが、まだ本は読んでおらず、予備知識なしで行きました。

「雨あがる」の小泉堯史さんが、監督です。俳優さんも、「雨あがる」の寺尾聰さん(今回、博士役)、そして、私の好きな深津絵里さん(家政婦さん)、まじめ役がぴったりの吉岡秀隆さん(家政婦さんの子供で、成人して数学教師になったときの役です、子供時代はかわいい子役がじょうずに演じていました)、浅丘ルリ子さん(義弟の博士と邸宅の別棟に同居している、以前義弟と道ならぬ関係にあったという役)と芸達者な布陣です。数学教師(吉岡)の中学校での授業風景から始まり、彼の回想という形で物語が進んでいきます。難しい数学のことがよく出てきますが、生徒に黒板に書いて、教えるというかたちで、観客にもわかりやすいように説明してくれます。これは、原作にはないようです。

交通事故により、80分しか記憶が残らないようになってしまった博士の元に、新しい家政婦、深津絵里がやって来ます。最初の言葉は、君の靴のサイズは、です。24センチです、と答えると、潔い数字だ、4の階乗だ、と、言います。電話番号はと聞きます。576の1455と答えます。すばらしいじゃないか、1億までの間に存在する素数の個数と同じだ、と感心します。記憶がなくなりますから、毎朝同じことを聞きます。深津も、はい、24cmです、きよい数字です、4の階乗ですと、明るく答えます、この笑顔がとてもいいです。やがて彼女の息子(子役)も訪ねて来るようになり、博士から、あだなを、頭の形からルート(√)とつけられます。そのあとの言葉がいいです。「おお、なかなかこれは賢い心がつまっていそうだ」そして、「これ(√)をつかえば、無限の数字にも、目に見えない数字にもちゃんとした身分を与えることができる」と付け加えます。別のところで、「子供は大人より難しいことで悩んでいるんだ」とのせりふも聞かれます。子供は大事に細やかな神経で、そしてほめて育てなければならない、という姿勢です。子供もすっかり、なつき、博士から数学のこと、そして、もっと大事なことも学ぶようになります。

博士は深津に尋ねます、君の誕生日はいつ。2月20日です。220か、チャーミングな数字だといって、自分の学生時代の学長賞記念の腕時計をみせます。284号の数字が見られます。黒板にふたつの数字を左右、上下離して書きます、君、約数は知っているねと、220は、1,2,4ーーーと、240は1,2,4,71,142,と、書いていきます。そしてやさしく言います、約数を足してごらん、深津は一生懸命計算します、答えが出ました。我々もあっと、驚きました。220は、240で、240は220なのです。正解だ、みてごらん、見事な数字のつらなりを、こういうのを友愛数という、めったにない組み合わせだ、あのデカルトだって、1組しかみつけられなかった、神の計らいを受けた絆で結ばれあった数字なのだ、博士は言います。深津はジーンときます。3人の絆は一層深まっていきます。

博士は数字の中で素数をとても愛していました。素数とは、1と自分以外では割り切れない数字です。誰にもじゃまされない、頑固もので、オンリーワンの数字です。また、直線を紙に引き、しかし、これは真実の直線ではない、どこまでも永遠に続くのが直線だ、だから、本物の直線はだれも描けない、心の中でしか描けない、永遠の真実は、目にはみえないところにあるものだ、と語ります。また、虚数のiは、imajinationの略だ、隠れている、心の中の数字だ、それでも絶大な働きをする、謙虚な数字だろう、と語ります。さらに、自分自身のことを省みて、今の、この瞬間の時間を大切に生きることが何より重要だと、語ります。毎日のようにくり返されるこれらの話の中で、深津も息子も、大事ななにかをつかんでいきます。

博士は野球好きでタイガースファンです。記憶が、途中からなくなっていますが、それ以前の選手の背番号はみな暗唱しています。彼は江夏の大ファンでした。その背番号28が滅多にない完全数(約数の合計が28になる)であり、村山のは、素数の中でことさら美しい数字、11だという、野球好きな私もあっと驚きます。

さて、博士の愛した数式を最後に紹介しましょう。18世紀最大の数学者オイラーの公式です。e のπi乗+1= 0 です。この数式内の、eとは、ー1の平方根のことで、永遠に数字が並ぶ無理数で、円周率πもよく知られているように永遠の数字です、iは虚数です。数学教師の吉岡が、わかりやすく説明します。地の果てまで循環する数と決して顔を見せない虚数が簡潔な軌跡を描いて着地する、一人の天才が1つだけ足し算をした途端、なんの前触れもなく、大きく変貌する、すべてが0に抱き留められる。ーーーー 本当になんと美しい、奇跡的な数式だろうと、素人の私にもわかります。そして、なんて、深い意味をもっているのだろう、これは、もうほとんど、東洋哲学、宗教の世界です。

日本最高レベルの宗教家が何度もみたといいます。共感するものがあったからです。私もとてもいい、心温まる映画だと思いました。深津さんの演技も良かったですし、寺尾聰さん、吉岡さんも役にぴったりでした。

映画が終わったあと、受付で売られていた、原作の文庫本を買いました。今日の感想文を書くときに大変役にたちました。映画の中のせりふは、ほとんど、本のと、同じだったからです。ただ、映画のエピローグに、とてもいい言葉(詩だったでしょうか)が写しだされてたので、その詳細を確認したくて、本の中を探しましたが、見つかりませんでした。脚本でつけ加えられたようです。そのうち、どこかで、その言葉に巡り会いましたら、今度は、メモをしておこうかと思っています。











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松ヶ岡暑気払い(完)

2006-08-24 15:23:38 | Weblog
急に鈴木大拙が座禅をはじめました。ちょっと前まで、となりの西田幾多郎と哲学の問題で討論(口論?)していました。生前、西田は、鈴木のことを無名時代から高く評価し、「君は最もえらそうでなくて、最もえらい人かも知れない。私は思想上、君に負ふ所が多い」と有名な言葉を残しています。お互いに尊敬しあう仲ですが、今日は珍しく、自己主張が多く、討論がかみ合いませんでした。禅の研究と善の研究のがっぷりよつです。ゼンとゼン、同じゼンなら座らにや、そんそん、と阿波踊りみたいなせりふを残して、大拙が座禅を始めてしまったというわけです。

うしろにすわっている、財界人、安宅と出光は、隠しもってきたロマネコンティーをちびりちびりとやりながら、これまでの哲学者の話をにこにこしながら、聞いていました。ゼンゼンわからんなー、われわれには。膳の研究くらいならなんとかなるかなー、大船駅前の飲食店における和食膳の満足度の比較研究とかね、フフフ、とのんきな会話を交わしておりました。

となりには、和辻哲郎、安部能成、それと歌人の太田水穂が輪をつくっています。現世では、芭蕉研究会で一緒でしたが、天国にきましたら、わびとか、さびを感じる能力が消滅してしまいましたので、今は水芭蕉研究会で仲良くしています。天国の沼地はほとんど大賀はすのような古代蓮ばかりですので、水芭蕉を増やし、もう少し豊かな自然をと、研究会を立ち上げました。65才以上は無料というので、大船フラワーセンターにも、よく勉強に行っているようです。大拙が沈黙の行を始めてしまつたので、さみしくなった、西田が和辻のところに寄ってきて、共通の話題、京都奈良の古寺巡礼の昔話を始めました。

時はゆったり流れていきました。なんだか、みな、口調がおだやかになってきたようです。どうも、天国総督府が、マインドコントロールを徐々に元に戻しているようです。高見も元の席に戻り、前田の「洞窟の大拙」は、すばらしい出来だとほめています。今年の天国院展の金賞は間違いないと言っています。座禅が始まって、いいモデルになってくれたからだ、と謙遜しています。小林も「無私の精神」状態になってきたようです、目をつぶっています。

しばらくすると、ラストソングが流れてきました。例年、見上げてごらん夜の星を、月がとっても青いから、星のフラメンコ等、天に関係する曲なのですが、今年は、ふたりの女文士の強い要望により、島倉千代子の「人生いろいろ」になったようです。たしかに、現世では、涙あり、笑いあり、懸命に生きてこられた、個性豊かな天才たちを送るにはぴったりの歌のように思います。

ねぇ滑稽(こっけい)でしょ 若いころ、笑いばなしに 涙がいっぱい、涙の中に 若さがいっぱい、人生いろいろ 男もいろいろ、女だっていろいろ 咲き乱れるの
 (完)






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お台場結婚式

2006-08-23 22:36:33 | Weblog
昨晩、妹の長男K君の結婚式に参加しました。若者に人気の、お台場のレストランが会場で、参加者は新郎新婦の若い友達が中心ということでしたので、どういう会になるのか、とても楽しみにしていました。

マンションを出る頃は、ひどい暑さでしたので、行くだけで汗びっしょりになってしまうだろうと思い、キャスター付きの旅行バックに式服と下着を詰め込み、向こうで着替えることにしました。大船駅から新橋へ、そして、ゆりかもめでお台場駅に着きました。驚きました、平日の午後だというのに、すごい人出です。それも、若い人ばかりです。お台場の人気のすごさを改めて知りました。

レストラン内に式場があり、そこで人前結婚式というスタイルで、おごそかに、とり行われました。新郎新婦が、誓いの言葉を参加者の前で述べ、承認してもらうというかたちです。30年も前の、私らの時代は、神式が中心で、教会と仏式がこれに続き、人前はごく限られていました。今はこれが中心なのでしょうか、2年ほど前に参加した結婚式もやはり人前式でした。

披露宴が始まりました。若い人中心ということで、いろいろのスピーチや、歌あり踊りあり、の少し騒々しい会を想像していました。しかし、スピーチは、新郎と新婦の関係者、それぞれ1名だけで、とくに「芸能」関係もなく、全体として静かな雰囲気でした。お二人のじょうずなスピーチで、K君が人一倍仕事熱心で、また周りの人に慕われていること、そして新婦のNさんが、とても向上心があり、おもいやりも深いことがよく分かりました。Nさんとは、今回初対面でしたが、とてもチャーミングで、気だてのよさそうな娘(こ)で、嬉しくなりました。彼女のお母さんも、とても感じのいい人で、30年後のNさんをみるようでした。

おいしいイタリアン料理をいただきながら宴は進みます。上等なイタリアワイン、そして何故だか、私の好きな新潟の名酒「上善如水」まで用意されていました。Nさんとお母さんをちらちら見ながら(笑)、久しぶりに会う妹のご主人側の親戚の方々と談笑しながら、お酒が進みました。

クライマックスのときがきます。ここは、いつの時代も変わりません。Nさんが、お父さん、お母さんにお礼の言葉をかけるときは、涙なみだでした。一方、K君は照れくさそうに、お礼を言いながら、今度は僕がお世話する番だと結んでいました。母親である、私の妹が泣いていました。いろいろ苦労してきた妹のことを知っている、私も思わず、もらい泣きです。窓の外は、すっかり暗くなっていましたが、その分、レインボーブリッジがあざやかに光り輝き、若いふたりを祝福しているようでした。

感心したことがありました。80才を越えた、K君の祖母2人が出席していましたが、宴の中で、ふたりに対しての、思いやりのある対応をしたことです。あいさつの中でやさしい、いたわりの言葉をかけただけではなく、新郎が一時退場するときのエスコート役をやってもらったり、気遣いのある演出がいくつもみられました。私の前の席に二人は座っていましたが、慣れない洋食で(とくに私の母は、和食党です)、食はあまり進みませんでしたが、いつになく明るい表情がとても印象的でした。

いい結婚式だったね、と皆と話しながら帰ろうとするときに、妹が、3本の上善如水をそっと、バッグに忍ばせてくれました。ワインのだめな人もいるだろうからと、特別に注文していたのが、残ったようです。

今晩、秋刀魚の塩焼きをさかなに、このお酒をいただきました。昨日の、様々なシーンを思い浮かべながらのお酒は、いつになくおいしいものでした。









































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松ヶ岡暑気払い(3)

2006-08-21 22:08:17 | Weblog
先生知ってますか、あそこの赤い口紅の女文士は、白樺派の武者小路実篤の愛人だったそうですね、と無名人Mは小林に話しかけます。虚をつかれた小林は口をもごもごしています。大阪毎日にいた、真杉静枝は若いときは大変な美人だったそうです、武者が最初に彼女に出会ったとき、あなたは笑うとセザンヌが描く女にそっくりだ、また、別のとき最中を食べる静枝の様子をじっと見つめ、こんなにおいしそうに食べる人を見たのははじめてだと、言ったそうです、そしてそのあと、お決まりのコースです、愛人関係になりました、先生、武者さんというと、宮崎に新しき村をつくったり、真理先生じゃないけど、ほんとうに純粋の人で、まじめな印象ですけど、愛人をつくるなんて信じられますか、とMは畳かけます。小林は、それにしても、お前はずいぶんつまらないことまで知っているんだな、真杉の親戚かなにかかと問います。いや、たまたま、私の現世の縁者が大船行政センターの2階の図書館で立ち読みしているのをスーと飛んで行って、覗いてきただけですよ、林真理子の「女文士」という真杉の自伝みたいな本です、そこに今言ったことが全部書かれています、とMは答えます。

純粋で正直だからこそ、そういう関係になるのだ、そういう純な心がないと、文学者として大成しない、と小林はつぶやいて、口紅の女文士をしみじみと眺め直しました。ちょうど、大船軒の鰺の押し寿司を、本当においしそうに、ぱくついているところでした。なるほどと、うなずきながら、M君、俺だって、と語りはじめました。中原中也との三角関係のことです。話の内容は自分の行為を正当化させているようにも聞こえました。Mは尋ねます。比企幼稚園の向こうの妙本寺の海棠の花の下での中也と話し合いをしたそうですね、世間では、あれは和解の会談だと、言っていますが、本当のところどうなんですか。小林は、遠くをみるような目で、いや、和解なんか一生出来るものか、ただ、会っただけだ、中也も分かっているはずだ、と言って、珍しく涙目になりました。しばらく沈黙が続いたあと、Mはあの海棠は今もそのままですかと聞きますと、あれは枯れちゃったよ、今あるのは、二代目のものだよ、今でも、花の時期には、飛んでいって見にいくんだ、思い出さんこんにちわ、だ、島倉千代子だな、と照れくさそうに言いました。Mが、でも海棠の花は海蔵寺の方がいいですね、と言うと、俺も亀ヶ谷に住んでいたことがあるからよく分かるよ、と答えました。調子に乗って、菖蒲もいいですよ、最近「さらい」の表紙を飾りましたよ、と言いますと、そんなことは、どうでもいいという顔で、また真杉静枝の方に目を向けていました。

田村も真杉以上に波乱の現世でした。ペンネームの名前をいくつももっていますし、不倫歴も真杉に負けません。ふたりは、うなずいたり、肩に手を回したり、ため息をついたり、ふたりのために世界はあるの、と言った感じで話がつきないようでした。すると、真杉のところに、三枝との話を終えた、高見が近寄ってきました。どういう関係だと、小林が少し不快そうにつぶやきます。また天国で三角関係になるとまずいと思い、Mは即座に答えます。現世で親好があったそうです、愛人関係ではなくドライな関係です、葬儀のとき弔辞を読んだと聞いています。それも真理子の本からの情報か、と小林が聞きます。そうです、と答え、つづけて、真杉は、同じ白樺派の美男子の志賀直哉にも関心をもったみたいですよ、結局、進みませんでしたが、と言ったとたん、小林の目がきらりと光りました。脇差しに手がいったようにもみえました。しまったとMは思いました、志賀は小林の師匠です、小説の神様は、小林にとっても神様みたいな人だったのです。愛人がどうのとか、いう話題の中に志賀を入れるのは小林の前では禁句だったのです。Mは急遽話題を変えます。

今日は、奥さん方は、飲み会には出ず、日帰りの南イタリア旅行に行っているようですが、なんでこのくそ暑いときに、あちらに行かれたのですか、とMは尋ねました。われわれは暑さ、寒さは感じないから、関係ない、行き先は、俺のファンという大船に住んでいる奴の意見だ、そいつはときどき、俺の墓お前で、立ち食い蕎麦は、鎌倉駅構内の大船軒がうまい、中華は大船の千馬が安くてうまい、飲み屋はかんのん、とかつまらないことをぐたぐた言っているが、この前はJTBのツアーで行った南イタリアが良かった、シチリア島は、ギリシャ、ローマいろいろな文化が融合した建造物が見られて面白い、是非行ってください、と言うのだ、それをワイフに伝えたら、松ヶ岡自治会で提案し、そこに決まったらしい、と答え、大分機嫌が直ってきました。あっ、西側に陣取る、哲学者グループの方でなにか動きがあったようです。

(つづく)
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松ヶ岡暑気払い(2)

2006-08-21 14:33:04 | Weblog
酒が回り始め、あちこちのたまりから、なごやかな笑い声に混じって怒声も聞こえてきました。天国では通常、みなさん、とても、もの静かで、まるで天使のようにふるまっています。争い事など聞いたことがありません。ただ、今日のお盆の暑気払いと年末の忘年会の日だけは、別です。この両日、天国総督は、住民のマインドコントロールをはずし、ガス抜きをします。ですから、この日は、現世の性格がもろに出てしまいます。それ以上に困るのは、現世では、理性というもので、深層心理というか、真性の性格というものを隠していたのですが、今日はその理性もはずされますので、すべてをさらけ出すことになります。それがどうしても耐えられないと、今回欠席された方も数名いるようです。野上弥生子夫妻もそうだと聞いています。

高見と前田が言い争いをしています。高見がピースを1箱吸いきって、いらいらしているのを見て、前田が、そんなに吸いたければ、そこの、いわたばこの葉っぱでも咬んでればいい、と突き放したのが、けんかの発端です。花の時期には、これをわざわざ見学にくるほどで、傍の岩の壁にはたくさんのいわたばこが生えています。今は花はありませんが、生き生きとした葉は、たばこ葉にそっくりです。何っ、と前田は青筋をたて、なんだ、お前のうち(墓)は、大げさで、大きいばかりで、情緒なく、全然ここには似合わないぞ、高野山にでも引っ越せ、同じようなのがいっぱいあるぞ、小林のように石ころを重ねた、ひっそりした五輪塔の方がここでは尊敬されるんだ、と言い放ちました。前田も負けていません。お前こそなんだ、マンションでいえば、最上階の東南の角みたいなところに住みやがって、一番値段も高いんだろう、身分不相応とはお前のことだ、それに比べ、俺のところは、日当たりは悪いし、風通しも悪い、中古マンションなら一番売れにくいところだ、ただ誤解のないように言っておくけど、あの家の形は俺の本意ではない、周りのものが、つくってくれたんだ、と言い返しました。そのあと、絵のこと、詩のことで言い合いが続きました。こんな会話も聞かれました。今お前が書いている絵はなんだ、どいつもこいつも、みんな洞窟に入っているではないか、そんなに「洞窟の頼朝」が忘れられないのか、とか、なんだそんな寝不足の赤い目をして、おまえこそ、家の前の、赤い芽の詩が乗り移っているぞ、とか、です。

突然向こう正面から、大きな声がありました。小林です。おい、高見、そんなところで高見の見物をしていないで、こっちへ下りてこい、一緒に貸本屋をやった中ではないか、そんな話をしようじゃないか、と助け船を出します。二人が今にも取っ組み合いの喧嘩になりそうだったからです。たばこは、あるかい、と高見が聞くと、マルボローライトならある、という言葉でいそいそと下りてきました。一服つけながら、終戦の年、本に飢えていた市民のために、鎌倉文士が自分達の蔵書本を持ち寄り、貸本屋をつくった頃の話をし始めました。川端康成、久米正雄などの名前も聞こえてきました。しばらくすると、高見の表情がだいぶ、おだやかになってきました。貧乏だったけど、いい時代だった、と涙ぐみます。高見が赤い目をこすり、向こうをみると、三枝博音がいます。国鉄の鶴見事故で天国に来られた方ですが、鎌倉アカデミアの校長だった方です。終戦後、鎌倉に自由な大学をつくろう、と材木座の光明寺を教室にして発足したのが鎌倉アカデミアです。残念ながら4年半で終わりましたが、山口瞳、いずみたく、前田武彦等ユニークな人材がここを巣立ちました。高見が、この学校を小説(小説神聖受胎)のモデルにしています。ちょっと話してくるよと、高見は、三枝の方に移っていきました。

小林はぐるっと全体を見渡します。左手前方に目をやり、女性陣は少ないな、たった3人かと、小声で言いながら、ひとりぽつんと、好物のおざわ屋のたまごやきをつまみながら、ノートにペンを走らせている、四賀光子に大きな声で呼びかけました。おい、この前、地上に舞い降りて、八幡さまのぼんぼり祭回顧展というのをみに行ったら、昭和44年の、あんたのぼんぼりの和歌が飾ってあったぞ、アポロ12号、なんたら、かんたらという歌だったが、たいしたことないな、隣のフクちゃんの月面着陸の漫画の方がよほど、良かったよ、と言ってしまいました。小林は批評とは人をほめることだという意味のことをどこかに、書いていますが、面と向かうと、正反対の対応をしてしまいます。自分でもいやな性格だと思いつつ、まー、しょうがねーやと思っているようです。四賀の顔が氷りつきます。小林の二の矢がいきます。なんかノートに書き込んでいるようだけど、天国でもまだ、つまらない和歌をやっているのか、いくらやっても西行にはかなわんよ。四賀がキッーとした顔を小林に向け、こちらでは、川柳に転向しましたよ、と怒りを帯びた声で言ったあと、ちょうどいいのが出来たから、披露しましょうかと、「飲んだくれ 天国行っても くだをまき」とやってしまいました。小林の顔がみるみる赤くなっていくのが遠目でも分かります。これ以上、続けるとまずいと思ったらしく、隣に座っていた無名人Mが、先生、まーまーと、天国名酒の古史の寒梅の一升瓶を抱え、小林の空になっていたコップにどくどくと、つぎ始めました。そして、してやったりと満足そうな四賀の横で、これまでの騒動が全く耳に入らないほど、二人の世界につかっている、厚化粧の女文士に矛先を変えようと、次の言葉を考えていました。

(つづく)


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松ヶ岡暑気払い (1)

2006-08-20 22:02:06 | Weblog
今日は、ちょっと、とぼけた作文です。昨日東慶寺の暮苑を散策しているときに空想したことです。天国にいらっしゃる、暮苑の著名人が、ここで暑気払いの宴会をしたらどうなるか、想像してみました。敬称略です。

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今日は12時から、恒例の松ヶ岡会、暑気払いが開かれます。早々と会場の南側の小高い山のようになったところに、高見順と前田青とんが陣をとり、何か話しています。おい、お前、天国では、酒は止めたと聞いたが本当か、と前田が聞きます。あー、止めたよ、身体に悪いからな、でも、たばこはやめられねーや。現世の人が毎日のようにたばこの火をつけて、おれのうち(墓)においていくんだよ、と言いながらピースに灯をつけます。あんたも、今日は酒を飲まないのか、なんだ、宴席だというのに、カンパスなんかもってきて、何を書くんだ、と高見。酒は嫌いだし、暇だから、この高いところで、みんなの顔を日本画風に描こうかと思っている、みんな有名人だから、高く売れるぞ、あっ、向こうから、岩波茂雄が歩いてくる、あいつは天国でも本屋だから、あとで頼んでおこう、と前田。

西側の一角にも人が集まってきました。鈴木大拙と西田幾多郎が並んで入ってきます。石川県の学校で同級生だけあって、ここでも、いつでも一緒です。二人のうしろには大拙の松ヶ岡文庫に巨額の財政援助をした安宅と出光が談笑しながら歩いてきます。天国でも羽振りが良いらしく、英国製の高級背広を着ています。この4人の周りに、和辻哲郎、安部能成、三枝博音の哲学者と、どういう関係があるのか、歌人の太田水穂もこのたまりにいます。

向かいの東側には女性陣です。おしろいを塗りたくった田村俊子と口紅を真っ赤につけた、真杉静枝が、寄り添うように座っています。気が合うようです。二人とは少し離れたところに、歌人の四賀光子がいます。旦那の太田と一緒にきたのですが、会場に来てから離れました。田村は智恵子(高村)と友人で、彼女をモデルにして書いた「女作者はいつも、おしろいをつけている。この女の書くものはたいがい、おしろいの中からうまれてくるのであろう」が、境内の石碑となっています。天国にきてから、智恵子と自分の区別がつかなくなって、自分が、おしろいをつけるようになりました。

北側のスペースに小林秀雄がひとりぽつんと座っています。酒癖が悪いので、だれも近づかないのです。かわいそうと思ったのか、苦労人の岩波が右隣に寄ってきて、あいさつをしています。そして、誰も知らない、最近入ってきた無名人Mが、小林の左隣に座り、私は現世では先生の大フアンでした、いろいろお教えくださいと深々と頭を下げていました。小林はフンという顔をして横を向きました。

その横には、天国ママさんバレー監督の大松博文と天国陸連会長の織田幹雄が夢中で話しをしています。話が合わないようです。オリンピックのことのようですが、東京大会とアムステルダム大会とが区別ができなくなって混乱しているようです。ときどき根性、根性という大きな声も聞こえます。近くの小林が苦々しい顔をみせています。

みなさんそろったようです。いよいよ宴会の始まりです。お酒は、鎌倉ビールと天国限定酒、古史の寒梅です。おつまみは、鎌倉ハム、井上かまぼこ、小町通りのたまごやきもあります。飲まない人のためには、大船軒の鰺の押し寿司とハムのサンドイッチが用意されています。

さー、宴会が始まりました。天国では、からだも軽いので、それだけ、お酒のまわりが早いです。あちこちで騒動が始まりました。

(つづく)


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