気ままに

大船での気ままな生活日誌

津波警報の日に

2010-02-28 21:42:08 | Weblog
フィギュアエキシビションを観ているとき、突如、チリ地震による津波警報が。太平洋岸すべての地域にわたっている。ゆっくり、落ち着いてフィギュアをみられない状況になってしまった。沿岸にお住みのみなさんのことだけだはなく、ぼくの個人的な予定にもかかわっていた。午後1時半から、鎌倉駅前のホールで、新保祐司さんの”小林秀雄のモーツアルトを聴く”とゆうテーマの講演会に出席することにしていたのだ。電車がとまらないか心配になってきた。

エキシビションは、トリプルアクセルを3回も成功させたのに銀メダルに終わった真央ちゃんと、四回転ジャンプを軽々と成功させて、やはり銀メダルに終わった両選手を応援した。エキシビションの練習でプルシェンコと真央ちゃんは、互いに、”おめでとう”と祝福し合ったそうだ。心が通いあったことだろう。





11時ころ出掛けた。幸い横須賀線は逗子までは通常運転だった。それから先は運転中止とゆうことだった。ちょっと帰りのことも心配だったが、鎌倉駅まで行った。早く着いたので、津波状況を観察するため由比ヶ浜に向かった(汗)。由比ヶ浜の前の通りに、黄色のジャンバーを着た鎌倉市の職員がふたり、警戒のため歩いていた。



ぼくが、浜辺に降りようとすると、つかつかと寄ってきて、津波警報が出ているのを知ってますか?と注意された(汗)。ちょとだけ、写真を撮るだけです、と言ったら、許してくれた。ご苦労さまです、と返したら、にっこりしてくれた。よくみると、向かいのKOBANの二階にも警察官がふたりいて、見張りをしていた。

由比ヶ浜には誰れもいなかった。ただ海鳥だけが、一か所にまとまっていた。なにか動物的勘で津波襲来を予知していたのかもしれない。



長居すると怒られそうなので、早々に若宮通りを戻った。1時頃だったが、もう行列ができていた。今日は交通事情も悪いし、来られる方は少ないでしょう、と受付の人が言っていたが、そんなことはなかった。最終的には大きなホールが満員になる、盛況だった。さすが、小林秀雄人気はすごい、とくに鎌倉という土地柄もあるだろう。モーツアルトやベートーベンの音楽つき(CD)の講演で、大変、面白かった。これについては、別の機会に感想を述べてみたいと思う。明日、3月1日が、小林秀雄さんの命日だそうで、ちょうど良い日の講演会となった。

帰りに会場の隣りの、大巧寺に寄って、椿や梅をみてきた。氷室雪月花が今年はいつまでも咲いている。とてもきれいだった。羽衣とゆう白い椿もいくつか、きれいな花を咲かせていた。たとえ、津波が襲ってきても羽衣のように、天を舞い逃れることができるだろう。



横須賀線は、逗子から先はまだ動いていなかったが、大船方面は通常通りだった。東海道線は藤沢までだとゆうアナウンスがあった。せっかくの休日の行楽シーズンなのに、影響を受けた人が多かっただろう。
。。。

津波警報ですっかり隠れてしまったが、0.02秒及ばず、惜しくも銀メダルだったスピードスケート女子団体追い抜き、そして、藍ちゃんの、44年ぶりの、米女子ツアーでの開幕戦からの2週連続優勝は、すごいことだ。


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吉田松陰がみた瑞泉寺

2010-02-28 11:11:52 | Weblog
瑞泉寺の黄梅を観にゆくときに、そうだ吉田松陰も江戸に行く途中、彼の伯父さんにあたる瑞泉寺第二十五世住職に会いに来たことを思い出した。自分が松陰になったつもりになって、その頃の風景はどうだったのだろうかと、思いながら歩いた。

司馬遼太郎の”世に棲む日々”にこんな一節がある。・・・まっさきに鎌倉へゆかねばならない、ということが、あたまにある。鎌倉は、天下国家の用事ではない。そこに肉親がいる。母方の伯父である。禅僧であった。国を出るとき、母親のお滝から、”おまえ、江戸についたら、鎌倉の伯父さんにきび粉を持っていってくれ、あの人はなによりもきび団子がお好きなんだから”と一袋のきび粉をあずかってきていた・・・(ぼくはいきなり団子が好き

鎌倉宮から瑞泉寺に向かう道なりに、故平山郁夫画伯邸近くに、頼朝が平泉の合戦で亡くなった義経や藤原泰衡ら武将たちの供養のために建てた永福寺跡がある。平泉の二階堂大長寺院を模してつくった、全長が南北230メートルの大伽藍や、大池を配した庭園もあるりっぱな寺だったという。しかし、応永12年(1405)に焼失してしまい、二階堂という地名だけが残っている。松陰が歩いた頃も今と同じように、ここは、すすき野原であったろう。現在、史跡公園にする計画があり、工事が徐々に進行している。


(永福寺跡出土遺物)


瑞泉寺は、鎌倉のどこのお寺もそうだが、大正の関東大震災で多くの建造物や仏像を失っている。だから、松陰が訪れた幕末のころのものはほとんど破壊されてしまったと考えてよい。しかし、ほぼ当時に近い形で復元されているものもあるはずである。たとえば、山門に向かう、男坂と女坂。この日は男坂は閉じられていたが、鎌倉石(だと思う)のへこんだ石段が歴史を感じさせる。松陰もこの道を登って山門に向かったはずだ。


その道を上がりきったところの山門前に、吉田松陰留蹟碑(松陰吉田先生と書かれてある)がある。石碑の裏に漢文らしきものが刻まれているがよくわからない。家に帰って調べたら(鎌倉こども風土記)、徳富蘇峰の字で、”山の青々した竹の光が窓からさしこんでくる。方丈は奥深く、錦屏山の懐に抱かれて物静かである。いま私は囚われの身となって獄中にあり、むなしく苦しみを味わっている。ある夜、夢に瑞泉寺を訪ねた”という意味の漢詩が刻まれているとのことだ。

松陰が瑞泉寺を訪れたのは、寛永6年(1853年)の六月中旬のことである。浦賀への黒船来航が同年6月上旬で、作久間象山と一緒に、黒船を観ているから、瑞泉寺はそのあと訪れたことになる。”泰平の眠りをさます上喜撰(高級な緑茶と蒸気船をかけている)たった四杯で夜も眠れず”の時代である。その後も瑞泉寺を数回訪れている。(ぼくは、たった四杯で夜も良く眠れる、お茶でなくお酒ですが



さて、その当時、当然、境内に梅もあったのだろう。この古木は、そのときからあったかもしれない、いや二代目かな。幹上に張り付いているウメノキゴケも、当時の子孫で”松陰来訪”の言い伝えを聞いていることだろう。松陰は、すでに下田での黒船来航時での密航計画をウメノキゴケに話しかけていたにちがいない ”象山先生はすぐれていらしゃいますが、所詮、鎖国の中で暮らす日本人ですから”と住職に話していたという。



夢窓国師のつくった庭園は、この梅園ではなく、本堂裏の庭園だ。寛永の頃は残っていたか、どうか。長い間うずもれてしまっていたが、昭和45年に発掘され(小林秀雄さんも発掘工事をときどき見学ににきていたらしい、ぼくも遺跡の発掘現場をみるのが好き)、水戸光圀(元禄二年に瑞泉寺を訪れている)の覚書をもとに、当時の姿に復元された。夢窓国師は京都の苔寺や天竜寺の庭園もつくられた方だが、瑞泉寺の、地形と岩盤をうまく利用し、池もあるこの禅宗庭園(国名勝)も、それらに劣らない名庭園と専門家に激賞されたそうだ。松陰の来訪のときにはどうゆう状態だったのだろうか。

凝灰石をくりぬいた岩盤前の池、“貯清池。

左に目をやると小橋がみえ、山の上に向かう十八曲と称される山道が続いている。その先に、”一覧亭”がある。そこからは富士山も相模の海も一覧できる、すばらしい眺めだそうでさる。夢窓国師は、そこまでを含め、作庭したのだ。地形。自然そのものを利用し、少しだけ手を加えているのだ。そういえば、苔寺の庭もそうだ。

一覧亭は、光圀が荒れ果てていたのを立て直している。松陰もそこまでは登り、相模湾を見渡し、その先にある、遠い異国の地に夢を馳せていただろう。

帰途、瑞泉寺の裏山を水源とする小川に椿の花が流れていた。松陰も観たはずの小川だ。
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瑞泉寺 黄梅と梅と

2010-02-27 10:49:32 | Weblog
”花の寺”と呼ばれる、瑞泉寺。とくに境内を埋め尽くす梅の木の花で有名だ。ほかの寺の梅より少し、遅めに咲く梅の花も見頃になっていた。ぼくは、ここの、梅は梅でも、みた目はみすぼらしい(し失礼しました)、地味な淡黄色の花をさかせる”黄梅”が好きだ。本堂の前に、こんなふうに咲いていた。


華やかさはないが、近づいてみると、なんと愛らしいことか。花びらは細いが、その分、おしべが目だっている。


この立て札が説明してくれる。花びらがやや退化している品種で江戸時代からあったそうだ。鎌倉市の指定天然記念物となっている。”この木により牧野富太郎博士は「黄梅」と命名した”とある。由緒のある木なのだ。

その梅の木もいずれは、この世と別れる。ちゃんと後継者が用意されていた。本堂に向かう道の右側に5,6本、若い黄梅が育っていた。


普通の梅の木も、見頃だった。何十本あるのだろうか。いずれも老木で(汗)、幹にはウメノキゴケがびっちり、はびこっていて、白い幹のようだ。白装束の梅むすめ(いや、うめぼし○○か)

むかしの梅娘(今、・・)がスケッチをしていた。ぼくもスケッチブックはもっているのだが、まだ白紙だ 歩き回る時間が少なくなるようで、まだ封印している(言い訳)。



。。。
梅以外も。

まんさくの花も。こんな大きな木のまんさくは他にはない。見事だった。

金メダル花。まだ真央ちゃんの悔しさが残っているな 福寿草。真央ちゃんはセケンのつまらい基準に合わせず、難易度の高いジャンプの完成をめざしてね。4回転の2連続ジャンプすればさすがの、あほ審査団もキムヨナちゃんより上にするだろう。

ショカツサイ(諸葛采)がもう咲いていた。真央ちゃんの、前人未到の、もしかして空前絶後の、五輪SP・フリー合わせて、トリプルアクセル3回成功の快挙おめでとう(これまで伊藤みどりさんの1回しかないのだ)拍手カッサイ、ショカツサイ。ショカツサイの別名は花大根。真央ちゃん、やけ食いして、大根足にならないでね。・・そしたら、かえって、難しいジャンプができなくなるから、安全策の氷上バレーみたいな演技をして金メダルをとりやすくなるかな。
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真央ちゃん、涙の銀メダル

2010-02-26 15:24:05 | Weblog


真央ちゃん、インタビューで涙、涙、涙。。普通の選手なら、銀メダル、おめでとうで、満面の笑みだけれど、真央ちゃんは、金メダル以外は嬉しくない。この涙は嬉し涙ではなく、悔し涙なのだ。そういえば、五輪開始前から、金メダルをとります、と宣言していたっけ。しぼりだすような声で、トリプルアクセルをふたつ決められてよかった、でもふたつのミスをしてしまった、それが悔しいと。

ぼくも真央ちゃんがフリーで、ノーミスで、トリプルアクセルをふたつ決めても銀メダルだったら、審判団に文句を言ってやろうと思ったけれど、わずかなミスが惜しかった。でもこの高度のジャンプ技術、トリプルアクセルができるのは、世界で真央ちゃんだけ。それも、ショートでひとつ、フリーで二つ、計三つと歴史に残る演技をやってのけた。本来ならば、これだけで、金メダルをやっても、いいくらいだ。抜本的に採点基準を考え直して欲しいと思う。真央ちゃんの涙の中には、高難度な技術に対するあまりに低い評価に対する抗議もあるのではないだろうか。

石原都知事が銅メダルとったくらいで大騒ぎ、おかしな国だ、と言ったそうだが、たしかにそういう面もあり(笑)、本来スポーツは一番でなければ負けで、真央ちゃんのように、金メダルしかいらない、負けて悔しいと、涙を流す選手がどんどん出てきて欲しいものだ。残念ながら、バンクーバーは金メダルゼロに終わったが、真央ちゃんの涙は、誰の金メダルにまけずおとらず、きらきら輝いていた。



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とよた屋騒動

2010-02-26 09:36:00 | Weblog
世界一の車屋さん、とよた屋騒動についてちょっと感想を述べてみたい。感想といったて、ぼくは経済には疎いし、車の仕組みなんかもよくわからない車オンチだから、まあ、素人が、またほざいているという気持ちで読んでほしい。定年退職して交通の便のよいところに越してきて、車は捨てたが、ここに来るまでは、車なしでは生活できない処に住んでいたので、ずっと、とよた屋さんの車を愛用していた。すぷりんたー、ころな、ぷれみお、とかゆう名前の車だった。すぷりんたーのときは、ニュートラルにすると、ときどきエンジンが止まってしまうとゆう欠点があった。へんな車にあたってしまったなあという感じで、それでも、乗れないわけじゃないから、文句もいわず乗っていた。

なぜなら、その前にぼくはメリケン国に1年ほど行っていて、そのお国で一番とゆう車屋さん(今はつぶれたも同然な車屋さんだが)の中古車に乗っていたが、たびたび故障して、車とはそうゆうものなのかと思っていたからだ。もう30年も前のことである。そのころ、メリケンの大学の先生の多くは、メリケンの車屋さんの車には乗らず、とよた屋やほんだ屋さんの車に乗っていた。何故かと聞いたら、うちの国のくるま屋さんの技術は信用できないからだ、と言うのだ。そのころから、実際、中古車でも、日本の車屋さんの値段が一番高かった。

だから、とよた屋さんらが、メリケン国に進出し、現地生産するとゆう頃に、ちらりと心配したものだった。いくら現地で技術を教えたって、腕のわるいくるま屋さんがいい車をつくるわけがないと思ったからだ。たぶんメリケン側の雇用の関係とかの圧力があってのことだろう。今回の騒動の発端の一部にメリケン国の部品製造屋さんの不良部品がからんでいる。それは、今後、お隣りの大国等での製造でも同様なことがいえるだろう。日本の下請の中小部品屋さんの技術力にはとてもかなわない。

加国が過剰反応だと、とよた屋を援護射撃したように、メリケン国の今回の対応は、自らのことを棚にあげて、よくゆうよ、というところだろう。メリケンはなんでも世界一でなければ気がすまない国なのだ。

はじめに言ったように、ケイザイのことはゼンゼンわからない。ただ、なぜそんなに他国に工場進出してまでして、大きくならなければいけないのか、そして、最終的に他国にケチをつけられなければいけないのか、よくわからない。そんな国に手助けするより、もっと自分の国を大事にしたらどうか。そんなにもうけなくてもいいじゃないかと思う。生物でもあまり大きくなりすぎると、(環境の変化に対応しきれず)恐竜やマンモスのように一気に絶滅するのだ。

とよた屋であきれたことがちょっと前あった。それまで、ごっそり儲け、埋蔵金が何兆円もあるとゆうのに、不景気になったからといって、平気で社員(派遣も含めて)の首切りをしていた。そうゆうときのための埋蔵金であったのではないのか。マツシタこーのすけさんなら、そんなことは絶対しないだろう。ここ数代の、とよた屋大番頭はテツガクもヒンカクのかけらもない、といわれてもしようがないだろう。お天道様はちゃんとみているのだ。まあ、今回のこともバチがあたったとゆうことだろう。





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”富士を仰ぐ”展 in 野間記念館

2010-02-25 18:00:56 | Weblog

ぼくは富士山が大好きで、毎朝の散歩で、富士見のビューポイントでは、みえる日には必ず富士山を仰いでいる。絵画としての富士山は、なんといっても北斎のが一番好きで、他の画家の描く富士はたいしたことないと、この前、本ブログでほざいてしまったが、この”富士を仰ぐ”展を観て、やはり大観の富士山も、なかなかいいなと思い直した。

ちらしを飾る、六曲一双の屏風絵”富士・三保図”の富士山がまず気に入った。山の姿のうつくしさだけではなく、霊山としての神々しさもよくあらわれているように思った。そして、下に示す、三幅対の” 不盡山・羽衣・三保”も、その他”霊峰”等の富士図も素直にうつくしいと思った。大観の言葉。”富士の名画とゆうものは昔からあまりない(北斎を無視している;ムス)それは形ばかりうつすからだ。かたちだけなら子供でも描ける、わたしは理想をもって(?)、全身全霊をうちこんで描いている”



今回の展覧会の目玉は、昭和3年、大阪の高島屋呉服店で講談社が主催した”富士百趣”のテーマで当時の日本画家を総動員して、描いてもらった数百枚の富士山を描いた色紙の展示なのである。富士市にある、重要文化財”古谿荘”(野間コレクションを戦災から守るためにここに一時避難したそうだ)の竣工百年を記念して、それらの色紙を再展示しているのだ。

清方や深水もいる。でもおふたりとも、富士はどこ?といった色紙で、頼まれたから仕方なく描いたという風情だった(笑)。山口蓬春はきれいな青い富士を描いていた。竹内栖鳳、福田平八郎、土田麦僊、松岡映丘、川合玉堂等そうそうたる画家の富士山はそれぞれの人柄を表しているようで面白かった。こんなふうに描かれて可哀そうとゆう富士山もいくつかあった(笑)。文字通り、”富士百趣”だった。



別室に、古谿荘の図面等と共に、故平山郁夫画伯の”暁春橘富士”の大作が展示されていた。富士川沿いにある古谿荘からは、富士山がよくみえ、画伯が古谿荘の一室から、かんきつの実をたたわにつけた庭の樹木を前景にした富士山を描いたのだ。平山郁夫画伯の富士山をはじめてみたような気がする。絵ハガキを買いたかったのだが残念ながらなかった。

富士山を山のようにたくさん、みられて幸せなひとときだった。3月7日まで開いている。次回は、横山大観展だ。先月の足立美術館といい、なんだか、最近、大観がぼくを呼んでいる。

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真央ちゃんのような、ご近所の枝垂れ紅梅

2010-02-25 09:57:49 | Weblog
ご近所の、枝垂れ梅が見頃になってきた。今朝の散歩で、それを撮ろうとデジカメをポケットにしのばせた。この梅は、ぼくが、茨城県の一軒家時代の庭にあったものとそっくりで、花の時期になると、その頃を思いだす。ぼくのうちを買ってくれた方は、まだ残しておいてくれているだろうか。当時のご近所の方の最近の便りでは、二世帯住宅に新築されたそうなので、もしかしたら、あの枝垂れ紅梅は、庭の中央にあったから、伐採されてしまったかもしれない。





大長寺の梅も満開になっている。紅梅と白梅が昨日の真央ちゃんとキムヨナちゃんのように妍を競っている。若竹の垣根がまぶしい。若いっていいな。でも、年とるのもいいよ(汗)。



境内の福寿草。真央ちゃんの金メダルにみえてきた(汗)


金でも、銀でも、銅でも、どうでもいいよ、真央ちゃん。みんなを楽しませてくれてありがとう。・・・とゆうのは、建前で、本音は、金メダルとって、みんなに、感動をありがとうといわれる人になってね。



朝散歩から帰ってみた朝日新聞に、真央ちゃんのトリプルアクセルをきめた連続写真が。まるで今日の枝垂れ紅梅のようにうつくしかった。

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真央ちゃん、トリプルアクセル決めても二位?

2010-02-24 18:28:15 | Weblog

いよいよ、バンクーバー五輪のハイライト、女子フィギュアが開幕。もちろん、真央ちゃんのグループから美姫ちゃんの最終グループまで、すべてテレビ観戦。

真央ちゃん、競技開始直後のトリプルアクセルを見事に決め、快心の演技。73.78の高得点で、満面の笑み。これでショートプログラム、トップと思ったのだが・・・


なんと、次のキムヨナも、ノーミスで、真央ちゃんに5点差をつける好演技。確かに、流れるような演技はすばらしいが、ショートプログラム史上初のトリプルアクセルを決めた真央ちゃんより上とは、どうゆうことだ、少なくとも5点差はおかしい、百歩ゆずって1点差以内の僅差だろう。 男子でも4回転を決めたロシアの選手が金メダルをとれず、ロシア国民が怒っているらしいが、気持ちはよーくわかる。

点数に、非常に主観的な要素が入る”曲の解釈”とか”振付”とか、何とか何とかとかの比重が大きく、これでは高度なジャンプ技術を成功させても、いくらも点数が上がらない。だから、キムヨナは、リスクの多いトリプルアクセルを入れてこない。スポーツがこんなことでいいのだろうか。これでは、ただの、氷上バレーではないか。

もし、明後日、真央ちゃんがフリーで、トリプルアクセル2回決めて、金メダルを取れなかったら、引退後ハワイで遊んでいる元朝青龍関をバンクーバーに派遣して、レフリーのこめかみを両拳でゴリンゴリンしてもらおうと思っている。

。。。。。

カナダのジョアニー・ロシェット選手。応援にかけつけた、お母さんが2日前にホテルで急逝された。悲しみをこらえての演技。 こうゆう選手には、人情的に高い点をあげたいですね。そうすると、こうゆう、あいまいな基準もいいかもしれないな。



。。。

真央ちゃん、フリーで逆転も十分可能。がんばってくださいね。平成のおせんちゃん、応援してます。
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おせんちゃんを訪ねて

2010-02-24 10:30:59 | Weblog
おせんちゃんとは、いわずと知れた笠森お仙のこと。先月、さいたまで、小村雪岱展をみて以来、おせんちゃんにぞっこんで、雪岱挿絵入りの邦枝完二作の”おせん”を手に入れ(図書館で借りただけだけど)、それを読み終え、ますます、おせんちゃんが好きになってしまった。

おせんちゃんは、江戸谷中の笠森稲荷門前の水茶屋鍵屋の看板娘で、明和年間、浅草寺奥山の楊枝屋”柳屋”のお藤、そして蔦屋およしと共に、江戸の三美人とうたわれた。浮世絵師、鈴木春信がおせんちゃんを描き、ますます人気が出たのだ。春信自身もおせんちゃんを錦絵のモデルにしてから、腕もあがり、江戸随一の人気絵師となる。

そのおせんちゃんのいた、谷中の笠森稲荷を先日訪ねた。日暮里駅から歩いたが、千代田線の千駄木駅からの方が近い。さんさき坂(団子坂と繋がる)を谷中墓地方面に5分も歩けば、おせんちゃんの茶屋があった辺りにつく。ところが、たぶんあの明治の神仏分離によって、笠森稲荷はなくなっていて、大仁寺とゆうお寺に合祀されている。



そこの境内におせんちゃんの碑とおせんちゃんを描いた鈴木晴信の碑がある。笠森阿千の碑には永井荷風の撰文が刻まれている。少しナガイが、全文を紹介する。

女ならでは夜の明けぬ、日の本の名物、五大州(日本のこと)に知れ渡るもの、錦絵と吉原なり。笠森の茶屋かぎや阿仙、春信が錦絵に面影をとどめて、百五十余年、嬌名今に高し。今年都門の粋人、春信が忌日を選びて、ここに阿仙の碑を建つ。大正八年六月。

おせんちゃんの碑の横には、春信の碑も仲好く並んでいる。”錦絵開祖鈴木春信”の碑には文学博士の撰文が刻まれている。


春信が描いたおせんちゃん。

これも、春信が描いた、笠森稲荷前の茶店ではたらくおせんちゃん。神社のお参りより、江戸一の美人、おせんちゃんを観るのが目的だったらしい。



これは昭和の春信とうたわれた雪岱さんが描いたおせんちゃん。


この近くにこんなお稲荷さんをみつけた。名前もついていないので、きっと”笠森稲荷”だったにちがいない、と思った。おせんちゃんが、そうよ、と言っているのがたしかに聞こえた。
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松田の河津桜満開

2010-02-23 21:10:18 | Weblog
昨日の朝日新聞をみて、もう行かねばと、ワイフと朝早く出掛けた。東海道線下り、国府津で降りて、御殿場線に乗り換え、松田駅で下車。なんとスイカがきかず(ここは、神奈川県なのに、JR東海なのだ)、大船からの運賃を現金で払って、降りると、松田山行きのバス停がもう大行列。

でもなんとか、2台目のバスに乗り、河津桜に覆われた松田山の頂上へ着いたノダ。ぼくはもう3,4回目。ワイフは、はじめてなので、本場の伊豆の河津桜にまけない豪華さに驚くと共に、人出の多さにも仰天。静かに桜を愛でたいところだが、こんな見頃のときは、しょうがないゼヨとあきらめた。今度の土日は、とんでもの人出になることだろう。花粉症も始まるかもしれないし。



山とゆうより小高い丘だが、相模湾も望める景勝の地。でも誰も海はみないゼヨ。この河津桜のうつくしでは、あたりまえだのクラッカー。藤田まことさん逝く。ご冥福をお祈りします。てなもんや三度傘、みてました。共演の白木みのるさんは、お元気でしたね。久しぶりにテレビで拝見しました。


そして、な、何と富士山も。ついているではありませんか。でも、ぼくが行くときは、たいていお出ましくださるのだ。いつもお富士さんを愛人のように(汗)、愛でているから。
フジ純子さんの娘さん、龍馬の乙女ねえさん、寺島しのぶさん、ベルリン映画祭主演女優賞おめでとうございます。松竹大船の田中絹代さん以来とか。


そして、本場の河津(ここも3,4回行っている;汗)と同様、菜の花とのコラボ。ラブラブカップル。 菜の花、食べたいくらい好き。菜の花の葉っぱのおしたし大好き。


八分咲きと表示があったけど、ほぼ満開。早いものは葉が出てきている。神奈川県民の方、はやく観に行ってくださいね。禁煙知事になり代わり、お願い申し上げます。 ついでながら、ぼくはたばこをすいません。お酒はいただきます。次期知事が、禁酒知事だったら、はりたおします



小股の切れ上がったいい女みたいな桜。鍵屋のおせんちゃんみたいな娘桜。中高年の河津の桜よりお肌もぷりんぷりん。



あ、そういえば、明日から、いよいよ真央ちゃん登場ですね。河津桜のように可愛い真央ちゃん。下に咲いてる菜の花色の金メダルお願いしますね。


遠くから応援してます。
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