気ままに

大船での気ままな生活日誌

常楽寺の”建築再発見”

2015-10-31 17:54:27 | Weblog

こんばんわ。今日は、街中でハローウィンの仮装が目立ちましたね。さて、二、三日前の話です。

建築意匠がご専門の松崎先生の”鎌倉と横浜の建築再発見”の第二回目の講義を聞いたあと、久しぶりに常楽寺を訪ねた。講義のはじめに、熊本県、人吉・球磨地方の城泉寺の阿弥陀堂の写真がスクリーンに現れ、みなさん、これをみて、どこかで見たことありませんかと尋ねられた。それが、大船の地名の由来ともなった粟舟山・常楽寺の仏殿のことだった。

実は、鎌倉には鎌倉時代の寺社建造物はひとつも残っておらず(国宝の円覚寺舎利殿も室町前期)、なんと、遠く離れた、熊本県の人吉・球磨地方に二寺、残っているのだそうだ。

ぼくは、寺社巡りは好きな方だが、目的は境内の四季折々のお花見が主で、寺社の建築様式には余り関心を示さなかった。今回の公開講座を受講したのは、そちらの方面のことも、ちょっと知りたいと思ったからだ。

歩いて、10分ほどの、夕暮れの常楽寺に行き、仏殿と、隣りの茅葺の文殊堂などの写真を撮ってきた。そして、帰ってから、前述の熊本の城泉寺と青蓮寺の阿弥陀堂と比べてみた。

まず、熊本の二つのお寺の写真。熊本県広報課のホームページよりお借りした。

城泉寺(浄心寺)の阿弥陀堂。上球磨の豪族、久米氏の菩提寺として、鎌倉時代初期に建立された。現在、阿弥陀堂だけが残っている。昔は浄心寺と呼ばれたが、現在は城泉寺と呼ぶ。県内最古の寺で国指定重要文化財。主尊の阿弥陀如来、脇侍として観音菩薩と勢至菩薩を祀る。所在地は、球磨郡湯前町。
城泉寺阿弥陀堂の写真

青蓮寺。源頼朝の命で、1198年、遠州から相良長頼がこの地に着任し、以後相良氏が700年間、統治した。鎌倉時代後期の永伝3年(1295年)に建立。本堂(阿弥陀堂)は県下最大のもの。五間四面の茅葺屋根。阿弥陀如来像と両脇侍が祀られている。国指定重要文化財。所在地は、球磨郡多良木町。
正連寺阿弥陀堂の写真

そして、我が常楽寺の仏殿。江戸・元禄四年(1691)の建立。桁行き(正面)、梁行き(奥行)とも三間。内部は、土間に鎌倉石を敷き詰め、厨子をおき、そこに阿弥陀如来坐像と勢至菩薩と観世音菩薩が祀られている。江戸時代の建造物とはいえ、以前の建築様式は踏襲している。開山は退耕行勇(1163-1241)、開基は北条泰時(1183-1242)で、嘉禎三年 (1237) に、泰時が義母 の追善供養のためにお堂を建てたのが始まりという。泰時が亡くなると、ここに葬られ、泰時の法名が常楽院殿観阿であることから、寺の名前を常楽寺としたようだ。

 

常楽寺の仏殿は、現在茅葺ではないが、いずれも、阿弥陀堂建築の特長である、正方形の平面で、屋根も三角の四面で、熊本県の二寺とよく似ている。そして、いずれも、阿弥陀三尊が祀られている。

その隣りには、茅葺の文珠堂がある。建物は明治のはじめに英勝寺から、移したもの。道隆が宋から持ってきたという文珠菩薩が祀られている。

この寺には鎌倉市内最古の(1248年作)の銅鐘があるが、国の重要文化財として、現在は鎌倉国宝館で保存されている。

裏に廻ると、北条泰時のお墓がある。第三代執権、泰時は、承久の変(1221)を抑え、貞永元年(1232)には”関東御成敗式目”を制定したことで知られる。

さらに裏山を登ると、頼朝に処刑された、木曽義仲の嫡子、 義高の墓(木曽塚)と、義高を慕い、若死にした頼朝と政子の娘、大姫のお墓がある。こちらに越してきたとき、偶然、これらを見付け、驚いた。ブログ記事にもしたような気がする。

こうして、見慣れたお寺だが、角度を違えて、観察するのも、面白いものである。

常楽寺の山門

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葉山しおさい公園 ツワブキ見頃に 五郎丸蟹も

2015-10-31 09:00:16 | Weblog

おはようございます。今日でもう、2015年10月もおわり。さびしいような、うれしいような朝がきた(笑)。さて、きのうの午後に訪ねた、葉山しおさい公園のクロマツ林内のツワブキ。一斉に見頃になりましたよ。また、ここでは脇役ですが、磯菊や野紺菊も見頃へ。加えて、園内博物館では、伊東深水や山口蓬春の絵、さらに、五郎丸蟹もみつけましたよ。お楽しみに。

クロマツ林地内に群生するツワブキ




松葉と一緒に

若いツワブキ群、まだまだ増える。


林地内に野紺菊も

日本庭園には滝と鯉が




古井戸の隣には磯菊が


海洋生物博物館の前の菊。

柿も鈴なり

博物館内で葉山町役場所蔵展が。葉山にアトリエをもっていた伊東深水や住民であった山口蓬春らの絵が。

こたつ(深水)

芙蓉(蓬春)

お待ちどうさまでした。五郎丸蟹です。


ついでながら、先日、トーハクでみつけた五郎丸ポーズの仏像さまです。

葉山一色海岸は、今はもう秋、誰もいない海だった。


海辺にはガザニアの白い花が人知れず咲いていた。さようなら、2015年の10月、さびしいような。でも、来月は、紅葉に相撲に旅に、うれしいような。


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府立植物園は花盛り (京都10月の旅#8)

2015-10-30 10:09:19 | Weblog

おはようございます。いよいよ、”京都10月の旅”シリーズも最終回となります。何とか、10月中に終えることができてよかったです。フィナーレは華やかに、府立植物園の秋の花の饗宴とまいりまする!

南禅寺の最寄駅、地下鉄の蹴上駅から、一度乗換えで北山駅に到着。この駅から地上に出ると、そこは府立植物園の門前。”本日入園無料”の看板!何とこの日は、地下鉄烏丸線の延伸で北山駅が出来てから、ちょうど25年になる記念日なのだそうだ。たまたま、この日に遭遇して、ラッキー!遊びの神さま、ありがとう!さまざまなイベントが行われていた。

北山門の噴水広場のステージでは高校生のダンスが。

噴水公園の回りには、花々が咲き乱れていた。

 

こすもす畑も満開!


秋薔薇も

菊まつりもはじまっていた


森林ではバードウオッチング!

こんな案内が。

すると、観覧温室の前に、風神、雷神そして女神が現れた!琳派展だぁ

手前から雷神(黒い太陽)、女神、風神。

風神

女神。周りの白ボールは雷神の火花かも。

琳派400年の展覧会を、本場、京都で、の旅の最後を飾るに相応しい、府立植物園でした。
これで、シリーズ完といたしまする。長らく、おつきあいありがとうございました。

。。。。。。

今朝のアサイチに、人気のボーカルグループ、イル・ディーヴォが出演。有働さんも大興奮。うちの家内もフアン。さすがに上手!ぼくらは、日本のイル・デーブのステージはみている。本家はイケメン揃いだが、こちらは、太麺揃い(笑)。でも、素晴らしい歌声。今度は本家のも生で聞いてみたい。



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無鄰菴 (京都10月の旅#7)

2015-10-29 12:58:51 | Weblog

展覧会見物に特化した京都旅行は今回がはじめて。二日間で六つの美術館を訪ねた。はじめの計画では、あと二つ、三つ、予定していたが、二日目午前中で十分、満足したので、午後は、帰りの”午後6時半発の新幹線”まで庭園や植物園など緑いっぱいの中ですごした。

南禅寺に向かう途中、山縣有朋の別邸だった無鄰菴(むりんあん)の看板に目が入った。いつもは通り過ぎてしまうが、今回は、ここの名庭園を一度、見てみたいと、門をくぐった。

山縣が七代目小川治兵衛に作らせたもので、山縣三名園(ほかに椿山荘と小田原の古稀庵)の一つだという。東山を借景に、芝生に琵琶湖疏水を引き込んだ池泉廻遊式庭園で、近代的日本庭園の嚆矢といわれる。

なるほど、明るい芝生に池、東山が遠方に。

和服の若い二人連れが庭園を散策している。

あとをつけてみよう。

琵琶湖疏水の取り出し口かな。自然の小川のよう。小川治兵衛作だもの。

あら、滝が。こちらが取水口かな。

絶景かな、絶景かな。

あの、別邸に戻ろう。

室内も入れる。

無鄰菴の文字が。

内から眺める庭園もいいのう。

洋館もあるでよ。

レンガの壁の部屋。

洋館2階の間は、”無鄰菴会議”が行われたことで有名。日露戦争開戦前に、元老の山縣有朋、政友会総裁、伊藤博文、桂太郎首相、小村寿太郎外相の4人が意見を交換した。当時のまま、残されている。

入って良かった。素晴らしい庭園だった。

そして、ぼくは南禅寺の三門をくぐった。・・・いや、その前に、八千代さんで湯豆腐をいただいた。

そのあと、三門をくぐり、琵琶湖疏水の水路閣をくぐり、南禅院の庭園をみて、地下鉄の蹴上駅へ向かったのだった。(つづく)


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琳派イメージ展 (京都10月の旅#6)

2015-10-29 10:21:12 | Weblog

”京都10月の旅”の展覧会シリーズは第6回となり、いよいよ、これが最後となります。平安神宮の巨大な鳥居を挟んで、向かって、右側が京都市美術館、そして、左側は今回、ご案内する京都国立近代美術館です。そこで開催されている展覧会は”RINPA IMAGE”。琳派展巡りの最後を飾るにふさわしい、すばらしい展覧会でしたよ。

展覧会名が示すように、近現代の美術家の”RINPA IMAGE”が盛られた作品が、ずらりと並ぶ。第1章琳派モチーフ、第2章金銀装飾、第3章拡がる琳派イメージ、という仕分けになっているが、ここでは垣根は取り払い(笑)、順不同で。

ちらしの表紙を飾った神坂雪佳の《杜若図屏風》。神坂の作品は各章にわたり、いくつも出展されている。さすが、近代から現代へ琳派をつなぐ旗手。

前田青邨の”風神雷神図”、冨田溪仙の”風神雷神”、川合玉堂の”紅白梅”、上村淳之の”銀鶏紅白梅図”、福田平八郎の”清晨”、田中一光の”Japan展覧会”、森口華弘の友禅などが並ぶ。最近のデザイン界では、真似はメッ!だけど、琳派イメージはいくらでも利活用OK、誰も文句は言わない。見慣れた琳派模様は目にやさしいし、心に温かい。五輪のマークも、琳派イメージでいったら!(笑)

冨田溪仙 ”風神雷神”


上村淳之 ”銀鶏紅白梅図”

福田平八郎 ”清晨”

田中一光 ”Japan展覧会”

森口華弘 ”流水”

池田満寿夫の作品も。とくに最終章では、宗達賛歌(天)、同(地)等、いくつも。マチスの”ダンス”もこの章に。そういえば”琳派模様”といえなくもない。

池田満寿夫 ”光琳賦”

〆は又造さんの鶴でいきましょうか。

加山又造 ”群鶴図”

常設展も廻ってみました。

アンリ・マチスがこんにちわ。


小出楢重がこんにちわ

河合寛次郎がこんにちわ

展覧会見学を終え、南禅寺方面へ五郎丸(歩み)を進めたのだった。(つづく) 

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上野動物園からおはようさん

2015-10-29 08:04:24 | Weblog

おはようございます。上野動物園から朝のご挨拶申し上げます。

シロフクロウからおはようさん

ついでながら、東博のミミズク土偶からもおはようさん。

ヘビクイワシからおはようさん

 ニホンコウノトリからおはようさん

フラミンゴからおはようさん

ハシビロコウからおはようさん

カンムリサケビドリからおはようさん

ホオカザリズルからおはようさん

冬毛のライチョウからおはようさん

カラスからおはようさん

わてはまだねむいがな

では、みなさん、今日も一日お元気で!

 

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黒田清輝記念館 特別室、開いてました

2015-10-28 18:45:36 | Weblog

こんばんわ。暑い一日でしたね。ぼくは、途中からTシャツで歩きました。京都から帰り、三日目、疲れもとれたので、上野へ行ってきました。もちろん主目的は東博で昨日からはじまった始皇帝の兵馬俑展。開館直後に入ったので、中も空いていて、らくらく見学。素晴らしかったですよ。感想文はのちほどということで、今夜は、そのあとに寄った、黒田清輝記念館のこと。

リニューアルオープンしたのが、今年のお正月。そのときも、もちろん見学した。とくに、特別室の清輝の珠玉の4作品は素晴らしかった。ところが、その後、二、三回訪れたが、特別室は閉められていた。それが、今回、オープンしていたのだ。ホームページをみると、ちゃんと書いてあって、今年、3度目のオープンで、2015年10月27日(火) ~ 2015年11月8日とある。短い期間なので、見逃してしまうのは仕方がないかもしれない。

それでは、黒田記念館特別室の作品を本ブログ上でもオープンしましょう。ここは東博所属なので、本館同様、写真撮影はOKというのがうれしい。

特別室

”読書”(1891年)


”舞妓”(1893年)

”湖畔”(1897年)

”智・感・情”(1899年)

名作ばかり、これで無料。ありがとうございます、清輝さん。

このあと、上野動物園へ行ってきました。可愛い動物がいっぱい。明朝、ご挨拶してもらいましょう。

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フェルメールとレンブラント展 (京都十月の旅#5)

2015-10-28 07:25:26 | Weblog

レオナルド・ダ・ビンチとフェルメールの展覧会は、見逃すわけにはいかない。東京であったレオナルド展は一瞬の隙を突かれ(笑)、見逃してしまった。でも、京都まで追いかけてきて、望みを果たした。一方、フェルメール展は東京開催前に先行する京都(市美術館)で、それも初日に見るという快挙を成し遂げた(汗)。

フェルメールのどんな作品がきているかというと、メトロポリタン美術館(MET)所蔵の”水差しを持つ女”。日本初公開ということだ。フェルメールの円熟期に入った傑作という評判で、それはそれで嬉しいのだけど、ぼくとしてはMETから別の作品に来てほしかった。実は3年ほど前、METを訪ねたとき、フェルメール5作品の内、2作品が貸出中だった。その2作品とは、”信仰の寓意”と”リュートを調弦する女”。後者は来日しているので見ているが、前者はみていない。”全制覇”を目指す(汗)ぼくとしては、”信仰の寓意”に来ていただきたかった(笑)。

でも、”水差しを持つ女”に3年振りの対面でき嬉しい。小さい作品。ある番組でみたのだけど、フェルメールの全作品をまとめても、レンブラントの大作、”夜警”の一枚の大きさの中に収まったしまう。これには驚いてしまった。逆にいえば、フェルメールは、実に、ていねいに、ていねいの描いていたということだろう。

さて、レンブラントの作品もMETから来ている。METの”美術館ガイド”にはレンブラントの作品が4点、掲載されているが、その中には入っていない。でも、戦争の女神、ベローナを描いたこの作品”ベローナ”も傑作といわれている。人物だけではなく鉄兜や鎧のリアリティーにはおどろいてしまう。

この二つをみるだけで、ぼくは満足してしまったが、その他にも、17世紀のオランダ黄金時代の巨匠たちの絵画がたくさんみられて幸せだった。それらについても、詳細に紹介したいところだが、この京都旅シリーズのはじめにも述べたように、展覧会記事はなるべく簡略に、六展感想をすばやく終わらせたいので、これで終わりにさせていただきまする。

フェルメール ”水差しをもつ女”(METで撮影)

レンブラント ”ベローナ”

京都市美術館 平安神宮の鳥居の近くにある。向かいの京都国立近代美術館から撮る。

次回は、その近代美術館の展覧会感想記事の予定です。

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シネマ歌舞伎”籠釣瓶花街酔醒”

2015-10-28 07:11:23 | Weblog

おはようございます。昨日、シネマ歌舞伎というものをはじめてみてきました。まず、観客の多さにびっくり。平日の昼すぎというのに、ほぼ満席。やっぱり、年配の方が多いようです。

平成22年2月に歌舞伎座で公演されたものの録画で、演目は”籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)。亡くなられた勘三郎が主役で出ているし、花魁、八つ橋には玉三郎、そして片岡仁左衛門も。加えて、勘九郎、七之助と、豪華な配役で、見てみたくなったわけです。

大きなスクリーンで、迫力もあるし、また、役者の所作を細かいところまで映し出すので、歌舞伎座でみるのとは趣きがちがう。こんなに、表情豊かに演技していたのか等がよくわかる。

あばた顔の上州佐野の絹商人、次郎左衛門(勘三郎)が下男の冶六(勘九郎)を連れて、はじめての吉原見物。ここで花魁道中をみるのだが、八つ橋(玉三郎)が現れたときに、ぽぉとなってしまう。八つ橋が投げかける愛想笑いで、すっかり、のぼせてしまう。ニタニタ顔の表情が見もの(笑)。それから半年、吉原に通いつめ、遂には身請けをしようというところまできた。ところがそうは問屋が下さなかった。八つ橋には栄之丞(仁左衛門)という情夫がいて、彼がそれを許さなかった。そして八つ橋も不本意ながら、大勢の集まる中で次郎左衛門に”愛想づかし”をする。うろたえる勘三郎の表情がみもの、玉三郎の複雑な心境の表情、仕草も。そして、すごすご帰ってゆく勘三郎。そして大詰は、その四か月後の吉原での勘三郎と玉三郎との対面。はじめ、にこやかに話す次郎左衛門だったが、突如、よくぞ先般、恥をかかせてくれたな、と、妖刀”籠釣瓶”を取り出し、八つ橋を刺し、うらみを晴らすのだった。

江戸時代に起きた”吉原百人斬り”事件をもとに、三代目河竹新七(黙阿弥の門人)の作とのこと。月イチ上映のシネマ歌舞伎、来月は、舞台でもみている、猿之助のヤマトタケル。また、行こねば。



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十月の満月 月の出は由比ヶ浜にて

2015-10-27 21:40:00 | Weblog

こんばんわ。今日は十月の満月。月の出を由比ヶ浜でみてきましたよ。
先月の中秋の名月の翌日、スーパームーンの月の出を由比ヶ浜でみた、あの素晴らしき感激をもう一度というわけ。

先月と同様に、稲村ケ崎で七里ヶ浜の夕陽をみて、そのあと、由比ヶ浜へ移動というコースは、まったく同じ。
まず、夕陽の方はどうだったか。これはちょっと期待外れ。富士山も雲が邪魔して、げじげじ富士。見所は、雲と波だけ。


そして、稲村ケ崎を廻って、由比ヶ浜に。少し歩くと、材木座海岸後方の山から、大きな大きな月が昇ってきた!月の出、直後の月はまことに大きい。通常の二倍にはみえるスーパームーンだ!

しかし、すぐ上に雲がかかっていて、隠れてしまった。そのうち、雲の上にまた、姿を現した!


さらに昇る

辺りは薄暗くなり、そして、10月の満月が全貌を現した。

満月の”月の道”が海上にみえるようになってきた。

先月のスーパームーンに負けない、素晴らしい10月の満月だった。

 

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