気ままに

大船での気ままな生活日誌

夏越の日に  ルリマツリと美術展

2013-06-30 18:50:20 | Weblog
今日、6月30日は、夏越の祓 (なごしのはらえ)の日。八幡さまの舞殿の前には大きな茅の輪が。


茅の輪くぐりをしたいが、神主さんからお祓いを受けなくてならない。去年は受けたが、今年は(午後1時の部のあとは3時からだというので)外から写真を撮るだけにした。


その代り、本殿にお参り。


明日からは、もう七夕の週となる。


無事、これからの半年を乗り越えられますよう。


八幡さまの横のお宅のルリマツリが真っ盛りになっていた。これもジャカランダのように熱帯性なので、暑さに強い。




八幡さま境内の神奈川近代美術館鎌倉で松田正平展を観て、ふと蓮池に目をやると、白い蓮の花が咲いていた。




鎌倉別館では野中ユリ展を観てきた。どちらも、とても良かった。感想文は、まだ続いている旅行記が済んでからです(汗)。


別館前には現代の”茅の輪”がふたつ並んでいた。


。。。

カルガモ日誌#6 今日も会えましたよ。母子とも元気でした。


鯉物語#1 いつも同じ場所を1日中、動かない、珍しい鯉一家の動静を、今後、伝えたいと思います。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コトル湾の岩礁の聖母マリア教会 東欧旅のアルバム#11

2013-06-30 08:05:51 | Weblog
コトルの見学を終え、向かう先はコトル湾の海辺の町、ぺラスト。ここからボートで岩礁の小島、聖母島へ。

はじめに、この島の伝説を。15世紀、地元の二人の漁師の舟が岩礁にぶつかり、大破したが、一命をとりとめた。そのとき漁師は、ここで聖母のイコンを釣り上げていた。ありがたく思い、この地の人々は、その岩礁に岩石を積み、島をつくり、そのイコンを安置するための教会を建てた。

舟に乗ると、もうすぐ先に、ふたつの小島が見える。手前に浮かぶのは聖ジョージ島。石垣に囲まれた修道院が建っているが、一般の人は入れない。その奥に浮かぶ小島が、聖母マリア教会の聖母島だ。

うしろを振り向くと、ぺラストの町が。聖ニコラ教会の鐘楼がみえる。実は、本物のイコンは、小島ではなく、この教会にあるとのこと。


海上には二つの小島。

ひとつは目指す、岩礁の聖母マリア教会の島、聖母島。


もうひとつは、聖ジョージ島。こちらの方が絵になる。


ボートから見る聖ジョージ島 向きが変わる


ボートからみる聖母島


聖母島上陸


聖母マリア教会に入る。

祭壇には聖母子像

壁面にはマリアさまにまつわる絵画

天井画もすばらしい。


聖母島からみる聖ジョージ島

巡礼の女がひとり(笑)

対岸のぺラスト村


この日はドゥブロヴニクに帰る。国境を越え、クロアチアの山からドゥブロヴニクの街が見えてきた。


翌日も晴れあがり、ホテルのテラスでの朝食は暑いくらいだった。そしてシベニークを経て、プリトビチェ湖群国立公園に向かう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青と白のバラード 大船フラワーセンター

2013-06-29 19:08:29 | Weblog
”赤と黒のブルース”は、鶴田浩二の名曲ですが、”青と白のバラード”は大船フラワーセンターの名花です。

青と白のバラード#1 アガパンサスとクリナム ポウェリィ(ハマユウの仲間)




青と白のバラード#2 桔梗


青と白のバラード#3 薔薇 ブルームーンとホワイトマスターピース



青と白のバラード#4 ムクゲ



青と白のバラード#5 ペチュニア


青と白のバラード#6 睡蓮



青と白のバラード#7 洋ラン


青と白のバラード#8 紫陽花



青と白のバラード#9 花菖蒲と半夏生



青と白のバラード#10 半夏生やらせ


赤と黒のブルース  ダリア



黒が弱いって?おいらが加勢するよ 黒バラ・ブラックバカラ


赤と黒とのドレスの渦に
ナイトクラブの 夜は更ける
妖しく燃える 地獄の花に
暗いこころが 暗いこころが
ああ またうずく

白だけのバラード 満月美人 昼夜逆転処理をして昼に咲いた。月下美人の仲間。


。。。。。

カルガモ日誌#5 お母さんカモも戻ってきましたよ、よかった。母子8羽。元気でお食事中。



。。。

そうそう、忘れてました。山百合情報。まだ固い蕾です。紅筋が早そう。1週間後、また調査の予定です。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンテネグロのコトル 東欧旅のアルバム#10

2013-06-29 09:05:03 | Weblog
ドゥブロヴニクをバスで出発して、40分もするとクロアチアの南端となり、国境を超えると、そこはモンテネグロ。ベネチア人が緑深い山国を”黒い山(モンテネグロ)”と呼んだのが国名の由来になっている。面積は福島県と同じくらいで、人口は66万人。2006年、国民投票によりセルビアと分かれ、独立。さらに、1時間も走ると、複雑な海岸線と険しい山々の囲まれた要塞都市であり、港町であるコトルがそのうつくしい中世の姿を現す。

古代ローマの植民都市として発展し、オスマントルコ、ヴェネツィア等の支配を受けたが、天然の良港として栄えてきた。4世紀にわたるヴェネツィア支配のときに、この都市を強く印象付ける、山上にまで至る堅固な城壁が築かれ、街の中では、ヴェネツィア様式の建物がつくられた。それらが現在も残り、1979年に世界遺産に登録され、モンテネグロ屈指の観光都市となっている。

まず、コトルの街を守った城壁をみてみよう。裏山までつづく。

山上の城壁


城壁内は中世の雰囲気がいっぱいの旧市街。海の門をくぐると、広場の端に街のシンボル、十七世紀時代の時計台が立っている。


ローマカトリック教会と東方正教会の境界線にあるコトルには双方の教会がある。

ローマ・カトリック教会である聖トリフォン大聖堂。現在の大聖堂は、1166年建築のロマネスク様式が土台だが、地震後、何度か再建されている。街の守護聖人である聖トリフォンの遺品や遺骨は、809年にコンスタンチノープルからコトルに持ち込まれた。


主祭壇は15世紀のもの




東方正教会の聖ニコラ教会。漁師の守護聖人を祀る。1909年建設。








東方正教会に属する聖ルカ教会 1195年にカトリック教会として建設されたが、1657年にセルビア正教会になった。ロマネスク様式とビザンチン様式が混合。


セントコロナ教会


オルジャ広場。旧市街の中心広場


みせしめの柱


17世紀コトル貴族の邸宅、ピマハウス。



旧市街の街角








次回は、コトル湾の岩礁マリア教会となります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三崎口、妙音寺の山百合

2013-06-28 19:01:43 | Weblog
数日前、衣笠で紫陽花見物に行った際、山百合の開花に遭遇し、狂喜した(汗)。これで、もう、三浦半島の山百合はOKと判断し、山百合の名所として知られる、京急三崎口の妙音寺にふたりで出掛けた。昨日は横須賀でジャカランダの花見をしたばかりだから、最近、横須賀線の営業成績に随分、貢献している(笑)。

JR久里浜駅で降りて、(歩いてすぐの)京急久里浜駅に乗り換え、4,5駅先の三崎口駅まで乗れば良いから、大船からはそう遠くはない。でも、今回がはじめての訪問。駅から20分ほど坂道を上がり、住宅街を抜けると、妙音寺だ。

花と石仏によって構成する妙音寺裏山一帯を「花山曼荼羅」といいます。浄土の世界を現世に表現した、まさに「花浄土」であり、主たる花「山ゆり」をはじめ、桜、梅、スイセン、ツツジ、ハス、アジサイ、キキョウなど、延べ50種3200本の花木によって彩られています。という案内で、なんと山百合は1000株もあるという。



参拝順路に従い、石段を登る。いきなり、見事な山百合が顔を出し、ぼくらはヤッタゼと喜ぶ。


また、いくつかの山百合が並んで顔を出す。


し、しかし、1000株あるにしては、少なすぎる。もっと、わっという感じで、咲きそろっているのを期待したのに。よくみると、まだ蕾ばかりの株がたくさんあるのに気付いた。見頃はこれからなノダ。そうか、そうか、でも、でも、花咲く山百合をトータルすれば、大船辺りではとても見ることができない数だ。ありがたく思わなければならないと、思ったら、山百合が輝いてきた。アップでも撮ってあげた。若き日の(今でもそうだけど)、吉永小百合と内藤洋子のようにうつくしい(汗)。


そして、もうけものだったのは、紫陽花がまだまだ魅せてくれたこと。随分、株数があり、山百合の期待度不足分を十分、補ってくれた。




山百合と紫陽花


山百合と石仏


次ぎは、地元、大船フラワーセンターの山百合の開花状況の偵察ダ!。

。。。。。

カルガモ日誌#4

4日振りに出会う。前回、子カモ数が確認できなかったが、7羽とも元気だった。ただ、今回、親カモがいない。親離れしたのだろうか。それとも、一時的か。次回が楽しみ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャカランダを訪ねて 鎌倉へ 横須賀へ

2013-06-28 08:46:33 | Weblog
先日、熱海のジャカランダの花を観て、この辺りにもあるのではと、ネットで調べたら、鎌倉の個人のお宅と、横須賀の神奈川歯科大学の構内にあるらしいことを知った。で、梅雨の晴れ間に早速、探訪に行ったのだった(汗)。

ジャカランダがあるはずのある鎌倉のお宅。しかし、あの青紫の花はどこにもみえない。ちょっとお庭を覗きこむようにして探しても、やっぱりない。おかしいなと、すぐすごと帰ろうとしたら、そこの奥さんの声。ジャカランダですか?。そうですと答えると、2年前の嵐の塩害で枯死してしまったとの返事。じぇじぇじぇ。

ご親切に、お入りなさいと、元気なときのジャカランダの写真までみせていただいた。そして、ジャカランダの一生を聞かせていただく。カリフォルニアの種から育てたそうだ。そして奥さんは絵も描かれ、自宅で個展を開いていたので、見せていただく。ほのぼのとした、いい絵だった。それに、なななんと、奥さんが、(ぼくも大フアンだった)女優の内藤洋子さんの妹さんと知り、じぇじぇじぇ。そういえば、雰囲気がそっくり。

現在のジャカランダと在りし日のジャカランダ。幹を切ったときに、桜餅のような、とてもいい香りを発したという。



奥さんから、近くにピンク色のノウゼンカズラが咲いてますよ、と教えられたので行ってみる。たしかに、まるでジャカランダの生まれ変わりみたい。


思いついて、妙本寺の山門前のノウゼンカズラはどうなったか、ついでに観に行く。花の数はもうひとつだったが、初見させていただき、ごっつあんです。



そして、その足で横須賀へ。歯科大へは、JR横須賀駅から歩くと、結構ある。三笠公園の近く。守衛さんから許可書をもらい、構内に入る。場所を教えてもらったので、すぐ見つかる。
大きな木で、結構咲いていた。青空に青紫色が映えていた。







満足感に浸りながら、ふと鎌倉の奥さんの言葉を思い出した。あそこには3本ありましたよ。えっ?首をぐるっと回しても、それらしきものはない。通りかかった職員らしき方に尋ねると、少し離れた図書館前に2本あるらしい。でも、向こうは、あまり咲いていない、との言葉。見頃は、ここも一週間程前だったとのこと。

たしかに、そうだった。二本、並んで立っていたが、花は先っぽに少しだけ。でも、葉っぱも、花に負けず、とてもきれいだった。



そうそう、熱海ではジャカランダの和名は紫雲木とされていたが、ここでは、”紫の桜”、”熱帯の桜”とも呼ばれていると書かれていた。ぜひ満開の”紫の桜”をみて見たいものだ。


帰りに三笠公園にも寄ってきた。


ジャカランダのおかげで、とても、いい一日をすごすことができた。白馬のルンナ♪




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸の四季/浮世絵に見る歳時とくらし

2013-06-27 10:18:15 | Weblog
熱海のジャカランダ見物とセットでMOA美術館に行ってきた。所蔵品企画展”江戸の四季/浮世絵に見る歳時とくらし”が開催されていて、是非にと思っていた展覧会。

圧巻は第一室の勝川春章の、”婦女十二ヶ月図”。広い、静かな部屋に余裕をもって、一幅づつ、ゆったりと飾られている。肉筆浮世絵の中でも傑作として知られ、重要文化財に指定されているものだ。十二ヶ月とはいっても、重要な一月と三月がない。何故か?あとで調べても分からなかった(笑)。ただ、1,3月は国芳によって補充されたそうだが(何故補充か?笑)、またその1月も失い、現在は”3月・潮干狩図”が残っているとのこと。それはここにはなかった。

縦長の画面いっぱいに、色とりどりの着物を着た、きれいなおねいさんが数人ずつ、それぞれの季節の中で、しっとりと行事を楽しんでいる。うっとりしてしまうほどのうつくしさとなつかしさ(汗)。”七夕図”では水の入った容器に星を映している。”節分図”では娘を抱えて、門に柊の枝をさそうとしている。六月は”行水”、白い肌のお母さんと子供がお湯につかっている。お月見も雪見も。これらを観るだけでも、遠くまで来た甲斐があるというもの。

勝川春章のもう一つの重文、”雪月花図”もすばらしかった。雪・月・花の三幅対は、平安王朝の、清少納言、紫式部、小野小町の三才媛の見立絵となっている。それぞれ、武家の奥方風、武家の娘風、芸者として描かれている。紫式部はすぐわかったが、あとの二人はどちらかな、としばらく考えていた、美人度とかを(汗)。奥方に猫がまつわりついていたのに気付き、ああそうかと思った。

菱川師宣の”江戸風俗図巻”。江戸の行楽地を背景に庶民風俗を描いたもの。開かれている場面は御殿山の花見の宴。贅沢いえば全部、開いてほしかった。その他、歌舞伎の中村座や吉原、隅田川などの場面があるようだ。またの機会を楽しみに。

肉筆画に専念した宮川長春の”柳下腰掛美人図”。春信に私淑し、春信風の美人を描いたが、のちに現実味のある肉筆画を描くようになった礒田湖龍斎の”男女図”。などなど、見ごたえのある作品がつづく。

そして、ぼくの好きな春信美人も歌麿美人も登場し、広重も、各所江戸百景を中心に、花見、梅見、潮干狩り、月見などの、江戸の歳時とくらしを余すことなくみせてくれる。

そうそう、仁清の国宝・色絵藤花茶壺も2室でみられるし、光琳の紅白梅図屏風も写真OKでみられます。えっ!ただし複製版で、ロビーのとこでね。
来年も、ジャカランダ・MOAセットだ。





天国への階段(笑)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロクレム島のヌーディストビーチ 東欧旅のアルバム#9

2013-06-26 09:38:49 | Weblog
スルジュ山からドゥブロヴニク旧市街を見下ろすと、その左前方に小さな島がアドリア海にぽっかり浮かんでいる。ロクレム島である。この島を遊覧船で巡るツアーがあり、それに参加した。海側からドゥブロヴニクの街を観るということが主目的だが、もうひとつ興味深い目的もあった。それは、この島の東南部の海岸がヌーディストのビーチとして有名らしいのだ。もしかしたら、彼ら、彼女らに遭遇できるかもと、期待していた(汗)。

港を離れ、ドゥブロヴニクの街をうしろに観ながら、船は島に近づく。そして東南部へ。ビーチがみえてくる。観客が突然、歓声をあげた。いる、いる(笑)。沖行く舟からは肉眼では定かではないけれど、たしかに水着をつけていない。カメラを向け、ズームをいっぱいに上げて、撮る、撮る(大汗)。たしかに、男性も女性も、恥ずかしいところを隠しもせず、堂々とこちらを向いていた。主義としての、ヌーディストなんだから、あたりまといえばあたりまえなんだけど。はじめて見る光景にぼくらの目は釘づけになった。

クロアチアはヌーディストビーチのメッカなんだそうだ。国としても積極的に30ヵ所以上ものビーチ、公園を紹介するパンフレットまで出している。はじめのヌーディストビーチは、ロクレム島ではなくラブ島で、それが1934年というから、歴史は古い。1936年に即位した英国国王エドワード八世と離婚経験のあるシンプソン夫人の愛の逃避行先がこの島だった。そこでヌードスイミングをしたらしい。

なお、政府はヌーディストという言葉ではなく、ナチュラリストという言葉をつかっている。そして、彼らが裸ですごせる場所は、前述の政府が指定した地域に限るということだ。それにしても、ユーゴスラビア時代からのことだから、随分、さばけた社会主義国家だったんなあと、感心する。

ロクレム島とドゥブロヴニク旧市街





港を離れる


要塞がみえる


うしろがスルジュ山


そして、お目当ての(汗)ビーチ。いる、いる。し失礼しました。いらっしゃる。ほらね。




本当はもっと、もっとすごいのがあるのですが、問題があるので出せません(爆)。

青の洞門のような、洞門と青い海。


アドリア海の青




アドリア海のピンク。ホテルから撮った朝焼けを映す海。


さようなら、アドリア海の真珠、ドゥブロヴニク。後方の高い山から、最後の別れ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱海のジャカランダ

2013-06-26 06:58:23 | Weblog
たしか、7、8年前にイタリアのシチリア島を巡っているときだった。青紫色の花を枝いっぱいに咲かせている木をいくつも見つけ、あっと驚いた。そのとき、その木の名がジャカランダと知った。そのことを、すっかり忘れていたが、数年前、熱海の糸川沿いの熱海桜を見学して、海辺まで降りてきたときに、親水公園前の国道沿いに、この木が並んでいるのを見つけた。ぜひ一度、花の時期に見学してみたいものだと思っていたが、今日、ようやく実現した。

MOA美術館を出て、バスで、お宮の松の前で降りた。今年の2月、ここにもジャカランダが植栽されているのを知っていたので、ここを出発点とした。2月にはお宮の松の辺りは工事中でごちゃごちゃしていたが、すっかり整備されていた。貫一・お宮の像。


この像の近くに青紫色の花を咲かせている若木をすぐ見つけることができた。何本かあり、小さな苗木にもかかわらず、それぞれ、一人前の花を咲かせていた。よし、花の時期はOKだ、と一安心。




熱海市では、平成24年~平成25年の2ヵ年で、東海岸町のサンビーチ前に広がる「お宮緑地」を世界三大花木の一つであるジャカランダで再整備するとのことだ。完成図があった。10年後が楽しみ。


その近くの国道沿いにも、ジャカランダの大木があり、こちらも青紫色の花をいっぱいつけていた。見事なものだった(逆光ぎみで、写真では色がよく出ていませんが)。これで、わざわざここに来た甲斐があったと、もう一安心(笑)。


これは、平成2年に植栽したもので、カスカイス市との姉妹都市提携記念植樹である、という案内板があった。カスカイス市?帰って調べたら、シチリア島かなと思ったが(笑)、そうではなく、リスボン近効の海岸沿いのリゾート地らしい。なるほど、熱海と似ているワイな。きっと、当地では、ジャカランダの並木道でもあるのだろう。

さて、あっちの方はどうか、とヨットハーバーの近くの親水公園前の国道沿いまで歩みを進める。そこにはずらりとジャカランダの成木が並んでいるが・・・。青紫の花をつけているのは、そのうち3本に1本くらい。ちょっぴり落胆。満開の”紫の桜”がずらりと並んでいる姿をみたかったけど。




葉っぱは合歓の木のようで、花はノウゼンカズラのようなラッパ型。案内板をみたら、ノウゼンカズラ科で、ブラジル南部原産、和名は”紫雲木”というそうだ。白雲木はぼくの好きな花木だが、紫雲木もぼくの愛人木にしよう(笑)。


・・・
糸川をまたぐようにブーゲンべリアが咲いていた。はじめて知った。いろんな時期に来てみるものだ。


糸川には蛸坊主もいた。


ノウゼンカズラも咲いていた。これは熱海銀座の近くで。


熱海の花火ちゃんも、なかなかの別嬪さんだった。くまもんとお似合いダネ。熊本と姉妹都市になるカモ。でも、ジャカランダ祭りのあるという宮崎の日南市にとられてしまうかな。


来年もぜひ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドゥブロヴニク旧市街 東欧旅のアルバム#8 

2013-06-25 08:05:00 | Weblog
アドリア海の真珠、ドゥブロヴニク。うつくしいだけではないゾエ。少し、歴史を訪ねてみよう。1358年、ドゥブロヴニクはクロアチア・ハンガリー王の保護下で独立と自由を獲得し、王領自由都市、つまり国家格となった。さらに15世紀以降はドゥブロヴニク共和国を名乗るようになる。15世紀から16世紀にかけて最盛期を迎え、ヴェネツィア共和国や他のイタリアの海洋都市国家とライバル関係になる。なお、一昨日、展覧会でみてきたマルコポーロは、17歳のとき1270年にヴェネツィアを発ち、帰国するのが1295年である。その頃のドゥブロヴニクはヴェネツィアの支配化にあり(1205~1358)、マルコポーロも帰路はアドリア海のクロアチア側を航行しているので(往路はイタリア側)、きっとここに寄港したに違いない。

横道にそれてしまったが、14世紀にドゥブロヴニクは新たな繁栄期を迎える。市街地は現在の市壁まで広がり、その壁はさらに厚く、高くなっていく。東西の市門の傍に、ドミニコ会とフランチェスコ会の修道院ができはじめ、大聖堂の建設が完成する。

また、医療福祉の先駆都市でもあった。1317年、世界でも3番目の薬局ができ、その薬局は驚くことなかれ、現在まで営業を続けている。ヨーロッパ最古の薬屋さんだ。47年には治療院、32年には孤児院も整備した。医者、薬剤師、理髪師(当時は外科医も兼ねていた)を優遇し、家を与え、年俸を支払った。医療技術も優れ、ジェンナーの種痘の12年も前に別の方法で実施されていたという。じぇじぇじぇ。検疫所も世界初で遺稿も残っている。上下水道も完備。1436年には、市内にふたつの大噴水が出来、各家庭に貴重な水が平等に供給されるようになる。このように、ドゥブロヴニクは中世でもっとも、衛生的な、健康的な都市国家となっていたノダ。

しかし、1667年に発生した大地震により、壊滅的な被害を受けて、以降、徐々に衰退の道を歩む。クロアチア本土の小区画の領土をオスマン帝国に売った(ベネツィアとオスマン軍との戦いに巻き込まれるのを避けた策略でもあった)。そこが、現在のボスニア・ヘルツェゴビナのアドリア海に接する町であるネウムである。だから、今も、ドゥブロヴニクはクロアチアの飛び地になっていて、陸路では、必ず、この国境を越えてしか入れない。それ以降の歴史はどーんとはしょり、いきなりクロアチア戦争に。1991年、ユーゴスラビア連合からの独立戦争で、スロベニアは10日で済んだが、クロアチアは9か月もかかった。ドゥブロヴニクも攻撃され、だいぶ破壊された。その後、現状復旧し、世界遺産として認められ、今や、年間200万人の観光客を呼ぶ、クロアチアのドル箱となっている。

そんな歴史を思い浮かべながら、旧市街を見学してみよう。

大聖堂。 1667年の震災後、1713年に再建され、現在に至る。ルジャ広場の南端に建つバロック様式の建物で、宝物室には聖ヴラホの遺骨や財宝などがある。

聖堂内。大理石を使った祭壇とティツィアーノの”聖母被昇天”も素晴らしい。


ラファエロの”聖母子”。宝物館にある。


ルジェ広場に立つローラント像。右側半分の長さが商品の計測の基準となった。うしろは聖ブラホ教会。


旧総督邸。総統は一か月交代。長期政権は腐敗を生むと。事実上、総督を形骸化している。


フランシスコ会修道院

入口


回廊


薬局。ヨーロッパ最古の薬屋さん。修道院内にある。ペーパー薬剤師のワイフが喜ぶ。


オノフリオの大噴水 1438年に造られた。12km離れた源泉から水を引いて市内の2か所に設けられている。16面の顔のレプリカの口から、水が噴き出している。





路地




大きな桑の木をみつける。


人々




プラツア通りと時計塔


ロビリエナッツ要塞の壁の文字。”どんな黄金との引き換えであっても、自由を売り渡してはならない”彼らがもっとも大切にしたのは、”リベルタス(自由)”。この文字は、現在も公共バスをはじめ至る所に刻まれているという。


おいらも、どんなに金を積まれても、この自由を売り渡さない!今日は熱海じゃ。

日はまた昇る。朝の来ない夜はない。今日の日の出。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする