気ままに

大船での気ままな生活日誌

江ノ島の富士、チューリップ&河津桜

2017-01-31 22:53:39 | Weblog

こんばんわ。

今日、1月31日は”愛妻の日”。だから今日はサイの言うことは、何でもアイ、サイですか、にしようと思っていた(笑)。富士山がとてもきれいだと朝散歩の報告をすると、サイは、今年はまだ、江の島から綺麗な富士山をみていないから、行きたいと言う。アイ、サイですか、では、一緒に行きましょうと、朝食後、出掛けた。実は、ぼくも、まだ、江の島サムエル・コッキング苑のウインターチューリプを見ていなかったので、渡りに舟だったのだ。

江ノ島の橋から見る、朝の富士山はとても素晴らしかった。欲を言えば、真冬の富士らしく、裾野まで雪化粧してほしかったのだが、暖かい日がつづいたせいか、春の富士といった風情だった。今日は真冬の寒さだというのに。

午前10時頃の江の島。まだ観光客はわずか。

橋からみる富士山

そして、江の島の山を昇る途中で河津桜が一本。なんと、見頃になっている!突然の出現に喜びもひとしお。

そして、頂きに数本が。見事な咲きっぷりだった!

そこからもみる富士山。又のぞきの富士(笑)

そして、サムエル・コッキング苑のウインターチューリプもまだまだ盛り。

温室遺構の中のチューリップ。

江の島シーキャンドル(展望灯台)に登る


そこから富士山を展望する。

何と、先日、登ったばかりの東京スカイツリーもかすかにだが、見ることができた!めったに見られないのだ。

江ノ島で、富士山、河津桜、ウインターチューリップ、おまけにスカイツリーまで見ることができ、素晴らしきアイサイの日となった。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦国時代展

2017-01-31 08:35:31 | Weblog

もう、だいぶ昔のような気がするけれど(笑)、ぼくがお相撲を見に行ったのは、初場所5日目の1月12日だった。この日の稀勢の里の対戦相手は、ここまで二横綱一大関を破り、勢いをつけている新鋭御嶽海だった。この一戦をしっかり押さえ、序盤戦を5連勝で飾った。今、考えると、この日の一番が稀勢の初優勝、横綱昇進へ繋がった分岐点だったと思う。おすもうも、稀勢を除く、横綱・大関陣の力が落ちて、一方、高安、御嶽海、正代ら若手が力をつけてきて、”戦国時代”に入ってきたようだ。

その日、ぼくは国技館に入る前に、隣りのえど博で、はからずも”戦国時代展”を見ていた。我が国における戦国時代は、1454年の関東で勃発した享徳の乱、1467年の応仁・文明の乱あたりから、戦国時代がはじまり、信長が天正元年(1573)に足利義昭を追放した頃までの、約100年間をそう呼ぶようだ。

ぼくらは戦国時代というと、つい司馬遼太郎になってしまい(笑)、合戦のことばかりしか思い浮かばないが、そうではないと本展は云う。京都で生まれた文化、たとえば絵画、建築、茶の湯等は各地へ拡がり、その土地の文化とも混じり合いながら発展し、また、中国、朝鮮、アイヌ等東アジアとの交流も盛んであった。そうゆう文化面から戦国時代をみてみようというのだ。

不思議なことに、序章・時代の転換だけが写真撮影可能となっている。鎧や屏風ならうれしいが、太田道灌の書状だけで、そんなものは誰も撮りたいとは思わない。一部だけでも撮影許可にせよ、とか都から言われて、仕方なく、そのコーナーを作ったのかと勘繰りたくなる(笑)。でも撮ったので、載せておく(爆)。

太田道灌は鎌倉の扇谷に住居があり、その跡が、鎌倉唯一の尼寺、英勝寺である。水戸家初代、徳川頼房の養母、お勝の方(のち英勝院)が建立したが、彼女は太田道灌の子孫である。ということで道灌には関心がある。亨徳の乱が起き、戦国時代の幕開きの頃、道灌は主家である、扇谷上杉家を盛り立て活躍した。戦場から送った書状の一つがこれである。

以下、次の章立てで進んでゆく。後期展示品の中からいくつか書き留めとめておきたい。また、いつものように、(図録は買わないので)ちらしに出ている写真だけを載せておこうと思う。

第1章 合戦静寂と喧騒
川中島合戦図屏風、上杉家文書・関東幕注文(国宝)、無綾地の旗(真田)
第2章 群雄 翔けぬけた人々
武田信玄像、上杉謙信像、緋羅紗陣羽織(謙信)、黒塗紺糸威具足、太刀・銘安綱(鬼切)、上杉家文書(国宝)
第3章 権威 至宝への憧れ
四季花鳥図屏風(重文)、雪中帰牧図(国宝)、上杉家文書(国宝)
第4章 列島 往来する人と物

黒塗紺糸威具足 (毛虫の意匠を前立とした佐竹義重の具足)

四季花鳥図屏風 (狩野元信)

ちらし裏面


常設では徳川将軍家の婚礼展。こちらも、楽しくみさせてもらいました。

楽しい展覧会であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有楽町界隈 アンテナショップ・コレクション

2017-01-31 06:35:04 | Weblog

おはようございます。

昨日は家内と銀座でランチ。午後一時半からの予約だったが、早く着きすぎたので有楽町界隈のアンテナショップ巡りをした。なかなか面白かった。めったにないことなので、そのお店一覧を記録しておこうと思う。題して”アンテナショップ・コレクション”(笑)。

まず、有楽町駅前の交通会館内にあるアンテナショップから。

北海道どさんこプラザ 

大阪百貨店

なつかしいあたり前田のクラッカーも売っていた。

徳島・香川トモニ市場

秋田ふるさと館

そのほか、富山、滋賀、和歌山、兵庫、福岡、などがある。

そして、銀座一丁目界隈

石川県アンテナショップ

沖縄

ふくい

おいしい山形プラザ 女性知事さんがお出迎え

家内が買った干し柿

まごころ高知 龍馬がお出迎え

龍馬の薩長同盟スタンプラリーも。ただ、山口県のは日本橋。

広島県ブランドショップ

ほかに茨城、徳島、大分などがあるようだが、見逃してしまった。茨城には行って見たかった。稀勢の横綱昇進セールがあったかも。牛久ではどのお店も半額セールらしい。

銀座四丁目界隈

銀座熊本館 熊本ラーメンを買おうとしたが本日休館。食事をしたソニービルの近く。

いつもは営業部長くまもんが迎えてくれる。

食事のあと、日比谷方面を散策。

日比谷

かごしま遊楽館 ここの黒豚料理を何度かいただいた。

西郷どんもいる。

東銀座まで足を延ばせば、歌舞伎座の前に、いわて銀河プラザとぐんまちゃんち(家)があるが、今回はパス。

フル(古)ゴジラに遭遇。うしろのビルも完成直前に。

美女力士に遭遇。前のビルは稀勢関の横綱昇進伝達式が行われた帝国ホテル。うしろは宝塚。

横綱伝達式

帝国ホテル内にその痕跡をみつけた。お祝いの花束。

そして、日比谷公園へ出る。

日比谷花壇に翌日(今日のこと)の準備。1月31日は愛妻(アイ・サイ)の日だそうだ。

なかなか楽しい、アンテナショップ巡りだった。国内旅行をしたような気持ち。

それでは、みなさん、今日も一日、愛妻の日を、お元気で!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稀勢効果か みつまた開花、玉縄桜花数ふやす

2017-01-30 10:21:06 | Weblog

こんんちわ。稀勢の里の横綱奉納土俵入り以来、ぼくの周辺で稀勢効果と思われる現象が次々と起こっている。ぼくの散歩道のみつまたが、稀なる勢いで一気に開花した。とは言っても、密集している花の一部ですがね。でも、これが起爆剤になり、一気に横綱昇進(満開)するのは間違いない!加えて、先日、本家、大船フラワーセンターの玉縄桜にさきがけて開花した、ぼくが稀勢タマ桜と命名した川沿いの玉縄桜も一気に花数を増やした。どうぞ、ご覧ください。

みつまた(三椏)

玉縄桜(稀勢タマ桜)

稀勢の里効果は日本の水泳界にも!渡辺一平選手(19歳)、二百平、人類史上初の6秒台(2分6秒67)の世界新。稀なる勢いはつづく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇(やどりぎ)のロウバイ林を見物

2017-01-30 08:45:35 | Weblog

おはようございます。

神奈川県にもロウバイ林があることを知り、日曜日に行ってきた。小田原から小田急に乗り換え、快速で一つ目の新松田が最寄駅。でもここからが大変。一時間に一本あるかなしのバスに30分乗って、奇(やどりぎ)まで。そこからロウバイの山に10分ほど登る。待ち時間を含めると、三時間くらいかかってしまう。こうゆうところは車がないと不便。ぼくはこちらに越してから、数年後に車を手放しているのだ。

見渡す限りの蝋梅、ロウバイ、ろうばいで、いつものだじゃれで狼狽した。何と総数、20000本以上という。歴史を辿れば、平成17年度寄中学卒業生が250本の蝋梅を記念植樹したのが始まりとのこと。今年で11年目だそうだ。そのときの15才の少年、少女たちはもう、26歳の青年になっている。ロウバイも100倍に増殖し、みんなの得意そうな顔が浮かぶようだ。ふれふれ、やどりぎ!

ここから出発

もう、見頃。うしろの山々の風景もいい。

頂上まであと少し

茶畑が囲んでいる

頂上の展望台

そこからみる風景

ハイキングコースにもなっている。ここから、山へ向かうハイカーたち。

広大な蝋梅林を帰り道コースで歩く。

十分、楽しみました。そして山道を下りて、バス停まで。40分待ちということで、中津川沿いで遊ぶ。

新松田駅に到着。ふと、見上げると松田山の河津桜がだいぶ色づいてきた。さて、お花見はいつにするか(汗)。

では、皆さん今日も一日、多少のことには狼狽せず、お元気で!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿御苑の寒桜関 見事な横綱土俵入り

2017-01-29 17:16:26 | Weblog

こんにちわ。

1月27日、明治神宮で新横綱・稀勢関が見事な奉納土俵入りをした日、ぼくは3時間も前に到着したのに、長蛇の列で、これから並んでも、本殿前での土俵入りはみられませよと言われた。でも、なんとか、西神門外で待ち伏せし、紋付羽織袴姿の新横綱のお姿だけは拝見できた。そのあと、いつまでここにいてもと、新宿御苑に向かった。お目当ては、この時期の桜の横綱、寒桜関。こちらも見事な土俵入りでしたよ。

日本庭園の寒桜関の東西横綱土俵入り

東の横綱寒桜関 雲竜型

西の横綱寒桜関 不知火型

向こう正面から

砂かぶりの桟敷席から

あと小結クラスの寒桜関もおりますが、ここでは省かせていただきます。

さて、横綱土俵入りには太刀持ちと露払いがつきもの。稀勢関の太刀持ちは高安関でしたが、寒桜関の太刀持ちといえば、苑内のあちこちに、今が盛りと咲き誇る水仙関でしょうか。

水仙関(ペーパーホワイトとニホンスイセン)

稀勢関の露払いは、昨年、注文相撲で稀勢の昇進を遅らせた、憎っくき(笑)松鳳山関でしたが、こちらは可愛らしい福寿草関を選定しました。

控えにジャノメエリカ関を置いておきましょう。


中の池の畔の修善寺寒桜関。開花かと思ったら鳥の羽根のようでした。騙して手を使うようでは、まだ関取にはなれませんね。

稀勢関の土俵入りとは大違い、こちらは静かな静かな横綱土俵入りでした。

三月場所(新宿場所)のころは、どの関取花を横綱昇進させるか、大変なことになっていることでしょう。わくわくどきどき。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜中華街の春節 獅子を追う 

2017-01-29 06:49:34 | Weblog

おはようございます。

1月28日、春節の初日に横浜中華街に行ってきました。お目当ては午後三時半からはじまる伝統の獅子舞”採青(ツァイチン)”。白、黄、緑などで彩色された5頭の獅子が商売繁盛を祈り、各店舗を廻り、獅子舞を披露するというもの。ドラや太鼓の音に合わせて獅子が舞い、祝儀袋をくわえると、パチパチパチと爆竹が鳴り響く。日本の祭りのお神輿を追いかけるようで、とても面白かったですよ。

中華街の広場(山下町公園)で待っていると、どこからともなく、ドラや太鼓の音が聞こえてくる。近づくと、媽祖廟の近くで獅子の舞が始まっていた。すごい人出で、奉納相撲の稀勢の里のように、なかなか獅子の姿がみられない。

やっと捉えた黄色い獅子の姿

そのあとを追う。ようやく捉えた獅子の全身。

次々とお店を巡る獅子

太鼓とドラの楽団がついて廻る。

久し振りに聞くけたたましい爆竹の音。長崎精霊流しの爆竹を想いだす。

獅子は頭部と足、それぞれ、二人の若者によって操られる。

次のお店、また次のお店と。

だんだん要領がわかってきたので、今度は、予めお店の中に入っていて、中の二階から見学することにした。トリックアートのあるビル。

二階に上がってきた!


目の前に!

 

楽しそうな観衆

黄色い獅子は十分、楽しんだので、ほかの獅子を探しに出掛けた。太鼓や爆竹の音で在りかはすぐ知れる(笑)。早速、見つかった白い獅子。

緑の獅子も!

赤地に白毛? これが、先ほどの白獅子と違うような感じ。もし新種なら(笑)、4頭目なのだが。

2月4日16時から5頭の獅子や龍のパレードがあるので、そのときに判別しよう(汗)。

稀勢関の好物、えびちりも頂きました。

豚の耳(左)も

お神輿追っかけのようで、とても楽しい春節初日でした。

それでは、みなさん今日も一日、ドラや太鼓で、お元気に!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稀勢の里の奉納土俵入り 駆け付ける

2017-01-28 10:03:51 | Weblog

おはようございます。

1月27日、新横綱・稀勢の里関の奉納土俵入りが明治神宮で行われるというので駆けつけた(汗)。日馬富士のときも行っているので、様子はわかっている。そのときは、午後3時半頃から本殿前での土俵入りが始まったのだが、30分前到着でも、ゆうゆう見学することができた。しかし、今回は19年振りの日本人横綱の誕生ということで、早めにと、12時頃、明治神宮に到着したが、びっくり。まだ、3時間以上も前だというのに長蛇の列。

今から並んでも、中に入れませんよと係の人が言う。開門前、朝の6時から並び始めていますから、と。 若冲展以上の待ち時間!さすがわれらが稀勢の里!うれしいような、(土俵入りがみられず)悲しいような。

そこで、ぼくは即断即決。列に並ぶのは止めよう。でも、せっかく来たのだから、奉納土俵入りを待つ人々の風景でも見て帰ろうと(涙)、本殿に向かった。列の先頭は本殿の入り口まで延々とつづいていた。前の方の列でオレンジ色の半纏を羽織っている子供とお父さんがインタビューされていた。半纏には”稀勢の里郷土講演会”の文字が。どうも朝早く、牛久から出てきたらしい。この段階でも、まだ、3時間は待たねばならない。

そして、ぼくは本殿に入り、お参りをして、横綱土俵入りはみられないので、せめてものなぐさみと、夫婦楠の横綱土俵入りをみた。

本殿前には、すでに式典の客席スペースがとられていた。

そのとき、ふと思いついた。そうだ、稀勢関は準備のために早めにここに来るはず。日馬富士のときの控室の場所から推定すると、西神門を出た辺りにハイヤーが入ってくるはず。念のため、警備の人に聞いてみた。はっきりとは言わないが、どうもそうらしい。そこには、すでに人だかりがあり、周囲の人もそれを期待しているようだった。土俵入りはみられないけれど、一目だけでも、新横綱の姿を明治神宮で見たいという願い。それが実現すれば、遠くから、やって来た甲斐があったというもの。

待つこと20分ほど。ハイヤーが二台やって来た!これだ!直感した。

そして、予想通り、紋付き袴の稀勢関が現れた!

そして、控室へ向かってゆく。

これで、大満足とはいえないが、小満足はさせてもらった。

そのあとは、新宿御苑に出掛けたのだが、帰宅後、家内にとってもらっていた速報テレビニュースで土俵入りじっくり見た。ほんとうに、堂々とした見事な雲竜型の土俵入りだった。稀勢関、おめでとう!

 一万八千人の観客。貴乃花の2万人につぐ人出だったとのこと。その一人になれて、こんなうれしいことはない。

それでは、みなさん、今日も一日、たまには土俵入りの恰好でもして、お元気で!

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉縄桜 開花

2017-01-27 09:35:46 | Weblog

おはようございます。

茨城県牛久市、郷土のスターが稀勢の里ならば、わが大船のスターは玉縄桜。大船フラワーセンターが近年育成した早咲きの桜である。玉縄というのは、横綱のしめ縄のことで、というのはうそで、地名です。大船には小田原北条の出城、玉縄城があった。難攻不落と呼ばれた名城であったが、 秀吉の小田原攻めのときに、家康に攻められ、開城した。 その後、本多正信が城主となったが、1619年(元和5年)に廃城となった。そして、現在は、女城主のお城である。某女子高の牙城となっているのだ。

玉縄桜はその後、鎌倉市内を中心に増殖していて、ぼくの散歩道、砂押川沿いに5,6年前、栽植されて、順調に育っている。その一本に開花が認められたのだ、初花である。

本家本元の玉縄桜も開花しているに違いないと、前日の寒さとはうって変わって、春のような日射しの中をフラワーセンターに向かった。

まずは、玉縄桜一家の花形、ぼくが名付けたタマ三郎。咲いてない!何度、見まわしても、蕾の膨らみは分かるが、開花はない。

そのあと、タマタマ姉妹、タマらんちゃん、タマすーちゃん、そして原木の肝っタマ母さんも随分詳しく調査したが、開花はゼロだった。あと、1週間はかかりそう。逆に、開花した、砂押川の玉縄桜は稀なる勢いといえる。これから稀勢桜と呼ぶことにしよう。

フラワーセンターには新年に入って、3度目で、そのたびに花の紹介しているので、ここでは、気になる花や未発表のものを、いくつか載せることにする。

ろうばいが漸く咲いてきました。

ろうばい

古都のかがやき

冬牡丹

らっぱすいせん


温室ではヒスイカズラが大きくなってきました。翡翠色もついてきました。

ほざきのとけいそう

それでは、みなさん、今日も一日、時計草のように、規則正しく、お元気で!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

"きせのん"より"きせもん"の方がいいのでは(笑) 稀勢関の愛称

2017-01-26 22:56:39 | Weblog

こんばんわ。

昨日の新横綱誕生のニュースの中で、女子アナの方が稀勢関のことをきせのんと呼んでいる場面があった。どうもそうゆう愛称が広まっているらしい。ふふふ、可愛らしくていいなと、はじめは思ったのだが、きせのん、きせのん、とつぶやいているうちに原子番号54の元素、キセノンを連想してしまった。

改めて、キセノンの性質を調べてみると、希ガス(そうか、稀なるガスであるのか、うんうん)で、無色無臭である(なんてこった!)。そして、キセノンの意味は、ギリシャ語で”奇妙な”、”なじみにくいもの”(な、なんてこった!)。また、用途として、イオン推進エンジンに利用される(稀なる勢いか、これはよしとしよう)医療では鎮痛作用があり、麻酔薬として使われる、(怪我の少ない稀勢関には不要デアル!)。素粒子物理学では、暗黒物質のセンサーに利用される(な、な、なんてこった)。

以上のように、きせのんのイメージは悪い。暗黒世界に生きるギャングで、人から嫌われるイメージだ。誰がこんな愛称を広めたのか。きっとそれは白鵬一味が仕掛けた罠だと思う。言うまでもなく、この愛称には、稀勢ノン(Non)という意味が隠されている。早く気付いてよかった。あやうく短命横綱でおわるところであった。

そこで、ぼくはこれに代わる稀勢関の愛称を考えてみた。いろいろな候補名が次々と浮かんでくる。きせくん、きせたん、いせたん、きせどん、きせとん、きせちん、きせぱん、きせぴん、きせぺん、きせぽん等々。いずれも、何となく、ユーモラスで、みんなに愛される稀勢関に相応しいと愛称だと思う。少なくとも、きせのんよりはずっと良い!

でも、ぼくが選んだのは、これらの中にはなく、きせもんです!もちろん、下敷きは、あの超有名な熊本県のアイドルというより、日本のアイドル、くまもんであることは言うまでもない。稀勢関の風貌とよくマッチするし。

いかがでしょうか。これが普及すれば、くまもん同様、新横綱の人気が沸騰、少なくとも、あと5年は綱を張り、優勝回数も20回と、尊敬する元親方の隆の里、そして、親方の師匠である初代若乃花の優勝回数を越え、名横綱の仲間入りをするのではないだろうか。

できれば、化粧まわしも、くまもん入りのものにしたいのだが、今朝の新聞によると、”土俵の鬼”の異名をとった初代若乃花の化粧まわしが、明治神宮、奉納相撲で使われるらしい。隆の里もこれを使用した。ただ、くまもんではなく、鬼の図柄だそうだ。

明日27日、きせもん初の横綱土俵入りがあるのだが、是非、見学させてもらいたいものだ。

・・・・・

初代若乃花の化粧まわしを継承することを伝える今朝のサンスポ。

初代若乃花。栃若時代をつくった名横綱。優勝10回。

稀勢を育てた隆の里。稀勢と同じ、30歳で横綱に。2011年に急逝。

中学卒業後すぐの新弟子時代からのお師匠さん。おしん横綱と呼ばれた苦労人だっただけに、強いばかりではいけない、惻隠の情をもたなければいけないと教えてくれた。大恩人の死に、稀勢は、人目をはばからず、大粒の涙を流した。天国の師匠がきせもんの横綱昇進をどれほど喜んでいることか。


きせもんのゆるきゃら候補。

それではおやすみなさい。

いい夢を。

(大船フラワーセンターに行く途中の柏尾川で)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする