気ままに

大船での気ままな生活日誌

夏の終わりに

2007-08-31 09:35:58 | Weblog
8月31日、暦の上では今日が夏の千秋楽です。

朝の散歩で、いつも寄るお寺の境内で、大きな桜の木からの落ち葉が、周辺に散らばっているのが目立っていました(写真)。まだ秋でもないのに、どうしたことでしょう。それはやっぱり連日の酷暑のせいでしょうか。「人は武士、花は桜」と詠われ、花の散り際の良さは誉められますが、葉っぱまでが散り際が良いのはいただけませんね。さすがの、桜さんも、今年の特別の暑さには負けたようですね。

82才になるボクの母は、”夏の暑さにも負けず”タイプの人なのですが、今年は、”夏に負けた女”になり、ぐったりしていました。8月はじめ、急に猛暑が訪れた日に、お寺さんのお施餓鬼の行事に数時間参加し、(多分そのとき、軽い熱中症になって)それ以来、半月ほど、食欲もなく、大好きなお酒も飲めない日が続いていました。

ボクは比較的近くに住んでいますので(妹も)、ときどき訪ねては様子をみていました。具合が悪くなったとはいえ、母は自分が育てている何百鉢の植物の世話には手抜かりはありませんでした。朝晩の水やりは欠かしませんでしたし、日射しの強い場所から少しでも涼しいところへ鉢を移したりしていました。そのせいか、母の植物たちはこの暑さにも負けず、枯れたものはひとつもありませんでした。

植物たちは見事、酷暑を乗り越えたのですが、母が永年つきあってきた、冷蔵庫ちゃんとエアコンちゃんがおかしくなりました。冷子ちゃんは、まず頭(フリーザー部分、昔のは上の段が多かった)がおかしくなり、数日して身体の体温が平熱の5℃から10数℃と発熱してきました。そして、同じ頃、エコちゃん(エアコンのあだ名)までおかしくなりました。いままでの、涼やかな青色吐息が、突如、生暖かい、けだるいような桃色吐息になっているのです。のんきに、仕事しないで、♪咲かせて 咲かせて 桃色吐息 あなたに 抱かれて こぼれる華になる♪なんて唄っているではありませんか。

冷子ちゃんもエコちゃんもこの猛暑に対抗し、力を出しすぎてしまったのですね。でも、父が生きている頃から活躍してもらっていましたから、もう15年以上になります。もう十分、働いてもらいました。ボクはふたりに、心を込めた送別の辞(ある次官の大臣送別の辞みたいでなくてね)を述べ、元気なふたりの新人に引き継ぎました。

新しい冷蔵庫がパリパリと氷をつくり始め、新しいエアコンが涼やかな風を送り始めた日から、母の体調が一気に回復してきました。近くの丘の上まで散歩したとか、お料理をつくる気になったとか、ようやくお刺身とお酒がうまくなったとか、昨晩、元気な声の電話がありました。

本当に、今年の暑さは特別でしたね。体調を崩されている方も多いと思います。でも、もう明日から初秋です。天然のエアコンの涼しい風が、からだの中のもやもやを吹き飛ばしてくれると思います。


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大林宣彦監督「転校生」を観る

2007-08-30 08:55:13 | Weblog
鎌倉駅前の市の施設で、大林監督の「転校生」が上映されていましたので観てきました。この映画は何度か、テレビで観たことはありますが、劇場サイズのは初めてでした。1982年制作ですので、画像がイマイチでしたが、内容はコミカルの中にも、青春時代の切ない思いがよく表現された、とてもいい映画でしたよ。82年当時、松坂慶子さん主演の「蒲田行進曲」と並んで評判になった映画だけのことはあります。

大林監督の故郷、尾道が舞台です。中学生の斉藤一夫君(尾美としのり)と転校生の斉藤一美さん(小林聡美)が神社の石段から転げ落ち、二人の身体が男女入れ替わるところから物語りは始まります。

それぞれの、ニュー一夫君とニュー一美さんは自分たちの身体の変化に狼狽します。ニュー一美さんは、自宅に戻り、裸になり、自分の胸が膨らんでいるのに驚きます。そしてあそこもなくなっているのに仰天します。家族の人も、急に男っぽくなった、ニュー一美さんの言動にとまどいます。

それにしても、小林聡美さんの芸が光ります。本当に一夫君の魂が入ったようにみえます、身体は女だけど、もう本当に男のようなのです。自分の胸を鏡に写し驚くシーンがあるのですが、そのあらわになった胸が(サイズは普通です;汗)、普通なら、色っぽくみえるはずなのに、そのシーンでは、それが乳房ではなく、男の胸にくっついた、ただの肉のかたまりのようにみえるのです。やっぱり演技の力でしょうね。

すごい、さすが小林聡美さんです。ボクは野次馬根性が旺盛ですから、中学生役だった、当時の彼女の年齢を調べてみました。1965年生まれですから、17才でした。17才にしては大胆な演技だったかもしれません。”3年B組金八先生”がデビューで、そのときは14才だったそうです(以上ウィキペディアによる)。その後、あの、ボクもフアンの三谷幸喜さんの奥さんになっています。三谷さんは1961年生まれですから、当時21才で、まだ学生でした。きっとこの映画をみて(胸をみて)ドキンとしてしまったのでしょうね。きっと、今でも、聡美さんはときどき三谷幸喜さんの心になって、”有頂天”になっているのかも知れませんね。幸喜さんも悪のりして、オホホのホでありんす、なんてやってるのでしょうね。

お互いが自分の入れ替わった身体にとまどい、喧嘩しながらも、二人にはいつしか愛情が芽生えてきます。映画の終盤に、二人は同じ石段で転げ落ち、そのとき二人の心は元に戻ります。そして、ラストシーン。一夫君が乗っている引っ越しトラックを追いかける一美さんが叫ぶ、「さようなら、私、さようなら、私、・・」。そしてトラックから激しく手を振る一夫君の叫び声、「さようなら、僕、さようなら、僕・・」。誰の青春時代にもあった、愛する人との別れ、過去の自分との別れ、さまざまな別れのシーンが胸に切なく浮かんでくるシーンでした。
・・・

この映画は「鎌倉映像フェスティバル」の中で上映されたものです。ボクは観なかったのですが、この映画の後、映像コンテストがあり、その審査委員に自主制作映画の先駆者である、大林監督が来られていたのです。

この主催者は、川喜多記念館をつくるために運動されている方たちです。代表の方のお話ですと、いよいよ2年後に、小町通りの終わりを左に折れる通りにある、板塀のうつくしい旧川喜多邸(写真)内に映像を中心としたミュウジアムができるそうです。庭園にはりっぱな桜の木や移築した旧和辻哲郎邸があります。これらはぜひ残して欲しいですね。

川喜多かしこさんは大阪生まれで、横浜のフェリス女学院を出てから、輸入映画の配給会社、東和に入社しました。そこの社長の長政さんと結婚され、ご夫婦で欧州映画の普及につとめました。「制服の処女」「第三の男」「禁じられた遊び」などよく知られた作品も多いです。10年ほど前にお亡くなりになり、川喜多邸は遺族の方により鎌倉市に寄贈されました。




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水たまりにも心がある

2007-08-29 13:41:12 | Weblog
今朝、小雨の中を散歩しました。昨日までの猛暑がうそのように、ひんやりした空気でした。通勤の人も上着を着込んでいて、あれもう、夏は終わりか、と思わせるような朝でした。そういえば、昨日のぞいたユニクロも、秋ものに”衣替え”していました。

夏も終わりか、ちょっぴり寂しいなと思いながら、歩いていると、足もとの水たまりに目がとまりました。雨粒がおちたあとに、きれいな水の輪が次々に生まれてゆくのに気づいたのです。ああ、うつくしい、と素直に思いました。しばらく、その水たまりに、いくつも生まれては、輪を拡げ、そして消えてゆく、きよらかな姿に見とれてしまいました。雨粒と水たまり、きっと気が合うんだな(もとが同じだからあたりまえだろうけど)、だからこんなに自然な、一番、目にも心に馴染む図形の、円の輪をつくれるんだろうと思いました。それに、三次元の世界だけでなく、生まれては、消える、時間とゆう四次元の世界の美まで瞬時にみせてくれる、エライ、雨粒ちゃん、水たまりちゃん。

この水たまりをみてから、いつもは、木々の緑や、少し遠くの山々をみて歩くのですが、今朝は、ボクはずーっと下ばかりみて歩きました。舗装道路なんですが、ずいぶん、水たまりってあるもんですね。そして、どの水たまりにも、あの、きよらかで、潔い、水の輪がバレリーナのように、踊っていました。雨滴の落ちる音が聞けるかなと思い、しゃがんで耳を澄ましましたが、傘にあたるプツプツとゆう雨音に消されてしまったせいか、聴かせて貰えませんでした。

ある水たまりで、ボクは自分の靴の先を、水面に軽くたたくように触れてみました。すると水面に輪ができました。でもその輪は、生まれたては丸くはなく、不整形の”輪”でした。そして、ようやく、その輪は、先の方に拡がっていってから、楕円形の輪になりました。あの、雨滴ちゃんの輪とはエライ違いですね。でも楕円形にまでしてもらって、何とかみれるようにしてもらいました。水たまりちゃんがほほえんでいるようでした。ボクも水たまりちゃんと友達になれたようです。

そのときです。一台の車がかなりのスピードでやってきて、ボクがみていた水たまりを踏んで、通り過ぎて行きました。そのとき、水しぶきが上がって、それが、ユニクロで買ったばかりの、緑の英字模様の入ったボクの白いTシャツにひっかかりました。おたんこなす、どあほうめ、とボクは、ぶつぶつ文句を言いながら、目を、走り去ってゆく車から、足もとの水たまりの方に移しました。その水たまりは、怒ったような、直線的な、輪というより荒波をたてていました。これは相当怒っているなと思いました。

水たまりにも心がある、ボクは今朝の散歩で、そう確信したのでした。

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水たまりの写真がなかったので、代わりに箱根湿生花園の沼の写真を載せました。ちょうどその日も、今日のような小雨模様でした。よくみると、水の輪がみえますよ。


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葉山一色海岸に憩う

2007-08-28 08:32:47 | Weblog
湘南海岸・海水浴場制覇計画、第4弾です(笑)。2,3日前、大磯海岸に行ってきたばかりですが、天気予報によると、今週後半は雨模様だということなので、今日(27日)”決行”しました。8月も、残すところ、あとわずかになり、海の家も閉められてしまいますからね。

逗子駅からバスに乗って、20分もすると、最寄りのバス停(神奈川県近代美術館前)に着きます。そこから、2,3分、潮騒公園の横の道を抜けると葉山一色海岸です。

す、す、少ない、浜辺に憩う人々の数が、これまでの三つの海水浴場に較べて、はるかに少ないのです。そうか、今日は平日だし、子供達の夏休みも終盤で、宿題に追われているのだろう、そう思いながら、入り口近くの海の家に入場しました。入場料は、1800円、これまでの1500円より高かったです。でもそれだけの価値がある、この海水浴場は、とあとで思いました。

浜辺は狭いです、とくに大磯と較べると。でも横に長いです、”ロングビーチ”です。遠浅ではありません、すぐ腰あたりの深さになります。でも波はおだやか、高貴な波でした、大磯以上に品格のある波でした。なんせ、うしろには葉山御用邸が控えていますからね、エヘン(何もボクがいばることはない)。遠くには警護のお巡りさんの姿もみえます。そのせいか、浜辺の人々はボクを含め(どこがの声)、みな、やんごとなきお方のようにみえます。

ボクはこの浜辺をすっかり気に入ってしましました。これまで訪ねた、どの浜辺より、浜三枝より(関係ないの声)、気に入ってしまたのでございます。その理由は、”ロングビーチ”にあったのでがんす。浜辺を左方向に歩いて行くと、岩場の浜に辿り着きます。アップした写真のように、岩盤や大きな岩や石が波に洗われているのです。ここの景観がすばらしい、ボクは大きな岩に腰掛け、岩盤越しに、拡がる大海原をいつまでの眺めていました。ここまで来ると、近くの岬の影に隠れていた江ノ島も全容を現わします。きっと、天気によっては富士山もみえるでしょう。

こうゆうマクロの景色だけではなく、ボクはミクロの景色にもカンドーしてしまったのです。岩と岩の間に水溜まりがあります、そこを覗くと、メダカのように小さな魚が勢いよく泳いでいます、おたまじゃくし(?)もいる、石の回りにはヤドカリみたいな貝類がのそのそ動いている、石をひっくり返すと、小さなカニがびっくりどこやみたいにして逃げまどう、ヒトデみたいのも、ゴカイみたいのも、ゲジゲジみたいのも、ボクは子供みたいに、しゃがみこんで、また、時間を忘れて見続けていました。ボクだけではなく、本当の子供達も目を輝かして、カニや魚を採っていました。

ああ海って、やっぱり生き物の天国なのだ、豊穣の海だ、こんなにもたくさんの生き物を養っているのだ、ボクは本当に久し振りにそう実感したのでした。

波と戯れる、浜の砂の上で日光浴をする、もちろんそれだけでも十分楽しいのですが、ここでは、さらに、岩場で遊べ、生き物たちと交流ができる、こうゆう楽しみがある、そして、浜辺に接している、うらの日影のある公園にも気軽に行ける、等、とても変化に富んだ海水浴場なのです。これなら、何時間居てもあきないです。日焼けは嫌いだけど、海をみることは好きなワイフも、ここならきっと気に入ると思いました。

2時間の予定でしたが、倍ぐらい、この浜辺ですごしてしまいました。”遊ぶ”とゆうより、まさに、”憩う”でした。

多分、この夏の海水浴は、これが最後だと思います。ボクは現役中はほとんど海水浴場には行きませんでした。気まま生活に入って、”浜辺で憩う”とゆう、新たな真夏の楽しみを見つけることができ、とてもハッピーな気分です。


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ゲイ 稀勢の里 おめでとう

2007-08-27 09:32:43 | Weblog
稀勢の里がゲイになったので、おめでとうというわけではありません(笑)。あの風貌ではとてもゲイになれませんもんね。今朝の話題は、世界陸上、男子百で優勝したゲイと小結復帰が決まった、ボクの応援する稀勢の里についてです。

昨晩、男子百の準決勝、決勝があるというので、テレビにかじりついていました。世界記録保持者のアサファ・パウエル(ジャマイカ)か、それとも、タイソン・ゲイ(米国)か、わくわくする対決でした。僅か10秒の争いなのに、何故こんなに人々を興奮させるのでしょうか。”走る”それも短距離を”全速力で走る”ということは、太古の昔には、獲物を追う、あるいは獣から逃げるために、必要不可欠な最も基本的な運動でした。きっと、眠っていたボクらの本能が呼び覚まされるのでしょう。

そして、決勝。タイソン・ゲイが中盤からトップに出て、そのままパウエルを抑え、9秒85の好記録で見事に優勝しました。人類最速の男になったわけです。すごい、すごい。ウイニング・ランをしているタイソン・ゲイの顔は、喜びの顔というより、猛獣との命がけの熾烈な戦いに勝った狩人の顔のようでした。おめでとうございました。

一方、わが邦の朝原宣治は準決勝で8着に終わり、念願のベスト8入りはなりませんでした。インタビューの時、朝原選手、思わず泣き出してしまいました。おそらく、これが百米のラストランだったのでしょう。ご苦労さまでした。何年にも渡り、トップクラスを維持されるということは、並大抵の努力ではなかったと思います。永年のすばらしい成績を納めてのご卒業(たぶん)おめでとうございました。残すリレーのアンカーでは楽しく走ってください。
・・・

お相撲も、人類の基本的運動の、力較べです。今朝のニュースで、稀勢の里関が東小結に復帰したことを知りました。予想はしていましたが、実際発表されるまでは心配でした。よかったですね、おめでとうございました。でも、すぐ9月場所が始まります。憎っくき(笑)朝青龍戦がないのは本当に寂しいですが、朝青龍の次ぎに憎らしい琴欧州は絶対破ってくださいね。琴欧州戦の日に国技館に応援に行きます。もし負けたら、”ゲイの罰”を考えています。一日、国技館前で、女装してオホホ・ゲイをやるか、百米を全力疾走して、そのあと日本国旗をまきつけ両国一周のトホホ・ランをするか、のどちらかを選ぶようになるかと思います。
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大磯海水浴場に遊ぶ

2007-08-26 07:26:34 | Weblog
湘南海岸・海水浴場制覇計画、第3弾です(笑)。
大磯駅を降りると、”湘南発祥の地、大磯海水浴場”と書かれたアーチが出迎えてくれます。その裏側には”日本初の大磯海水浴場、またどうぞ”と、帰り客用の文字がおどっていました。

5,6分も歩くと、海水浴場に着きます。茅ヶ崎海岸のよりさらに小振りの海の家でしたが、そこで、着替え、すぐ海岸に出ます。なんだかゆったりした感じです。人は結構いるのですが、砂浜が広々としているせいかもしれません。海に入ると、遠くまで浅く、沖の方まで人がいます。波もなんだか、大磯風なのでしょうか、上品で、おとなしく寄せては返していました。そんな波と戯れ、ふと砂浜の方を振り向くと、大磯の裏山の緑が目に入ってきます。これはいい、山が近くにみえるのは、ボクは海をみたり、山をみたり、楽しんでいました。とても、ハッピーな気分になってきました。さすが、日本初の海水浴場だけのことはある、と思いました。

海の家に戻り、焼きそばと生ビールをいただいているとき、目の前で、どうみても70代後半と思われる、ご夫婦が互いに裸の身体にオイルをつけあっていました。いい光景だな、ボクもあれぐらいの歳まで海岸で遊びたいなと思いました。ご夫婦が浮き袋を片手に浜辺に立ち去ったあとで、海の家の従業員の方が、あの方々はご兄妹なのよね、奥さんが海が嫌いで、妹さんといつも来るのよ、と話していました。それもいいね、とボクは思いました。うちのワイフも、日焼けが嫌だと言って、海には行きません。ボクも、将来、近くの妹と一緒に来るようになるのかな、うふふのふ。

帰りに、近くの、西行の鴫立庵に寄ろうかなと思いましたが、暑いのでやめました。鴫立庵といえば、その隣りに白州正子さんの祖父が住んでおられ、正子さんはよく訪れたそうです。この海水浴場でも遊んだのでしょうね。

駅へ向かう途中、ボクのお気に入りの大磯町立図書館に寄りました。そこの大磯ゆかりの方々の本を集めたコーナーがありました。島崎藤村、吉田茂、伊藤博文、沢田美喜、安田靭彦、等々。その中から、高田保の風刺評論”ブラリひょうたん”を取り出し、久し振りにのぞいてみました、うふふのふと笑ってしまいました。高田さんは確か土浦出身のはずですが、晩年はこちらで過ごしたようです。

また、地元の、鈴木昇さんの「大磯今昔」の中に、大磯海水浴場の関係の面白い文章をみつけました。海水浴場開始後、約半世紀を経た昭和12(1937)年に町がお客さんに現状に満足しますか、とゆうアンケートをとったときの記録です。多くの方が、大潮の浜の風光は湘南随一としているものの、最近できた町営休憩所が、まるで後発の、鎌倉、逗子海岸みたいで嫌だ、俗化しないでと答えていたようです。うふふのふ。

あ、そうそう、赤とんぼが海岸で飛び回っているのをみました。秋はもうそこまできていますね。誰もいない海になる前に、もう一度ぐらい湘南の海岸に来ようと思っています。
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もっともっと大きな広場に

2007-08-25 09:58:07 | Weblog
ボクの早朝散歩のコースには、ふたつのポイントともゆうべき場所があります。ひとつは、大長寺とゆうお寺です。いつも、まず本堂にお参りして、すぐ横の鐘つき堂の端に両手をつけ、軽い腕立て臥せみたいなことをやります。そして、しばらく広い境内を散策します。裏山の木々の緑を眺めながら、四季折々の花も楽しめ、ほっとする空間です。

もうひとつのポイントは、そこから10分ほどのところにある、子供広場です。ここでは、周囲の木々の下枝に手をかけさせてもらって、足のアキレス腱や、からだの節々を伸ばすストレッチ運動をしたりしながら、一周回ります。そして、はじっこのベンチに座り、10分ほどゆっくりします。

ここが、またお寺の境内に負けず劣らず、何ともほっとする空間なのです。何て、たとえていいのでしょうか、窓から急に朝日がさしこんできたときのような、汗まみれの中、一陣の涼やかな風を頬に感じたときのような、夜明けに小鳥が一斉に鳴きはじめるのを聴いて目覚めたときのような、そんな嬉しい気持ちになって、自然と顔がほころんできます。広場って、そうゆう作用があるのですね。

心に広場をもつ人とそうでない人がいるのではないかと思ったことがあります。どんなに忙しくても、涼やかな顔をしている人、どんなに悲しい、つらい出来事があっても、何でもなかったように、人に接することの出来る人、こうゆう人はきっと、心の中に、大通りや路地ばかりでなく、大きな広場をもっているのかもしれませんね。その人の魂が、大通りや路地を歩いていて、ちょっと息苦しくなったような時、ときどき広場にやってきて羽根を伸ばしているのでしょう。

気まま生活に入ったボクは、もう大通りや路地を歩くことはほとんどなくなりました。だから、もう広場だけしかありません。

そして、ボクの広場には、いろんなヒトをお呼びしたいと思っています。ドキンちゃん、アンパンマン、天才ばかぼん、顔なし等のキャラクターたち。そして、小林秀雄、漱石、庄司薫、司馬遼太郎、西行、芭蕉、ひばり、ちあきなおみ、カーペンターズ、モーツアルト、原節子、吉永小百合、パスツール、コッホ、アインシュタイン、阿久悠、吉田正、野口雨情、坂本龍馬、武田信玄、土方歳三、良寛、道元、コロッケ、松坂、イチロー、松井、稀勢の里、小津安二郎、等々の古今東西の人たち。そして、ひねまるこちゃん、鎌倉くん、ラブミーテンダーさん、玉ちゃん等々の植物たち。葉山めだかちゃん、みんみんゆーみんちゃん、ダンゴムシのううんちゃん(未発表)等々の動物たち。そして石仏ちゃんに化石くんに骨董ちゃん。

ボクは早朝の静かな広場をみながら、ボクの心の中の広場を、もっともっと大きくして、もっともっといろんなヒトに来てもらいたい、と思いました。そして、ボクがこの世をおさらばするときにでも(笑)、みんなの、”この世のものとは思われない”(聴くに耐えない?)タエなる歌声の大合唱をきけたら嬉しいなと思ったのでした。






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鎌倉くんの苦渋の決断

2007-08-24 18:12:44 | Weblog
これは、8/20の記事 ”ひねまるこちゃんのお見合い”のつづきです。
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ひねまるこちゃんのお見合いの相手である、バラバラ大学准教授、鎌倉くんは、モンゴルの公務出張中に子供たちとサッカーをしていたことが公になり、大学からの厳しい処分を受けているところです。処分の内容は、1)頭を丸める 2)2ヶ月の登校禁止 3)減俸30%4か月、 の三つです。

鎌倉くんは、バラ族には珍しく棘がありませんが、性格もとげとげしいところがなく、とても穏やかな性格です。それに葉山の大牧場主の息子で、葉山牛と一緒に育ちましたので、動物を可愛がる、とてもやさしい性格です。今度の”事件”だって、別に悪気があってやったわけではありません。子供たちのボールのパス回しがぎこちなっかたので、つい教えてあげようと、グランドに入ってしまっただけなのです。それだけのことなのに、あまりに厳しい処分の内容で、鎌倉くんはすっかり落ち込んでしまいました。

もう、ほとんどノイローゼ状態といってもいいです。”モンゴル”とゆう言葉を耳にするだけで、あの大きな身体をダンゴムシのように丸めて、すすり泣き始めるのです。最近は、さらに病状が進んで、”モ”とゆう文字だけで、およよと泣き崩れています。お母さんも、気を遣って大変です。鎌倉くんの目に触れないように、自宅のモンは取り外しましたし、デザートにモモは出しません、若いとき自分にそっくりで、フアンだったモモ恵ちゃんのブロマイドも隠しました。自分の太モモまで、この暑いのにある大臣からもらったバンソウコウをぺたぺた貼って隠しています。さらに、鎌倉くんとの会話は、すべて”モ・ン・ゴ・ル”抜きでしますので、たとえば、「もっと、げんきだして、ごつん、するわよ」が「とげきだしてつんすわよ」になり、外のヒトには、何言ってるのかゼンゼン分りませんが、さすが頭の良い母子です、一瞬に理解して、お互いににっこりするらしいです。

こんな状態ではとても、ひねまるこちゃんとのお見合いの話を進めるわけにはいきません。まず、鎌倉くんの現状を変えなければいけません。それで、ボクは昨日、フラワーセンターに行って、丸刈りになっている(秋バラ用に剪定されている)鎌倉くんと話をしてきました。

鎌倉くんは、めったに文句を言わない子なのですが、その日は、ずいぶんバラバラ大学の悪口を言っていました。出勤簿がどうとか、領収書がどうとか、形式ばかりにうるさくて、細かいことにけちばかりつけるこの大学にほとほと愛想をつかせているようなのです。鎌倉くんが理想にしている研究所は、むかし湯川博士や朝永博士がいた時代の駒込にあった研究所なのです。出勤簿はない、研究費は自由に使える、研究テーマも自由で、テニスなんか3時頃までしていても誰も文句を言わない、そんな”科学者たちの自由な楽園”みたいな雰囲気の中で研究したい、と鎌倉くんはかねがね思っていたのでした。

それで、どうも鎌倉くんは、大学を辞める決心をしたようです。そして、自分で、自由な楽園みたいな研究所をつくり(お金持ちなので簡単にできるのです)、そこで、今まで自分があたためてきたテーマで、のびのびと研究したい、ライフワークの仕事にしてみたい、と話してくれました。研究テーマについても、結構具体的に話してくれました。現在専門の日本中世史とは全く違う分野です。とても面白い分野です。ダンゴムシに心はあるか、そうゆうテーマだそうです。次回、その話をしましょうね。

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ひねまるこちゃん(写真)は、お見合いの相手、鎌倉くんの”モンゴルサッカー事件”の話が、耳に入ったらしく、少し寂しげに、うつむいていました(枝垂れだからあたりまえの声も)。



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冷やし中華記念日は?

2007-08-23 09:54:39 | Weblog
ボクは麺類が大好きで、とくにタンメンが好きです。以前このブログで、おいしいタンメンを食べさせてくれるお店がなかなか見つからない、それがようやく見つかったと報告しました。そして、その日を記憶に残すべく、タンメン記念日としました。

でも、とくにこうゆう暑い夏は、やはり、タンメンより冷やし中華です。ところが、この冷やし中華が、タンメン以上の曲者なのです。かなりの数のお店をあたったのですが、大船近辺のどのラーメン屋さんもボクの舌を満足させてくれませんでした。いずれも、帯に短し、たすきに長しなのでございます。中には、練りからしをつけない冷やし中華を出されたお店もありました。これでは、はらわたを取り除いた秋刀魚の塩焼きみたいじゃん、秋刀魚はあの苦みがあってこそ、他の身のうまさが引き立つのと同様、練りからしは冷やし中華には絶対欠かせないのだ、とボクは心の中でぶつぶつ文句を言ったのでありんす。

でも、でも、でもね(こんな歌があったね)、ボクは冷やし中華の場合は、タンメンの時ほどあわてないのです。落ち着いていられるのです。何故って?そのわけは、おいしい冷やし中華を自分の家でつくれるからなんです。ボクでもつくれます。それは、”明星中華三昧・涼麺”なのでございます。

これは、もうボクの1982年以来(発売開始年)のお口の恋人なのでありんす。麺もよし、タレも良し、それにからしが、またひと味違うんですよね。ボクではじょうずに説明できませんので、会社のホームページからの涼麺の説明文を紹介しますね。”ワインビネガーの爽やかでマイルドな酸味と芝麻醤の効いた胡麻だれと、涼麺専用の中華風味からしが特徴の夏の定番メニュー”ボクも今回、はじめてこの説明文をみたのですが、なるほで、”涼麺専用の中華風味からし”だったのですね。さすが、細部までこだわっている、す、すごい、すごい、”明星涼麺は冷やし中華のホームラン王です”のキャッチコピー(お菓子のなぼなのまねっこ)をプレゼントします。

ゆであがった麺(若干固めに仕上げる)を十分冷やして皿にのせる。麺の上に、あらかじめつくっておいた、卵焼き(売ってるのより、ワイフのつくるのが一番いい)、鎌倉ハム、きゅうり(産地はこだわらない)、そして紅ショウガ(上等なもの)の細切りを、それぞれ、どっさり(これも重要)のせる。そして、備え付けのタレをまんべんなくかけて準備終了。そして、少し、かき混ぜ、からしをつけて、口に放り込む。うまい、まうい、いうま(新語)ひゅーま、ほしひゅーま、さがきたこうおめでとう、わいふもきゅーしゅう、くまもと、からしれんこん、からしがひやしちゅうかのあくせんと、うううまい・・書いているだけで、よだれが出てきますね。

でも、でも、でもね。ボクはまだあきらめていません。必ず、おいしいお店も、あるはずです。そして、そのお店を見つけた日を”冷やし中華記念日”にしようと思ったのでございます。

先日、江ノ島海岸での海水浴の帰り、あの"タンメン記念日"のお店の前を通りました。すると、なななんと"冷やし中華"の旗がたなびいていました。そそそうか、タンメンのおいしいお店なら、ひょっとすると、冷やし中華も・・ボクはもう、うなされたように(猛暑のせいもあるけど)、夢遊病者のように(夢想するのが好きだけど)お店の中に入ったのでございます(”どんど晴れ”のナレーションの”~でございます”が普段の会話でも口癖になっている、以前は”武士の一分の”がんす”であった、ときどきはまだ使うでがんす)。そして、生ビールを飲みながら、冷やし中華さまのお出ましをお待ちしたのでございます。

いよいよ出てきました。見た目はいい、さて味はどうか、一瞬で勝負は決まる、真剣勝負だ、巌流島の決闘だ。小次郎破れたり、とボクは叫んで、冷やし中華の麺を30万円のインプラントの奥歯で噛み締めた、・・出来る、ボクの一太刀をするりと抜けて、ツバメ返しのポーズだ、ヨガが得意らしい、ボクは今度は突きで攻めた、で、で出来る、ひらりと舞い、今度は牛若丸のポーズだ、そして、今度は小手をねらってみる、ななななんと、DNA二重螺旋のポーズ、どこが小手かわからない、頭もいい、変幻自在、無碍の境地、ひねまるこちゃんの境地だ、まだ仕留められない、・・でもようやく激闘5分の巌流島の戦いは終わった。砂浜には小次郎が倒れていた。

一口食べて、これはいける、ボクの冷やしによく似てる、何処のお店のよりうまい、うまい、合格だ、と食べ終わったのです。ところが、何故かもうひとつ物足りない、何故だろう、そうだ、卵焼き、ハムなどの、具の量だ、ボクの1/3しかない、これだ、この比率は重要だ、食感に関わってくるし、それに、からしがあたりまえだのクラッカー、じゃない、カラシだ。巌流島の戦いはボクの勝ちに終わったのでした。

このぶんですと、ボクの”冷やし中華記念日”は、当分来そうにありませんね。
・・・・・

写真は、ボクの冷やし中華のイメージ、奥入瀬渓流の涼やかな風景です。










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つばきやま あれこれ

2007-08-22 11:33:21 | Weblog
猛暑を避けて、涼しいホテル内でゆっくりすごした翌朝、暑くならないうちに、椿山荘庭園を散策してみました。都心とは思えない静寂さです。樹齢500年のご神木、椎の木をはじめ、楠の大木や桜、椿等40種以上の花木が広大な敷地内に生い茂っています。また、庭園内に湧き水もあり、そこを水源とした大きな池もあり、水中には大きな鯉が、水面にはアメンボーがすいすい泳いでいます。そしてあちこちに、石灯籠や羅漢石、庚申塚、七福神の石像。遠くには、歌人小野篁ゆかりの竹林寺から移築したという三重の塔も目に入ります。

途中、”椿山”という名の小高い丘を見つけました。その前に、萩市長の碑文があり、そこには ”萩市出身の山縣有朋侯爵が、明治10年に南北朝時代から「つばきやま」と呼ばれていたこの地を買い取り、そこに屋敷を建て、椿山荘と名付けた、その後、萩市ゆかりの藤田平太郎男爵が継承した、萩市には有名な椿群生地があり、両氏とも椿に愛着をもっておられたのであろう、そこで、この丘を椿山と名付け、記念樹として椿を植えた”という趣旨が述べられていました。著名人お手植えの椿の若木がいくつも植えられていました。

長州の山縣有朋といえば、司馬遼太郎の、吉田松蔭と高杉晋作を描いた「世に棲む日々」によく出ていました。若いときの名は山縣狂介、わずか5人扶持の足軽の出で、藩校明倫館に入れず、松蔭の松下村塾に入った、その後、晋作がつくった奇兵隊に入り、ここで頭角を現わす、”奇兵隊のことは山縣にきかねばわからない”というまでになった、有能な実務家であった。維新前に、松蔭は”身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”の辞世を残し、処刑される。晋作は病死する、「おもしろき こともなき世を おもしろく」が辞世の句。山縣は生き延び、新政府の総理大臣にまでなる。

この丘からは、むかし、南に緑の早稲田の耕地(今、大学ですね)、西に名峰富士が望め、そして耳には神田川のせせらぎの音が。あ、そうそう、この地に、あの芭蕉翁も4年ほど住んでいたのですよ、神田川の上水工事の現場監督をされていたそうです。芭蕉翁にはそうゆう一面もあったのですね。神田川沿いの庵跡に、史蹟・関口芭蕉庵が現在もあります。このあたりが風光明媚であったことは、広重の江戸名所百景の中に”関口上水芭蕉庵椿山”があることでも知られます。

ホテルへ戻る途で、”丸形大水鉢”(写真)をみつけました。京都の粟田口から山科に通じる日の岡峠にあったもので、あの木食上人が旅人のためにつくったもの、との説明文がありました。芭蕉翁もそうですが、公共のために惜しみない努力をされる、頭が下がりますね。

庭園を一回りして、ホテルに戻る頃には、もう日が大部昇り、身体が汗ばみ、さきほどの木食上人の水鉢で身体をすすぎたくなるほどでした。
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