気ままに

大船での気ままな生活日誌

賢治は人間の手本である

2011-06-30 05:40:00 | Weblog

茅ヶ崎図書館で、井上ひさしの”宮澤賢治に聞く”を開いた。
”はじめに”で、賢治は人間の手本であるの小見出しが。えっ?。

  これからの人間はこうあるべきだという手本。そのひとつが宮澤賢治だという気がしてなりません。・・賢治は科学者でした。けれども科学者が独走するとろくなことはありません。科学がはしゃぎたてるのをだれかがいましめなければなりません。賢治の中でその役目をはたしたのは宗教者としての部分でした。・・科学と宗教はそれぞれ反対の方角を目指しています。どちらへいきすぎてもよくない結果が生まれます。賢治の中ではふたつがたがいにお目付け役をつとめていたように思います。そしてこのふたつの中に文学があります。
  三者の関係をわたしは忘れないようにしたいと願っています。それから賢治は人間は多面体として生きる方がよろしいと説いているようにみえます。野に立つ農夫も四六時中、農夫であてはつまらない。それでは人間として半端である。朝は宗教者、昼は科学者、夜は芸能者、そういう農夫がいてよいのではないか、賢治はそう考えて、羅須地人協会(私塾)をはじめたのではないか。・・・科学も宗教も労働も芸能もみんな大切なもの。でもそれらを手分けしてもつのでは何もならない。ひとりがこの四者を自分という小宇宙の中で競い合わせるのが重要だ。あらゆる意味で、できるだけ自給自足せよ。それがなってはじめて共生できるのだよ。そうしないと、科学が、宗教が、労働が、あるいは芸能が独走して、ひどいことになってしまうよ。賢治がそう言っているような気がしてなりません。

久しぶりに、どきっとした文章に出会ったので、ほぼ全文載せてしまいました。

。。。。。

図書館の隣りの高砂緑地の池の周りにいる動植物たちは、みな多面体として生きていた、自給自足していた(笑)。

 

今日から、数日間、新潟で遊んできます。

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時空を越えて横浜散歩

2011-06-29 18:21:32 | Weblog

今日も暑い一日だった。さすがのぼくも外散歩は控えた。時空を超えた(?)散歩に切り替えた。まず、横浜の県立歴史博物館に。はじめは幕末から明治時代の散歩。”ワーグマンがみた海”展へ。近代洋画の創始者、高橋由一と五姓田義松のお師匠さんだ。生麦事件とかの歴史的な事件、時代風俗の絵がいっぱい、詳しいことは、また後ほどということで。

そして、歴史博物館の廊下の壁に、博物館横の馬車道の明治からピンクレディーの時代までの写真や絵が。ここでも時を越えた散歩が楽しめた。

そして、今日は暑いから、みなとみらい線で元町中華街まで乗り、エレベーターでアメリカ公園まで上がる。坂を登っていくと、外人墓地の前の横浜地方気象台が一般公開をしていた。はじめてなので喜んで入った。全国でも三番目に古い庁舎(昭和2年築)部分を今も残してあって、見学させてくれるのだ。ここで、昭和はじめの横浜散歩をしたわけ。

さらに、神奈川文学館では”漱石と文人たちの書画”展。ここでも、橋口五葉の装丁本がたくさんみられましたよ。ぼくの好きな実篤の絵も。これらも、詳しくはのちほど。明治、大正、昭和のはじめの横浜散歩。

暑さ知らずの、時空を超えた、楽しい横浜散歩だった。時空を超えたドラマ、JIN/仁も面白かったですね。橘咲役の綾瀬はるかさん、2013年度NHK大河ドラマで、主役、新島襄の妻・八重を演じます。がんばってね。ぼくもそれまでがんばる。

。。。。。

幕末・明治はじめの横浜散歩


馬車道散歩

明治時代の馬車道

関東大震災の馬車道(大正12年)

横浜大空襲の馬車道 (昭和20年)

オート三輪が走る馬車道(昭和35年)

ピンクレディーの馬車道(昭和52年)

昭和はじめの横浜地方気象台

明治から昭和までの文学散歩

薔薇とイギリス館。 ワーグマンもイギリス人、奥さんは日本人です

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橋口五葉展

2011-06-29 09:24:44 | Weblog

橋口五葉の生誕130年を記念して、回顧展が千葉市美術館で開催されている。半月ほど前、東京湾を一周たときに寄った。記憶もおぼろげになっているが、想い出してみたい。没後90年でもあるから、40年の短い生涯だったことになる。その短い期間に、こんなにも沢山の、それも多岐にわたる作品を残した。驚嘆に値する。長く生きて欲しかったけど、これほどの作品群をみせられると、逆に、人生は長ければいいというものでもない、ともいえる。

ちらしの表紙を飾ったのが”黄薔薇”だ。白黒写真でしか知られていなかったのが、100年振りに公開された。先日、朝日新聞の美術欄に紹介されていた幻の絵である。この絵は展覧会の中間あたりに展示してあったが、五葉自身にとっても、ある意味、エポックメーキング的な作品ではなかっただろうか。この前年に、五葉を有名にさせた、三越呉服店の懸賞ポスターで一等賞になった”此美人”を描いている。”黄薔薇”は、自信をもって描いた日本画だったが、意外と評価は低く、本画へのさらなる進出はあきらめた。その代わり、天は新版画への道に導いた。

そして、これからが、ぼくも知る作品が次から次へ発表される。版元・渡邊庄三郎からの作品一号、”浴場の女”は新版画の先駈けとして有名だ。しかし、このあと、技術的な折り合いがつかず、版元から離れ、独自の”私家版木判”の制作に励む。展覧会でも、このコーナーが一番の華である。歌麿を想うかのように、化粧の女、髪梳ける女、浴後の女、夏衣の女、手拭持てる女、などの女シリーズ。そして広重を想うかのように、風景画の数々。耶馬渓、京都三条大橋、そして、花鳥画。

新版画だけでなく、ぼくは五葉の装幀にも目を見張った。漱石にぼくの文章よりいい、と評されたそうだが、”吾輩は猫である”をはじめ虞美人草、草合などの漱石本が並んでいる。漱石のデビュー作を五葉が飾る。五葉が美校を卒業したばかりの作品で、兄が熊本で漱石先生の学生だった縁もあるようだ。泉鏡花本も多くがあるが、どれもこれも、本そのものが宝物のような趣きである。小村雪岱の装幀にいいが、五葉のは、それ以上と思う。このコーナーにはずいぶん時間をかけてしまった。

その他、ポスター絵、若き日の作品、裸体デッサン、など合計418点という作品は、もう生涯みられないかと思うような豪華さだった。いつもは買わない、図録を買って、今もときどき五葉美人を楽しんでいる。

。。。。。。

此美人

黄薔薇

浴場の女

化粧の女

髪梳ける女

 耶馬渓

京都三条大橋

吾輩は猫である(装幀)

装幀

 

 

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平塚八幡宮界隈

2011-06-28 18:33:14 | Weblog

一昨日、鎌倉の八幡さまに行ったが、まだ茅の輪はできていなかった。6月30日が大祓の儀だが、その日から旅行なので、行けない。平塚の八幡宮は早々と茅の輪くぐりが出来ることを思い出し、午前中、早めの夏越しの大祓をしてきた。ついでに、その界隈の散歩をしてきた。梅雨の晴れ間で、真夏のような暑さだったが、日陰に入ると、涼しい風が心地良かった。

茅の輪くぐり

七夕飾り

八幡宮の森

森の小道

洋館 (旧横浜ゴム平塚製造所記念館/国有形文化財)

応接室と会議室

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天国と地獄 ロケ地巡り

2011-06-28 06:17:06 | Weblog

鎌倉市川喜多映画記念館の特別展”黒澤明の世界”もいよいよ終わった。最終日(6月26日)の前日、”天国と地獄”を観に行った。テレビでは何度か観たことはあるが、スクリーンでは初めてかもしれない。スリルとサスペンス、いつみても面白い映画である。それに、今回は、こちらに引越してきてから、歩きまわっている地域が舞台になっているので、余計、面白く感じた。今回、このロケ地巡りをしてみたい。

まず、三船敏郎の住む高台の豪邸とそれを見上げる誘拐犯の医学生(山崎務)が住むあばら屋は、横浜市西区の黄金町周辺のようだ。この辺りは何度か歩いたことがある。数年前までは大岡川沿いに”ピンクスナック”がずらりと立ち並んでいたが、今は取り壊されている。この映画がつくられた昭和37年頃の様子はぼくは全く知らない。

そして、この映画の一番、緊迫する場面。誘拐犯の指示に従い、特急列車こだま号(新幹線ではありません)の洗面室のわずかな隙間から現金の入った鞄をふたつ落とす場面だ。黒澤が脚本を書くとき、酒匂川付近の地図や特急列車こだま(新幹線の前のこだま)の設計図をもちながら、国鉄に何度も電話をかけて、検討したそうだ。国鉄からあなたは何者だ、と疑われたらしい(笑)。撮影も、こだま号を貸切り、一発勝負で行ったとのことだ。

東海道線、鴨の宮駅を過ぎると、酒匂川がみえてくる。土手の手前に犯人と子供がいる、川を渡り、反対側の土手には共犯者ふたりがいる。川を渡りきったところで鞄を落とす、わずか10秒のシーンだ。この辺りは、ぼくの、”電車に乗ってから散歩”の行動範囲である、小田原、箱根、熱海に行く時には必ず通る。次の機会に酒匂川の写真を撮っておみせします(汗)。

さて、もうひとつの重要な場面は、子供が誘拐犯に閉じ込められていた場所だ。三船と誘拐犯のやりとりの電話の録音の中に、刑事が江ノ電の特徴ある電車音が聞きわける。そして、子供が閉じ込められた小屋の場所を想い出して描いた絵には、岬と海と富士山が描かれている。さらに、捨てられた車から魚を踏んだ形跡がある。それらから、腰越漁港の近くの、丘の上だ推定し、とうとう見つけだす。そこには共犯者たちが、(山崎による)ヘロイン過剰投与で殺害されていた。

結局、警察とマスコミの共同戦線で、彼らの死は伏せられ、山崎をここに誘き寄せ、逮捕する。当時の誘拐犯の刑が軽く、殺人罪で逮捕しようという警察の考えだった。黒澤監督も、誘拐犯の刑の軽さにはイカッテいたようだ。この映画のあと、世論の高まりもあり、誘拐は無期を含む重罪に変更になったとのことだ。

ぼくも、ここの探索に、出掛けた(汗)。まず、腰越漁港へ。そして、向いの山に。江の島が小動(こゆるぎ)の岬に隠れ(子供の絵の中に江の島がない)、海が右側にみえて、富士山もみえる地点だ。江ノ電の音も聞こえなければならない。鎌倉高校の方まで行ってしまうと、江の島がまるみえだから、漁港からそう離れたところではない。

義経の腰越状で有名な満福寺の脇から登る道があった。そこを少し登ると、映画でみたような景色が現れた。左に小動岬、江の島はその影に隠れる、そして、右側に藤沢方面の海がみえる。富士山は、海の向こうにみえるはずだ(この日は曇っていてみえなかった)。たぶん、この場所ではないかと確信した。

今日の、”映画感想”はロケ地を切り口にして書いてみました(汗)。川本三郎の著書にも、映画のロケ地を巡る、というのがあったが、なかなか面白いものだ。さて、次はどの映画のロケ地にしようかな(汗)。

腰越漁港

満福寺前を走る江ノ電

”誘拐小屋”からみた景色 左の緑が小動岬(江の島はこの影に隠れる)、海は藤沢方面。当時はマンションなどはない。

 

 

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月曜日が休みでない美術館

2011-06-27 22:01:09 | Weblog

サンデー毎日のぼくは、曜日感覚がなくて、ときどき失敗する。今日も、横浜の歴史博物館のワーグマン展か近代文学館でも、と出掛けたが、電車に乗ってから、はたと気付いた。今日は・・・月曜日ではないか。休みだ。・・横浜で降りずに、そのままGO・・湘南新宿ラインだったので、恵比寿まで行って、山手線で原宿へ(渋谷で降りると、乗り換えまですごく歩くので、いつもそうする)。そうだ、国立新美術館は確か、月曜はやってる(いつか火曜日に来て、休みだったのが悔しくてよく憶えている)、それに、ぼくの好きな日傘の女も来ているし、と車中で決めたのです。

これが良かった。みんな今日は休みだと思って、来ないらしく、すいている。話題のワシントン・ナショナル・ギャラリー展が、ギャラギャラ(ガラガラ)。ゆっくりみられました。これについては、のちほどくわしく。・・・と言いながら記事にしていない展覧会がいくつもある。橋口五葉展もまだだし、金谷美術館もまだだ。とほほ。

その他、ここで開催されている、いろいろな展覧会を観て回わった(WNG展の半券をみせると200円で入場できる)。いい絵や写真がいっぱいあった。外はだし、こんな日はこれが一番。

大船に戻ってきたらになっていた。昨日、客で溢れていた床屋さんが、空いていたので入った。床屋さんは月曜日に限る。目の横の傷はどうしたんですか、と聞かれたから、正直に話した。うちどころが悪かったら、大変なことになってましたね、と運の良さをほめられた。

 

 

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滝口寺の海紅豆(デイゴ)の花

2011-06-27 06:04:03 | Weblog

お寺さんにデイゴの花というのは珍しいかもしれない。滝口寺の山門前に大きなデイゴの木があって、それが今、満開だった。満開といっても、次から次へと花を咲かせ、次から次へと惜しげもなく落としていくから、天も地も真っ赤に染まっているのだ。横に、片瀬滝の口商店街の記念樹という立て札があり、そこには海紅豆(かいこうず)と記してあった。アメリカデイゴの和名だが、海辺に咲く赤い豆科の花、ということで、いい名前だと思う。うちの近くのデイゴの花も一週間前から咲き始めていたので、フラワーセンターにでも観にいこうと思っていたところだった。だから、不意打ちのように現れた滝口寺の海紅豆の花はうれしかった。これから、鎌倉の(ここは藤沢市になるのかな)お寺の花のレパートリーに入れようと思う。

ここには、りっぱな仁王様もいれば、大きな五重塔もある。

ここは日蓮上人、滝の口法難の刑場だった。あわやというとき、江の島の方から満月のような光が飛んできて、斬首役人の目がくらみ、刑は中止となった。

日蓮上人像

おわりに、うちの近所のデイゴ

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鎌倉のシラスと犬とにゃんこ

2011-06-26 18:43:55 | Weblog

今日はモノレールで江の島駅に出て、そこから腰越漁港あたりを散歩した。めったにこの辺りには来ないので、お昼はシラス料理にしようと思っていた。”かきや本館”というお店の前まで来たら、12時前だったが、もう10人ほどが外で待っていた。行列ができるくらいの店でないと、と待つことにした。でも、10分もすると呼ばれ、一人なのに四人席に案内された。多くの人が頼んでいた、”しらす三昧セット・こゆるぎ”を注文した。もちろん生ビールも。釜揚げしらす丼、しらすのかき揚げ、酢の物そして生しらすまでついて、1300円くらいだった(正確に憶えていない)。とてもおいしかった。こんどワイフも連れてこよう。漁港近くなので、しらすだけでなく、お刺身や魚料理も豊富で、昼酒をやるのもいいと思った(汗)。色紙もたくさん飾られていたので、有名人も来るのだろう。しらすや、というお店も行列だった。

しらす三昧セット・こゆるぎ

何故、腰越まで来たかというと、昨日、黒澤明監督の”天国と地獄”をみて、ここら辺りがロケ地になっていたので、来て見たわけです(汗)。腰越漁港も映画の中にあったので、見学に行ったら、ちょうどシラスを干しているところだった。運がよかった。おいしい、おいしいと食べてあげたので、シラスが呼んでくれたのだろう。白洲正子さんも草葉の陰で応援してくれたのかもしれない。よく本を読んでいるので。

そして、ぼくはお腹が満腹になったので、義経の腰越状で名高い満福寺に寄った。そしたら、拝観料受付に、にゃんこがいるではないか、この前の浄妙寺のように。しかし、な、ななんと、仕事をしないでいねむりばかり。浄妙寺のきんちゃんとはえらい違い。ここは、いつも暇なのだろうか。

そして、ぼくは江ノ電に乗って(ものすごい混みようだった、日曜の鎌倉はすごいのです)、鎌倉駅まで行って、図書館に行く途中、またみてはならない光景をみてしまった。こんどはワンコである。目は開いているから、露出狂なのかもしれない。困ったものだ。鎌倉の犬なのだから、もう少し上品にしてほしい。

大船から我が家に戻る途中にも、川に飛び込もうとする、にゃんこをみつけた。砂押川沿いの桜の木によじ登り、川を覗き込むように、大きな口を開けて、何かを叫んでいた。や、ややめろ、それだけは。朝の来ない夜はない、がんばらなくていい、生きてるだけで幸せなのだ、人(猫)生は一度きり、だからころんでも立ちあがり(ぼくも一昨日転びました)、前向きに生きて行くのだ。悩んでばかりいないで、たまにはお酒もいいと思います。

ようやくわかってもらえました。戻ってきました。

しらすと猫と犬の、面白い一日だった。

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大船駅前で、いくべい君と弘前桜女王に出会う

2011-06-26 08:04:20 | Weblog

大船駅前に青森観光キャンペーン隊がきていた。この五月、青森新幹線が再開してすぐに、弘前城の桜を観にいったばかりだ。現役中には何故だか、一度も青森に行ったことがなかった。高知と青森が最後まで残されていた。それが、気まま生活に入り、がらりと様相が変わった。おそらく、青森県はぼくの旅行先、県別一、二位を争うまでに急上昇している。たぶん、京都がトップで、青森が猛追しているのではないかと思う。弘前城の桜は3回行ったし、奥入瀬も2回、青森ねぶたも行っている。八甲田の混浴千人風呂も入ったが、これはどこかと組んでいるから回数には入れない。

とにかく、相当な青森フアンであることは確かだ。だから、大船駅前で、青森観光キャラクター、いくべい君と弘前城ミス桜グランプリのお嬢さんに出会えて、こんなに嬉しいことはない。できれば、弘前城桜まつりのキャラクター、たか丸くんにも来てほしかったが、それは贅沢というものだろう。

では、いくべい君からご登場願いましょう。因みに、いくべい君の生年月日は2010年2月22日(ぼくの好きなぞろ目でいいね)、趣味は食べ歩きと井戸端会議(誰かさんみたいだな)、好物はおにぎりとしめサバ、特技は背負い投げとだんご虫のまね、だそうです。早速、大船の子供たちと友達になっていました。背負い投げはされませんでした。

いくべい君



桜の女王

大船駅みどりの窓口の前

・・・・・
弘前のさくら たか丸くんは来なかった

岩木山

奥入瀬の渓流

酸ヶ湯 千人風呂

平泉・中尊寺等 世界遺産登録おめでとう 今年は岩手県にも行かねば

小笠原諸島 世界遺産登録おめでとう 巨人の小笠原もがんばってほしい

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旧東海道宿場町 掛川宿

2011-06-25 17:32:48 | Weblog

転んだとき、眼鏡を壊して、もう新しいのに変えなくてはダメかと思っていたら、パリミキの眼鏡屋さんが見事に直してくれた。10年ほどの愛用の眼鏡だったのでうれしかった。目のふちの傷もかさぶたができたようで、もう大丈夫だ。

この転倒事件がなければ、一泊して、掛川と、その先の袋井と手前の日坂を歩くつもりだった。旧東海道宿場町シリーズ東海編である。東海編の初歩きは、今年2月の由井宿だったから、今回が第二弾ということになる。時間の関係で、掛川宿だけとなった。

掛川宿は市があまり重視していないようで、宿場町に関する施設や標識がほとんどない。ようやく、大手門近くに、本陣跡地の標識をみつけた。1854年(嘉永7年)の大震災はじめ幾多の天災、人災により、本陣もたびたび移動したが、ほぼこの辺りにあったと思われる、と説明があった。江戸時代の宿場町を想像しながら旧東海道をながめた。

宿場町がお城の目の前というのも、珍しい。小田原もそうだったが、これほど、接近していない。掛川城は再興され、本陣近くの大手門も再建されている。山内一豊が城主だったときに城下町が整備されたとのことだ。二宮尊徳の教えの拠点、”大日本報徳社”もここにある。正門も大講堂も国の重要文化財である。図書館も古色蒼然としたところがいい。入ってみたかったが、休館だった。何故、掛川に尊徳か?生まれは栢山村(現小田原市)のはずだ。

お城の天守閣、御殿、廓”竹の丸”をみて、二の丸美術館で地元の、24歳で戦死した日本画家、桑原喜八郎展を観た。すばらしい作品だった。御殿では、そろそろ封切られる、東山紀之主演”小川の辺”の撮影も行われたとのこと。是非みてみたい(汗)。何故、”汗”かというと、どんなものでも縁と思って、のぞいてしまう(大汗)。

宿場町見学としての掛川は物足りなかったけど、城下町としての掛川は見どころ満載だった。次は、五十三次中間点の宿場町、袋井宿と、宿場町の面影が残っているという日坂宿を是非、訪ねたい。

・・・・・・・

 旧東海道と本陣跡など

掛川城

御殿

御殿のこの部屋が撮影の舞台になった

竹の丸

大手門

大日本報徳社と図書館



掛川駅前の二宮金次郎像

こんなときだから、つい二宮尊徳の言葉を想い出してしまう。

経済なき道徳は戯言であり
道徳なき経済は犯罪である

 

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