気ままに

大船での気ままな生活日誌

春らんまん 桜に野球に

2007-03-31 05:41:59 | Weblog
上野公園の桜が満開というので、そちらに行こうかなと思いましたが、前々日遠出で、翌日また遠出の予定ですので自重。上野は桜吹雪の頃に行くことにして、ワイフと一緒に、ご近所の桜にしました。

・・
まず、浄妙寺に。山門前の小さな桜並木が見頃。そして境内の奥の坂道を登り、今日は、洋館のレストラン「石窯ガーデンテラス」には入らず、その横の展望場所に向かう。ここからの眺めがすばらしい。前方に”山笑う”衣張山。山桜と芽吹きの山々が美しい。この近くに、伝説の女優、原節子さんが住んでおられる。きっと、毎春この景色をごらんになっているのでしょう。

そこから、住宅街を抜けて、荏柄天神を過ぎ、雪の下へ。清泉小学校の前のプロムナードの上品な桜並木も見頃。そして八幡宮境内へ。源平池周囲の桜が意外に見事。池と桜、相性がいい、子供時代よく行った井の頭公園の池と桜のミニミニ版。写真をパチリ。

そして段葛の桜並木。こちらももう見頃。夜桜用に商店の名前を入れた提灯がずらりと並んでいる。ここの桜は、夜桜お七、でなくて夜桜お八だろう。八幡さまだから。冬美ちゃんでなくてハルみちゃんに歌ってもらおう、うなり節で。九品寺は夜桜お九、お灸で熱いだろう。お十はどこ。お六はどこ。それくらい自分で考えてくださいね。

小町通りに入らず、寿福寺方面への道沿いに、粋な黒塀に見越しの桜がある。旧川喜多邸の庭、塀越しに覗いてみた。巨大な桜の木はまだ2,3分咲き、大きすぎて智恵が枝の先まで回らないのだろう。去年は公開の日に満開だった。また来よう。

大船に戻ると、代々木ゼミの前の桜が満開、サクラサクだ。サクラチルころ新入生が来るのだろう。来年はがんばってね。大船松竹撮影所開設記念の砂押川の桜並木も見頃、3月19日に一輪の開花を世界で最初にみつけたのは誰?この私、エヘン。

・・・
横浜球場でセリーグ開幕式。高橋由伸が開幕、先頭打者、初球、ホームラン。史上初の快挙。いきなり満開。巨人も勝利。今年はやってくれるかな。

大リーグもすぐ始まる。松坂、松井、井川、イチロー、城島、井口、田口らの活躍を期待。午前中はテレビ漬けになりそう。松坂18勝、奪三振王、新人王、松井3割、30本、100打点、イチロー首位打者、250安打、城島3割、100打点、井川15勝、井口3割、田口2割8分が私の満開基準。8分咲きで満開宣言らしいから、2分はおまけするね。

野球じゃないけど、北島200平で金メダル。好敵手ハンセンが反戦で、敵前逃亡、うれしさ半分、でも北島こうすけ、久々の満開宣言。

高校野球も後半戦へ。清原以来の怪物くんが猛打。満開宣言。

・・
桜も野球も春らんまん。ぼくの頭も春らんまん。

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山笑う

2007-03-30 10:59:31 | Weblog
俳句の世界に「山笑う」という季語があるそうですが、今頃の鎌倉の山々みたいなことを言うのかなと勝手に思っています。昨日の午後、電車の窓からみえる北鎌倉の山々が嬉しそうに笑っているように見えましたので、鎌倉駅に行く予定でしたが、つい北鎌倉駅で降りてしまいました。

山々は、全体が芽吹きの始まった木々の柔らかな薄緑に染まり、そして、その中に常緑樹の深緑と、白い花を咲かせている山桜の木々が散りばめられているのです。まるで、東山魁偉の、ぼんやりした緑色を主体とした、ほのぼのした風景画のようです。冬の間、眠っていて、むっつりしていた山々が、今、暖かくなって、起き出してきた、そしてお日様の光がとても気持ちよくて自然と顔がほころぶ、本当に山の顔の表情が笑顔にみえるのです。

電車の中でみた、山々に点在している山桜を間近で見たくなり、交番の横の路地に入り、山の方に向かったのでした。山桜は薄緑の葉っぱと一緒に、今が盛りと、白い花をいっぱいつけていました。大きい木が多くて、まるで大蛇のように太いねじれた幹に枝をたくさんつけているのもありました。まだ見ていないのですが、”大蛇(おろち)桜”と呼ばれている木もこの近くの山にあるそうですよ。

途中で、銭洗い弁天方面という表示がありましたので、そちらに向かいました。去年の今頃、源氏山を歩いたときに山桜がきれいだったことを思い出したからです。初めて歩く道でしたが、思いの外、早く源氏山公園に着きました。そこではソメイヨシノがまだ3,4分咲きでしたが、近所の方々の何組かが、お花見の宴を開いていました。私は、そこから、銭洗い弁天方面には行かず、北鎌倉の浄智寺方面の山道を下って行きました。

途中に大きな山桜を何本もみました。また、木々の間からみえる遠くの山々に散在している山桜も眺めることができました。遅い午後だというのに、まだ登ってくる人もいました。ころばないように、ゆっくり下りて、浄智寺に着きました。ここの、市の天然記念物の2本の大きなタチヒガンが、3,4分咲きでした。道路の反対側の崖っぷちには、大きな山桜が満開の花を咲かせていました。とても立派な木です、こちらも天然記念物にしてあげたいくらいです。

そして、北鎌倉駅を通り過ぎ、裏山の八雲神社まで登り、その石段で、さっきまで歩いていた山々(写真)をしばらく眺めていました。ほんとうに、遠くからみる山桜も美しい、まさに山笑うだ、と思いました。

山桜がこんなに美しいものだと感じるようになったのは、こちらに越してきた去年からです。それまで、住んでいたところは、地方の新興住宅地でしたし、そこから車で通った職場も新しくできた人工都市の中にありました。山桜をみる機会なぞあろうはずもありません。加えて、桜の季節は、仕事が一番忙しい頃で、山桜どころか普通の桜さえ愛でる余裕がなかったように思います。こうして、ゆったりとした気分で、美しい山桜の山々を眺めている今の自分の存在が不思議な気がします。

しばらくして、ぼくの心の中に目の前の”山笑う”の景色がいっぱい、たちこめてきて、自然とぼくの顔は、”ぼく笑う”になっていたのでした。
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身延の枝垂れ桜&富士山

2007-03-29 13:42:03 | Weblog
身延山久遠寺境内の枝垂れ桜の開花情報をみながら、数日前に急遽、A旅行社の日帰り花見ツアーに申し込みました。運良く、丁度2名分空いてました。昨日28日は空も晴れ上がり、暖かく絶好の花見日和になりました。そして何よりも、お目当ての枝垂れ桜が満開となり、最高の見頃になっていました。

日蓮上人の御廟にお参りし、岸の坊で精進料理の昼食を頂き、そして久遠寺境内に出てきました。そこには、樹齢400年の2本のしだれ桜が待っていてくれました。満開の一番美しいときの、あでやかな姿を拝見させてもらうことができました。ここにアップした写真は、よく紹介されている祖師堂前のものです。もうひとつの来客殿前の桜も、ピンク色が少し強めに出て(お色気があって)、樹型も女性的で、しだれ振りもなよなよと美しく(シナをつくって)、浮世絵の美人画によく出てくるような遊女の風情でした。名刹のお桜さまに対して、失礼なたとえだったでしょうか(笑)。

ぼくは身延山には初めて入りましたが、こんなに、美しい花の山だとは思いもよりませんでした。久遠寺境内の2本の枝垂れだけではありませんよ。御廟から久遠寺に向かう道々、そして十数の坊の庭、至る所に、樹齢を重ねた大きな枝垂れ桜が次から次へと顔を出してくれるのです。それに紅白の花モモや、まだ白モクレンやこぶしも残っていて、加えて5分咲きのソメイヨシノもあったりして、全山、色とりどりの花の山になっているのです。去年訪れて、あまりの美しさに感動した三春の町によく似ています。三春も滝桜だけではありません、町のあちらこちらに滝桜の姉妹や娘がいて、花の町になっているのです。

駐車場付近の本行坊の枝垂れ桜も見事でした。門前の案内から、この坊は日蓮上人が鎌倉の大町・小町で辻説法していた頃、弟子になった、比企が谷に住んでいた、大学三郎能本公(のちに本行院日学となる)の庵だったことを知りました。日蓮上人は、比企が谷にお寺を開き、能本公の両親の戒名をとって妙本寺としました。海棠がそろそろ美しく咲き始めるでしょう、私も時々訪れる、静かなお寺です。ここに来る前に、日蓮上人の分骨をしている”東身延”と言われている、鎌倉駅近くの本覚寺の満開の枝垂れ桜もみてきましたが、大町、小町には日蓮宗のお寺が多いです。

この日帰りツアーで、もうひとつ満足したことがあります。富士山を一回りし、じっくり真白き冨士の嶺を楽しむことが出来たことです。往きは、厚木から、御殿場から、富士市から、といろいろの場所から冨士山を眺めながら身延に着きました。富士川越えにそびえる富士山、良かったですね。そして帰りは、下部温泉を抜けて、長いトンネルを抜けると、雪国ではなかったですが、本栖湖の向こうの富士山であった、でした、すばらしい富士山でしたよ。ガイドさんの説明ですと、千円札の絵柄の富士山はここからの景色だそうです。そして鳴沢の”道の駅”からの大きな冨士山もすごい、富士山頂近くまで鳴沢村のものらしい、すごい村ですね、きっと村長さん、富士山はおれのものだと言っていばっているでしょうね。

でも須走辺りに来たら、富士山がおかしい。いままで吉永小百合さんのように気高く美しかったのに、突然、その小百合さんが、昼寝から起きたばかりの寝姿で、ねぼけ顔をして、さらに左手でお尻をぼりぼり掻いている、そんな姿になってしまったのです。あまりの変貌ぶりに、驚いてしまいました。左の稜線の途中の肩のようなところが際だつようになり、頂上部も乱雑、右の稜線もだらけているのです。

でも、”ねぼけの小百合さん”は、御殿場に近づく頃には目を覚まし、お化粧もすまし、いつもの気高く、美しい小百合さんに戻っていました。そして夕陽がちょうど左の山裾に沈むところでしたので、オレンジ色の空の中に浮き上がる、富士山のシルエットは、それはもうたとえようもなく美しいものでした。






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そして小石川植物園の桜

2007-03-28 05:21:32 | Weblog
そして、私達は六義園を離れ、近くの小石川植物園に向かいました。そこにも、しだれ桜があると思いこんでいたのです。とんだ勘違いでしたが、まだ早いと思っていた、ほかの桜を十分楽しめました。ソメイヨシノも、鎌倉あたりのよりも数日先をいっている感じです。個体差がありますが、2~5分咲きで、桜の下で、もう早々とお花見をしている人たちを何組もみました。

山桜系では満開のもありますし、ソメイヨシノ由来の園芸種で、伊豆吉野、天城吉野、衣通姫とかいう名前の桜ももう見頃になっていました。しだれ桜はひとつもありませんでしたが、この植物園の「さくら林」に植えられている桜たちで十分満足しました。一足先に、ここで花見をさせてもらいました。

ここでも、主役の桜を食うぐらいの、すばらしい脇役がいましたよ。黄色の可愛い花をいっぱいつける「しなみずき」です。これは、日向みずき、土佐みずき等と同じ仲間ですが、一つひとつの株が、この植物にしてはとてつもなく大きく、それが、たくさんまとめて植えてあるのです。ですから、まるで黄色い花の大群が、さくら林に押し寄せてくるような感じです。

さすが、小石川植物園です、精子発見のイチョウやソテツ、ニュートンのリンゴの木などの歴史的な植物、それに小石川養生所の跡地や井戸、青木昆陽の甘藷試作跡などの遺跡があります。学生時代に戻って、少し、勉強もしてきました。

植物園を出て、地下鉄の茗荷谷駅に向かう途中、小石川の播磨坂さくら並木を通りました。ここのソメイヨシノも、もう大分開いていました。ここの桜は、昭和35年に、15年の若木を植えたものだそうです。ということは、昭和20年生まれ、ギクッ、それに桜なら弥生3月生まれだ、ギクッ、ギクッ。誰かさんと同じ、吉永小百合さんも20年3月生まれ。そういえば、ここの男桜、品格がある、女桜は才色兼備だ、心構えも立派だ、還暦過ぎても、いつでも夢を、寒い朝も心ひとつで暖かくなる、と考え方が前向きだ、新しいことに挑戦もする、たまには「二人の休日倶楽部」で旅行もする、たいした桜だ、それで、毎年、元気いっぱいに、きれいな花をたくさんつけて、皆に祝ってもらえるのだろう、ぼくは、この20年生まれの桜たちをほめてあげたのでした。

「文京さくらまつり」の垂れ幕が播磨坂の入り口にかかっていました。いよいよ待ちに待ったさくらのおまつりが、あちこちで始まりますね。もう、これから毎日桜見物で、しどろもどろになってしまいますね。本当に、”世の中に たえて桜のなかりせば 春のこころは のどけからまし” ですね。
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六義園のしだれ桜

2007-03-27 21:30:19 | Weblog
今朝のネットの花見情報で、駒込の六義園のしだれ桜が見頃になったことを知りました。昨年も今頃でしたが、満開のしだれ桜の美しさに感激しました、今年も是非と思っていましたので、朝食を済ましてすぐ、ワイフと一緒に出掛けました。

10時頃でしたが、駒込駅側の門の前は、すでに花見客でごったがえしていました。そして、門の横の案内板には「枝垂れ桜満開」の文字が誇らしげに入っていました。

しだれ桜は、女王様のように燦然と輝いていました。思い切り大きく垂らした、しなやかな枝という枝に、ピンクの花を目いっぱいつけて、ゆうゆうと、辺りを見渡していました。人々は、近くに寄り、しだれ枝の花を間近にみて、触ったり、香りを嗅いだりしたり、また、遠くから、均整のとれた美しい晴れ姿をうっとり眺めたりしていました。

満開少し前といったところで、まさに見頃でした。しだれ桜は、この時期が一番です。なのに、「まだ早かったかしら」なんて、おばさんの声もきかれました。女王様の「何をみてんのよ~、おばかさんね~」の、女王ひばりさん口調のつぶやきが聞こえました。「三春の滝桜をみちゃうとね、感激がうすいね」のおじさんの声には、女王様は、「私は戦後生まれよ、あんな、1000年のうば桜と比べるあんたがおかしい~わ」と腹をたてていました。あまりに立派な木なので、何百年の樹齢かと思ってしまいますが、まだ5,60才だそうです。人間でいえば、団塊の世代ですね。そういえば、この女王様、ちょっと自己主張が強そうですね(笑)。でも、殆どの人は、女王様に賞賛と感嘆の声をあげていました。私も、もちろんそうですよ。こんな美しい、しだれ桜は首都圏では一番でしょう。

しだれ桜を離れて、紀州の風景を愛した柳沢吉保が、その地を模してつくったという、”大名庭園”の方に足を運びました。そして、ぼくは、あっと、驚きの声をあげたのでした。背丈が20メートルもあるかと思われような大木の枝という枝すべてに、びっしりと、白い花をつけているのが、池の左側の庭に見えたのです。近寄ると、その白い花は、なんと、こぶしの花でした。こんな大木の、それも満開の、こんな華やかな、こぶしの花を今まで見たことがありません。去年は気づかなかったが、と思っていましたら、ボランテイアガイドの方が、去年は花をほとんどつけなかったんですよね、と教えてくれました。

それにしてもすごい、主役のしだれ桜を食うくらいの迫力でした。たとえて言うと、先日観た「フラガール」の主役の松雪泰子さんに負けない存在感をみせていた助演の蒼井優(あおいゆう)ちゃんになるでしょうか。それで、このこぶしさんに、敬意をこめて、白井優(しろいゆう)ちゃんと名付けました。風に小枝がゆれて、本当にフラガールのようでした。

女王様のしだれ桜だけでなく、フラガールの白井優ちゃん・こぶしまで堪能でき、満足して、六義園を出ました。そして、次ぎの目的地、小石川植物園に向かったのでした。
・・・・・
家に帰って、7時のNHKニュースをみていましたら、ライトアップされた、六義園のしだれ桜が映し出されていました。女王様は、昼とは違って、妖艶な美しさをみせていました。ど~、すごいでしょ~、とひばりさん口調の、得意のせりふが聞こえてくるようでした。

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稀勢の里 どうしたのか

2007-03-26 15:14:12 | Weblog
大相撲春場所は、決定戦がまさかの変化相撲でちょっと残念でしたが、久し振りに白鵬が優勝し、めでたく幕を閉じました。ただ、私の応援している稀勢の里が、まさかの連続負け越しで、私にとっては、寂しい場所でした。いったい、稀勢の里はどうしたのか、それが今日のテーマです。

負け越しがはやばやと決まった日でしたか、次ぎの日でしたか、アナウンサーの気になる発言がありました。「稀勢の里は、今場所はどうも心の切り替えがうまくできないそうです」そして解説者も「今場所は勝とうという意欲が感じられない、無気力だ」、私の観察でも、どうも身体に張りがない、力が出ていない、寝不足のよう、目もうつろ、ため息が聞こえるようだ、等の感想をもちました。

これらは、私の経験からも、まさに失恋したときに現われる症状とよく似ています。稀勢関は20才になったばかりの青年です、当然、女友達ができてもおかしくないでしょう。そして破局だってあるでしょう。

13日目だったか、あっと思い当たるニュースをネットでみました。白鵬が女子大生とすでに結婚しているとの記事です。この女性が、稀勢関の片思いのひとではないのか、という仮説が突如、頭に浮かんだのです。その理由はこうです。

今場所、優勝するくらいの最強の力士、白鵬に、稀勢関は初日に突き落としで勝っています。そのときの勝ち誇った憎々しげな顔は、恋敵をやっつけたという表情でした。そして、2日目にはいとも簡単に負けています。

それだけでは、説得力が弱いって?そうですね、それで私は、稀勢関が白鵬以外に5番勝った力士の四股名を分析してみました。おどろくべきことが判明したのです。そのうち3番が四股名に「天」の字が入っているのです。旭天鵬、普天王、時天空の3力士です。幕内力士で天の入った四股名をもつ力士はこの3名しかいないのです、その3名にすべてに勝っているのです。このことは、稀勢関が「天」という字をみると、異常な闘争心がわいてくるということの証明と言って良いでしょう。

そうです、その女子大生が「天」となんらかの関係があるのです。姓が天野さん、天知さん、天川さんとか、お名前が、天子さん、天恵さん(あまり聞いたこたりませんが)、それとも彼女がデビュー当時の白雪姫、天地真理さんに似ているとか、ひょっとして天童よしみさんだったりして。あるいは、天ぷら屋さんの娘さんかも知れない、天ぷらひろみ(小町通りの)とか、天つな(横綱に通じますね)、はげ天、でぶ天(両国あたりにありそう)のお嬢さんかもしれない。はたまた、大阪場所前に通天閣で悲しい別れがあったのかもしれない。

もうすぐ、白鵬のお嫁さん情報がたくさん入ってくれでしょうから、私の仮説が証明されることと思います。とても楽しみですね。もし、奥さんと「天」になんの因果関係もないということであれば、直ちに、私の仮説を撤回たいと思います。ただの咳が出る風邪が長引いて(稀勢咳)稀勢関の調子が悪かっただけかもしれませんね。それの方がいいのですが。

・・

写真は今日午後、訪れた鎌倉駅近くの本覚寺の枝垂れ桜です。満開前の、丁度見頃になっていました。ここの墓地には、名刀正宗をつくった刀鍛冶、岡崎五郎正宗の墓があります。稀勢関が五月場所は、名刀正宗のように切れ味の良い、以前の取り口を取り戻し、三役に復帰できますようにと、お願いしておきました。

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氷室雪月花と真央ちゃんと

2007-03-25 11:39:24 | Weblog
昨日、3月24日は私の好きな日です。毎年お祝いしてもらえるからです。その日の午後、茅ヶ崎の氷室椿庭園を訪ねました。

3月はじめに茅ヶ崎の氷室椿庭園を訪れたとき、まだ少し早かったので、また中下旬にと思っていました。でも、今度は、ちょっと遅すぎたかな、という感じで、去年最盛期に観たような、花、花、花という迫力がありませんでした。でも、どの木も、いくつかはなごりの花をつけていて、自然と、ひとつひとつの花に目がいきます。全体より個といったふうな、それなりの楽しみかたができます。

ここには250種もの椿の木が植えてありますが、この中にいくつか氷室さんご自身がつくられた品種があります。その代表的なものが「氷室雪月花」です。それは、広い庭園の西側に、旧氷室邸を望むような場所に植えられています。もう盛りは過ぎて、3輪だけがひっそりと咲いていました。ピンク地に、紅い短い縞模様が入った、半八重の、上品な感じの美しい花です。下の方の枝に咲いている花の写真を撮りました。

氷室さんは20種ぐらいの品種をつくられていますが、この花が一番気にいったのだと思います。日本の美の代表、「雪月花」を名前に入れているくらいですからね。春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり (道元禅師) 川端康成さんもノーベル賞授賞講演「美しい日本の私」でこの歌を最初に紹介しています。

「氷室雪月花」の花をもう少しみたくて、庭園内を捜しましたが、これ1本だけでした。ふと、鎌倉駅前の大巧寺にもこの品種があることを思い出しました。帰りに寄ってみました。ここにも椿の種類がたくさんあり、若宮通りに面した山門を入って本堂に行くまでの小径の両側に植えてあります。でもどこにも見あたりません。二度往き来しましたが、見つかりません。勘違いだったのかと、あきらめて山門を出ると、「わたしはここよ」の声が聞こえました。振り向くと、なんと山門脇にいるではありませんか。山門前に4本の椿の木があり、そこの一番いい席に座っていました。ここでも、大事にされていました。花の数は、なんと20ぐらいありました。ずいぶん咲かせてますね、と言いましたら、ここの若宮通りは観光客が多いから、少し無理してサービスしてるのよ、でも、段葛のさくらさんにそろそろバトンタッチするわ、と答えてくれました。
・・
その日の夜は、真央ちゃんも私を祝ってくれました。ピンクの衣装、チャーミングな笑顔、そして優雅なスケーティング等、真央ちゃんの全体のイメージが昼間みてきた「氷室雪月花」の花にそっくりです。

真央ちゃんのライバル、韓国のキム・ヨナちゃんが二度もジャンプに失敗し、悪いけど、思わず手をたたいてしまいました。そして、真央ちゃん、快心の演技です。トリプルアクセルも成功させ、前日、失敗した連続ジャンプも難なくクリアー。大歓声の中、終えてリンクを回る真央ちゃんの目に涙が溢れます。そして、キム・ヨナちゃんを上回る高得点。観衆の大歓声、うちもテレビの前で二人の大歓声。真央ちゃんのインタビューでの涙に、こちらも、思わずもらい泣き。

このまま金メダルになって欲しいと思いました。美姫ちゃんには悪いけど、4回転ジャンプに挑戦して、失敗してもらい、でも高得点で2位になって欲しいと、むしのよいことを考えていましたが、残念ながら(笑)、美姫ちゃんが優勝してしまいました。それでも、真央ちゃんの、前日の結果を思えば、銀メタルはおんのじです。でも実力的には、来年以降は、真央ちゃんとキム・ヨナちゃんの両雄(雌?)対決でしょう。

真央ちゃん、さらに腕に(足に?)磨きをかけ、”美しい日本の風景”を彷彿とさせるスケーティングで、世界中の人から、「氷上雪月花」と呼ばれるようになって下さいね。





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フラガールを観る

2007-03-24 10:51:04 | Weblog
今年の日本アカデミー賞の最優秀作品賞に選ばれた「フラガール」を藤沢で観てきました。李相目監督、松雪泰子主演、豊川悦治、蒼井優、”お笑い”の山崎静代も出演しています。涙あり、笑いあり、感動がいっぱいの、すばらしい映画でしたよ。

舞台は昭和40年、常磐炭坑の町。石炭の時代が終わりを告げ、町は寂れ行く一方。なんとか町を再生したいと、岸部一徳らが町の人による、町の人のためのハワイアンセンターを設立しようとする。フラダンサーも町の女の子の中から養成しようと、都会の生活にくたびれはてた、一人のダンサー、松雪泰子をよび寄せる。町の女の子達は、フラダンスの映像をみて、「ケツなんか振れねえ」「ヘソ丸見えでねーか」と多くは敬遠するが、蒼井優、山崎静代ら4名の女の子が志願する。はじめ先生はやる気がなかったが、蒼井優らのひたむきさに次第に真剣に取り組むようになる。そして志願者も次第に増えていく、ダンスも上手になっていく・・・そして宣伝キャラバンツアーが始まる。

このハワイアンセンター計画には反対者も多い。蒼井優の母親、冨司純子も反対グループの先頭にたっていて、娘のダンサー志願に猛反対する。でも兄の豊川悦治は自分では炭鉱の仕事を続けながらも、妹そしてダンス教師の松雪泰子に理解を示し、影ながら応援していく。しかし母親も娘のひたむきな練習姿をみて理解するようになる。

いくつもの、感動的なシーンが組み込まれている。蒼井優の友人が、止む終えず、家族と共に夕張炭鉱へ移る、これまでの激しいダンスの練習を「今までで一番楽しかった」と泣きながら先生に礼を言って旅立って行くシーン。キャラバンステージの途中、山崎静代の父親の落盤事故の知らせを受けながらステージを続けるシーン、冨司純子が暖房の切れたセンターのためにストーブをリヤカーで借りにいくシーン、等々。とりわけ感動的であったのは、責任をとる形で東京に帰る発車直前の電車内の松雪泰子に、蒼井優らフラガールの面々が駅に駆けつけ、反対側のホームからフラダンスの振りで先生に自分たちに気持ちを伝える。・・わたしは あなたを 心から 愛しています・・ばか、と松雪の目が潤む、そして電車は発車、でもすぐ止まる、そして松雪が駅のホームに現われる、蒼井優らのうれしさいっぱいの涙顔。

そして、幾多の困難を乗り越えてハワイアンセンターが発足。フラガールたちが見事なダンスを披露する。お客さんの大きな拍手でラストステージが終わる。舞台の上で、今までの苦労が思い起こされ、皆涙顔になる。でも、中央のリーダーの蒼井優の顔に涙はない、笑い顔をつくり続けている、先生から教えられた舞台の上では、どんなときでもスマイルをと教えられているからだ、でも顔はゆがんでいく、溢れるでる涙を必死に押さえている、顔は笑いつづけている・・感動的なラストシーンでした。

実話を元にした映画ですが、脚本がとてもよく出来ていると思いました。羽原大介さんと監督の共同の作です。それとびっくりしたのは、松雪泰子さんと蒼井優さんの踊りです。まるで本職のようでした。相当練習されたのでしょうが、きっとダンサーとしての素質もあるのでしょう。蒼井優さん出演の映画は初めて観ましたが、演技がとても上手だと思いました。フアンになりました。よくみると、テレビのCMにも出ているのですね。

それと、植物好きな私には、故障で暖房の切れたセンター内の椰子の木をストーブで温めながら、寒くなかっぺかと、木に抱きついて一緒に寝てあげていた作業員の姿が忘れられませんね。

・・・・・
写真は先日ハワイ旅行に行ったとき撮った、椰子の木の下でハワイアンに合わせて踊るフラガールの方々です。


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ヒスイカズラの嘆き

2007-03-23 18:36:31 | Weblog
昨日の新聞に、大船フラワーセンターの温室内のヒスイカズラの花が見頃という記事が出ていました。私はよくフラワーセンターに出掛けますが、最近、温室内に入ることはありませんでしたので全く気づきませんでした。去年も、見に行き、あの青みがっかった緑色、まさに翡翠色の、幻想的な花に息を飲んだのでした。で、今日いそいそと出掛けたのでありました。

いつものように、ヒスイカズラちゃんにインタビューするつもりでしたので、途中にある玉縄図書館で事前調査をしておきました。

フィリッピン原産のマメ科植物、蔓性で大木によじ登り、長さ60~80cmの青緑色(ひすい色)の房状の花をつける、最低気温15℃必要、蔓が十分伸びないと花をつけない、1977年伊豆バナナワニ園での開花の報告が最初、現在でも開花しているものは少ない、ということを頭に入れ、温室に入ったのでした。

ヒスイカズラちゃんは、多くのお客さんの前で、あの房状の大きな、翡翠色の花を誇らしげに披露していました。みな感嘆の声をあげ、カメラにおさめていました。花の色が珍しい、形も面白い、幻想的だ、妖艶だ、と思い思いの感想を述べながら眺めていました。そのうち、誰もいなくなりましたので、ぼくは、カズラちゃんの肩をぽんとたたき、すごい人気だね、新聞にもでてたよ、と誉めてあげました。でも、カズラちゃんは浮かぬ顔をしていました。こころなしか青ざめているような気がしました。なにか心配ごとでもあるの?、と聞くと、「フラワーカンパニーの女子社員のひとたち、みんなが私をいじめるの」とさめざめと泣き始めました。

話を聞くと、こうでした。あなたの顔は、ヒステリーをおこした烏賊(イカ)のような顔だと言ってバカにするのだそうです。ヒス・イカ・ずら (ヒスの烏賊面)と囃すそうです。確かに、イカのように長い顔で、ヒスを起こしたように、青い顔をしています。

でも、あなたのような瓜実顔は昔から美人顔の代表なんだよ、浮世絵の美人画に描かれている女性はみんな瓜実顔だよ、女子社員みんなが囃すのは、自分たちが、まんまるの、スイカ(西瓜)ずらなので、あなたがうらやましいんだよ。あなたは、非スイカずらを誇りに思わなくちゃね、とぼくは、オヤジギャグをいっぱい入れて慰めたのでした。彼女は少し、機嫌を直し、笑顔さえみせはじめました。

ところで、カズラちゃんの上司たちはどう言ってるの、と聞きますと、また泣き出して、「いつも上司たちに怒られてるの、もっと姿勢を正しくしなさい、もっと独立心をもちなさい、って」と言って、さっきよりもっと悲しそうな顔になってしまいました。たしかに、いつも、大きな木にまつわりついて、姿勢も悪いし、自立もできていないですね。

よくみると、カズラちゃんがまつわりついている上司は、キムタク似の社内一の人気者でした。これで、カズラちゃんがいじめられる理由がよく分りました。ぼくはそっと、カズラちゃんの耳もとにささやきました。明日から、あっちの、今日、負け越しが決まった稀勢の里関似の社員にまつわりつきなさい、いっぺんにいじめがなくなると思うよ、と。

そして、帰り際に、カズラちゃんの花の色は、まるでブルーハワイの舞台になったハナウマ湾の海の色みたいに美しいよ、とほめてあげたのでした。




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鎌倉の苔寺 春分の日

2007-03-22 16:38:26 | Weblog
今朝の散歩のとき、いつも寄るお寺の境内で、大きなゴミ袋を抱えているご住職をおみかけしました。「昨日のお彼岸のお中日のですね」と声をかけ、墓域の方まで進みました。予想通り、ほとんどのお墓が新しい仏花に飾られていました。ぼくらは、前日に父のお墓参りを済ませていますので、昨日の春分の日はフリーでした。

家々の玄関先や庭に色とりどりのサイネリアの鉢をよくみかけるようになりました。そして道ばたのショカツサイ(花ダイコン)の紫色の花もずいぶん目立つようになり、春は怒濤のように押し寄せてきています。となりの家のしだれ桜も大分、花が開いてきました。ぼくの部屋の3月のカレンダーの写真も、安国論寺のしだれ桜です、早く見に来てねとささやいていました。

ささやきに弱いぼくは、すぐに大町の安国論寺に向かったのでした。でも、安国論寺の山門前のしだれ桜は、ようやく開花が始まったばかりで、見頃まであと5,6日はかかりそうでした。帰ろうとすると、道の曲がり角に立てかけてある、妙法寺の案内板が目に入りました。一度訪れたいと思っているお寺ですが、平日はあけていないので、いつも入り口から覗く程度の見学で終わっています。そうだ、今日は祝日だった、とすぐ近くの妙法寺に向かったのでした。

初めて参りましたが、すばらしいお寺でした。苔寺の別名もあるくらいで、緑の苔がいたるところにはびこっています。ただ、今の季節では、苔たちはまだ”春眠暁をおぼえず”状態で活動を開始していません。5,6月にはすばらしい苔の庭や苔の石段(人が通らないようにしてあります)がみられることでしょう。ぼくは京都の苔寺も大好きですので、これからは、ここの苔寺も”お気に入り”に追加しようと思っています。まだねぼけ顔の、石段の苔の写真を撮っておきました。近くにお住まいだった星野立子さんの句碑がそこに建っていました。「美しき 苔石段に 春惜しむ」 晩春の頃にまた訪ね、すっかり目が醒め、お化粧して美しくなっている”苔石段”を撮ってあげましょう。

境内の大きなハクモクレンの木がまだ十分きれいでした。小さな四手こぶしが淡いピンク色の花を、花モモも、沈丁花も、ヒマラヤユキノシタ、ミツマタ、ボケ、クリスマスローズ、アセビ、レンギョウ、等々花盛りでした。そうそう、樹齢650年のソテツも、見事でした。また、法華堂のある、山の上の方に登ると、カエデの木々が目立ちます。ここの、もみじ葉はすっかり”青年の”手になっていました、前日みた鎌倉湖のは赤子の手のようなももじ葉でしたが、ここでは成長が早いですね。その新緑がまぶしいくらいでした。きっと秋の紅葉もすばらしいことでしょう。

このお寺は、日蓮上人が安房から鎌倉に来られてすぐ、草庵(御小庵)を結ばれた場所です。ここに上人が本国寺を開山しましたが、のちに京都に移りました。その跡地に護良親王の遺子、日叡が、亡き父の菩提を弔うため、また上人の遺跡を守る為に、延文二年(1357)に再建したのです。護良親王の墓と御小庵の旧蹟が今も守られています。

このような由緒ある、そして美しいお山をもっているお寺ですが、鎌倉駅前には山のようにいた観光客の幾人もこちらには足を運んでいませんでした。おかげさまで、まだ春浅い、春分の日に静かな苔寺の佇まいを心ゆくまで味あうことができました。
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