気ままに

大船での気ままな生活日誌

恩賜箱根公園の山百合は素晴らしい

2014-07-31 13:16:23 | Weblog

箱根に山百合を観に行くとしたら、強羅の箱根美術館庭園か芦ノ湖畔の恩賜箱根公園。今年も、両方に行ってしまった。どちらも、去年に比べると、最高の見頃時期を数日だけはずした感じだが、十分満足できた。”十分満足”という言葉がついたのは、これまで気づかなかった、すごい山百合を発見したから。この株は、今が、ちょうど見頃!それについては、最後に紹介しますので楽しみにしてください。

湖尻から海賊船に30分も乗ると、箱根港に着く。関所を通り過ぎると、もう、すぐそこが恩賜箱根公園。旧箱根離宮跡だけあって、眺めは最高。この日は、残念ながら富士山は見えなかったが、今回は山百合さえあればよい。お金も着物もいらないわ、あなた一人が欲しいのよ。

いつも、入口付近の門番山百合が咲き具合の指標となる。さて、どうか。

OK!と喜び勇んで公園の中央の道を歩く。あちらこちらに山百合が。りっぱな馬酔木(あせび)並木の前にも。

湖畔展望館の前の山百合

さて、一番の見どころの休憩室前の山百合園。おおおお何十株も咲いてる。ここでゆっくり山百合見物。いい気持ち!

ふと目を下にやると、きれいな苔が。ホンモンジゴケというそうだ。屋根が銅板なので、雨だれに含まれる銅イオンをごちそうに生きてるらしい。銅苔とも呼ばれるらしい。

苔だけなく、タマアジサイも見頃に。玉のような蕾といくつか開花した今頃が見頃。

十分、園内の山百合や苔やタマアジサイまでみせてもらい、大満足して二百階段を降り、名橋といわれた石橋(芦川橋)をたたかないで渡った。いつもは、そのまま旧東海道杉並木に入るのだが、ふと気が変わって、内側の道を歩いた。それが良かった。その道が国道1号に入る直前で素晴らしい山百合に出会った。でかいでかい山百合で、二株揃いで植えられている。それらが、今までみたことのないような数の花を咲かせていた。数えはじめ、途中で止めてしまったが、50近くはあった。ふたつ合わせて百!百花繚乱とはこのことダ!

今年のぼくの山百合見物の最後を飾る、すばらしき山百合だった。ゴジラ山百合と命名しようか、それとも先日、横浜でみてきた恐竜展の、どれかの名前をつけてあげようか。来年も必ず、来るからネ!頑張ばらなくて、遊んで生きて!お互いに!

 

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箱根湿生花園 真夏の花々 センノウやコオニユリなど

2014-07-30 12:54:09 | Weblog

強羅の箱根美術館まで来たら。湿生花園に行かねばなるまいと施設巡りバスに乗り込んだ。二か月ばかり前に訪れたばかりだけどネ。あの頃はすごかった。ぼくが名付けた”魔性の女花三羽烏”、ブルーポピー、黒百合、アミメヘイシソウは満開だったし、カキツバタ園も最高の見頃と、うはうはの花園だった。その浮かれた様子を知りたい方は、どうぞここまで。

ただ、この時期は鎌倉でもそうだけど、花の端境期みたいなもので、あまり多くは期待はしていなかった。ただ、山百合はもちろんだけど、鮮やかなオレンジ色のセンノウが咲いているはずと、ウキウキ気分で花園に入った。そしたら、薮の中から、いきなりフシグロセンノウが顔を出してくれた!これでよし、ここには4種類ほどのセンノウが、本数は多くないけど、あちこちに咲いているのじゃ。ウキウキ気分はさらに上昇。

センノウの語源は、岡山弁の”おえりゃあせんのう”(すちゃらか社員で長門勇がよく使ってたんで知っている)ではなくて、昔、京都嵯峨にあった仙翁寺(せんのうじ)でみつかったからセンノウの名がついたのです!だから、瀬戸内美人ではなくて京美人、それも年増でごわす

オグラセンノウ

マツモトセンノウ

フシグロセンノウ

エンビセンノウ


コオニユリ


カセンソウ

ミソハギ

タチギボウシ

ヤマハハコ

オイランソウ

もちろん、山百合もあちこちで。写真は箱根美術館の記事でたくさん出しているので、ここでは省略。では、ちょっとだけよ。

楽しい花園散歩だった。静かだったし。

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二条城二の丸御殿 (京都旅#8)

2014-07-30 09:24:08 | Weblog

二条城は修学旅行以来、訪れたことがなかった。2012年8月にえど博で”二条城展”を、2013年10月にトーハクで”京都展/洛中洛外図と障壁画”という素晴らしい展覧会を観て、是非、二条城に参上しなければと思っていた。だからもう、今回の京都旅行では、そこは祇園祭の山鉾町に近いし、はずすわけにはいかなかった。

二の丸御殿の障壁画の修理と摸写事業は昭和47年からつづいているのだそうだ。完成の暁には、御殿内の障壁画はすべて摸写作品と入れ替えられ、本物は、展示・所蔵館で保存されるとのこと。前述の両展覧会には、摸写の済んだ本物の障壁画がやってきたのだ。

二条城御殿に足を踏み入れる。遠侍、式台という名の部屋を経て、大広間。この部屋で慶応3年10月、15代将軍慶喜が諸藩の重臣を集め、大政奉還の意思を伝えた歴史的な部屋だ。そのあと、黒書院がつづく。将軍と親藩大名・譜代大名の内輪の対面所。そして一番奥には白書院。ここは、将軍のプライベートの間。ここでみられる襖絵等は複製品といえども、本物の建物の中でみるのはまた格別。

本物の障壁画を観ての感想は、 二条城展京都展のブログ記事で述べていますので、ここでは省きたいと思います。関心のある方はご覧ください。現在、展示・所蔵館で、”白書院の水墨画傑作選/将軍の居室に描かれた風景・人物・花鳥”で本物の障壁画が展示されている。一の間、二の間の”西湖の風景”、三の間の”山水人物図”、四の間の”花鳥図”など。本物でなくてはイヤという人はここでどうぞ(笑)。

大広間(一の間、二の間) (写真は前ブログ記事から)


黒書院の間

白書院の間

二の丸御殿唐門

二の丸御殿

二の丸庭園

今回の記事で、”京都旅シリーズ”は一旦、休憩、中締めとします。また、思い出したように書き始めるかもしれませんが。

イノダコーヒー本店のレンガ通路の小鳥たち。

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箱根美術館 山百合見頃

2014-07-29 18:23:00 | Weblog

おばんです。今日は過ごしやすい一日でしたね。とくに箱根は、まるで秋口のような涼しさでした。実は、今朝、早くから箱根の山百合を観に行ってたんですよ。

午前10時に強羅の箱根美術館の前に、すくっと立つ我あり(汗)。午前7時半には家を出て、東海道線下りで小田原に。フリー切符を買って、直ぐ来た箱根登山電車に乗り込む。箱根湯本で、また待たずに出た強羅行きの登山電車に乗り替える。運よく座れた。40分で強羅へ。するとぼくを待っていたように、早雲山行のケーブルカーが出る。ここは座れなくていい、二つ目の駅で降りれば、そこが美術館前だから。ほんとうに1分の無駄もなく、ここに来られた。この日は本当についていて、家に帰るまで、こうだった。

受付の女子に、山百合はどうですかと聞く。はい、見頃です!とにっこり。ほっ!これで、とりあえず、ここまで来た甲斐があった。そこから、数歩で、箱根美術館ご自慢の苔の庭。この庭の山百合。これは、知る人ぞ知るかもしれない。ぼくだって、5,6年前に知ったばかりだもの。紅葉の名所してはつとに知れ渡っているけどね。

最高の見頃だった昨年並みとはいえないが・・・もともと株数が半端じゃないので、その半数が咲いていたって、世間常識でいえば、十分満足、十分見頃です。あの渓流の畔に、あの岩陰に、竹林を背景にと、数えて言ったら、何十株にはなっただろう。それでは、それらのいくつかを。



美術館にはぼく好みの陶磁器が。鼠志野や黄瀬戸の茶碗や織部の焼き物。織部の千段巻茶碗が面白かった。猿投の古陶。雪谷等巻(等顔の次男)の山水図屏風は雪舟風。

そして、ぼくは施設巡りバスに乗り、湿生花園に向かった。ここでも山百合が溢れていた。

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宇治の平等院 (京都旅#7)

2014-07-29 05:28:48 | Weblog

昨年暮れ、サントリー美術館の”天上の美/飛天の美”展で平等院鳳凰堂の飛天さまを観て以来、ぜひ、平等院の改修工事が終わったあとに、自寺でくつろいでいらっしゃる飛天さまを拝観してみたいものだと思っていた。再公開から三か月ほどで、その夢が実現して、こんなにうれしいことはない。

鳳凰堂の中に入ると、中央に鎮座されている阿弥陀如来さま(国宝)の尊いお姿に感動。展覧会のときは実物大のカラー写真が飾られ、周囲の壁に飛天さま(雲中供養菩薩像)が展示されていたのだが、今回は、もちろん本物の阿弥陀仏如来像。そして、如来さまの後背には黄金色に輝く12体の”光背飛天”(展覧会では6点おいでになった)。さらに、52体の、さまざまな楽器を演奏する雲中供養菩薩像が周囲の白壁を空にみたて、思い思いの姿で雲に乗って、飛んでいらしゃる。レプリカも混在しているが、境内の鳳翔館(博物館)には本物(すべて国宝)が展示されている。

それぞれの飛天さまの説明は、以前のブログ記事に譲り、ここでは、鳳凰堂内の全体の様子の写真だけにする。

また、鳳翔館で展示されていた、ある雲中供養菩薩像に照明が当たり、うしろの布にできたシルエットが印象的だったので、それだけは、ここでも載せておこうと思う。

さて、平等院鳳凰堂の全景、まるで、建物全体が羽を拡げた鳳凰のよう。

中堂の屋根の棟飾りの、一対の鳳凰。鳳凰堂とよばれるようになった由縁。オリジナルの鳳凰は国宝、鳳翔館で観ることができる。

池をはさんで向かい側からみると、中堂の丸窓から阿弥陀如来さまのお顔が覗いている。

国宝といえば、梵鐘も国宝。”天下三名鐘”のひとつ。

ここのはレプリカ。

鳳凰堂の周囲に拡がる、極楽の宝池を模したという庭園は、名勝として名高い。

平等院の藤棚も名高い。今度は藤の季節に訪れよう。

赤門は名高くない

平等院の脇を流れる宇治川は、先陣争いで名高い。その石碑がこの辺りにあるはずだが、見つからなかった。石碑発見の先陣争いをしていた、どこかの親父も、ないないと騒いでいた。

宇治茶の老舗、上林(カンバヤシ)。”博物館”まである。

宇治の郵便ポストはすべて茶壺です。


さて、朝飯食べたら、箱根へ向かう。山百合どうか。夕方、報告します。

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廬山寺 源氏庭の桔梗 (京都旅 #6)

2014-07-28 08:32:46 | Weblog

5,6年前まで、よく利用していた宿に久しぶりに宿泊した。やっぱり、ここはいいわ、と思った。鴨川添いにあるから、川辺の散歩も自由自在だし、御所の御苑も使い放題(笑)、散歩好きには堪えられない。

紫式部もこの近くに住んでいて、その住居跡が廬山寺である。ここも何度か訪れているが、源氏庭の桔梗が見頃なときに遭遇したことがなかった。廬山寺の前を通りかかったら、”桔梗見頃です”の貼り紙が。その上、家内が好きな源氏物語の、押絵展が開催されている。迷わず、入った。

展覧会は撮影禁止だが、お庭はOKということで、心おきなく撮った。見事だった。どの桔梗も、これ以上ないという咲きっぷり。まず、ご覧ください。

源氏庭を望む

源氏雲の苔に桔梗が。

展覧会

廬山寺

紫式部住居跡

近くの梨木神社 萩の神社として有名。湯川秀樹博士もこの近くにお住まいだったようで、歌碑もある。境内の一部にマンションが建設中だった。5,6年も行かないと、いろいろなことがある。

シロネコもお住まいだった。白萩が好きなのだろうか。

この春、観た、御苑の枝垂れ桜。すっかり葉桜だった(笑)。

思い出す、あの日。

 

鴨川はゆうゆうと流れていた。

 

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大相撲名古屋場所のぼくの予想はどうだったか

2014-07-28 07:01:09 | Weblog

おはようございます。昨晩、速報しましたように(汗)、大相撲名古屋場所は白鵬の30V達成の快挙で千秋楽を終えました。さて、今朝一番の記事は、恒例の、ぼくの初日の相撲をみてからの、今場所の予想はどうだったかについてです。

まず優勝力士の予想はどうだったか。稀勢の里、14勝1敗で初優勝が、ぼくの予想。それが、なんと、早くも、2日目で土。中日で豪栄道に敗れ、優勝戦線から脱落。終わってみれば、9勝6敗という想像だにしなかった不成績。これで、また横綱昇進は遠のいてしまった。ただ、13日目の白鵬戦からもぎ取った白星は、今場所一番輝いたものだった。白鵬の偉大な記録を二度ストップさせてきた稀勢の里。今場所も、これで白鵬の30Vはなし、と踏んだが、両モンゴル横綱の、あうんの呼吸の(笑)、詰めの甘さにより、やすやすと偉大な記録を達成させてしまったのは残念。

でも、3横綱の成績は当てている。白鵬の13勝2敗はぴたりだし、日馬富士、鶴竜の10勝前後の成績もほぼぴたりだ。だから、稀勢がまともな相撲をとっていれば、十分、優勝はできたはず。一方、稀勢を含む、大関・関脇の予想は、まったくはずれてしまった。誰がカド番の琴奨菊がここまで勝ち進むと予想しただろうか、また、先場所、8勝しかあげられなかった豪栄道がここまで復活してくるとは。この両力士は稀勢を破ってから、勢いがついた。逆に、稀勢は両力士に負けて、一気にしぼんでしまった。これだから、相撲の予想は難しい。来場所はこの逆ということも十分ありうる。

この予想は、上位総当たりの前頭4枚目までの力士を対象にしているが、下位の有望力士についても触れている。遠藤の勝ち越し、妙義龍と高安の好成績はぴたりと当てることができた。照の富士、大砂嵐も予想以上に活躍。遠藤、高安と共に、来場所、目を離せない存在になりそうだ。

来場所は横綱3力士がモンゴル人、大関3力士が日本人という構図になる。来場所は、日本人グループも、つぶし合いばかりしないで、ときには、あうんの呼吸も使って(笑)、日本人優勝力士を是非、出して欲しい。

。。。。。

星取り予想/現実の成績 

稀勢の里14勝1敗/9勝6敗●、白鵬13勝2敗/13勝2敗〇、日馬富士11勝4敗/10勝5敗〇、鶴竜10勝5敗/11勝4敗〇、栃煌山9勝6敗/途中休場△、豪栄道9勝6敗/12勝3敗●、琴奨菊8勝7敗/12勝3敗●、松鳳山8勝7敗/4勝11敗●、嘉風7勝8敗/7勝8敗〇、安美錦6勝9敗/3勝12敗●、碧山6勝9敗/6勝9敗〇、豊真将6勝9敗/途中休場△、勢5勝10敗/5勝10敗〇、玉鷲5勝10敗/3勝12敗●、大砂嵐5勝10敗/7勝8敗●、魁星4勝11敗/5勝10敗〇、豪風4勝11敗/9勝6敗●  

(参考)遠藤10勝5敗(8勝7敗)勝ち負けなし。妙義龍と高安に期待。いずれも11勝4敗。

ぼくの成績。7勝8敗2分 負け越し

秋場所もこの六地蔵の対決。

名古屋場所一番の取組。稀勢の里、白鵬を撃破。

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白鵬30V 豪栄道、大関当確 遠藤勝ち越し

2014-07-27 18:31:53 | Weblog

大相撲名古屋場所千秋楽は、手に汗握る熱戦ばかりだった。

まず、遠藤が碧山に土俵際で逆転勝利。見事、勝ち越しを決める。前頭5枚目、この位置なら来場所、小結昇進の可能性も。よく、頑張った、遠藤!

そして、今日の大一番。勝って、優勝決定戦に持ち込むか、琴奨菊。片や、勝てば、来場所大関昇進確実となる、豪栄道。豪栄道、渾身の寄りで、大事な大事な白星ゲット!本当に、よくやった、豪栄道豪太郎!

結びの一番白鵬、勝てば、史上3人目の30回優勝。片や、勝っても負けてもどうでもいいが(爆)、意地をみせたい日馬富士。なんとか、白鵬を破って、3力士による巴戦の優勝決定戦をこしらえて欲しいのが、ぼくらの願い。日馬富士、大攻勢で、わくわくどきどきさせたが、結局は、白鵬、上手出し投げで、13勝目。お見事、30度目の優勝を飾った。


稀勢の里は鶴竜にも破れ、二桁勝利ならず、だったが、13日目の白鵬戦の勝利だけで十分や! それに、弟弟子の高安が、千秋楽まで、優勝戦線に残ったのはりっぱ。お見事、敢闘賞!

ぼくの戦前予想はだいぶ、はずれてしまったが、終盤はとても面白い名古屋場所であった。予想結果の詳細は明朝、報告いたします。とりあえず、白鵬30V,豪栄道、大関当確、遠藤勝ち越し!の速報をお送りします。

すぐ、秋場所。態勢立て直しだ、稀勢の里!
もう、秋の花が咲きはじめましたよ。鎌倉の大巧寺にて、女郎花と秋明菊。

 

 


 

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祇園祭・後祭り 駒形提灯に灯がともり (京都旅#5)

2014-07-27 09:04:07 | Weblog

再び、夕方、宵山の山鉾町に向かった。家内は宿のお風呂に入ったら、疲れたし、もういいわ、と言うので、夕食もそれぞれということして、一人で散策。

烏丸御池が夕方の出発点。四条通りにぽつんとひとつみえる鈴鹿山。去年(合同祭)までは、ずらりと並んでいたのにと、ちょっぴりさびしい。それに、後祭りでは、歩行者天国にはしていないし、露店もない。まだ、明るかったが、駒形提灯がともっていた。やっぱり、これでなくては宵山の雰囲気がでない。

鈴鹿山

内装品や懸装品も拝見できる。子供たちが記念写真を撮っていた。

室町通りに入って、すぐ役行者山

鷹山
かつては後祭の大型の曳山(ひきやま)だった。鷹を手に持つ鷹匠、犬を引く犬遣い、樽を背負ってちまきを食べる従者(樽負い)の3体の人形を載せ、真松を立てていた。1826(文政9)年の大雨で懸装品が損傷し、翌年から参加できなくなった。さらに64年の禁門の変に伴う大火で大半を焼失した。1986年には染色作家の故皆川月華さんが見送を寄贈するなど、復興機運が盛り上がったこともあったが、資金繰りの問題などから実現せず、祭りの期間中には、焼け残った懸装品などを披露する会所飾りのみとなっていた(ホームページより)。さあ、大船鉾のように復活なるか!がんばれ鷹山!三鷹山に改名すれば、元三鷹市民としては、もっと応援するのだが。

 

黒主山。関西のテレビ局が撮っていた。

夜桜見物も(笑)

 御神体人形の大伴黒主。白髪の髷を結い顔を上に向けて桜を眺める姿。

付近の屏風祭り。 曽我兄弟の仇討物語。係の方が講談師のように説明してくださる。
 

六角通りの浄妙山を遠くに眺め、次に現れたのが鯉山。ここでは、NHKが生中継。写真は撮らせてくれない。録画を家に帰ってから観た。生中継を挟んだ、とても面白いタペストリー歴史物語だった。

ここの胴掛、前掛、見送等の懸装品は、一枚のベルギー製のタペストリーを分断したものだそうだ。1600-1620年代のもので、トロイ戦争を題材にしたギリシャ詩人ホメロスの叙事詩「イーリアス」中の場面。そして、それは5枚連作のタペストリーで、(貴婦人と一角獣を思い出す)ほかの4枚も国内で見つかったという。他の山鉾の懸装品にも歴史的に貴重なタペストリーがいくつもあり、1000年以上も続いている祇園祭は、さながら遺伝資源を長期に保存する冷凍庫のような役割を有していたのである。

橋弁慶山 くじとらずで後祭巡行のトップを行く。

弁慶と牛若丸が二階に。

五条の大橋

歩き疲れて、辿りついた先斗町でいっぱい。早く、かえるようにと、おっ家内からメールで厳命があった。

すばらしい、49年振り復活の初年の後祭りであった。初年に行くのが重要であって、来年はじめてでは、その価値は十分の一ですよ~ん。えへんえへん。

時系列が逆の連載となってしまいましたが、ここで祇園祭関係は終了とします。残りは、それ以外の京都見物についてです。

 

 

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祇園祭・後祭り 宵山風景 (京都旅#4)

2014-07-27 05:57:08 | Weblog

ホテルへ向かうタクシーの運転手さんが、話しかけてきた。49年振りの後祭りが復活したが、自分は、後祭りがあった頃、新町通りで呉服屋をやっていたという。あの頃は景気が良くて、屏風祭りでは、どのお店も競うように、自分とこの屏風やいろんな宝物を店先に拡げていたもんだよ。今とは格段の違いだね、という。

京都2日目、二条城を見学したのち、御池通りを歩いて山鉾町に向かった。運転手さんの話が頭にあったので、まず、新町通りを目指した。その通りに足を踏み入れると、その先に八幡山が見え、オオ、一年振り、祇園祭!とつい頬が緩む。さらに、その先には北観音山が華やかな姿をみせていた。新町通りの入り口付近は、(運転手さんが言っていたように、)昔、大店だったらしいところがマンションになっていたりして、町屋の列が歯が抜けたようになっている。それでも、八幡山の近くまで進むと、屏風祭をしているお店が次々と現れてきて、一気に祇園祭モードになる。

八幡山

八幡山保存会所蔵の宝物の数々。

左甚五郎作の鳩と復元鳩のつがい。今年から新調の鳩が巡行に参加!八幡さまのシンボルだもんね。

光琳百花図屏風 (応挙筆) ながく八幡山町内に伝えられ、近年では久しぶりのお披露目となるとのこと。

海北友雪筆 ”祇園祭礼図屏風” サントリーで観た”徒然草絵巻”の画家の作品をここでみるとは。

さて、この付近の町屋の屏風祭から

去年入った、有料の町屋見学。今年は受付の京美人だけ(汗)

北観音山

その付近の屏風祭

なぬ!祇園祭にも、くまもん出現!

新町通りには、さらに南観音山。17世紀製作の逸品で異无須織といわれる華麗なペルシャ金銀絹絨毯の旧前懸を保存する。

 四条通りを横切った、すぐ先には、このシリーズの初回に紹介した大船鉾が。大変な人気で、粽は売り切れ、鉾見物の行列も一時間待ちで諦めた。

ここらあたりまで来て、家内が暑さにネをあげた(笑)。で、一旦、ホテルに帰り、休憩。残りの六つの山鉾見物は、夕方の駒形提灯の灯がともる頃にすることにした。

(つづく)



 

 

 

 

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