マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

スポーツで打ちひしがれた敏感っ子時代の思い出、マインドを鍛え具体的スキルを身につける大切さ

2016年09月21日 | ハイリーセンシティブチャイルド

私も夫も、特に大きくなってからは、スポーツとはほとんど無縁の人生を送ってきました。ということで、家族でスポーツ観戦するというのも、これまでほとんどなかったんですが、スポーツ好きな子供たちに押され、最近は、インターネットでサッカー観戦をするようになっています。サッカーは、次女も続けていて、最近次男も始めたりと、家族で最も身近に感じやすいスポーツ。気がつけば、子供たちと一緒になり、選手の一挙一動に大興奮だったりします。

 

大観衆が見守り、この一蹴りにチームの行く末がかかっているというプレッシャーのなか、キック! ばちりと決める選手、外す選手。この夏の「アメリカ大陸選(Copa America 2016)」の決勝戦であの世界一とされるアルゼンチンのメッシが大きくはずしたのも、まさしくメンタル面が関係していたのでしょうね。

 

 

 

スポーツでのメンタル面といえば、レベルは全く違えど、実は私自身、深く身に覚えがあります。小学6年生のときに入ったソフトボール部でのことです。

ある日、私を含め新しく6年生から入った10人弱ほどが、交代でピッチャーになってキャッチャーにボールを投げるという機会がありました。私の番になり、投げたとたん、空気が変わるの感じました。部に入り2年目3年目のベテラン選手たちが、顔を見合わせています。コーチが腕を組み直し、神妙な表情で、「もう一度」と言います。どうも、ピッチャーの素質ありと見られたようでした。

その日以来、6年生から新しく部に入った生徒の中から私だけ、それまでのピッチャーの生徒とともに、「異なる練習カリキュラム」に取り組むことになります。そして次の試合では、ピッチャーとして名前が呼ばれ、その上なんと、突然チームの「キャプテン」に任命されたんです。

 

 

ところが、ピッチャーとして投げるのはまだしも、バットにあたり、飛んできたボールをうまくキャッチすることが、なかなかうまくいきません。練習では「無難」にできても、本番などの試合中になると、「できなさ」が倍増します。バットに当たったボールが高く上がり、落ちてくるような場合、誰もが簡単に取れるようなボールでも、ぽろりとミットから落としたりするんです。

 

 

 

あのときの私のメンタルの状態を、今では、よく理解できます。自分でもよく分からないまま突然ピッチャー&キャプテンになり、それまでの何倍も練習してきた生徒たちの視線をひしひしと感じていました。私の何倍も練習してきてキャプテンになるはずだった生徒の悔しさ、その友人たちがコーチの決断に不満を持っているのも知っていました。そうした周りに渦巻くネガティブな感情と、見守る観衆やコーチからの期待、それらへの動揺が、自身「苦手」と感じる「ボールをキャッチするという瞬間」にあらわれたんです。ここぞというときほど、面白いくらいポロリと落とし続けました。

 

 

やがて、「自分はだめだめだ」と思い始めます。誰もが簡単にとれるはずのボールさえ、大切な試合中に、落としてしまう。私にピッチャーやキャプテンなどつとまりはしない。ボールを落とすたびに、自信を失い、またよけいにミスするようになりと、ますます悪循環に陥っていきました。

結局、シーズンの途中で、キャプテンを降りることになり、ピッチャーも交代となります。期待を踏みにじった罪悪感と、自分はどうしようもないという絶望感と、ほっとした気持ちを抱きながら、シーズンを終えました。

 

 

「スポーツはメンタル勝負」、大きくなってそんな言葉を耳にするようになり、心の底から納得したのを覚えています。

あのときの自分に必要だったのは、メンタルを鍛えるエキソサイズと、周りの何十倍もキャッチの練習をすること。ここぞという時にキャッチする瞬間をシミュレートして、何度も繰り返し練習すること、だったのでしょう。

 

 

あれから30年近くたち、それなりに様々な体験と知識を積み重ねることで、周りに渦巻く感情やプレッシャーを、目の前の物事に生かす力へと、以前よりは変えていけるようになったかなと思っています。次世代の子供たちに、学んできたことを生かしていきたい、そう思っています。 


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