「ギフテッドの半数が学業不振」ということについて少し調べ中なのだけれど、
‘Meeting the needs of gifted underachiever‘という記事にこんなことが書いてある:
創造的な子はアンダーアチーバーになりがち。なぜなら彼らの思考スタイルは今の学校システムで「よし」とされる「収束的スタイル」より「劇的に多様」であるため。また学校は、よりオリジナルでない生徒を「よし」としがちなのも、創造的な子の抱える問題を悪化させる。
競争や加速を避け、彼らの持てる力を、創造的に考え、学び、表現することに用いるようにすると、こういった生徒たちの「アンダーアチーブ」は改善する。
創造的な生徒にとっては、創造する自由と、スキルや整理面での弱さのサポートといった解決策が必要。
なるほどなあと思う。
じっくり考え試し表すというより、与えられたレールに乗ってぱっぱとこなすのが「よし」とされる環境では、こういった子達はやる気をどんどん失い、アンダーアチーバーにならざるを得ない。
口を開けば「大学の授業のシステムや課題のあり方がどんなにすばらしいか」「大学での勉強がどんなに面白いか」という話をしています。大学の何にそれほど魅力を感じているのかというと、「何を学ぶべきか」は提案しても、「どう学ぶか」「どこまで深めるか」については自由度が高いからのようです。
「課題の答え方が、中高のように決まった形に限定されていないし、個人の創造性を発揮することが許されている上、それによって高評価を受けることが多いんだ」とのこと。
たとえば、こんなところにあるようです。息子は、授業中、教授の説明する解法とは別の解き方やよりシンプルなプログラミングを思いついたりすることがあるようで、自分の考えたものには教授が示しているものよりどのような点で問題があるのか、おそるおそる尋ねに行っていたそうです。すると、「それもいいね」「そちらの方がいいね」と、とても好意的に受け取ってもらい、課題の提出の際、そうした自分の創造的なアイデアや解法を入れると良い評価をもらえるようになったそうです。
小中高の間、勉強の中に少しでもオリジナルのアイデアを出そうものなら、即座に全否定され続けてきただけに、すごく意外でうれしかったようです。日本の学校は、たとえ正解していても、授業で教えた通りの順序とやり方で解かないとバツをもらうことがよくあります。小学6年生の時も、受験したいと言い出した息子が、わたしは解くことができないとても難易度が高い中学入試問題を自力で解いていく姿を見て、「この子は数学が得意なんだな」と思っていたら、公立小の算数のテストで正解だけど解法がちがうからと何度もバツをもらい、B評価を受けていたので、複雑な気持ちを抱いたことがあります。
息子さん、大学に入り、ようやく思うように能力を発揮できると感じられるようになったんですね。自由に創造したり深めることが出来る場で、今やっと納得できる評価も手にされて。それまでの評価や成績など、悔しい思いをされてきたと思います。まさしく、記事にある事例のようですね。
オリジナルなアイデアを差し出しても、「それもいいね、そちらの方がいいね」と言う教授陣にも恵まれ、これからますます息子さんが、力をつけていかれること、楽しみにしています。
今の学校制度で、認められない子の中に、能力を持っている子というのはたくさんいるのだろう、そう思っています。小さな頃から繰り返しの評価や成績により、「あなたはできない」と突きつけられ、自分も「僕は私はだめ」と思い込んでいる子が大半でしょうが。
すり込まれた「できない」を跳ね返し跳ね返し、実際に力をつけ磨いていくことにフォーカスしていくこと、今の学校制度のなかで結果を出してきた人々に比べ何倍ものハードな道ではあるでしょうが、その分、メンタル面の強さはもちろんのこと、すいすい泳いできた人々にが見えないもの手にしなかったものが、与えられるのだと思っています。
思うように評価を受けなかった青年へのケアと共に、学校という場が、より多様な学習スタイルを包括できるようなものへと移り変わっていったらと願いつつ。日本でもオンライン高校などの試みが始まっているんですね。学校法人角川ドワンゴ学園“N高等学校” http://ed.kadokawadwango.co.jp/これからの変化に期待しています。