気ままに

大船での気ままな生活日誌

”鏑木清方、日本画家をめざして”展

2010-04-29 07:57:30 | Weblog


鏑木清方記念美術館で”鏑木清方、日本画家をめざして/烏合会時代の作品を中心に”展が開催されている。明治34年に結成された”烏合会”の一員として、清方がこの頃に発表した作品を中心に展示している。当館蔵だけではなく、京都国立近代美術館や名都美術館蔵の作品も多くあり、はじめて観るものも多く、楽しく清方美人をながめてきた。ちらしを飾る、”春雨”。江戸末期、天明の頃の風俗をもとに描いたのこと。

そして、春の”淡雪”等、いかにも清方美人がずらり。右端は”白雨”、部屋でくつろいていた美女が、にわか雨がきて雨戸を閉めようとする様子がいい。


”一葉女史の墓”は何度もみている作品だが、たなびくお線香の煙にはじめて気付いたような気がする。みていてみていなかった。母のお墓参りを毎月しているせいだろうか。右は、”深沙大王”。



その他、金色夜叉、西鶴五人女のおまん、曲亭馬琴の下絵、”教かい”等馴染みの作品も。

展示室に入ってすぐの、”引き出し展示”の中に”掘り出し物”があった。清方が好きだった樋口一葉の”にごりえ”をもとに描いた、それぞれの場面にそくした挿絵風作品がずらり。ここでずいぶん時間を費やした。これについては、のちほど、紹介したいと思う。

次回は、福富コレクションが観られそうです。色っぽいものがありそう、ぜひ行かねば(汗)。

。。。。。

これから、一泊で信州高山の枝垂れ桜を観に行ってきます。ではまた。
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歌舞伎座千秋楽の日に赤プリ閉館のニュース

2010-04-28 21:57:05 | Weblog


60年もの歴史に終止符をうった歌舞伎座。さよなら公演千秋楽の今日、またさびしいニュースが飛び込んできた。”赤プリ”の愛称で親しまれてきた赤坂プリンスホテルが来年3月末で閉館するということだ。こちらは丹下健三が設計し、築50年になるそうだ。ただ、旧朝鮮王室の邸宅として使用されてきた旧館は残すそうで、ほっとした。できれば、歌舞伎座も残してほしかった。

この1月、赤プリ新館に泊ったし、旧館の写真も撮ってきた。歌舞伎座も3日前にもお別れをしてきた。今年はいろいろな分野で、節目の年になりそうだ。

(赤プリ旧館)


(団十郎、千秋楽の公演)
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下妻物語

2010-04-28 10:45:01 | Weblog
ふかきょん主演の”下妻物語”は大分、評判になったので、下妻市のことを知らない人はいないと思う。昨日、ある用事で下妻を訪ねた。ぼくは、四半世紀、茨城県民だったから、ドライブで近くを走ることはあったが、下妻駅周辺を歩いたことはなかった。知らない町を歩くのは楽しいものだ。ぼくの1日の(実際は2時間程度だけど)”下妻物語”を書いてみようと思う。

秋葉原からつくばエクスプレスに乗って守谷駅へ。関鉄にのって、30分ほどで下妻駅につく。車窓から、なつかしい筑波山がときどき顔を出してくれる。そして、石下ちかくにくると、ぼくが良く飲んでいた”一人娘”の看板も。養女にして、ワイフの故郷の名酒”美少年”と一緒にさせようと思っていたが、昨年の不祥事で不良少年になってしまったので、もうあきらめた(笑)。





駅前の商店街は、どこの地方都市もそうだが、人影もまばらで、閉まっているお店も多い。やっと中華料理屋さんをみつけ、そこでぼくはラーメン、ワイフは焼きそばを頂いた。客はぼくらだけだったけど、結構、おいしかった。それに、お店に稀勢の里の写真をみつけ、うれしくなった。茨城県出身だから、こうゆうポスターに採用されるのだろう。ただ、飲酒運転禁止のポスターだった。ぼくが茨城県民の頃は、少しぐらいの酒なら平気で運転していたものだ、甘えた心だった(汗)。

店を出ると、近くのお寺に親鸞上人御手植えの菩提樹があった。そういえば、親鸞上人は流罪を終え、永く、常陸で布教活動をしている。下妻で3年間”小島の草庵”を結んでいる。稲田(笠間)に向かうときに植えたという。傍らに、しばしばここを訪れたという、長塚節の歌碑もたっている。”うつそみの人のためにと菩提樹をここに植えけむ人の尊とさ”長塚節は近くの石下で生まれた。生家記念館を訪ねたことがある。



そのお寺は、光明寺といったが、こんな掲示があった。


下妻神社では、感動的な巨樹に出会えた。大ケヤキで樹齢500年という。ケヤキは主幹の途中から箒のように支幹を何本も出すのが特徴だが、支幹そのものが、大木のように空に伸びている。そして、どの枝にも無数の若葉が力強く育っていた。根元回りは10メートルもあるような太さで、大きな空洞部もある。よく名木の空洞部に詰め込みをしているのを見かけるが、ぼくは好まない。自然のままに生き、自然のままに朽ちてゆくのが良いと思っている。





”下妻物語”をかたってくれそうな古い建造物を何軒もみつけ、うれしかった。






また、訪れる機会はあるだろうか。
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さようなら歌舞伎座

2010-04-27 07:38:58 | Weblog


昨日、ちょっと用があって、東京へ。帰りに根津のつつじでもと思っていたが、そうだ歌舞伎座が、そろそろ閉館だっけと、東銀座に向かった。歌舞伎座に到着した。通りを隔てて、もうすぐなくなる歌舞伎座をしばらく眺めていた。たくさんの人がカメラを向けていた。全体像を撮るのはこここが一番なのだ。

八幡さまの大銀杏じゃないけど、もう、亡くなってしまうのかと思うと、なんだかとてもさびしい気持ちになった。交差点を渡り、近づくと、”あと5日”の文字が点灯していた。余命5日なんだ、と思うと、ますますさびしくがつのった。”歌舞伎座さよなら公演”と銘打った公演は1年以上前から続いていたが、その間、ぼくも3回ぐらいは観に行っている。その、”さよなら公演”もいよいよ本当の”さよなら公演”の時期になってしまったのだ。



そしたら、急に最後の公演が観たくなってしまった。もちろん通常の席は最終日まで売り切れている。残るは4階の一幕見席だけだ。1400円で一幕だけみられる。野球の外野席みたいなもので、通はここで観ると言われている。その席を待つ人の列がすごい。係の人に聞いてみたら、2時間待ちで3時開演の2部がみられるという。2時間ぐらいなら阿修羅展で経験しているし、歌舞伎座最後の公演なんて、もう一生、観られないと思い、並んだ。”菅原伝授手習鑑/寺小屋”の一幕をみて、今生のお別れにしようと決心したのだ。ぼくの好きな玉三郎も千代役で出演する。2時間といっても本を読んだり、こんな粋なおねいさんも見られたし(汗)、飽きはしなかった。



一幕見席は入ったことがあるが、今回はその席にも座れず、立ち見だった。でも、一番上の真ん中から、館内全体を見下ろすことができ、”さよなら歌舞伎座”を観るには最適の場所だった。屋根から客席まで、忘れないように見まわしていた。花道のそばのいい席で観たこともあったな、とかいろんなこと思い出しながら、”寺小屋”をみた。”通”の席らしく、屋号の○○屋という掛け声がたびたびとんでいた。幸四郎、玉三郎、勘三郎と人気役者が出て、あっと言う間に、一幕が終わった。



聞くところによると、歌舞伎座の風情を一部残しながら、大きな貸ビルにするらしい。親会社は松竹だが、由緒ある、皆に愛された”重要文化財的”建物を壊してまでして、そんなに金儲けしたいのかと思う。オペラ座の怪人みたいな、”歌舞伎座の怪人”に睨まれて、貸しビルは、空室ばかりになり、大損することならなければいいが。 いろいろなことを考えさせる今回の”事件”である。



さようなら、歌舞伎座。

写真撮る人

スケッチする人
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春爛漫展

2010-04-26 06:27:43 | Weblog
大船フラワーセンターで、”春爛漫展”が開催されています。どうぞお立ち寄りくだい。

第1章 華麗に。

上から、ナントカバナ(笑)、チューリップ、パンジー




第2章 優雅に

牡丹、石楠花、つつじ




第4章 ひそやかに
ムベ、サラサドウダン、ゆきもちそう




第5章 珍しく

ヒスイカズラ、ちゃんちん(葉)


<

第6章 珍しくなく

フジ



第7章 粋な生垣

赤塀

緑塀

黄金塀


第8章 新緑

メタセコイア、トチノキ




第9章 混迷

春だか秋だかわからない、ぼけた新緑。


まだ冬だと思っている、おろかな木。芽も出ない。


第10章 気ままに おたまじゃくしのごとく
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北鎌倉のキャッツ

2010-04-25 09:11:07 | Weblog
劇団四季の”キャッツ”は横浜で観ましたが、北鎌倉でもやっています。円覚寺の近くの古陶美術館が会場です。名優ぞろいです。ただ、うつくしい歌声を聞くことはできません。みんな無口ですから。

本当のこというと、鎌倉古陶美術館の”猫展”です。30名の新進、中堅のアーチストによって創造されたニャンコちゃんが勢揃いしているのです。”キャッツ”に出てくるようなニャンコもいて、楽しめました。あまりに可愛いと思った方は、その場で買うこともできます。ぼくのブログをみた証明をみせれば、1割引きします。どうぞ一度お立ち寄りください(笑)。

クレオちゃんとパトラちゃん
 

まるちゃん


おしゃれちゃん


ぐーたらちゃん


キャッツ女優ちゃん


えんまだいおうちゃん


びわほうしちゃん


小百合ちゃん


メタボ中高年猫のたいそう。



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”第三の男” in 川喜多映画記念館

2010-04-24 21:40:15 | Weblog


この4月に、川喜多映画記念館ができ、ときどき、名画を数日間づつ上映している。最初は”天井桟敷の人々”で、2回目が”制服の処女”で、3回目が”第三の男”であった。ワイフは最初のも観ているが、”第三の男”にも関心がある(浮気っぽい;汗)というので、一緒に行ってきた。

この映画の日本公演が1952年なので、リアルタイムでは観ていないが、テレビなどで観ているし(スジは忘れてしまっているが)、なによりも、♪ラララー♪の、あの”第三の男のテーマ”は、僕ら世代では知らない人がいないくらい有名だ。だから、この映画はぜひ観ようと、この日を待っていたのだ。

13時上映だが、10時半にチケットを買いに行ったところ、もう30番台後半で、51席しかないので、直前に行っても絶対に観ることができない。観たい人は、早めにチケットだけは手に入れてください。前売りもしません。(ボランティア宣伝です)

映画が始まり、いきなりロンドンのビッグ・ベンが出てくる。ロンドンフィルム制作だからだ。そして、タイトルの、"The Third Man"が画面に現れると、あの、オーストリアの伝統弦楽器、ツイターによる(チラシで知ったのですが)、耳慣れた、あの曲が流れてくる。そして、戦後の荒れ果てたウイーンの街。当時は米英仏ソに分割統治されている。ついでながら、この映画も、英国制作(キャロル・リード監督)、舞台はオーストリア、俳優は米国人、イタリア人、ドイツ人、英国人、と5カ国分割されています(笑)。

スリルとサスペンス、息もつかせぬ面白さ。あとから観る人のために筋は書きません。地下の下水道に逃げ込むオーソン・ウエルズを追う、友人ジョセフ・コットンと国際警察の追跡場面は、はらはらどきどきの、緊迫画面。

そして、ラストシーンは、冬枝だけのプラタナスかなにかの並木道。並木道の入り口で彼女を待つジョセフ・コットンを一顧だにせず、立ち去る、アリダ・ヴァリ。印象に残るシーンだった。

それと、個人的なことですが、映画に出てくる大きな観覧車、ウイーンに行ったときに乗りました。”第三の男の観覧車”というと、日本人はたいてい乗るそうです。 そんなことはどうでもいいことですが、やっぱり、こうして半世紀以上たっても、記憶に残る映画って、いいですね。

・・・
館内に川喜多夫妻が輸入した、たくさんの映画のスチール写真が展示されている。そして、それぞれに、著名人による、映画の思い出や感想が述べられたパネルが添えられている。その中に、もちろん”第三の男”もある。最近、他界された井上ひさしさんのコメントが、ここにあった。

井上ひさしさんは、学生時代、貧乏していたこともあり、懸賞論文によく応募していたそうだ。そして、この映画感想文が入賞し、地元の新聞に掲載された思い出を書いていた。自分は本の密売などしていた経験があるので(笑)、オーソン・ウエルズの悪質ペニシリンの密売の気持ちがよくわかったので、ユニークな感想文になり、評価されたのだろうと述べている。
。。。

帰りに、すぐ近くの八幡さまに寄った。弁天様の前の白藤がもう満開だった。


そして倒木した大銀杏の根元からも、新芽が沢山芽生えてきていた。


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松嶺院の山野草と牡丹

2010-04-24 09:43:31 | Weblog


小雨がぱらつく午後、円覚寺・松嶺院の山野草と牡丹をみさせていただいた。華やかな牡丹と可憐な山野草、それぞれ、オンリーワンのうつくしさに心がなごんだ。

雪もち草、浦島草、武蔵鐙(むさしあぶみ)


花筏、中国花筏

丹頂草

風鈴おだまき

エビネ

翁草

せいしか(聖紫花)

おがたま

いちはつ(あやめで一番初めに咲く種類で、一初)

クロユリ(は恋の花)


おおとりは、牡丹。



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邪馬台国の風景 吉野ケ里遺跡

2010-04-23 21:24:55 | Weblog
先月、佐賀県の吉野ケ里遺跡を見学してきてから、卑弥呼の邪馬台国のことを想うことが多い。
吉野ヶ里のガイドの人が言っていた。"魏志倭人伝で記述されている、邪馬台国の風景の3点セットがそろっているのは、ここだけなんですよ、えへん"。3点セットとは、宮室、楼観、城柵のことである。”宮室、楼観、城柵を厳かに設け、常に人あり、兵を持し守衛す”とあるのだ。

吉野ヶ里遺跡が有名になってから、30年にもなるが、今回が初めての訪問であった。悲願が果たせた(笑)。当時のクニの様子がよく再現されていて、弥生時代にタイムスリップしたようで、楽しめた。まず、その風景をいくつか紹介してみたい。一番有名なのは、吉野ヶ里のシンボルといわれている楼観(物見やぐら)であろう。

これが物見やぐらである。城柵もクニを囲っている。新聞、雑誌なのでみていた通りのびっくり物見やぐらであった。

城柵を主役に撮ってみた。柵板の先を尖らせてある。

宮室。祭祀などを行う建物である。ここが邪馬台国であれば、卑弥呼はここで祈り、うらない、そして住んでいたことになる。思ったより、大きな建物だった。

以上が3点セットで、これが見つかったときは、世の中大騒ぎだった。この遺跡の発掘、そのあとの公園化計画などに携わった方の本を読んでみた。この方は学者ではなく、この地域の役所の担当の係の人なので、マスコミなどの対応とか、いろいろな人間模様が書かれていて、とても面白かった。たとえば、こんなことも紹介されていた。

こういう遺跡発掘の公表は大体、記者クラブを通して行われるものだが、平成元年、2月23日に朝日新聞とNHKが他社にさきがけて、”特ダネ”として発表してしまった。もちろん他社はゲキドし、翌日共同発表が行われ、より詳しい報告を行い、なんとか収まったそうだ。著者も述べていたが、報道の自由は認めるが、ルールを守り、発表内容には、きちんと責任をもってほしい。当然のことだ。



一面トップで、大々的に報道され、翌日から見学者が殺到し、邪馬台国は吉野ケ里だった、と大騒ぎになったそうだ。しかし、邪馬台国論争はまだ決着済みでなく、九州説、畿内説と100年もの間、学者だけではなく、郷土史家や小説家そして野次馬を含め、さまざまな説が出ている。小百合ちゃん主演で最近、映画にもなった”幻の邪馬台国”の盲目の郷土史家、宮崎康平は島原説だし、高木彬光の”邪馬台国の秘密”では大分の宇佐辺りだったし、松本清張も確か九州説だった。ぼくは、ワイフの故郷、熊本説です(笑)。実際、熊本県の(玉名)江田船山古墳説も提唱されたことがあるそうだ。ついでながら、東博には国宝を含む、そこの発掘品が時々展示されている。えへん(ぼくがいばることはないけれど)。

その後、逗子図書館で、前述の本と並んでいた、もうひとつの本を読み、最近の邪馬台国論争の状況を知ることになった。どうも、考古学者の間では、九州説を支持する人は少ないらしい。 何故かというと、年輪法(使用された木材の年輪で年代を測定する)という新しい、きわめて精度の高い、年代測定法が確立され、畿内のこれまでの弥生遺跡が約1世紀ほど前倒しになったのだ。そのきっかけになったのは、1995年、弥生時代の巨大な建造物跡、大阪の池上曽根遺跡の発掘調査である。年輪年代法により、その建造物はBC52年に建造されたことになり、これにより、従来先進地域とされていた九州に一気に追いついてしまったのだ。

そして、弥生時代と古墳時代も連結し、畿内に多くある前方後円古墳のどれかが、卑弥呼の墓ではないか、とくに奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳が卑弥呼の墓ではないかという説が有力になってきたのだそうだ。

でも決着がついたわけではない。魏志倭人伝に記述されている邪馬台国への行路からすると、九州の方が有望のようだし、まだまだ論争は続くのだろう。こうゆう論争は、ロマンがあっていい。ぼくは、今日、前述の二冊の本を図書館に返却した代わりに、未読だった、松本清張の”邪馬台国”を借りてきた。九州のどの地域に特定したのか、楽しみである。ぼく自身もそのうち、独自の説をたててみよう。できれば邪馬台国を湘南地方に特定したい(爆)。へりくつを楽しみにまっていてね。期限は鳩ぽっぽと同じ、5月末です。できなければ、(ワイフの代わりの)掃除職をします。

これが2冊の本。


吉野ケ里は実際の邪馬台国の跡ではないかもしれないが、たぶん、こうゆう風景だったのだろうと夢をみさせてもらった、ロマン紀行であった。

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散る桜残る桜も散る桜

2010-04-22 22:37:57 | Weblog


”散る桜残る桜も散る桜”

こう寒い日が続くと、”残る桜”もなかなか散りませんね。

ジミン党も
”散るジミン残るジミンも散るジミン”

・・・

”さまざまなこと思い出す桜かな”

ミンシュ党も
”さまざまなこと言いだすミンシュかな”

こう寒い日が続くと、”ぼける人”の進行もとまるのだろうか。いやかえって”増すぞえ”

はやく、本当の春がきてほしいぞえ、にせ龍馬ばかりぞえ。おお寒っ。ニッポン風邪ひきそうだ。

暖かくして、はやく寝よう。

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