「ちきりん『学校は不利な人をより不利にする場所』 イケハヤ『まだ不登校で消耗してるの?」より。
この記事にあるちきりん氏の本はまだ読んでないのですが、
「学校に行くことで、不利な立場がより不利になっている」という視点、
興味深いですね。
確かに、
「この人たち、世界中どこだろうと、生き抜いていくだろうなあ」
と思う知り合いの中には、
経済状況や社会的地位は様々ですが、日本でもこちらでも、
ホームスクールしていたり、アンスクールしていたりという家庭があります。
学校そのものに、何の期待もしていないんですよね。
今の学校を大学まで出たからといって、
「生き抜く力」が育つとは思えません。
テスト的なスコアをあげるスキルは高まるでしょうが、
考える力や感じる力は、弱めてこそフィットするとさえ思えます。
じゃあ、もともとは社会を駆け昇る力をつけるための
「リカバリーの場」だったはずの学校が、
今は逆効果になり得るだなんて、一体どうしたらいいんでしょう。
ひとつには、
べらぼうに高いインターナショナルスクールや留学などだけでなく、
ホームスクールや、フリースクールや、寺子屋的なグループや、
子供の特性に合った多様な学びの場が増え、
今の「オーソドックスな学校」のみに頼らないでいいという状況が、
より一般化し充実していくことでしょうね。
イケダ氏の言うような、「親と働きながら」学ぶというのもそのひとつですね。
また、「不登校」についていえば、
そうして今の「学校」がもつ「絶対的な力」がより分散されるにつれ、
今の「不登校」家庭も、親子でこれほど苦しむことなく、
こっちは合わないから、じゃ、あっちを試してみよっかと、
さらりと歩き続けていけるようになります。
周りの大多数が「当たり前」に通う中、
受け入れ先がほとんどないなんてきつすぎます。
「この学校」へ行くか行かないかだけの選択だなんて。
(朝日デジタルの記事に思う、多様な学習スタイルを選べる教育システムでは「不登校」なんて存在しない
ちきりん氏の記事に思うこと、「学校で無駄に過ごす」から「多様な選択肢のある」システムへ)
多分、今よりは多様化するだろうイケダ氏世代の子育ても、楽しみですね。
今後、さまざまな学びの場の試みが増え、
より手軽にアクセスできるようになること、
切に願っています!