マインドとは、
根こそぎ力を奪ってもしまえるし、
逆に、とてつもない力を与えてもくれる。
どんな気持ちでいるのか。
沈んでいるのか、嬉しくウキウキしているのか。
ダウンであってもアップであっても、
その元をたどると、
自分がどんな「考え方」をしているのかに行き当たる。
自分がどんなストーリーにはまっているのか。
ダウンの場合:
・私のお先は真っ暗
・しょせん何したってだめ
・こんなことではどこにもたどり着けやしない
・何やったって続けられない
・ああもっとこうしてやればよかったなあ、子育ての仕方間違えた
・どうせ私なんて
真面目にはまりこんだ自分に、
そうかもね、でもさあ、こんな風にも考えられるんじゃないかなあ、
そう話しかけてみる。
・お先真っ暗
そうかなあ、まだまだこれからなんじゃないかな。いくつになったって生き生きと何かを始めたり、何かに夢中になって取り組んでいる人ってたくさんいる。
・しょせん何したってだめ
あれもこれもしてきたよね。そりゃ失敗もあるけれど、私なりにまあ納得できるような成果をだしてきたんじゃない?
・こんなことではどこにもたどり着けやしない
たとえ私がたどりつけなくたって、私なりに少しでも先へと繋げられる道を築けたならそれで十分じゃないかな。
・何やったって続けられない
子育てしていると、子供の年齢によってニーズも変わり続けるし、夫の仕事の都合や転勤もあったりすると、そうもなるよね。何が大切かを見つめて。続けているものだって、確かにあるじゃない。仕事も子育ても立派にバリバリと成果をあげて突き進む人はいる。でも人によって、条件状況は全く違うんだから、並列に比べて見えることなんてありはしない。私は私なりに、与えられた条件状況の中で、出来る限りのことをしてきたんじゃない。手にした条件状況の中で、自分なりによくやってきたんじゃないかな。
・ああもっとこうしてやればよかったなあ、子育ての仕方間違えた
親もその生い立ちから様々なものを背負っていて、子供もこの家庭に生まれたことで、背負うものがある。確かに苦労をかけてしまうこともあるけれど、大切なのは、少しでも改善できるよう取り組んでいくこと。今、そしてこれからできることを精一杯していこう。子供の人生はまだ始まったばかり、未来は果てしなく広がっている。
・どうせ私なんて
こんな私でも大きな連なりの中で生かされている。何兆という細胞が働き、爪や髪は伸び続け、心臓が動き続けている。この今生かされているということを抱きしめ、その力を感じてみよう。
アップの場合:
その嬉しさウキウキは、
誰かを見下しているからなのか、
物質的で続かないものに拠っているのか、
目先の快楽によってなのか、
今与えられたものに感謝しつつ、
その奥にあるより内なる喜びへとシフトしてみる。
自分の、感情、思考、身体感覚に気づいている、
それを「マインドフルな状態」と呼ぶのだけれど、
そのマインドフルである状態を練習することで、
自分の「マインドのパターン」を捉えやすくなる。
そして「気づいている自分」という「中立さ」がよりしっかりとしてくるにつれ、
以前よりはより調整もしやすくなってくる。
「絶対的な考え方やストーリー」があるのではなく、
あるのは、「自らの選択」。
では、何を選択するのか?