気ままに

大船での気ままな生活日誌

鵠沼海岸の夕景 富士とサーファー

2021-10-31 11:29:00 | Weblog

小田急の鵠沼海岸駅から海岸に向かう途中、夕日にはまだ早いので、鵠沼郷土資料展示室に寄った。”鵠沼海岸は海水浴場からはじまった”というテーマの展示が行われていた。壁に貼られた膨大な資料を見始めたら、ボランティアらしき小父さんが近寄ってきて、いろいろ説明をしてくださり、助かった。

要約すると、明治半ばの鉄道開通以来、温和な気候が好まれ、江戸時代の砲術訓練所の跡地は日本初の別荘地として開発された。それに伴い、明治19年に鵠沼海水浴場が開設されたとのこと。当時は”潮湯治”と呼ばれ、病気の治療や療養が目的とされたようだ。その後、(いろいろ飛ばして)、近年、若者のビーチとして賑わう。ここは、サーファーの発祥地でもあり、第1回ビーチバレージャパンもここで開催された。ビーチラグビー、ビーチテニスもここから始まった。東京五輪のサーフィン女子で銅メタルをとった都筑有夢路選手は鵠沼海岸出身である。ビーチスポーツのメッカなのである。

そして、鵠沼海岸に到着。

さすが、ビーチバレーの発祥地。江の島を背景にコートが何組も。

そして海にはサーファーたちがいっぱい。コロナ明けで、待ってました!

夕日がそろそろ沈もうとしていた。

茅ヶ崎のシンボル、烏帽子岩が見えますか。加山雄三も烏帽子岩を見て育った。

烏帽子岩

富士山は?夕日からずっと離れて、右端に。まだこの時点でははきっりしない。

コロナ明けでウォーキンググループが活動開始!

平和の塔

夕日が沈み、富士山がぽっかりと姿を現した。

江の島

サーファーたちもそろそろ引き上げる。

これから、海へ向かう人も。有夢路さんかな。

華やかではなかったが、しっとりとした、なかなかいい夕景だった。

帰ろうとすると、突然、一番星が現れた。またしばらく見入ってしまった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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りんりんりんどうは濃紫 明月院

2021-10-30 10:21:12 | Weblog

おはようございます。

先日、海蔵寺のりんどう(竜胆)が見頃になっていたので、明月院に出掛けた。入り口を入ってすぐ、茶室前に竜胆苑がある。柵で囲われたエリア。ここに竜胆がびっしり植わっている。

そして、ほとんどの株が花をつけている。こんなに咲きそろっているのを見たのは、ここ15年以来はじめて。

一つひとつの竜胆もいいが、群生している竜胆はさらに良い。

名札には鎌倉市の花、笹竜胆とある。鎌倉市の市章は笹竜胆をモチーフにしている。

市章

あまりに見事なのでつい、鼻歌を。

りんどう峠/島倉千代子

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

 

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東御苑 ツワブキ、満開 いとをかし和みのけしき  

2021-10-29 18:37:20 | Weblog

こんばんわ。

ツワブキ巡り、都内編の最初は東御苑へ。三の丸尚蔵館では”いとをかし和みのけしき”展も。

大手門から入場。

まず、三の丸尚蔵館で展覧会を見たあと、いつもは二の丸雑木林へ向かうのだが、今回は百人番所前を通り、奥の坂を登り、いきなり本丸へ。

百人番所

そして本丸の松の廊下跡辺りのツワブキの群落。ほぼ満開の見事な花盛り!

そして、本丸広場を横切ったところに十月桜が満開!

本丸休憩所の横で江戸城天守復元模型がみられる。江戸時代の初期,江戸城の中心であった本丸には,慶長期,元和期,寛永期と3度にわたり天守が築かれとのこと。ここでは、資料が残る寛永期の天守を1/30スケールで制作したもの。

天守台は現在も残る。明暦3年(1657)の火災で天守閣が焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれた。しかし、天守閣は時代遅れという保科正之の意見で、天守閣は再建されることはなかった。現在、東西約41m、南北約45m、高さ11mの石積みが残っている。

天守台を臨む大奥跡付近にもツワブキが群生している。

天守台付近に椿が咲いていた。秋一番という品種。もう椿がとびっくり。山茶花でない証拠に、ちゃんと花首で散っていた。

近くには、今の季節の山茶花が。

ここから北桔橋門を出て、東近美のレストランで食事をし、柳宗悦展を見て、平川門から再度、東御苑に入る。今度は二の丸庭園と雑木林を散策。

平川門近くで見事に紅葉したハナミズキに遭遇。いとうれし。

クコの実

雑木林のあちこちでノコンギクが咲き乱れる。

びっくりしたのは山躑躅のくるい咲き。雑木林には十数株あるが、くるったのはこれだけ。いとおかし。

諏訪の茶屋の工事囲いが取れ、きれいになっていた。

けやきのもみじはこれから。この下で休憩。

すすきはまだ見頃。

どこも、いとをかし和みのけしきだったが、三の丸尚蔵館のいとをかし和みのけしき展もとても良かった。前期展では古径や有島生馬の作品も。紅葉の頃(後期展)には松園さんの美人画もみられます。

撮影禁止なのでホームページから画像をお借りして、何点か。

池上秀畝《国之華》大正13年(1924)

国之華

国之華

荒木寛畝 《四季草花図》 明治40年(1907)

主基地方風俗歌屏風

主基地方風俗歌屏風

国立セーヴル製陶所/C・ピアン(デザイン) 《銀杏文花瓶》 1908年

そうそう、東京駅丸の内側にもツワブキがよく咲いていました。

ツワブキ探訪・都内編、次は新宿御苑かな。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

(東近美コレクション展、奈良美智)

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下弦の月 富士山 もみじ

2021-10-29 10:14:23 | Weblog

おはようございます。

今日も素晴らしい秋空になりました。

富士山も最高の雪化粧。一日とて同じ富士はない。

空を見上げれば、下弦の月。

完全な半月は午前5時前後ということなので写真を撮っておいた。これが、正真正銘の下弦の月。人生80年にたとえれば、還暦の月。自分を月にたとえれば、あと2、3日で新月か。 残り少ない日々、心おきなく遊ばねば(汗)

目を下にやればユリノキのもみじがはじまっている。落葉樹も月にたとえれば今が下弦の月。これから新月までが一番うつくしい季節を迎える。人生もこうでありたい。

さくら紅葉もはじまった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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海辺のつわぶき 稲村ケ崎

2021-10-28 08:40:01 | Weblog

おはようございます。

近所のつわぶきが咲き始めてきたので、鎌倉のつわぶき名所を歩き始めている。先週はフラワーセンターに行ってきたので、昨日は稲村ケ崎を訪ねた。

ツワブキは、海岸近くの岩場などに生え、初冬に黄色い花を咲かせる。葉柄は食用になる。観賞用に庭園に植えられることもある、とWikiに解説されている。つわぶきはもともと海辺が好きなのだ。だから稲村ケ崎は生息最適地。

江ノ電の稲村ケ崎で下車し、数分も歩くと、岬がみえる。新田義貞の鎌倉攻めの古戦場である。当時は切通しがなかったため、岬の海辺から攻めるしかなかったので、剣に願いを込め海に投じ、潮が引いたときに侵攻した。昭和3年、丘陵が分断され、切通しをつくり、現在国道134号線になっている。

国道の岬側にツワブキが群生している。

ここから稲村ケ崎(鎌倉海浜公園)へ入る。丘陵になっているが、ツワブキがあちこちに群生している。前方は七里ガ浜。

曇り空なので海がはっきりしないが、前方に見える。右側が公園の広場。

丘陵を登ると、山頂に海辺のコッホ。村上春樹の”海辺のカフカ”に倣って、ぼくが名付け、物語にした海辺のコッホ。(笑)。そのコッホ博士の滞在記念碑のうしろにも、ツワブキがひっそりと。海辺のツワブキ

コッホ博士は明治41年に弟子の北里柴三郎に招かれ来日した。鎌倉でひと月ほど過ごし、ここから見える景観を好んだ。まだ切通しがなかったので、実際の見晴台は国道の向こうの山頂にあったようだ。

ここで夕焼けを待ったが、一向に空は晴れてこなかった。

夕富士もみられず、ただ江の島だけがしょんぼりと浮かんでいた。

コッホ博士にお別れし、石段を下り、海辺のつわぶきを見ながら、下の公園へ。

真白き富士の嶺の碑。

海辺のカップル

いつもより波が荒かった。

江の島。晴れていれば、右に富士の絶景ポイント。

海辺の石人形(笑)。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で。ぼくはこれから都内のツワブキの名所へ。

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蔦の紅葉とピラカンサ 茅ヶ崎中央公園

2021-10-27 08:54:29 | Weblog

おはようございます。

平塚美術館で遠藤彰子展を見たあと、茅ヶ崎で下車し、中央公園へ向かった。そろそろ、蔦の紅葉が見られるのではないかと。そして、ピラカンサの実は間違いなく真っ赤になっているはずと。いつもは、ここの欅かラクウショウの紅葉時に訪れるのだが、少し、早めた。

そのおかげで、蔦は紅葉の始まりで、緑から赤の紅葉のグラデーションを見ることが出来た。蔦の紅葉としては一番の見頃かもしれない。

茅ヶ崎中央公園は茅ヶ崎駅から歩いて5,6分のところにある。公園の入り口に、山田耕作の記念碑がある。

オルガンと赤とんぼをモチーフにしている。何度か紹介しているが、簡単にその由来を。山田耕筰は1926年、40歳の時に家族6人で茅ヶ崎へ移ってきた。2年前に設立した日本交響楽協会(現NHK交響楽団)の分裂問題などで疲れ果ててのことだ。茅ヶ崎の南湖に居を構え、ここで穏やかに暮らす中で、再び彼に作曲の意欲が湧いてきた。「赤とんぼ」や「この道」、「砂山」といった名曲は、茅ヶ崎で過ごした約6年間で生まれた。

ケヤキの紅葉はまだ早い。少し色づいている。あと1,2週間か。

その向こうにお目当ての蔦とピラカンサのある人工池。壁に這う蔦の紅葉が始まっていた。

池にうつる蔦紅葉。

見事な紅葉のグラデーション。

その横にたわわに実るピラカンサの赤い実。

すばらしい蔦の紅葉とピラカンサの赤い実に満足。

ラクウショウのもみじはこれから。ほんのり色づき始めている。

次回は、ラクウショウと欅のもみじの頃、蔦の葉はすべて真っ赤になっているだろう。

茅ヶ崎駅前でこんな看板が。茅ヶ崎発の相模線開業100周年記念に、相模線の発車ベルが加山雄三の”海その愛”になったとのこと。

駅前には茅ヶ崎出身の著名人の手形モニュメントが並んでいる。その先頭に加山雄三。加山さん、今秋の文化功労者に決定!長嶋茂雄さんは文化勲章!おめでとうございます。

加山雄三 ♪海 その愛

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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富士と月と薔薇と獅子

2021-10-26 09:43:09 | Weblog

おはようございます。

今朝、雨がぱらついていたが、西空が急に晴れてきた。西空高く、二十日月(更待月)の朝帰り!そして富士山はてっぺんに雲がかかっているものの、白銀の輝く雪化粧!この二つを今日の日記の表紙にしたい。

そして、以下は昨日のこと。

まず、横浜中華街の獅子。毎年、春節のとき街を練り歩く。”疫病退散”の力もある。

天井には龍。

もう一頭の獅子。

下の写真は、2019年2月の春節。思えば、武漢でのコロナ発祥は2019年の12月。翌年の2020年の春節は従来通り行われた。ぼくは行っていないが、まだ渡航制限はなく、中国人観光客は大勢、来ていたはず。

なつかしい2017年春節の賑い。この賑わいはコロナ後も、もう戻らないかも。

平常営業に戻った昨日の中華街の賑わい。

関帝廟

食事はここで。お客さんはまだ、まばら。

食後、近くの山下公園の薔薇苑へ。

秋薔薇、見頃に。春薔薇の勢いはないが、単独過半数に届く情勢(笑)。

老舗ホテルを背景に。

ランドマークタワーを背景に。

氷川丸を背景に。

山下公園通りのイチョウ並木も色づいてきました。いよいよ本格的な秋到来となりますね。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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竹の寺の竜胆、咲き始める 

2021-10-25 09:43:20 | Weblog

おはようございます。

海蔵寺の竜胆が見頃になっていたので、竹の寺、報国寺の竜胆を見に行ってきた。海蔵寺より、少し遅く、ようやく咲き始めたという感じだった。

山門をくぐった参道脇にかなりの数の竜胆の株がある。つぼみを膨らませているものが多い。

中には開花しているものが」いくつか。

もう一度来てみよう。

秋の花々も。

秋明菊

ツワブキ

山茶花

十月桜

ここから拝観料を払って竹林へ。

本堂前の日本庭園

鎌倉で一番うつくし竹林。京都の嵯峨野のような雰囲気。

竹林をみながらお茶を。

鮮やかな色の苔もうれしい。明治・大正期の歌人、木下利玄の歌碑。あるき来てものゝふ果てし岩穴のひやけきからにいにしへおもほゆ。歌人の墓は寺内に。

夕方は世界体操を楽しむ。男子鉄棒で、内村と橋本の金銀を期待したが、橋本は銀、内村は6位入賞におわった。しかし、離れ業をすべて成功させ、ぴたりと着地も決めた内村は笑顔。これがラスト演技か。一方、女子は二つの金。平均台で初出場の芦川うららがこの種目で67年ぶりの金の快挙。そして、引退を表明している村上茉愛が床で逆転金メタル(審査やり直しで)で有終の美を飾った。

村上茉愛のラストダンス

芦川うらら

橋本は、個人総合につづき鉄棒でも銀。パリ五輪に向けて立て直さねば。まだ19歳、内村の五輪2連覇、世界選手権6連覇を超えて!

内村航平の世界体操でのラスト演技か。ぴたりと決める。有終の美。

体操がおわると空にはぽっかり十九夜月(寝待月)が浮かんでいた。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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速水御舟と吉田善彦/師弟による超絶技巧の競演

2021-10-24 11:14:03 | Weblog

おはようございます。

月、花、富士の記事はその日のうちに載せないと意味がなくなるから急ぐが、展覧会記事は多少、遅れてもいいや、と5,6本ほど溜まっている。その中から、今日は、山種美術館の創立55周年記念として企画された、速水御舟(1894-1935)とその弟子の吉田善彦(1912-2001)の展覧会を紹介する。

山種美術館の御舟コレクションは120点にも及ぶ。これらの多くはは安宅コレクションから引き継いだもの。重要文化財が”炎舞”と”名樹散椿”の2点ある。両方共、今回展示されている。さらに、翠苔緑芝や墨牡丹など人気作品も。ぼくは御舟ファンで、これらのほか、小品の写生画のどれも好きだ。今回も十分、楽しませてもらった。

一方、吉田善彦は姻戚関係にあった御舟に弟子入りし、古典から学ぶ姿勢を教えられる。戦中・戦後には、法隆寺金堂壁画の模写事業にも参加し、これらの経験を通じて、古画の風化した美しさを追求するようになる。一度彩色で描いた上に金箔でヴェールを被せ、その上にもう一度色を置き再度描き起こすという独自技法を確立した。この技法により、柔らかな光を持つ独特な日本画を生み出した、という。院展で発表し、1954年、同人となる。このブログでは、院展記事を毎年書いているが、ブログ開設は2006年で、すでに吉田善彦は鬼籍に入っている。山種美術館でも展示されていたはずだが、あまり印象がなく記事にしたこともなかった。今回、初めて、ブログ記事に載せることになる。

ここも撮影禁止だが、毎回、一、ニ作だけは自由に撮れる。まず、その作品から。

速水御舟の昆虫二題、粧蛾舞戯と葉陰魔手が並んでいる。名作”炎舞”の翌年(1926)に描いたもの。

粧蛾舞戯(左)と”葉陰魔手”(右)

葉陰魔手の一部。蜘蛛。どうでもいいことだが、正確には蜘蛛は昆虫ではない(笑)。

では、いきなり名作。

炎舞 (大正14年、1925) 昭和52年重文指定 約3ヶ月間家族と共に滞在した軽井沢での取材をもとにしている。毎晩、焚き火をたき、そこに群がる蛾を写生したり、採集した蛾を室内で写生したという。

もう一つの重要文化財。

名樹散椿 (昭和4年、1929) 昭和52年重文指定(昭和期の作品で重文に指定されたのはこれが最初)。京都の椿寺(地蔵院)の銘木を描いた。白・紅・桃色・紅白絞りと種々の華麗な花を咲かせ、しかも山茶花のようにひとひらずつ散る五色八重散り椿として有名である。ぼくも実物の散り椿を見に行って、感動した。”映画”散り椿”では、岡田准一(瓜生新兵衛)と西島秀俊(榊原采女)がこの五色八重散り椿の古木の前で決闘をする。先日、岡田准一の”燃えよ剣”を見に行った。土方歳三役であったが、相変わらずの鮮やかな太刀さばきに感心した。

翠苔緑芝(1928) 御舟自身が気に入っている作品。もし、ぼくが無名の作家として終わったとしても、後世の人はこの絵だけは面白いと言ってくれるでしょう、と述べている。下の写真は、以前、撮影可能の作品であったときに撮ったもの。

牡丹花(墨牡丹)

春昼

秋茄子 (山種美術館カレンダーの今月の絵から撮った)

吉田善彦の作品。

大仏殿春雪(1969)

春雪妙義(1978)

特別展「速水御舟と吉田善彦」山種美術館で - 師弟が追求した“超絶技巧”の日本画を展示|写真8特別展「速水御舟と吉田善彦」山種美術館で - 師弟が追求した“超絶技巧”の日本画を展示|写真8いつもながら、とても素晴らしい展覧会でした。帰りに2022年の山種美術館カレンダーも購入した。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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富士山の季節だね

2021-10-23 20:55:38 | Weblog

こんばんわ。

むかし榎本健一(エノケン)主演の”お父さんの季節”というテレビドラマがあったけど、それに倣って”富士山の季節だね”(笑)。主題歌の”まだまだ若いのね、お父さん”の歌詞をネット検索したが、出てこない。出だしと最後の”お父さんの季節だね”しか記憶にない。ただ、番組の紹介はあり、出演者を見てびっくり。榎本健一、水谷八重子(二代目)、楠トシエ、黒柳徹子。そして、若き日の渥美清もと豪華メンバーだった。

いきなり脇道にそれてしまったが、今朝、すっぽり雪化粧した富士山を見て、いよいよ富士山の季節だね、と思った。では、その初日、昼の富士も、それも海岸で見なければと、ふたりで逗子海岸へ出掛けた。お昼前だったので、海辺の”なぎさ橋珈琲”でパスタランチを。ぼくは赤ワインも。ようやくアルコールが出るようになってうれしい。

人気のカフェで、テラス席から江の島を前景に富士山が見られるのが売り。早速、パチリ。雲が少しかかっているが、まずまず。逗子海岸は夕景の絶景スポットとしても知られている。ぼくも何度か本ブログで紹介している。

食事を終えてからお店を出て、逗子海岸へ。入り口に慎太郎の”太陽の季節”の碑。学生時代に書いた”太陽の季節”が芥川賞をとった。当時、慎太郎、裕次郎兄弟は逗子に住んでいたのでこの碑がある。のちに映画化され、長門裕之、南田洋子主演で裕次郎はちょい役で出演し、映画にデビューしている。水の江瀧子の推薦があったようだ。大スターへの第一歩だった。

ついでながら、裕次郎の記念碑は隣りの葉山の森戸海岸沿いの森戸神社の裏手に建つ。石碑には裕次郎を偲ぶ文が刻まれている。夢はとおく 白い帆にのって 消えていく 消えていく 水のかなたに/太陽の季節に実る 狂った果実たちの先達 石原裕次郎を偲んで(慎太郎の書)

逗子海岸はマリンスポーツが盛ん。

ここに留まって夕景まで見たかったが、待ち時間が長すぎるので逗子図書館に寄り、帰宅した。今日の富士山の季節の到来を告げる日の素晴らしい夕富士を見ることができた。

同じ場所で見た今朝のバラ色の富士。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

十八夜月(居待月)

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