気ままに

大船での気ままな生活日誌

お祭りマンボ

2009-08-31 18:03:25 | Weblog
昨日は、高円寺の阿波踊りにでもと、思っていたが、その日の夜8時からの”総選挙祭り”の速報があることを思い出し、近所の散歩にとどめることにした。高円寺の阿波踊りは、むかし近くに住んでいたこともあり、阿佐谷の七夕祭りとともに、よく出かけたものだった。地元のお祭り見物もいいもんだ。

総選挙祭りのおかげで、わが大船の、地元のお祭りを楽しむことができた。ワイフと、鎌倉芸術館で始まっている”志村立美/美人画展”と三田崇博/世界遺産写真展を観に出かけた途中、近くの公園で、立派な御神輿が車から降ろされるところだった。町内の五社稲荷神社の大神輿で、町内渡御が1時半から始まるということだった。



去年の夏に、北鎌倉の山内八雲神社の御神輿の町内渡御を宮出しから宮入りまで最後までついていったりしているのに(汗)、実は、まだ地元の御神輿渡御をみていないのだ。よし、今日こそはと、ウキウキと機嫌良く、時間まで展覧会を楽しんだあと、ここに戻ってきた。

りっぱな大神輿が待機していた。


担ぎ手も、祭り好きの寅さんと、ひばりさんの前で待機していた。


すでに、神主さん、先導隊の太鼓隊、お囃子の車や子供神輿などもそろっていた。どこをどう回るか、予備知識がなかったので、当面、1回目のお休み処までついてゆくことにした。30分ほど渡御し、休みに入ったところで、隣りの人に聞いたら、5時半頃まで町内を回るというので、全コースついて回るのは、勘弁してもらって、宮入りを観させていただこうと思った。

先導隊が出発。子供神輿も神主さんと一緒に動き始めた。

大神輿も。小雨がぱらついてきたので、ビニール掛けで、ちょっと残念。

そして、休み処。スイカが用意されていた。ぼくは食べる権利がないだろうなと、要望はしなかった。あたりまえだのクラッカー(中高年しか知らない言葉)。


そこから離れ、まず、15分ほど歩いて、このお祭りの主、五社稲荷神社にお参りした。りっぱな御神輿をみせていただいたので、お賽銭は少しはり込んでお札にした。建久年間に源頼朝が常陸国の佐竹氏を滅ぼしたとき捕らえられた、家来の一人が、佐竹氏は源氏の一族なのに、なぜ滅ぼすのかと抗議した。頼朝はその武士の勇気と忠誠心に感心し、岩瀬与一太郎と名乗らせ、御家人として、当地を治めさせたという。五社稲荷神社は、その岩瀬与一太郎の創建である。ついでながら、与一太郎が現常陸大宮市内の岩瀬城主であったことから、最近、ここ鎌倉市岩瀬の人々との相互友好訪問がなされている。なお、隣り町の笠間という地名(横浜市栄区)も、茨城にあり(笠間焼で有名な笠間)、与一太郎が故郷をなつかしく思い、つけた地名だと言われている。ぼくは、25年間、茨城県民だったので、もちろん常陸の岩瀬も笠間も訪れている。ぼくが終の棲家にこの地を選んだのも、なにか縁があるのだろう(笑)。



そして、ぼくはそこから、歩いてすぐの、栄図書館で5時半まで待機することにした。待ちきれなくなって、5時に神社に着いた。2時間ほど前まであったテントも外され、がらんとしている。”祭りのあと”といったふうな静けさであった。念のため、神輿倉をみたが、がらんとしている。どうしてなのか。途方にくれ、ふっと目がいった、横の掲示板をみて驚いた。神輿渡御の順路が示されていて、なんとゴールは、エビガニの故郷(アメリカザリガニの発祥地なのだ、えへん)、岩瀬子供広場だったのだ。

きっと、交通事情のことを考えてのことだろう、宮入り、宮出しのは簡単にすますのだろう。ぼくの足は、昨日の浅草サンバカーニバルで酷使し(汗)、エビガニのようにとろとろしか歩けなくなっていたので、もうここでやめることにした。

でも、良かった、地元の神社の御神輿渡御をみられて。それに、夜は総選挙祭りを楽しめて。
でも、各局ともよく当てるもんですね。ということは、投票後の調査に、みな結構正直に答えるんですね。ぼくなら、聞かれたら、そんなつまらん調査等するなと、でたらめ言ってやるけど(爆)。8時に一瞬で決まる今よりも、むかしの、時間をかけて当確を決めていく選挙速報の方が楽しめましたね。テレビ局の人が望遠鏡で開票室をのぞき、集票の束を数えて参考にしたり、のどかな時代でしたナ

それにしてもお祭りは面白い。



。。。

お祭りマンボ

作詞/作曲 原 六朗 
歌唱   美空ひばり

私のとなりのおじさんは
神田の生まれで チャキチャキ江戸っ子
お祭りさわぎが大好きで
ねじりはちまき そろいのゆかた
雨が降ろうが ヤリが降ろうが
朝から晩まで おみこしかついで
ワッショイワッショイ ワッショイワッショイ
景気をつけろ 塩まいておくれ
ワッショイワッショイ ワッショイワッショイ
ソーレ ソレソレ お祭りだ

民主党はこんな気分でしょうね。
・・・

お祭りすんで 日が暮れて
つめたい風の 吹く夜は
家を焼かれた おじさんと
ヘソクリとられた おばさんの
ほんにせつない ためいきばかり
いくら泣いても かえらない
いくら泣いても あとの祭りよ

自民党はこんな気分でしょうね。
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浅草サンバカーニバル

2009-08-30 11:21:32 | Weblog
横須賀線で錦糸町まで行って、そこからバスで浅草へ。1時頃、パレード開始直前。予想通りの大混雑だった。道路脇の座る場所は満席だし、そのうしろの立ち見もいっぱい。今から、そのうしろについても、パレードもちょっとだけよ、しと見られないと、例年のように、馬道通りの、スタート地点に近い公園や空き家などで待機しているチームをのぞきに行った。

浅草サンバカーニバルの楽しみのひとつは衣装の素晴らしさにあるのだから(露出度の高い衣装が中心だが;汗)、結構、その場所でも、楽しめるのだ。観客は少ないし、日陰で座って観れるので、意外な穴場なのだ。以前、地元の人に聞いて、ここが一番いいよという、その付近で、しばらく、過ごした。

浅草サンバには、地元の人が中心だが、本場のリオのカーニバルでならした、プロ級の女性も何人も呼ばれている。さすが、健康的な日焼けした肌、スタイル抜群、地元、荷風先生好みの(笑)羽飾りの衣装に目を奪われる。ついパチリ回数が増えてしまう。まず、そうゆうスターたちから紹介しましょう。


子供がかわいかったです。

パレード寸前。踊りのウオーミングアップをしていましたが、さすがじょうずでした。


日本人も負けないです。色白だけど、大胆な衣装で。でも、考えてみれば、海水浴場でのビキニ水着と思えば、どうということないですね。

パレード前の記念撮影。20年後、わたしにもこんな時代があったと、娘さんにみせるでしょう。メタボなお腹をさすりながら(爆)


荷風先生好みの夜の蝶。いや昼の蝶でした。

こちらも昆虫軍団。

こちらは水牛かな。最近の娘さんは、角隠しをしないもんね。おへそも隠さず。

ぼくの好きなお月さまも。今年は、いろいろあったんで祇園祭りに行けなかったけど、あそこの月鉾みたいどすえ。

馬道通りから横道に入り、浅草神社に向かった。今年は三社祭り、行けないでごめんなさいね。いろいろあったんで。お神輿蔵のそばにご神田があり、稲が育っていた。カーニバルとは無縁の存在だった。

カーニバルと無縁の存在がもうひとつ、この境内に。お猿さんとお姉さん。竹馬で隣りの柵を飛び越えてみせてくれた。超人的だった。いや超猿的だった。お姉さんも美人でよしもとの芸人みたいに、話がうまかった。超人的だった。カーニバルがなくても、浅草はいつでもお祭りのようで好きだ。

雷門の前まできた。

すごい人出で、やっと、パレード中の写真を撮った。

。。。
リオのカーニバルを浅草で。浅草だからできるのだろう。京都でも似合わないし、つくばでもちょっとという感じだし、まして安曇野ではやめてくれよと追い出されてしまうだろうな。浅草万歳。
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ご仏壇引っ越し記念日

2009-08-29 09:38:22 | Weblog
昨日、8月28日、実家から我が家にご仏壇が引っ越してきました。父が亡くなってから、16年、母がひとりで仏壇を守ってきましたが、その母もこの5月に他界し、49日忌を終えてから、夫婦位牌として仏壇に祀られました。8月のお盆までは、50年間住んだ川崎の実家でゆっくりしてもらい、そのあとはぼくの家にという計画でした。

仏壇本体の引っ越しは、クロネコヤマトにお願いし、お位牌、仏具や父母の記念品等は、ボクが運び、昨日、我が家の和室にセットしました。これまでもときどき、実家に行き、仏花は欠かせませんでしたが、晩酌は毎日というわけにはいきませんでした(汗)。お酒の好きな父母のために、夕食時、早速、笠間焼のぐい飲みに、宮城県に住む妹からもらった浦霞をつぎ、カガミクリスタルのぐい飲みに、キリン一番搾りをつぎ、供えました。これから、毎晩、一緒に晩酌ができるねと、手を合わせました。
。。。

このご仏壇引っ越し記念日に、夕日も海も空も、そして、最近めったに姿をみせてくれなかった富士山まで、それに、お月様までお出くださり、よかったねと言葉をかけてくださいました。










稲村ケ崎にて
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トリノ・エジプト展

2009-08-28 09:47:21 | Weblog


トリノというと、ボクには荒川静香が金メタルをとった処というくらいの知識がなく、ここに、大英博物館やルーブルの所蔵品に匹敵する、古代エジプトコレクションをもつ博物館があることを今まで知らなかった。

東美のトリノ・エジプト展を観てきた。たいていの人はトリノ博物館って?と思うだろうと思って、ちゃんと第1章は博物館の紹介から始まった。なんと3万3千点の所蔵品があるとのことだ。19世紀ナポレオンの遠征に従軍した、ドロベッテイ(どろぼーテイじゃないですよ;爆)が蒐集したものだそうだ。

トリノ博物館での展示室は、鏡を導入したり、照明装置を駆使して、少しでもより良い鑑賞をと、演出をこらしているが、今回の展覧会でもそのような工夫が取り入れられていた。

第二章の彫像ギャラリー。ここに、今回の主役、少年ツターカーメンとアメン神の並んだ彫像がある。ツターカーメンは少年らしい純真な顔であったが、神であるアメンも、少しもえらそうなところがなく、まるでお兄さんかお姉さんのような姿であったのが印象的であった。神は身近なものであったのだろうか。

アメン神とツターカーメン王の像

オシリス神をかたどった巨像頭部


神は身近なところに存在する。第三章に”祈りの軌跡”でそれが分かった。古代エジプト人は、非常に信心深い人々であることを知った。それも、超人的な能力をもつ、動物、たとえば隼やトキ、ジャッカルそして猫まで、神として尊敬されていた。もちろん太陽、月、ナイル河、など、もろもろの自然も崇拝されていて、太陽神ラーは、国家神だった。多神教なのだ。日本人もむかしからそうだった。自然を恐れ、あがめていた。(現代は、そうゆうひとが少なくなってしまったが)。

隼、トキ、ジャカルの像

青銅製の猫の像


エジプトの原始王朝がBC4000年ぐらいから始まり、この前、横浜で観た、絶世の美女、クレオパトラで終わる、BC30年まで、4000年もの間、いろいろあったにしろ、比較的平穏な王朝が続いていたのだから、すごいことだと思う。(ここでは第20王朝(BC1186~BC1070年頃)時代のものが中心に展示されている)これは、民衆にこうゆう自然をあがめる宗教心があったことが根底に関係しているのではないかと、勝手に思ってみたりする。

それに引き換え、AD以降、現代まで引き続いている、宗教間の争い、あるいは同一宗教でも宗派間の争いは絶えない。元祖はりっぱな人だったかもしれないが、そんな姿をみていると、宗教家あるいは信徒とは名ばかりで、宗教心のかけらもないようにみえる。もちろん、りっぱな方もたくさんいらしゃるが。

それ以降の章は、死後の世界である。古代のエジプト人は、再生と復活を信じて、墓がつくられ、遺体をミイラにして埋葬した。こういう考えは、日本人には、少なくとも、ぼくにはない。死後は自然に同化し、魂ぐらいが残り、時たま、この世の見物に来るくらいで十分だ(笑)。みいらの作り方も勉強できた。内臓も脳も取り出し、甕に納め、外観は腐敗しないように処理して、お棺に入れる。多種類の護符が、ミイラとともに副葬される。そうゆう、ミイラ、彩色木棺や副葬品の数々も展示されている。

ロータス(蓮)文様のファイアンス製容器。青空のような、うつくしい色だった。


一度も訪れていないエジプト。また行きたくなってしまった。砂漠を歩くのはもうきついので、ナイル川をクルージングで、のんびりとかな(汗)

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浅草でロシア料理

2009-08-26 10:29:38 | Weblog
浅草は好きな街で、何度行ったかわからない。お祭り騒ぎが大好きなせいかもしれない。三社祭はあるし、夏の終わりには浅草サンバが待っている。またいつ行っても、仲見世通りは、世界中から集まった観光客で毎日お祭り騒ぎのようだ。

先日もワイフと浅草に行ってきた。ワイフは、花火大会は好きなのに、どういうわけだか、三社祭もサンバも一度、行ったきりで、あの騒ぎは尋常でない、と、最近はいくら誘っても行かない。ただ、浅草には結構、おいしいお店があって、食事が目的のときには、ほいほいついてくる。この日はロシア料理の名店に出掛けた。

浅草マノスという老舗のロシア料理屋の兄弟分で、むかしフェスタマノスと言っていたはずだが、今はこういう名前になっている。フランス風ロシア料理とうたっている。ほかにも結構あるし、浅草にロシア料理屋さんが多いのはなぜだろうか。



ワイフは、ランチコースをおしそうに食べていた。小さなハンバーグみたいなのがメインディシュだった。スープもデザートもおいしいねと、にこにこしていた。おわりに、ロシア紅茶にジャムをたくさん入れて飲んでいた。ぼくはランチは軽い方がよく、ちょっと重かった(晩酌をおいしくいただくためには)やっぱり昼飯は麺類ぐらいが一番と思ったが、あまりに幸福そうな顔をしているので、おいしいねと口を合わせおいた。満席で、ほとんど中高年のおばさん達だった。ぱくぱく食べ、ぺちゃくちゃしゃべり、エネルギーに満ちあふれていた。

店を出るとき、うちわをもらった。浅草サンバカーニバルの宣伝の団扇だった。な、なんと今週の土曜日なのだ。うっかり忘れていた。是非、行かねば(汗)。



そのときは、ひとりで。神谷バーでビールを飲んで。美女の乱舞を楽しんで(汗)。それにしても、あのアサヒビールのビルは、ビールのジョッキをモチーフにしているのはわかるけど、その隣りのは、いったい何を表わしているのだろうか。みんな、う○ちビルと言ってるけど、本当だろうか。


そばで、もう彼岸花が咲いていた。今年の夏はどうもおかしい。カーニバルの日くらいは夏らしく、暑くなって欲しいものだ。



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ゆりかもめ 駅の文様

2009-08-25 18:36:07 | Weblog
新橋からお台場を通って、豊洲までつづく、ゆりかもめ。いつか甥の結婚披露宴が、この路線の駅のレストランで行われたとき以来、一度も行っていなかった。なんとなく、若者の遊び場という感じがして。昨日は珍しく、この路線を使った。ホテルに泊まったのだ。ワイフが、ビジネスホテル並みの料金で、高級ホテルに泊まれるよ、というので、わざわざ、泊りに行ったわけ(汗)。たしかに安い。エグゼクティブクラブ階の部屋で、ふたりで、15000円。その上、ビュフェスタイル朝食はもちろんのこと、夕方のカクテルアワーではお酒飲みほうだい(さすが、悪くて生ビール一杯にしましたが;汗)、というサービスぶりなのだ。こんな安くていいのだろうか。

久し振りのゆりかもめ。面白いものを見つけた。竹芝駅に鎌倉の北条家の家紋(みつうろこ)みたいのが、あちこちにあるのに気づき、注意してみると、それぞれの駅に、おしるしの文様があるのだ。それも、日本古来の伝統文様を用いている。面白いので、いくつかの駅の文様を、ここにメモしておこうと思う。ふーん、こんな和風文様もあるのだ、と勉強にもなった。

まず、ホテルの最寄駅竹芝駅。 鱗文様。三つだけ使うとみつ鱗になり、わが鎌倉の、北条家の家紋となる。


隣りの汐留駅は葦文様。


その、隣りの始発駅、新橋は柳縞文様。新橋芸者さんに似合いそうだな。


竹芝駅からお台場方面へ。さいしょの駅は日の出駅。桟橋があるところ。そこは日足散らし文様。千鳥足文様かと思いました(汗)素敵な文様ですね。


あとは順不同。
















なかなかいいでしょ。こんな模様の浴衣をきた中高年婦人(若い娘さんならベターですが)がいたら、だきつきたくなってしまいそう(爆)。でもテレコムセンター駅のコウモリ文様は敬遠する人が多いかも。

。。。

このホテルに来る前に、近くの浜離宮公園の見物をしていたのですが、突如、暗雲たちこめ、大雨。一時間ほど雨宿りというひどい目にあいました。でも雨上がりに、素敵な自然文様をみることができましたよ。

潮入り池縞馬文様(笑)


さかさビール千鳥足文様(笑)


キバナコスモス乱れ咲き文様


300年の老松。お台場公園駅の老松文様のモデルになりました(うそどす)。これをモチーフに”おろちの老松文様”をつくってみるかな。中高年者仕様に(笑)。
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女子マラソン銀メタル 乾杯

2009-08-24 10:01:44 | Weblog


ぼくは、むかしから女子マラソンの大フアン。主要なレースは必ず、万障お繰り合わせの上、必ずテレビ観戦しています。まして、昨日はオリンピックと並ぶ、大レース、世界陸上、観ないはずはありません。手に汗にぎる(本当は手に、備前のぐい飲みにぎる;汗)熱戦でした。

マラソンはやっぱりサバイバルレースが一番。まさに、昨日のレースはそれで、中盤までの第一集団には3人の日本人選手が入っていて、わくわく。そのうち、アセレフェチ・メルギア(エチオピア)がペースを上げると、次々と脱落者が出て、彼女と尾崎、それに中国の白雪の3人に。”"山は富士、酒は白雪"を思い出す(笑)。

39キロ地点では、一時はトップに。隣りの字幕に歴代世界陸上メダリストの名前が。一番上の、銀メタル山下佐知子さんは、彼女の師匠。山下さんのこともよく覚えていますよ。どこかの国立大学出身で、あまり知られていなかった選手ですが、いきなり銀メダル、そしてバルセロナオリンピックでは4位でした。


そのうち、エチオピアの選手が落ちて、尾崎と酒は白雪の争い。酒の勢いで、41.08キロ(酔いオーハー)で酒の白雪がスパート。ここが分かれ目だった。お先(おざき)にと尾崎が出てほしかった。


でも、堂々の銀メタル。師匠と同じ色。師匠があとで言っていた。一番は狙わなくていいよ、と言ったのがいけなかったのかと(笑)。
ほかの選手も検討。団体戦でも銀メダルをとった。おめでとう。


そして、もうひとりの選手。赤羽さん。実は今回、ボクが一番応援していた選手。前日に彼女のドキュメントを観ていたのだ。ママさん選手。ご主人がコーチで、家事と子育ては彼が支えている。ぼくの友人にも、同じ状況のご夫婦がいるので、がんばってほしいと思っていた。でもしっかり完走。ベルリンに夫婦の足跡を残した。一生の、忘れられない思い出になることだろう。


ぼくはもう一度、乾杯した。いつもの倍、飲んでしまった(汗)。
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国立西洋美術館の風景

2009-08-23 09:25:27 | Weblog


東博で”染付展”を観ての帰り、午後5時頃、国立西洋美術館の前に通りかかったとき、5時半までやっているというので短時間だったが覗いてきた。この前、鎌倉で、ル・コルビュジエのお弟子さんの坂倉準三の展覧会をみたのに、師匠の展覧会を素通りしては申し訳ない思ったのだ(笑)。

ぼくは、いわゆる歴史的建造物を観るのは、好きだが、現代のコンクリート建造物には、あまり興味がない。建築学的な知識があればそれなりに、面白いこともあるのだろうが、そうゆう知識には乏しい。この美術館は、ル・コルビュジエが設計の素案をつくり、お弟子さんの、坂倉準三、前河国男、吉阪隆正の3人が実際には担当したということだ。

ル・コルビュジエの”無限成長美術館”構想の三つの美術館のひとつで、それが建築学上、重要なことらしい。でもそれが、世界遺産がどうのこうのというほど重要なことなのだろうかと素人は思ってしまう。外観だって、特別、ひかれるほどのものではない。東博の本館の外観の方が余程、ぼくは好きだ


西洋美術館はめったに入らないので、もう何年ぶりか分からない。今回は、”ル・コルビュジエ展”開催中のことでもあるし、美術作品を観るというより、素人の目で、美術館を”建築学的な”眼でみてみようと思った。特別展をちらりと観たあと、展示室の全体の雰囲気や、階段やら、壁やら、天井やら、廊下やら、上を向いたり、下を向いたり、横を向いたりして歩いてみた。



雰囲気がいい。ゆたっりして居心地よい、まずそう思った。壁の余白も美術館らしい工夫で楽しませてくれる。

展示室の連絡口もまるで額縁のようだ。

天井の自然採光口(だったと思う)も、水玉模様のようだ。

彫刻と絵画の併置もいい。裸女の彫刻の向こうにモネの睡蓮が。その横に金髪の美女がいるのもいい(汗)。

裸女とミロの絵も様になっている。

なかなかいいじゃないか、そう思ってみると天井まで芸術的だ。

階段まで芸術的だ(笑)。

庭に面した彫刻展示室。なるほど、自然採光を最大にとって、かつ野外とつなげて。

建築は外観ではないのだ。むしろ、住居なら住みやすく、美術館なら、居ごこちよく、つくる。これがいい建築家なのだ、やっぱりル・コルビュジエは名建築家なのだと思ったのでした。はじめけなして、最後はほめてしまいました(汗)。

でも、外観も内部も、うつくしい明治、大正、昭和初めまでの建物の方が、ぼくは、まだ好きですね。
。。。

レッドソックス田沢が、昨日2ホーマー7打点の松井秀を封じて、ヤンキースを6回零封し、見事2勝目をあげました。いいぞ。松坂もうかうかできませんね。



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加山雄三画伯

2009-08-22 08:34:59 | Weblog
銀座松屋の、熊田千佳慕(ちかぼ)展を観て、会場を出るとすぐに、この看板が。



加山さんが、俳優、歌手というだけではなく、弾厚作というペンネームで作詞、作曲もやれば、ヨットをはじめ、スポーツも万能。それに、2年ほど前、藤沢のホテルで開催されたディナーショーで知ったことですが、津軽弁まで堪能(八戸の観客から、ネーティブが話す津軽弁だ、とお墨付きをもらったそうです)と、本当になんでもこなす万能タレントであることは知っていましたが。

その加山さんが、なんと絵までおじょうずなのかと、びっくりしたわけです。茅ヶ崎で育った加山さんらしく、海の絵が多かったです。静かな海、荒れた海、さまざまな表情をみせる海を巧な筆さばきでお描きになっておられました。実際、光進丸に乗って、♪海よ俺の海よ 大きなその愛よ 男の想いをその胸に抱きとめて あしたの希望を 俺たちに くれるのだ♪と海を愛し、海のさまざまな表情を熟知している加山さんならでの作品でした。

版画で、高いのは27万円の値がついていました。もうりっぱな画家ですね。古稀コンサートを続ける加山さん、80歳ぐらいになって、歌えなくなっても、加山画伯として活躍しつづけることでしょう。それにしても、お忙しいのによく、ここまでできますね。ぼくも絵をやってみようかと、スケッチブックと鉛筆は買ってあるのですが、遊ぶのに忙しくて(汗)、まだ一枚も描いていません。

。。。

そして、その隣りで、”銀座の版画大市”。こちらは、本物の画家の名作ばかり。ぼくの大好きな東山魁夷の”道”をはじめ、平山郁夫、小倉遊鬼、横山大観、奥村土牛、片岡球子等の作品がずらり。そして、あの松園の”序の舞”も。版画といっても、原画と変わらぬ色合いで(大きさは違うのが多いですが)、十分楽しめます。画商の方がやっているので、売るのが目的ですが(版画でも100万円台のも)、みるだけでももちろんOK。無料です(笑)。ミニ美術館といったところ。



今回は、熊田千佳慕(ちかぼ)展が主で、これは従でしたが、結構、デパートの6,7Fにある、画廊や陶磁器売り場を歩くのも好きです。目の保養になりますね。

。。。

花巻東、よく逆転しましたね。途中降板した雄星くん、痛めた背中大丈夫でしょうか。明日の準決勝が心配ですね。全国制覇して、東北弁の得意な加山雄三さんに、”でがしたなはん いがった、いがった”と、ほめられるといいですね。
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プチファーブル 熊田千佳慕展

2009-08-21 18:34:07 | Weblog
熊田千佳慕(ちかぼ)展が銀座の松屋で開かれているというので観てきた。この8月13日に99歳でお亡くなりになったというニュースもあり、是非にとその数日後に出かけてきたのだ。

”プチファーブル”というあだ名は、1989年神奈川県立博物館で開かれた”ファーブル展”に彼のファーブル昆虫記に関連した絵が展示され、これを観たフランスのファーブル友の会の会長がつけたのだ。”ファーブルは虫の生態を文字で、あなたは絵筆で描き、人々に感動を与えた、クマダはプチファーブルだ”と激賞したのだった。

はじめデザイナーだったが、戦後、絵本作家に転じ、”みつばちマーヤの冒険”や”オズの魔法使い”などを描く。そして、念願のファーブル昆虫記の絵本を、なんと70歳になってっから描き始めるのである。

この展覧会でも、この時代のものが中心であるが、昆虫だけではなく、植物、動物、妖精、そしてお化け(これはうそどす)と多彩な生物画が、所狭しと並んでいる。

ファーブルの昆虫記は、昆虫少年はもちろんのこと、たいていの男の子(女の子もいたでしょうね)が、絵本や児童文学で親しんでいる。科学者の書いた本で、こんなに子供時代から読まれる本は他にはないと思う。そして、あの有名な第1巻のはじめに出てくる、糞ころがしの虫を知らない人はいないだろう。実際の場面をみたことはなくても。

もちろん、熊田さんの絵にも出てきます。動物の糞を丸くして転がしていると、他の虫が現われて、横どりしようとする。題して”ふん玉どろぼうとの争い”(笑)。



虫のお食事場面も多くありました。”森のジュースに集まる虫たち”虫のレストラン”とゆう画題も多くありました。


もちろんカマキリのような肉食昆虫は、戦いの場面も。自然界の残酷な一面も、やさしく子供たちに教えます。

植物画もすばらしい。


動物もたくさん。ここでは木の実をついばむ鳥。


猫ちゃんも。八代亜紀さんの猫図みたい(笑)。


どれもこれも、すばらしい細密画ですね。実際、使用された、絵筆、鉛筆、絵の具、羽根が展示されていました。筆先の1,2本の毛で描くこともあるようです。昆虫は動き回るので、しっかり観察して、イメージを頭に叩き込み、それを基に描くそうです。また珍しい昆虫標本が手に入ると、参考に、その形を写生しておくそうです。

横浜中区の生まれで、戦後は三つ沢の”あばらや”に住み、庭の草花に寄ってくる昆虫を腹ばいになって観察して絵を描き続けたそうです。これだけ、自然を心から愛しているので、こんないい絵ができるのですね。

虫と花と対話して
答えを待つ
そんな積み重ねが
一枚の絵となるのです。

熊田さんの言葉です。自然を愛する人は心清き人です。生前から仏さまのようなお顔でしたね。ご冥福をお祈り致します。そして、こんなにもたくさんの、感動的な絵を残してくださり、ありがとうございました。









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