気ままに

大船での気ままな生活日誌

横浜の銀杏並木、見頃に

2015-11-30 09:19:25 | Weblog

おはようございます。昨晩のつづきです。

金沢文庫の一遍聖絵と隣りの称名寺の銀杏をみて、金沢文庫の駅に戻った。はじめは、京急で新逗子に戻るつもりだったが、急に心変わりして、ぼくは反対のホームの特快に乗っていた。ここから、二つ目の駅がもう、横浜。ここで降りたのだ。とりあえず、横浜。ここを歩けば、なにかある、はずれがないとこなのだ。この日も大当たりだった。そう、海岸通りと日本大通りの銀杏並木がちょうど見頃を迎えていたのだった。

海岸通りのいちょう並木

さて、どこから撮ったでしょうか、三色もなか。

ここです。県民ホールからです。公演予定の金閣寺(三島由紀夫原作のオペラ)の看板といっしょに。字もイチョウ色に合わせたようです。

このチケットを買いにきたのではなく、1月の島津亜矢コンサートのチケットを2枚買う。家内と同じ熊本出身で歌がうまい。近くにきたときには、聞きにいく。紅白にも出場決定!亜矢ちゃん!

山下公園との境の小路からみた銀杏並木

十分、堪能して、日本大通りへ向かう。途中でこの展覧会をみる。その音、奇妙なり。開国後、横浜に入ってきた西洋音楽のこと。

日本大通りの銀杏並木

そして、日本大通り。キングの塔(県庁)からはじまる。

キングの塔

大桟橋方面を振り返る

横浜スタジアム方面へ歩く。侍ジャパンの四番を務めた筒香選手はベイスターズ。

歩いて歩いて


到着、横浜公園に。もう。チューリップの畑が整備されていた。池は水が抜かれていた。大掃除かな。もう、明日は12月だもの。

桜紅葉がうつくしかった。横浜スタジアムではアメフトの試合が行われていた。


ほんとに、横浜は、遊びに事欠かないとこ。なんでもござれのとこ。横浜も歩けば棒に当たる。

さて、今日は何処へ。銀杏並木といえば・・・あそこだが 今晩の記事をお楽しみに。でも、今晩、中学のクラス会があるので、明朝になるかもしれません。



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金沢文庫、称名寺のいちょうは輝いていた

2015-11-29 22:26:33 | Weblog

こんばんわ。やっぱり、寝る前に、金沢文庫の称名寺の黄金色に輝く、いちょうだけでも紹介しておこうと思って、キーボードをたたきはじめている。だって、今日は、そのあと横浜に移動し、山のように、いちょう並木の写真を撮ってきて、とても一つの記事では納まらないと思ったから。むかしからそういう性分で、少しでも明日の仕事の負担を軽くしておこうと、つい手を出してしまうノダ(汗)。

国宝一遍聖絵を金沢文庫でみて、これで、遊行寺、神奈川歴博につづく三館達成、三冠(館)王になったという安堵感(汗)で、ぼくは文庫から称名寺境内につづく隧道をくぐったのだ。そこで目にしたのは、輝くいちょうの大木だった!

ぼくは、この素晴らしい、いちょうを眺めながら、金沢文庫駅前のコンビニで買ったおにぎりをふたつほおばった。そして、庭園の池に架かる太鼓橋に上り、その上から、もう一度、この銀杏と、加えて二つの銀杏が並ぶ銀杏三兄弟をこの橋の上から眺めた。池に映った、三兄弟の姿は、まるで、昨日の羽生くんの四回転ジャンプのように(?)キマっていた。

橋を渡って、鐘つき堂からみた銀杏もなかなかのものだった。まるで、真央ちゃんのトリプルアクセルのようだった(?)。

でも、さすがの銀杏三兄弟も、そのうしろに堂々と立つ大ケヤキの威容には敵わない、と思った。まるで、天国にいかれた原節子さんのようだった。あの茂木健さんが、彼女の喪に服するため一週間、ツイッター、フェイスブック等のネットの活動を全て休止すると、宣言されたほどの永遠の大女優だった。一方、ぼくは、ブログ活動は従来通りで(汗)、逆に、一週間、連日、原節子さんの名前と写真を出すことによって、追悼させていただいておりまする。

原節子さんの遺影

称名寺の釈迦堂

称名寺の赤門

では、おやすみなさい。

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村上隆の五百羅漢図展

2015-11-29 09:12:09 | Weblog

この秋、円覚寺の”宝物風入れ”のとき、重文の”五百羅漢図”(伝・張思恭筆、元時代)を見たが、その説明文に、これを幕末の絵師狩野一信が見学にきた、と記載があった。狩野一信はこれを参考にして、現在、芝の増上寺で公開されている”五百羅漢図”を作成した。さらに、この狩野一信のを参考にして、世界的な現代美術家である、村上隆が、全長100メートルに及ぶ超大作絵画”五百羅漢図”を仕上げた。それが、今、六本木の森美術館で公開されている。11月11日にみているが、遅まきながら、紹介したい。写真撮影OKなのがうれしい。

展示室に入ると、いきなり巨大な羅漢図に圧倒されてしまう。がーんという感じ。これで勝負あった。細かいとこなんか、どうでもいいと言う感じ。でも、細かいところもまた面白い。主要な十六羅漢さんと足元に小さな羅漢さん、合わせて五百羅漢。一つひとつ、みな違った役割があるから、さまざまな表情を、仕草も違う。いろんな神通力を出しているのだ。漫画風に描かれているので、羅漢さんなのに、楽しくみることができる。

羅漢図は、玄武、朱雀、白虎、青龍の四部作となっているのだが、それぞれにいろいろな羅漢さん配置されていて、全部で五百羅漢、勢揃いとなる。

まず、全体図からご覧ください。

玄武(左)、朱雀

白虎(右)、青龍

それぞれ、もう少し詳しくみてみましょうか。

玄武↓

朱雀↓


白虎↓



青龍↓

素晴らしい村上隆の五百羅漢でした。

さて、次は増上寺の五百羅漢さまだ!さすれば、五百羅漢の三冠王になれる!これは円覚寺の宝物風入れをみた人に限られるから、貴重な三冠王なのだ。

 

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羽生、真央、宮原 それぞれの秋

2015-11-29 08:49:28 | Weblog

おはようございます。ほんとはこの記事は昨晩、速報する予定でしたが(笑)、早朝、リポートとなります。

クラス会から帰ると、NHK杯男子の生中継中で、次が羽生の演技というところだった。これに間に合うように帰ってきたこともあるが。そして、はじまる。酔眼をこらす(汗)。はじめの四回転がどうか。回った、回った、回った、回った(ぼくの思考をスローモーションで表現している)。成功!これでよし、あとは羽生ペース。二回目の四回転も見事に回る。最後まで高度のプログラムをノーミス。演技を終えた羽生が満面の笑み。会心の出来だったことがよくわかる。

そして、得点は!SPの世界最高につづき、フリーも世界最高、トータルは夢の300点を大きく上回る322・40!もちろん、トータルも世界最高!

大変な記録だそうだ。解説者もびっくりぽん!この演技を生中継でみることが出来た幸せ!

次の目標は、GPファイナル3連勝! 羽生くん、夢のような、すばらしい秋のおわりだった

。。。。。

真央ちゃんは、SPにつづきフリーもトリプルアクセル失敗。逆転優勝ならず、3位に沈む。

ちょっぴり、さびしい秋のおわりだった。しかし、GPファイナル出場決定!捲土重来の冬に!
。。。。。

宮原はSPにひきつづき、フリーも完璧。見事、200点超えでNHK杯を制す。

宮原にはうれしい秋のおわりだった。GPファイナルでも健闘が期待される。真央と金銀独占だ!

今朝の富士と月も素晴らしかった。

原節子さんが天上にいってから、三日連続の富士と月!

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円覚寺、長寿寺、海蔵寺の紅葉

2015-11-28 19:34:02 | Weblog

今日は高校のクラス会。鎌倉の紅葉見物を兼ねてということだったので、ぼくが選んだコースは、円覚寺、長寿寺そして海蔵寺。とにかく、うれしかったのは、小春日和の一日だったこと。それに、紅葉も三、四分染め近くになり、見頃の楓もちらほらあったりして、みんなに満足して帰ってもらった。では、鎌倉紅葉情報を兼ねて、コースをご案内いたします。写真は少ないですが、雰囲気だけでも。

円覚寺

長寿寺

海蔵寺

鎌倉の紅葉も、これからが本番。わくわくどきどき。

そうそう、今朝の富士山とお月さまも絶品でしたよ。



羽生くんの驚異の300点超えは、帰ってから、生中継でみましたよ。これから真央ちゃん。あとで、まとめて報告したいと思います。

 

 

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真白き富士の嶺

2015-11-27 22:44:43 | Weblog

おばんです。寝床に入る前に、今日一日の富士山をみなさんにお見せしようと思って。何しろ、この秋、一番の真白き富士の峰だったもんだから。

朝富士

午後、稲村ケ崎でみた富士山

稲村ケ崎

江ノ島と富士山

真白き富士の峰 緑の江の島

夕富士

では、おやすみなさい。

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柳田國男展

2015-11-27 09:17:09 | Weblog

11月はじめに岩手県を旅したとき、はじめて遠野を訪れた。そのわけは、旅行前に、かなぶん(神奈川近代文学館)で柳田國男展をみていたから。柳田といえば”遠野物語”。この展覧会でも、第二部で遠野物語の誕生として大きな比重で紹介している。いわて旅シリーズを終えたあと、すぐ記事にするつもりだったが、そのあと、箱根旅や京都旅のシリーズがはじまってしまい(汗)、遅れに遅れてしまった。

本展は、柳田國男(1875~1962)の、生誕140年記念に開催されたもので、柳田の生涯を様々な資料、遺品等で紹介している。第一部(小さい家から)では、國男が松岡家の六男として生まれ、(三人の兄は早世したが)、のちに松岡五兄弟として讃えられたが、彼らの紹介がある。日本画家、松岡映丘もその一人である。國男は進学のために上京し、医師で歌人の兄の家に同居する。そのとき森鴎外の知遇を得て、田山花袋、藤村、独歩らと交流。とくに花袋とは親しく、本展でもたくさんの交換手紙が展示されている。帝大では農政学を学び、卒後、1900年、農商務省の官僚となり、詩歌からは離れる。

その翌年、柳田家の養子となる。農林官僚として、地方への視察や講演のため出張し、そのときに各地の伝承に興味をもち、それらを冊子にまとめている。1909年、遠野を訪れ、佐々木喜善から聞いた伝承をもとに、”遠野物語”を自費出版した。第二部(遠野物語の誕生)では、これら遠野物語の初版本のほか、山村視察の写真や各地の伝承をまとめた冊子などが並べられている。また、同時代の民俗学者(博物学、宗教学者でもある)南方熊楠(1867-1941)の”南方来書”全10冊も展示されている。一時期、毎日のように文通していたというのには驚いた。柳田の高弟、折口信夫の”古代研究”や折口宛へのちょっと苦言を呈した手紙もみることができる。

さらに、遠野物語の中の、おしら様、ザシキワラシなどの主要な伝承話がパネル展示され、さらに、その語りも録音で聞くことができる。遠野に旅したときも伝承館で聞いている。ぼくらの子供の頃には、隣のおじさんが帰り道、狐にばかされたとか、幽霊に会ったというような話もよく聞いたりしているから、遠野物語のいわば怪奇話も比較的、素直に入っていける。

暗闇のなくなった現代では、お化けも妖怪も出なければ、河童も現れない。狐や狸にも化かされなくなってしまった。想像力がなくなって、ただ目でみえるだけのもの、ただ、触って実感できるものしか、みえなくなっている、といえるかもしれない。

柳田が遠野物語の序文で述べた言葉は、何も見えなくなった、現代を生きるぼくらへの警告でもあるのだろう。

願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ

さらに、第三部(旅と採集)、第四部(日本文化の源流/海上への道へ)とつづくのだが、ここでは省略する。

柳田國男肖像 (伊原宇三郎画)

國男の兄、松岡映丘画(14歳の作品、物語絵)

”小さな家” (兵庫の生家)

350部、自費出版した”遠野物語”。学費を援助してくれた兄(井上)に謹呈している。

遺品の数々


 

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すっぽり雪化粧の富士山とおしろい満月 

2015-11-27 08:23:47 | Weblog

おはようございます。今朝の富士山はすっぽり雪化粧!頭だけの雪化粧しかみせてくれなかった富士山が雪女のように、すっぽり雪化粧した姿をみせてくれました。おまけに、満月のお月さまが白粉で薄化粧して月の入りするところまでみせてもらえた。大向こうから声がかかりそう。待ってました、玉三郎!七之助!

富士三郎!

月之助!

西空舞台に見得を切る名優二人。

こんな素晴らしい風景をみせてくれたのは誰か!もちろん、天上の原節子さんである。ありがとうございます。

本ブログ、三連続出場の原節子さん。

みなさん、今日も一日、お元気で!

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浄妙寺で原節子さんを偲ぶ

2015-11-26 18:37:05 | Weblog

原節子さんの訃報を聞き、早速、お住まいに隣接する浄妙寺に行ってきました(汗)。バス停を降りると、すぐに参道の入口だが、そこにテレビ局のクルーがいたのにはびっくり。この様子では、お住まいの方もマスコミがと、覗いてみたが、やっぱり、数名の新聞記者がたむろしていた。同居の親類の方にインタビューでもするのだろうか。

ぼくは、そこには長居はせず、すぐ浄妙寺へ。山門をくぐると、向かいに、原節子さんも、よく参拝されたであろう本堂が。

新聞記事によると、80歳を過ぎてからは、ほとんど外出されなかったようだ。せいぜい、人影がいない朝夕の境内を散策されたのではないだろうか。毎年、一番、早く染まる、真っ赤な紅葉もご覧になったはず。

でも、石段沿いの紅葉は、どれも、ようやく色づき始めたところだった。

花塚のうしろに、お住まいがある。これからは、これを原節子さんの供養塔としてお拝もう。

そのあと、八幡さま、建長寺、明月院、円覚寺と廻った。紅葉は、円覚寺がやや先行している感じで、多くは、ほんのり紅をさした紅葉だった。実は、明後日のクラス会の紅葉めぐりコースの下見も兼ねているのだ。午前中に、二か所ほど廻る予定だが、さて、どうしようか。二か月も前から決まっている日時なので、むづかしい。でも、天気は良さそうだ。

明月院の丸窓。ほんのり紅をさす。

明月院の栗鼠。ほんのり五郎丸ポーズ。あるいは、ほんのり猫だましポーズ。

円覚寺の門前は見頃に。

原節子さん、夕方も、もう一度。

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永遠の聖女 原節子さん逝く

2015-11-26 10:16:45 | Weblog

おはようございます。今朝、PCを開いたらびっくり。原節子さん死去の報。すでに9月5日に亡くなれていたようで、95歳だった。心よりご冥福をお祈りいたします。

ぼくは原節子さんの大フアンというか、神さまみたいな存在だった。だから、こんな日が、ぼくが生きている間に来るなんて、考えてもみなかった。まさに、ぼくにとっても、”永遠の聖女”なのである。

ぼくがこちらに越してきて、間もない頃、原節子さんが浄妙寺の近くにお住まいだということを知った。ある日、浄妙寺の境内で地元の人に、その話をもちかけたとき、あそこの家に住んでいますよ、と指差してくれた。お寺と隣接している、りっぱな家だった。このことは、今まで、ブログ上では黙っていた。その後、浄妙寺に行くたんびに、ひょっとしたら、原節子さんがお庭に出ているのではないかと生垣の隙間に目をやったり、話し声や原節子さんが弾くピアノの音が聞こえるてくるのではないかと耳をすました。一度もチャンスはなかったが、あの名女優と同じ空気を吸っているのだと思うだけでもうれしかった。

ぼくのブログに、”原節子”というキーワードを入れて、記事を探すと、延々と続き、いつまでたっても終わらない。それは、原節子主演の映画の感想文はもちろんのことだけど、ぼくが命名した”原節子桜”の記事がすこぶる多いからである。ぼくの家の近くに、むかし松竹の大船撮影所があって、昭和11年の開所記念に川沿いに桜並木が植栽された。それらが、現在も残っていて、その一本の桜に”原節子桜”と名付けたのだ。この桜は原節子さんのようにうつくしいばかりではなく、この桜並木の中で一番、先に開花し、かつ、最後まで花をつけているという、すごい桜なのだ。その開花から落花までに至る、毎年の記録記事が数十本はあるのだ(汗)。

さて、この春の原節子桜はどうだったか。自身のもつ、残り花最長記録、5月6日にも到達し、いよいよ新記録達成かと期待したが、5月7日の朝に散っていた。タイ記録に終わった。そのとき、ふと、高齢の原節子さんのことを想った。今、考えると、予感だったかも。

原節子さんが主演した小津安二郎作品は紀子三部作(東京物語麦秋晩春)をはじめ、主要作品のほとんどを見ているし、黒澤監督、成瀬監督のも。そして、原節子16歳の主演デビュー作、”新しき土”、そして、42歳、この映画を最後にスクリーンから姿を消す”忠臣蔵”(大石りくの役)もみている。

実際亡くなられた9月5日、ブログで調べてみると、ぼくは、めったにないバレエ観賞で、”眠れる森の美女”をみていた。この日、空前絶後の大女優が息を引き取ったのだ。また、眠れる森の美女のように、生き返ってくるような気がする。

在りし日の原節子さん

16歳デビュー

原節子42歳、この映画を最後にスクリーンから姿を消す。

 2013年川喜多映画記念館で”原節子展”

天国でやっとご一緒に

どうぞやすらかに

 

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