気ままに

大船での気ままな生活日誌

葉山めだかちゃんと話したこと

2007-04-29 18:10:12 | Weblog
先日、葉山小学校の隣りのつつじの公園を訪れたとき、葉山つつじちゃんと話をしました。そのとき、葉山つつじちゃんが、”日々是好日”の禅の奥義を自然に体得していることを知って、ボクはもう本当にたまげてしまいました。

このつつじ山の入り口付近に小さな池があり、そこに絶滅しかけたという葉山メダカが増やされ、元気に泳いでいました。ふと、ボクは、このメダカちゃん達はどういう人(魚)生観をもっているのだろうか、気になりました。つつじちゃんたちは、生まれたときから同じ場所を動かず、座禅をしているようなものですから、禅の極意をなんなく体得しています。でも、メダカちゃんは暇さえあれば、動きまわっていて、まるでボクそっくりです。もしかしたら、ボクらと同じように、悩んだり、迷ったり、落ち着かない毎日を送っているのではないか、少なくとも、つつじちゃんの禅の境地にはほど遠いのではないかと、思いました。

そこで、ボクは、池の縁に頭を向けて休んでいる、幾匹かのメダカちゃんのうち、一番大きな目のメダカちゃんに、声をかけたのでした。本当は、目玉ばかり大きくて、茶川一郎さんみたいでおかしい、と思っていたのですが、外交辞令で、とても、美しいパッチリした澄んだ目ですね、とあいさつしました。めだかちゃんはくるりとこちらに目を向け、「どうもありがとう、嬉しいわ」と答えてくれました。

いきなり、人(魚)生観について聞くわけにはいきませんから、まず、当たり障りのない趣味のことを聞いてみました。「桜見物よ」という答えでしたので、ボクは、この池の回りのつつじ見物なら話はわかりますが、この辺に桜の木は1本もありませんよ、と反論しました。すると「私の目は、だてに大きくはないのよ、遠くまで良く見える目なの、そう千里眼なの」。ボクはびっくりして、千里といえば、4000キロ、ほとんど日本中の桜が見えるのですか、と尋ねました。

「千里と言っても、遠くにいくほど霞んでくるの、でも吉野の山桜や弘前の桜ぐらいまではばっちりよ、もう弘前も見頃よ。あなたが、砂押川の桜を毎日のように観察していたり、数日前、白石蔵王の一目千本桜を家族で観に行っていたのも全部、お見通しよ」という答えが返ってきました。ボクと同じ桜好きということが分かって、なんだか友達になったような気がして、次ぎはちょっとぶしつけな質問をしてしみました。

一生をこんな狭い池ですごして飽きませんか、いらいらして、ぎゃーと叫びたくなるようなことはないのですか、と聞いてみました。めだかちゃんは、きょとんとした顔をして、「ゼンゼン」と短く答えました。つつじちゃんと同じ禅かと、一瞬思いました。でもメダカちゃんは座禅など生まれてこの方、一度もやったことがありません、暇さえあれば動き回っています。こんな生活をしているメダカちゃんが禅の極意を会得しているはずありません、何故そんな平安な気持ちでいられるのだろうか。

ボクは不思議に思って、桜見物などの趣味に”ぼっとう”しているとき以外の”ぼーっと”しているときにいろいろ不平不満が出てきませんかと尋ねました。メダカちゃんは「趣味以外のときは、お念仏を唱えてただ泳ぎ回っているのよ、”水にながれて つーぃつい 、みんながそろって つーぃつい”ていうお念仏よ、そうするとね、とってもいい気分なの」

その言葉を聞いて、ボクははっと思い当たる人がひとりいました。一遍上人です。上人は、南無阿弥陀仏と念仏を唱えながら踊れば、一切救われると、全国を遊行して教えを広めた方です。捨ててこそ、に徹して生きた方で、自分が世を去るときには全著作まで燃やしてしまったそうです。藤沢に総本山の遊行寺があり、一遍上人の遊行姿の像があります。

なるほど、捨聖の境地かと、思いました。めだかちゃんは踊り念仏遊行をしていたのです。そういえば、めだかちゃんは無一文だし、首飾りもイヤリングも、もちろんピアスもつけていないし、パンツだってはいていません。そして、とろのお刺身も、鰻の蒲焼きも天ぷらも食べないで、わずかばかりのプランクトンの粗食をみんなで分け合って食べ、毎日、列をつくってお遊戯してそれだけで、歓喜の日々を送っているのです。

ボクは、メダカちゃんにもうひとつだけ質問をしてみました。こういう境地になるために、どなたか偉いお坊さんについて修行されたのですか、と聞いてみましたら、「いいえ、私達、生まれるとすぐ、メダカの学校に入るの、義務教育なの、そこでいろいろ教わるの、それだけよ」と答えました。

ボクは、葉山つつじちゃんの時に感じたときと同じような感慨で胸がいっぱいになってしまいました。葉山メダカちゃんも、つつじちゃんに負けず、すごいと思います。一遍上人が愛と憎しみの中の底知れない苦悩のはてに、財産を捨て、妻子を捨て、我が身まで捨て、諸国をさまよいようやく会得した平安の境地を、このメダカちゃんたちは、誰が生徒か先生か、分らないような、自分たちのめだかの学校で、いとも自然に会得しているのですから。

ボクは、池で楽しそうに泳いでいる、メダカちゃんたちの「水にながれて つーぃつい  みんながそろって つーぃつい 」の”お念仏に、心を込めて唱和してあげたのでした。

・・・・・
めだかの学校
作詞 茶木 滋
作曲 中田喜直

めだかの学校は 川のなか
 そっとのぞいて みてごらん
  そっとのぞいて みてごらん 
   みんなでおゆうぎ しているよ
     
めだかの学校の めだかたち 
 だれが生徒か 先生か
  だれが生徒か 先生か 
   みんなでげんきに あそんでる
     
めだかの学校は うれしそう 
 水にながれて つーぃつい
  水にながれて つーぃつい 
   みんながそろって つーぃつい

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ゴジラ対モンスター 松松対決実現

2007-04-28 16:54:07 | Weblog
5年前にニューヨークに上陸し暴れ回って、ヤンキースの主軸に定着したゴジラが、この春から鳴り物入りでボストンに出現した平成のモンスターといよいよ対決する日がやってきました。

松坂対イチローの対決はリーグが違うので、めったにみられませんが、松坂対松井の松松対決は同じ東部リーグですので、対戦の機会はずっと多くなります。おまけにふたりが所属するチームが、ヤンキースとレッドソックスです。全米屈指のライバルチーム同士ということで、米国でも桁違いの注目度です。

どっちを応援したら良いか、解説者の与田さんが言っていたように本当に困ってしまいます。でも今日は、私としては、松坂です。なんとか、松坂らしい投球で松井だけではなく、A・ロッドもジーターもデーモンも三振できりきりまいさせ、完封して、堂々3勝目をあげて欲しい、それが試合開始前の私の偽わざる願いでした。

しかし、松坂は、せっかく先制点をもらったのに、いつものように中盤に崩れてしまいます。4回裏に、連続3四球で自滅、なんと4失点で逆転されます。でもまた、ボストンが逆転してくれ、結果的に3勝目をあげますが、あの4回裏さえなければ、私は最大限の誉め言葉で、3勝目を祝ってあげたのですが、今日はちょとね。でも毎回三振、ヤンキース戦2連勝の運の強さはさすがです。すごいですね・・(と一応、言ってあげましょう)。

松松対決は、2打数無安打、一四球で、松坂の勝ちと言って良いでしょう。松井は気のやさしい選手なので、今日は花をもたせたのでしょう。次回の対決では、松井の2つのソロホームラン、でも松坂は10Kで勝利投手(3対2)、岡島セーブという虫のいいことを考えています。私ほ勘がいいので、おそらくそうなりますよ。憶えておいてくださいね。

ほんとうに野球っていいですね、さいなら、さいなら。

・・・・・

松の木小唄 (松松小唄)

1、松の木ばかりがまつじゃない 時計を見ながらただ一人 今か今かと気をもんで あなた待つのもまつのうち (松井と松坂を待つ私)

2、好き好き好きよみんな好き あなたのすることみんな好き 好きじゃないのはただ一つ 陰(かげ)にかくれてする盗塁 (松井)

3、いやいやいやよと首を振る ホントにいやかと思ったら いやよいやにも裏がある 打者をだまして投げる球 (松坂)

4、うそうそうそよみんなうそ あなたの言うことみんなうそ うそじゃないのはただ一つ あの日別れのさようなら (なかなか結婚しない松井)

5、恋にもいろいろありまして ヒゴイにマゴイは池の鯉 今夜来てねと甘えてても 金もって来いでは恋じゃない (独身時代の松坂)

6、ダメダメダメよと言ったけど 気になるあなたの顔の色 出したその手を引っ込めて 換えりゃせぬかと気にかかる (監督に換えられかと心配する松井と松坂)

7、キリンばかりがビールじゃない アサヒもサッポロもみなビール だけど私が欲しいのは 今宵あなたの唇(くちびーる) (テレビ観戦している誰かさん)


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葉山つつじちゃんと話したこと

2007-04-27 08:49:46 | Weblog
葉山小学校横の公園のつつじはどうなったかなと、うららかな陽気に誘われて出掛けてみました。つつじ山はもうすっかり終わっていました、早すぎる(涙)。でもつつじ山の前の小さな池の”葉山メダカ”は、おたまじゃくしと一緒に元気に泳いでいました。お客さんは誰もいませんでしたので、ゆっくりと、葉山のつつじちゃんとメダカちゃんとお話をしてきました。

つつじちゃんは、もう咲き終えて、花がらをいっぱい緑の葉っぱの上にのせていました。その風情がボクの最近の、帯状疱疹のかさぶたがとれて、黒っぽいあとが残っている状態を思い起こさせました(もう治療は不要で、あと2週間ほどでそれも消えるということです)。

それで、ボクはもしかしたら、つつじちゃんがきれいな花を咲かせているときというのは、つつじちゃんにとっては、得意絶頂の快適なときではなくて、むしろボクが帯状疱疹に罹っている時のような、不快な、つらいときではないかという考えが頭をよぎりました。

そういえば、花の咲いているときなど、いいことがありません。ハナアブがやって来ては、花の中にもぐりこんでかき混ぜるし、喋やミツバチだってしょっちゅう来て蜜をちゅーちゅー吸われます。痛いし、かゆいし、こそばゆいし、歩けないし、まるで帯状疱疹みたいです。それに、たくさんの人々がひっきりなしにやってきて、なんだかんだと、ごたくを並べ、(レントゲン)写真を撮り、まるでお医者さんに診察されているみたいです。

もしかすると、むしろ、疱疹の残骸が消えつつある、今の状態の方がつつじちゃんにとって、虫にも無視され、人も訪れず、痛くなく、かゆくなく、うるさくなく、むしろいい気分なのかなしれないと思いました。

でも、いや待てよ、花というのは、植物にとっては、人間でいえば、この前上野で観た「受胎告知」ように、大事な時期だ、きっと妊娠中の女性が、酸っぱいものを好きになったり、不安になったり、気分が悪くなったりするように、つつじちゃんも生理的にも、心理的にも変調の時期なのかもしれない。

いずれにしても、つつじちゃんの花の盛りの時期は、とてもつらい時で、むしろ今が落ち着いた頃なのなだろう、とボクは結論づけたのでした。それで、ボクは咲いてる花がほとんどなくなった、目の前のつつじちゃんに、花の盛りは、帯状疱疹気分なのか受胎告知気分なのか、本当はどうなのか聞いてみたのでした。

「どちらでもないわ」とつつじちゃんはにっこり笑って答えました。痛くもかゆくもなかったのですか、酸っぱいものも欲しくはなかったのですか、と念を押しますと、「そうよ、ゼンゼン」と言ってから、「咲くもよし散るもよし、日々是好日よ」とおしゃったのです。日々是好日は、ボクでも知っている禅の言葉で、「今この時、この場で生きている自分を現わさなければ、いつ現わすというのだ」といったような奥深い意味をもつのです。

ボクはたまげてしまい、そ、そ、それは禅の奥義ではないですか、いつ体得されたのですか、と尋ねました。「わたし達、生まれたときから、座禅してるでしょう、それにいつも同じ場所にいて、それで満足しているから、他の植物ちゃんたちと争うこともないの、それでね、自然とそういう気持ちになるの、ほかの植物ちゃんたちも皆そうよ」とやさしく答えてくれました。

ボクは、つつじちゃんが帯状疱疹とか受胎告知だとか言っていた自分が恥ずかしくなりました。葉山つつじちゃんの方がよっぽどえらい、もしかしたら禅を始めた道元禅師やゼンを世界に広めた鈴木大セツ先生よりもえらいのかもしれない、だって、つつじちゃんは修行もしないで自然と体得しているのだから、と思ったのでした。

そして、ボクは改めて、もう花がらばかりになってしまっている、でもゆうゆうと生きているつつじちゃん達の山を、今度は尊敬のまなざしでもって見上げたのでした。

・・・・
明日はメダカちゃんとのお話をのせる予定です。
写真は昨日紹介した花見山の風景です。このチューリップちゃんも日々是好日なのでしょうね。ボクは日々是口実のひと。




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土湯温泉と花見山

2007-04-26 10:00:01 | Weblog
翌日(22日)は、阿武隈川沿いを福島方面に向かいドライブしました。県境を越えると、急に、桃の栽培園が目立つようになり、あちらこちらで、今が盛りのピンクの桃の花をみることができます。天気はどんよりした曇り空でしたが、そこだけは、お日様が地上に舞降りたように、明るく輝いていました。先月、山梨県を訪れたときには、桃は咲き始めでしたので、まだまだという感じでした。考えてみると、こういう時期の桃園をみながらドライブしたことは初めてでした。

午後からパラパラ雨が降り始め、福島市内を抜けて、裏磐梯の方に入った頃には本降りになっていました。でも、車窓からみえる、道路沿いの、はんぱじゃない残雪には驚きました。この時期に、目の前で雪景色までみられるとは思いませんでした。毘沙門沼で降りたとき、母は雪をつかんで、まるめ、その感触を楽しんでいました。雨にけむる沼でしたが、すばらしい色でしたよ。奥の方がコバルトブルーで、手前がライトブルーとうっとりするような色合いでした。妹夫婦も、以前きたときは、こんなきれいな色ではなかったと言っていました。意外と雨の日の方が美しい姿をみせる、雨女の沼かもしれない(笑)と、思いました。

その夜は福島市内の土湯温泉の和風旅館に泊まりました。4~50代の(女性の歳はわからないです)美人女将が食事のとき、わざわざ来てくださり、いろいろ説明してくれました。旅館の下に温泉が湧いていて、その湯を直に使用しているのはここだけだということでした。今やっている朝ドラのような女将修行をしたのか聞こうと思いましたが(笑)、その機を逸しました。

温泉自慢の宿に泊まり、おいしいお酒とお料理、そしてカラオケと存分楽しみました。母は藤あや子、妹二人は、テレサテン、伊東ゆかり、義弟は北島三郎、私は裕次郎の「赤いハンカチ」と、サベージの「いつまでもいつまでも」等を歌いました。82才の母が一番、最近の歌をうたっていることに気づきました(汗&涙)。おわりに「北国の春」を皆で合唱し、〆ました。

翌朝(23日)、今度の旅行のメインにしていた花見山に向かいました。ここから車で30分ぐらいのところにあります。写真家の秋山庄太郎さんが「福島に桃源郷あり」と推奨して以来、全国的に有名になりました。私も数年前ぐらいに知り、是非一度はと思っていましたし、花好きの母も喜ぶだろうと思って選んだのでした。

もともと(現在も)ここは花の生産農家の山ですが、善意で、昭和34年から開放して下さり、我々を楽しませてくれているのです。ありがたいことです。いろいろな種類の花があり、どの時期でも楽しめるのですが、一番は桜と花モモが見頃のときだそうです。ポスターの写真もみなその頃のものです。

残念ながら、桜はほとんど終わっていました(1週間前が良かったようです)。ですから、あのポスターのような景観はみられませんでした。でも、十分楽しめましたよ。アップした写真は、花見山の小径で撮ったものですが、奥の赤い、花のようにみえるのが、春から赤い、モミジの芽吹きです、何ともいえず、秋の紅葉のような、いい色合いでした。レンギョウ、ユキヤナギ、山吹、チューリップなどは見頃でした。

花見山からシャトルバスの発着地までの道すがら、花見山周辺の山里ののどかな風景もとてもここちよく、おまけに吹く風も5月の風のようにさわやかで、まるで桃源郷をさまよっているような私たちでした。



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蔵王の麓の水芭蕉とカタクリ

2007-04-25 15:28:23 | Weblog
この3泊4日の東北旅行は、父が亡くなったあと、毎年1回続けている母と3人の実子(配偶者は入れない、水入らずの(笑))の家族旅行の今年版です。いつもは近場の箱根や伊豆ですが、今年は、仙台近郊に住んでいる上の妹が、たまには、こちらへもどうぞということで、そこへ2泊、最終日は福島の温泉でということにしました。

白石川沿いの桜並木をみた翌日(21日)は、蔵王の麓の水芭蕉の群生地に向かいました。途中、阿武隈川沿いの菜の花畑や、芝桜の絨毯が見事な公園を見学しながら、現地に到着しました。

クルマを停め、山林の緩い坂道をしばらく歩くと、あっと驚くような白い花の群れが目に飛び込んできます。まだ芽吹き前のハンノキの木々が生える湿原に、5万株もの水芭蕉が自生しているのです。まだ色もあせてない白色の花で、まさに見頃です。湿原全体を見渡してもいいし、ひとつひとつの可憐な花に目の焦点を合わせてもいいし、息をのむような景観です。私はまだ尾瀬に行ったことがありませんので、こんな、りっぱな水芭蕉の群生地は初めてみました。

そして、水芭蕉の湿原を抜けて、森の小径に入ったとき、また、あっと驚いてしまいました。こんどは紫色の可憐な花をつけているカタクリが群生しているのです。すごい、水芭蕉とカタクリの花が同じ場所で二度楽しめる、一粒で二度おいしいグリコアーモンドチョコみたいな場所です。昨年みた角館近くの八津の大群生地には敵わないと思いますが、”二度楽しめる”ということでここのカタクリも誉めてあげたいと思います。

82才の母も、一緒についてきた2才のえこちゃん(甥夫婦にだっこされて;写真)とおなかの赤ちゃんも、この山道をよっこらさと登って来て、水芭蕉群生地を見学しました。花好きの母が、”生まれて初めてみた”(口癖なのです)と、嬉しそうに感嘆の声をあげていました。

母を交えた、こんなのどかな旅行を、あと10年ぐらいしたいものです。えっ、お母さんより、おまえの方が心配だって?そうですね、今回だって、帯状疱疹が直前に治って、なんとか間に合ったんですもんね。はい、はい、身体に気を付けます。




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一目千本桜

2007-04-24 13:51:08 | Weblog
新幹線の白石蔵王駅から車で15分ぐらい、東北本線の大河原駅近くから始まる、白石川堤「一目千本桜」を観てきました。この近くに住む、私に似て可愛い姪から、おじさん、桜が好きなら、一度はみて、と言われていたのです。

その日(20日)は、実はあまり期待していませんでした。というのは、1週間ほど前が満開と聞いていましたので、その日はせいぜい桜吹雪かな、それでもいいやと思っていたのです。それがなんと、この一週間、東北地方も冬のような寒さで、満開の桜が凍り付いたように、そのまま残ってくれていたのです。私に観てもらいたいために待っていてくれたのです。

一目みて、ここの一目千本桜が気に入ってしまいました。結構、流域の広い白石川の両岸に、何処までも何処までも桜並木が続いています。本当に一目で千本の桜が見渡せる感じです。姪の話ですと、東北線の二駅分ぐらいの距離続いていて、端から端まで歩くには、2時間ぐらいかかってしまうそうです。

その桜木の数もさることながら、びっくりしたのは、桜木のりっぱさです。大人が3人ぐらい両手を回してやっと繋がるくらいの幹の太さです。その大きな幹に空洞ができていて、半分息も絶え絶えという桜木も何本もみつけました。それでも老木の桜の花は見事です。若い桜木は咲き急ぎますが、老木は、ゆっくりと花を咲かせ、ゆっくりと花を散らします。みるからに堂々としていて、なんだか、観る方までその、ゆうゆうとした雰囲気に引きこまれて、ゆったり落ち着いた気持ちになります。

ソメイヨシノの寿命は7,80年と聞いていましたが、この幹の太さは100年を超えているのではと思いました。それほど貫禄がありました。家に帰って、「大人の桜旅」をみてみましたら、ここの桜は、「愛郷奉仕ノ念止ミ難ク」と高山開二郎翁が大正12年(1923)に寄贈したそうです。このとき5年の苗木を植えたとして、現在は、90才近くになっているはずです。もう平均寿命を超えているようです。

川堤の桜としては、角館の桧木内川河川敷の桜並木が有名で、私も観ましたが、ここの桜並木は質量とも、それを凌駕していると思います。おまけに、ピンクの桜並木の向こうには、まだ雪の冠をつけた蔵王の山々を見ることができます。桜と蔵王の残雪、この景観が、いかにも北国の春といった風情で、なんとも言えず心地良いものでした。

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普通に歩ける幸せ

2007-04-20 05:48:29 | Weblog
普通に歩けるって、なんて幸せなことなんだろう、痛みのない身体って、なんてありがたいことなんだろう、そう、しみじみと感じた日でした。

上野のレオナルド・ダビンチ展を見終えて、雨の公園内を歩いて、桜並木のあたりまできたとき、はっと思いました。そして、じわじわと喜びがわいてきて、幸福感で胸がいっぱいになりました。

自分が、なんと普通に歩いているのに気づいたのです。それも、少し急ぎ足にです。この2週間、足のつけねからもものあたりが痛くて痛くて、ゆっくりゆっくり歩いていました。普通に歩いている人をみると、いいなとうらやましく思ったり、痛みのない人はなんて幸せな人だろうとねたましく思ったりしていました。また、逆に、長年そういう状態になっておられる方の気持ちがよく分り、道を歩いている、そういうお年寄りの方をみかけると、思わず声をかけてあげたくなりました。

その痛みが数日前からひき始め、まず足慣らしに大船近辺の散歩から始め、昨日は久し振りの遠出ということで、上野に出掛けたのでした。午前中は横須賀線で30分の、実家の母のところに寄り、前日つくっておいたよ、という、ふきと筍の煮物とお刺身のお昼ご飯を一緒に食べて、午後、上野に向かったのでした。それまでは、足に痛みはなかったのですが、大事をとってというか、痛みの戻りが心配というか、自然と足をかばって、ゆっくりと歩いていたのでした。

それが、国博から上野公園の桜並木の前まで来る間、無意識のうちに、普通の歩き方をしていたのです。それも、少しも痛みを感じなくです。ほんとうに半月ぶりの”健全歩行”です。嬉しくなるはずです。

目の前の桜並木は、もうすっかり若葉になっていました。私は、上野の桜並木は盛りの時期をはずすこともありますが、毎年のように観にきています。大船に越して来る前も、常磐沿線に住んでいましたし、”上野はおいらのこころの駅”、身近なところなのです。それが、今年は咲き始めの頃は、ここをはずして小石川に行き、満開の頃は別の場所で観て、でも桜吹雪の頃には絶対訪れようと心に誓っていたのですが、病魔で出掛けられなくなり、今年は、散る桜さえ観られなかったのです。

若葉さくらさんに、私は、今年は”背中の(本当はお尻のあたり)桜吹雪の入れ墨(本当は帯状疱疹)”で来られませんでしたが、来年はその代わり、咲き始め、満開、散る桜、全部観にきますよ(たぶん空約束、でも1回は来ます)と話しかけたのでした。

そして、元気になった私は今日から、本格的な活動に入ります。満開になったという東北の桜見物に、数日間出掛けてきます。また、帰ってからご報告しますね。




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レオナルド・ダビンチはすごい

2007-04-19 12:45:08 | Weblog
昨日、上野の国博で「レオナルド・ダビンチ、天才の実像」観てきました。冬のように寒い、そして午後からは雨が降り出すという、春の一日としては、とんでもない、みじめな日でしたが、それがかえって良かったです。なんと、待ち時間ゼロ分、もちろん中も空いていました。ゆっくり、観てこれました。大満足の1日でした。

まず、本館会場で、「受胎告知」鑑賞。フィレンツェの美術館で観ていますが、そのときは、仕事の合間、加えて、街そのものが美術館といわれる美しい街で観るものがいっぱい、ですから、この名画もワンオブゼムでした。ゆっくり観ていなかったと思います。それが、今日は、美術品はこれ一点だけです。じっくり穴のあくほどみましたよ。

まず、1番うしろの柵(客の列を誘導するための)で20分、真ん中の柵で、10分、そして間近の場所で5分(ここは、さすがに止まると注意される)立ち止まり、合計30分以上は観ていました。茂木健一郎さんが、3時間観ても飽きないと、ある新聞記事で語っていましたが、確かですね。でも、私は3時間は無理、トイレが近いから(笑)。

マリアさまと大天使カブリエルだけでなく、どの景色にも意味がありそうなのです。ボクはバックの木々がとてもき(気と木をかけている)になりました、木々がマリアさまの受胎告知を祝福しているご婦人の方々に見えました。おめでとうございます、良かったわね、のささやきが聞こえてくるようです。そして外の遠くの山は、気高いです、よく言われるように天上の神のようです。白い透明感のある空気までが、明るく、希望に満ちて、マリアさまをお祝いしています。

この名画が、なんと20才ぐらいのときに作られた、と聞いて私は度肝を抜かれてしまいました(もっと、経験を積んだ頃の作だと思っていたのです)。モナリザ、最後の晩餐も現地で観ましたが、始めからそれらの領域にいるではありませんか。やっぱり天才だといいうことが、よく分かります。この「天才展」の絵としては、なるほど適役です。20才でこの絵だぞ、というわけです。企画した人はさすがだ、と思いました。

絵のことに詳しくない私ですが、ダビンチの3大名画との比較では多少の印象の違いはあります。越路吹雪さんのシャンソンに例えると、モナリザは「愛の讃歌」、最後の晩餐は「ラストダンスは私と」、そして受胎告知は「夢の中に君がいる」です。どれも、他を寄せ付けない高いレベルですが、モナリザと「愛の讃歌」はさらに高みを行くという、感想です。ダビンチ20才と50才作の差だと思います。それでも、”ダビンチすごい”は変りません。

・・
そして、平成館の第二会場。もう天才のおもちゃ箱をひっくりかえしたようです。こんなことまで、やっていたの、すごい、すごい、すごいの10の8乗です。一人の人間が一生かかっても出来ないことを、いくつもいくつも、いとも”簡単に”やりとげてしまっている、”簡単”といっても、じつにていねい、しぶとく、粘着質に、仕上げている。ただ、その”仕事”が楽しくてしようがない、”おもちゃ遊び”と言った感じ。物理学者、生物学者、工学者、建築学者であり、なんと心の動きまで研究している、心理学者であり、もう、理系とか文系とかそんなの関係ない総合科学者なのであります。

若いとき、ミラノで巨大な馬のブロンズ像(7メートルの高さ、72トンの重さ)をつくるプロジェクトに携わりますが、ここでの、ダビンチの仕事がさすがです。とにかく基礎研究がすごいのです。まず馬の身体の比率を細かく調べます。それも馬の種類ごと、そして馬のポーズと筋肉の動きの関係とか、とにかく馬に関してありとあらゆることを調べあげるのです。そのあと、巨大な鋳型をどうして組み立てるのか、建築学的研究も重ねます。この仕事は、戦争が始まり、頓挫するのですが、ダビンチにとってはそんなことはどうでも良かったのではないかと、私は思います。よく、研究者がやる手です。この研究をやれば、こんなに世の中に役立つことがありますよ、と半分うそを言って、お金と時間をたくさんとって、その期間、その予算で、本当に自分がやりたい研究をやるのです。

実際、ダビンチはこの期間、じつに多くの”仕事”を手帖に書き付け、今日の展示の総合研究のさきがけとなるもの考え出しています。生物や物体のかたち、うごきを、観察し、何かの法則をみつけるのが、好きで好きでたまらないといった感じで、膨大な研究ノートを残すのです。

ダビンチは、生涯、たった十数点しか、絵画を描いていません。彼が本当に好きだったのは、ネイチャーウオッチングで、毎日、鳥の動きや、草花、水の渦、雲の動き、人の動きや表情を観察し、それらからなにかの法則をみつけることで、絵画そのものではなかったように思います。でも、”未発表の”研究手帖だけでは何だからと、自分の人生の”作品”として絵画ぐらい、いくつか残しておこうと思って描いたのではないかと、思いました。そのときに、日常の研究成果を絵画に反映し、たとえば、最後の晩餐では、「心理学」の研究成果までつぎ込んでいます。こうして、他の追従を許さない大傑作が出来上がったのでしょう。

受胎告知と、第二会場の科学成果一覧を観て、本当にレオナルドダビンチはすごい人だ、人類最高の天才だと、思ったのでした。

・・・・
帰る頃には雨が降っていました。東京国立博物館のキャンパス内の黒門前で、雨にうたれている、濃いピンクの花を咲かせているキクモモをみつけました。





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さようなら怪傑黒ずきん

2007-04-17 11:22:21 | Weblog
ちょうど2週間前に、ボクは美人女医さんから、あなたは帯状疱疹に罹っています、しばらくは強い痛みに悩まされでしょうと、宣言されました。その通りで、昼間はなんとか、歩かなければ痛みをがまんできるのですが、夜は痛み止めを飲まないと、眠れないという日が何日も続きました。それが、先生の治療のおかげで、3日前から、鎮痛剤を飲まなくても、よくなり、歩いてもそう痛まないというくらいに回復してきました。

ボクの痛みは、皮膚の疱疹部(湿疹)が痛むのではなく、付近の神経がずきんずきんと痛むという感じなのです。疱疹が腰、尻、股というヘンなところに出てしまったものですから、その辺の神経が痛み、歩行も困難になっていたのです。

ずきん、ずきんの痛みが3種類あることを、以前のブログ記事で紹介しました。ひとつは、「赤ずきん」ちゃんこんにちわ、の可愛い、小さなズキン、二つ目が、「怪傑黒ずきん」で、これが一番強い痛みで、夕暮れになると突如現われて、夜中じゅう、モモのあたりに暴れまわるズキン。そして、もうひとつは、松嶋菜々子さんの「紫ずきん」です。これは、股のつけねあたりにくる、色っぽい、ズキンなのですが、歩行に一番支障をきたす、意外とこわいズキンなのです。

まず、1週間ぐらい前に、赤ズキンちゃんが消えてくれました。それから、4日前に紫ズキンが、そして、あの怪傑黒ズキンも、3日前から姿が見えなくなり、今朝もみていませんので、どうも退却したと宣言してもいいかなと思いました。

怪傑黒ずきんさん、ボクの病気と一生懸命戦ってくれて、本当にありがとう。サンクス怪傑黒ずきん、さようなら怪傑黒ずきん、また逢う日まで。

・・・・・

また逢う日まで

作詞:阿久悠
作曲:筒美京平
歌唱:尾崎紀代彦

また逢う日まで 逢える時まで
 別れのそのわけは話したくない
  なぜかさびしいだけ
   なぜかむなしいだけ
たがいに傷つきすべてをなくすから
 ふたりでドアをしめて
  ふたりで名前消して
   そのとき心はなにかを話すだろう

また逢う日まで 逢える時まで
 あなたは何処にいて何をしてるの
  それは知りたくない
   それはききたくない
たがいに気づかい昨日にもどるから
 ふたりでドアをしめて
  ふたりで名前消して
   そのとき心はなにかを話すだろう

ふたりでドアをしめて
 ふたりで名前消して
  そのとき心はなにかを話すだろう







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The 有頂天撮影所

2007-04-16 09:12:04 | Weblog
ボクは昨日の記事で、周防正行監督のことを述べ、最新作「それでもボクはやってない」の次ぎの作品はきっと、彼の監督第一作、小津安二郎監督の”晩春”の続編としてつくられた「変態家族の兄貴の嫁さん」のリメークになるだろうと、予想しました。でも一晩寝てから考えてみると、この案ですと、映画会社の方から、今は変態家族は珍しくないので、面白くないとクレームがつくかもしれないと思いました。そこで、ボクは、ボツにされたときのことを考え、念のため第二案を考えてみました。やはり、周防監督が尊敬する小津監督がらみのものです。まだ、下書き程度ですので、メモ書きなども入れたままにしています。

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(題名)
The 有頂天撮影所

(あらすじ)
昭和29年4月、山田洋次監督が大船撮影所に入社したときから物語が始まる。山田さんの目でみた、当時の、映画全盛期の撮影所の様子をコミカルに描く。小津安二郎監督と木下恵介監督のライバル関係を物語の中心に据える。撮影所内だけではなく、近くの食堂の人たち、鎌倉文士たちとの交流も入れる。ほぼ史実に従うが、多少フィクションも入れる。たとえば、山田さんが岸恵子さんに片想いし、ふられてパリに逃げられる、小津さんと原節子さんがハッピーエンドになる等である。でも、脚本は、あの”The有頂天ホテル”の三谷幸喜さんに任せるので、どんな破廉恥な物語になるか保証のかぎりではない。映画音楽も重視したい。大船の看板スターだった上原謙さんのご子息の加山雄三さんにまかせる。”蒲田行進曲”に対抗できる、湘南サウンズの”大船有頂天行進曲”の作詞作曲をお願いする。雄三&ワイルドワンズに歌ってもらう。

(スタッフ)
監督:周防正之
脚本:三谷幸喜 
音楽監督:加山雄三

(キャスト)
山田洋次役:木村拓哉さん。出演交渉は、山田に依頼してもらう、「武士の一分」で断れないだろう。映画では、「武士の一分」と同じ、庄内地方出身とする、せりふは、がんす言葉で。山田の初々しい、まじめ一方の新米助監督時代を演じる。

岸恵子役:壇れいさん(キムタクと「武士の一分」で夫婦役を好演したので、起用。浜っこでなく、山田と同郷の設定。今回はキムタクを振って、パリに逃げる役、東北なまりのフランス語も勉強してもらう、たとえばメルシー de ガンス。

小津安二郎役:役所広司さん。基本的に「Shall we ダンス」の役のような、きまじめな男として演じる(小津を、まじめすぎて、なんだかクスクスおかしいという人柄に設定)。原節子との初めての出会い場面が重要、オズオズして、赤面し(本当にそうだったらしいです)何もしゃべれない。撮影現場でもどちらが監督かわからない、と言った感じに撮る。

原節子役:草刈民代さん。「Shall we ダンス」のダンス教師の、かげのある冷たい女の感じで演じる、でも今回は役所の片想いではなく、ハッピーエンドなので、役所に対しては、表面は冷たく、でも心では暖かくと、難しい演技が要求される。でもご主人の周防正行監督にいつも、そういう態度らしいので、地でいってもらえばよい。原節子は趣味が社交ダンスということにしてあるので、小津にダンスを教えるシーンも入れる。

木下恵介役:竹中直人さん。とにかく小津のやることなすこと、ことごとく反発する、こ憎くらしい役回り、でも、どこか抜けているところがあり憎めない。小津の社交ダンスに対抗してフラダンスを習うが、腰を振りすぎて、ぎっくり腰になり、撮影中の「二十四の瞳」の生徒さんに病院に運ばれる、入院中にお尻に帯状疱疹ができ、美人女医さん(松嶋菜々子さんを予定)の診察風景もいれる。脚本以外でも、竹中のアドリブを積極的にとり入れ、笑いをとる。

撮影所近くの、小津組がひいきにした「月ヶ瀬」と木下組がひいきにした食堂のふたつを映画のセットに入れる。「月ヶ瀬」のお嬢さん、益子さんは佐田啓二さんに見そめられ結婚することになるが、そのエピソードもコミカルなタッチで入れる。

佐田啓二役:中井貴一さん。佐田啓二の実子であり、ぴったり。出身地は実際とは違って、盛岡とする。「壬生義士伝」の好演をそのまま生かしてもらう。ただ、壬生義士伝の貧乏侍と違って、ここでは大スターで大金持ち。でも口癖が「おもさげながんす」(申し訳ありません)で、気持ちがやさしく皆から好かれる役回り。

益子さん役:夏川結衣さん。「壬生義士伝」で中井貴一さんの妻役を好演、息がぴったり合い、適役。控えめな役で、台詞はあまりない、目で演技をする。

その他、小津監督を訪問する当時の有名人の会話シーンをいくつか入れて、アクセントをつける。

淀川長冶役:コロッケさん。映画評論家の第一人者、淀川の、映画っていいですね、などの話し言葉、さいなら、さいなら、の仕草、これを忠実に(いや、おおげさに、コミカルに)まねてもらう。物まねの天才、コロッケさんを起用。断られたら、栗貫にお願いする。

横綱栃錦役:高見盛関。大相撲藤沢場所の帰りに大船撮影所に寄ったという設定。演技は要らない、地でやってもらえれば笑いがとれる。断られたら、稀勢の里関にお願いする、彼の場合は、真っ向勝負で、まじめすぎて笑いがとれないので、無芸大食で、食事シーンのみにする。食べ方を工夫し、小津のローアングル、アップ撮影法でクスクス笑いをとる。

小林秀雄(爆笑問題・太田光さん予定)が小津と、鎌倉小町の天ぷらひろみで、それぞれ小林秀雄丼、小津安二郎丼(本当に今もメニューにあるんですよ、3800円ぐらいだったと思う)を食べながら、酒を飲みながら談笑するシーン。太田が役のことを忘れて、今のテレビの太田総理になってしまい、現代の政治問題を青筋たてて夢中しゃべり出すことにより笑いをとる。その他、いろいろのシーンを考えたのですが、これから、出掛けなければならないので、この辺で止めておきます。

ナレーター:山田洋次さん

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写真は昨日、大船フラワーセンターで撮った、花ズオーです。この花の名前から、周防監督が小津監督をこんなにも尊敬していたのかと、びっくりしました。

ズオー・・スオー(周防)・・(逆さ読みすると)・・オズ(小津)
周防監督は名前までリメークしていたのです。きっと、お宅の庭には花ズオーのピンクの、映画じゃない、花が咲き誇っていることでしょう。


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