Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

GW特別企画(11)孤独の映画

2013-05-06 00:15:00 | コラム
特別企画の最後は、自分が表現で突き詰めていきたい「孤独」をテーマにしてみよう。

何度か取り上げている気もするけれど、個人的に、映画における最大のテーマがこれなので。


♪ ひとりじゃ孤独を感じられない ♪

と歌ったのは宇多田ヒッキーだが、ほんとうにそうで、その空間に他者が存在して初めて「あぁ自分、いま孤独かも・・・」などと思う。

たとえば。
かーちゃんが死んで数日を田舎で過ごし、東京に戻ってきた夜―。

ひとりで居るのが辛くなって息苦しくなって、金でもありゃ風俗にでも行くのだろうが、そんな余裕もない。
とりあえず、最寄りの多摩センター駅に向かう。

デパートで買い物をする家族。
弾き語りをするアンちゃん。
キャッキャいっているカップル。

彼ら彼女らを見て、一瞬だけこころ安らいだのだけれど、その直後、
なんというか、もう、抗いようのない孤独感で押し潰されそうになった。

でも絶望というものとは少しちがっていて、哀しいというよりは、この感情/状態とうまく付き合っていかなければいけないんだな、今後も・・・なんていう風に思ったりもしたのである。


(1)『タクシードライバー』(76)

トラビスは観るものに微笑み、そうして、突き放す。

「俺も、同じだから」とはいうけれど、慰めることはしないのだ。

そこが、この映画のいいところで、極端なことをいえば、この映画のすべて。

(2)『エレファント』(2003…トップ画像)

少年少女に寄り添い続けるガス・ヴァン・サントの、現時点における最高傑作。

登場人物のほとんどが孤独で、とくに犯人ふたりが「キスしたこともない」といってキスをするシーンは切なかった。

(3)『鬼火』(63)

アル中の男が自死するまでの48時間を描いた、ルイ・マルの代表作。

このために存在するかのような、サティの音楽が孤独を強調していて見事。




(4)『十九歳の地図』(79)

希少となりつつある新聞奨学生、すべてに捧ぐ。

無力を実感することと孤独を実感することは、ほとんど同じ―ということを、この映画で教わった。

(5)『ジョニーは戦場へ行った』(71)

最後の「help、me」が胸を打つ。

究極の孤独とは、こういうことをいうのかもしれない。

(6)『永遠と一日』(98)

詩人の最期の1日を映像美で描く、アンゲロプロス後期の代表作。

いつもそうだが、このひとの映像美の根っこには、寂寥感みたいなものがあってガツンとやられる。

(7)『ロング・グッドバイ』(73)

レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』を、アルトマンが映像化。

トレンチコートを羽織らず、ヒトリゴトを連発する「新解釈の」マーロウ像が素晴らしい。

結末も原作とはまるで異なる印象だが、大都会の孤独を強調して秀逸。
さすがは、アルトマン。

(8)『真夜中のカーボーイ』(69)

相棒が居たって、孤独は孤独。
いや相棒がああなってしまうからこそ、ラストの孤独と絶望は強烈で。

(9)『カノン』(98)

「精一杯」開き直ったジジイの、アナーキーな日常。

ただ「精一杯」なので、最後の最後で臨界点に達する。

(10)『マッチ工場の少女』(90)

カウリスマキ、初期の傑作。

振り切った救いのなさ、孤独の深さ。
それをコメディとして提示する、チャレンジ精神に一票。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『「かおり」より、「かほり」と記したほうが情緒がある。』

コメント (2)
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